第四章 1
夜風の吹く穏やかなテラスでオズボーンは確かめるように呟いた。
「桑納のかな。それがお前の真の名か」
「うん」
「ベルテルスを探すために別の世界より参り、体と自分まで失ってもまだそれを諦めんか。なんとも凄まじいヤツだ。元の世界でもさぞ豪傑として名を馳せたのだろうな」
「ご、豪傑。女の子としてなんか複雑だなぁ…………」
「女!? お前が!?」
ふてくされたようにのかなは言う。
「はいはい、そーですよ、どーせマリーの体でも元でもちんちくりんですよーだ」
「これが力の代償というヤツか…………なんと憐れな」
「まだ成長するからね? それ以上言うと殴るよ?」
「ふっ、冗談だ」
はぁー、とため息をついたのかなは脱線しかけた話を元に戻す。
「ことかちゃん、いやベルテルスはどこに行っちゃったんだろう。『四邪神』でも探せないって事はこの世界には居ないのかな?」
「………………」
考え込むように黙りこんだオズボーンはやがて口を開く。
「ライオネル、あいつなら何か知ってるかもしれん。演説会場でも何か知っているような口ぶりだった。お前の正体にも気づいているようだったしな」
「ライオネル…………あのおじさんだね」
「見た目は冴えない中年だが、中身も冴えない中年だ。ただ、それでも相当な実力者である事には違いない。ヤツの知略には俺も散々苦しめられたものだ。見た目に騙されない方がいい」
「うん、気を付けるよ。なんとなくだけど戦いになりそうな気がするから」
「ああ、その認識で間違いない。この世界、どこに行ってもお前の敵と下僕しか居ない。対等に分かり合える存在などありはしないのだ。マリー=マールは『それでよい』と言った、仲間すら蔑ろにして、天へと迫った。結果は知っての通りだ。仲間すら失い、地に落とされた。お前はあらゆる点でマリー=マールに劣る。故に同じ轍は踏まんだろう。その『弱さ』がお前の最大の強さだ。その形は誰も欲しがらず、誰も奪いはしないだろう。…………だからか? だからお前は『弱さ』を己の強さの核としたのか?」
「そんな高尚な物じゃないよ。私はそれしか持ってなかったんだ」
「賢者は全てを偶然と言う。愚者は理由を求める。愚問だったな、忘れてくれ」
オズボーンは改めてのかなの事を見た。平時はどうにも頼りない感じのする少女であるが、仲間ならばこれほど頼もしい者も居ないだろう。それは決して身体的に強いからではない。不屈の精神性がどんな状況からでも必ず何かを引き起こすからだ。その希望は確かな確証として己の命すら不確かな戦いの中に明かりを灯してくれる。まるで太陽のように。
(しかし、その光は不自然だ。ここまで人が強く在れるものか。何かにとりつかれたか、それとも精神をいじられたか。…………人形。他者の思いを乗せる器、偶像。理想の体現者か。生物としてこれほど不気味な存在はあるまい)
それでもこの少女の異常さに人は惹きつけられずにはいられないだろう。人というものはそういう風に出来ているからだ。超正常刺激とでも言った所か、本来あり得ないはずなのにそれを備えるものに本能的に惹きつけられる。生物としての欠陥か、それとも来たるべき“何か”を受け入れるためのものか。
そんな事知るかとオズボーンは鼻で笑った。例え作られたものなのだとしても、その精神性がある限り、誰かの思い通りにはならないだろう。ならば心配する事は何も無い。自分はこうして遠くから事の顛末を眺めているだけでいい。きっと吉報が待ち受けているだろう。
「行くのか、炎翼」
「時間は有限だからね。それにここは私の居場所じゃない」
「ふっ、仲間か。だが、奴らはお前に劣る。その煩わしさに潰されたマリー=マールのようにお前もいつかは切り捨てるかもしれんぞ」
のかなは少し寂しげな笑みで語りだした。
「マリーが本当に切り捨てていたらパウラちゃんはお見舞いにはこなかったはずだよ。彼女はなんだかんだで仲間を大事にしてるんだ。だけど私は自分を一番下に置いた。今まではそれでよかった。だけどこれからもそれを続けていくならきっと私はみんなにも自分と同じ苦痛を強いるだろう。人はそんなに強くない事はよく知っているんだ。だから私は切り捨てるのではなく、見捨てられていくんだろう。またはその苦痛を与えるのに耐えられなくなった時、やはり自ら切り捨てていくんだろう」
でも、と続ける。
「私は悲観主義者でも無ければ、そこまで未来に絶望してもいない。失ったってそこで終わりじゃないんだ。それが必要だというのなら何度だって奪い返してやる。私は魔法少女なんだ。そこに希望があるというのなら求めずにはいられない。そうじゃなきゃ一体何のために生まれて来たっていうんだ」
「魔法少女」
オズボーンにその単語の意図は理解できなかったが、聞き返す事はなく、代わりに心に深く刻み込んだ。それがこの少女が自らを表現する言葉であるならば、意味は不必要だ。重要なのは言葉ではなく、現実に存在する人間の事なのだから。
風のようにのかなは消えた。魔法を制御する回路の焼けた匂いがオズボーンの胸にどこか懐かしさを感じさせた。
のかなが城に戻ると定時連絡の中に変わった物があった。
「魔王様、邪神ライオネルより会食の誘いが来ています」
「分かった。申し出を受けると返事をしておけ」
「はっ!」
去りゆく側近の背中を眺めながらのかなは思考にふける。
(ずいぶんと手際がいいね。私がオズボーンに勝つ事を予想していたんだろうか。もしそうなら恐ろしい事だ。仲間の敗北を考えて動くのは被害を最小限にするのに必要な事だ。しかし、時に冷酷ともされる行動でもある。その心中は分からないが、オズボーン以上の強敵という認識で間違いはないだろう)
オズボーン戦のような力押しは通用しないだろう。これまで以上に仲間達の力が必要になってくる。だが、彼らは信用できるのだろうか。
友人のるいを除けばその腕を買われて雇われた。無論、人間としては高いレベルの戦闘力を誇るのは間違いない。それでも魔法の徒であるのかなには遠く及ばないのだ。模倣者の娘であるケリィが飛び抜けている事以外は五十歩百歩の能力。あまりに心もとないといえるだろう。
(どう運用したものかな。私の『創造』した武具で補うとしても限界がある。人体改造はさすがにまずいかな? でも魔法が使えたら便利なんだけどな…………)
のかな達魔法少女の使う魔法は極めて科学的な物である。今は禁止されている有機回路を体に刻み込むか、デバイスで仮想回路を形成する事によって魔力を物理エネルギーに変換する事が可能になる。
魔力とは酸素のような物で空間中にも存在するが濃度が薄く、基本的に体内に蓄えている物を使う事になる。杖型デバイスがあれば空間中から抽出する事もできるが微々たるもので、それでも体外の物を使いたい場合は生体ユニット頼りとなる。魔力を生みだす生物を体に寄生させる、武具に寄生させる。方法は色々あるが、生き物である以上扱いが難しい。
故にのかなは杖にある魔力生成機構を限界まで高め、紙媒介の魔法を使って消費魔力を極限まで抑える事で戦闘時間を伸ばしてきた。本来必要な防御機構が再生能力と異常な反射神経によって補えたのでいらなかったのも大きい。
そこまで考えて、魔法を運用可能にするのは難しいとのかなは結論を出した。魔法少女という存在が成り立つのもデバイスがあっての事。簡略化されなければあまりに使い勝手が悪すぎる。それで魔法が使えるのは“魔法使い”だ。デバイスの作製は出来なくもないだろうが、それはこの世界に大きな混乱をもたらすだろう。数個程度ならともかく、量産などの大量作成は安易にやってはならない事だ。
(やっぱり魔法は諦めよう。戦争は手段であって目的じゃない。それよりこの世界にある不思議な力に目を向けるべきだ。模倣者じゃなくても不思議な力を持つ人間は居る。マリーの『創造』、望夜さんの『自在』、るいちゃんの『音符』。それらを上手く使う事ができればきっと私達に足りない何かを補う事ができるはずだ)
のかなが調査をして分かったのだが、不思議な力を持つ者は意外と多いという事。そして大半が微妙な能力であるという事。さらにマリー=マールの能力が元を正せば『ロリポップを生みだす』という物である事は大きな衝撃を与えた。
能力は進化するという。だが、一体どれほどの修練を重ねれば飴を生みだすだけの物が万物を際限なく生み出す力へと到達できるのだろう。のかなも努力の人ではあるが、その執念には驚愕せざるを得なかった。
(逆に言えばそこまでして得た能力を奪われた状況で再起しようとしていたのか。どうしてそこまでして…………)
のかなはマリーのルーツを探す必要性を感じていた。本来はそんな事をするような余裕は無いのだろう。しかし、マリー=マールは『四邪神』を退ける寸前まで行ったのだ、それを知る事が『四邪神』攻略の手掛かりになる可能性も完全には否定できない。なによりこの好奇心を無視する事は体に毒にもなりそうだった。
(…………まいったな)
探し始めてすぐ、のかなは壁に行き当たった。マリーは自身の事を記録に残す性分ではなく、なおかつ言いふらすタイプでもないのでまるで情報が無いのだ。
聞く話と言えば闇の底から生まれたとか空より堕天した等の突拍子も無いものでまるで手掛かりになるものが見つからない。最後の手段としてパウラ達に聞くというものがあったが、喧嘩別れした身であるのでコンタクトを取るのも気が引ける。つまりどうにも行きゆかない状態であった。
(他に知ってそうな人…………いや、まてよ)
情報は人の記憶だけではない。その人物の行動の記録も探す手掛かりとなる。
(マリーがよく行ってた場所。そこが怪しい。頻繁に行っていたなら目撃情報もあるはずだ。その線で調べてみよう)
結果から言えば、のかなの考えは的中した。マリーは纏まった時間を見つけるといつもある場所へと向かっていたようだ。そこに何かがあるのは間違いないだろう。確信を得たのかなは早速その場所へと向かう事にした。
(…………そこまでは良かったんだけど)
良く言えば見通しがいい、悪く言えば何もない。まるでゴッホの『種まき』のような光景が広がっていた。
(次のバスが半日後って…………田舎ってレベルじゃないよ)
人に聞くにしても家すらまばらな状況でのかなはあまりの途方の無さに軽く眩暈を覚えた。しかし、いつまでもそうしてはいられないので手始めに空へと飛び上がり、高所からそれらしいものを探す事にした。
のかなにとって空を飛ぶという行為は相変わらず恐怖の対象だ。元々人間の遺伝子には空を飛ぶという動作は組み込まれていない。つまりその行為は生物的に不自然で理解できないが故に本能的な恐怖を感じているのだろう。
幼い頃からの刷り込みによって人が飛行するということ自体には違和感は無い。だが、見るのと実際に飛ぶのとでは別だ。気を昂ぶらせている戦闘中や落ちても助けてくれる他の誰かが居るならともかく、平常時でしかも一人ではとても耐えられそうにない。できるだけ早く済ませてしまうとのかなは周囲の探索を開始した。
(周囲全域にパラダイム空間を展開、地形把握及び生物のサーチ開始、マップ生成、人物識別…………あれ? これって)
何かに気付いたのかなは探知を途中で終了すると問題のエリアへと向かった。そして違和感の正体を目視すると「やっぱり」と確信の言葉を呟いた。
(パウラちゃん……どうしてここに?)
その疑問はここがマリーにとって特別な場所であるという事で解かれた。気付かれないように後を付けていくとやがてパウラは崩れた廃墟へと踏み込んでいった。
その廃墟は自然に倒壊したものではなく、爆発などの人的な要因で壊された物のようだ。人が住まなくなってからかなりの時間が経っているようで石垣には植物のツルが這っている。しかし、建物自体は何か特別な力でも働いているのか、まるで時でも止まったかのように何者にも侵される事無く静かに佇んでいる。
のかなはそれを見た瞬間、体が共鳴するような“軋み”を感じてその場にうずくまった。精神が別だとしても体は覚えているのだろう。ここが自らにとって特別な場所であるという事を。
(私はここに入る資格があるのだろうか…………?)
偉大なる者への畏怖にも似た感情に負け、のかなは踵を返した。ここに踏み込む事はマリーの過去すら己の物にしようとする暴挙だ。ここに来れた時点である程度の推測はついた。これ以上の詮索は無用だろう。
「待てよ」
聞きなれた声に振り向くとそこにはパウラが居た。
「せっかくここまで来たんだ、寄っていけよ、“マリー”」
無論、自らの正体がばれていることにのかなは気付いていた。だが、その名で呼ばれれば応じないわけにはいかない。恐れ多いと知りながらものかなは振り返りその中へと踏み込んでいく。電気は通ってなかったが、室内は差し込む太陽の光のお陰でそれなりの明るさがある。
教室のような部屋に入ったパウラはそこにある勉強机に腰掛け、古びた黒板を眺めると言った。
「懐かしい感じがするだろ。それとも今のお前は何も感じないか?」
「私は…………」
「ごまかさなくていい。ここでは誰も見ていないさ」
「…………ごめんなさい」
「謝るのも無しだ。お前のせいじゃないってのは分かってる。それにさ、その顔で謝られるとなんだか悲しくなるんだ。マリーがもうこの世には居ないんだって認識させられるからさ」
パウラが前を向いたまま顔を見せなかったのはおそらく気丈に振る舞うためだろう。もし、のかなの顔を見ていたら瞳より頬を伝う感情を完全には押さえられなかっただろうから。
「ここはあたし達が暮らしていた家だ。どこで生まれたのかも、どうしてここに居るのかもまるで分からない行方不明のガキ共が集まって日々を凌いでた。この世に地獄があるとすれば多分ここだったんだろう。生きるためになんでもやったさ。人を殺した事もある。だが、それは必要な事だった。あたし達はそれを肯定した。もちろん正しい事じゃないさ、でも間違った事でもなかった。ただ、それだけさ…………」
語りだした過去はおそらく今もパウラを苦しめているのだろう。そうでなければ懺悔するかのように震えながら話す事があろうか。彼女は人間だった。どうしようも無いほど無力で、どうしようもない事に押しつぶされそうなただの人間だった。
「気がつけば当たり前のようにあいつが居たんだ。大人も知らないような事をたくさん知っていて、驚くくらい頭がいい。冷酷な大人のようで子どものような面もある変なヤツだった。あいつはよく言っていたよ、「勇気が人の魂であり、知恵が人の体である」と。あれほど大胆で繊細な人間を他に見た事はない。何より規格外だったのはあいつが常に成長していたって事だ。飴を練り上げるだけの力が銀河を練り上げる形へと進化していった。その凄まじい速度にあたし達は付いていくだけで精いっぱいだった。何度付いていけないと思った事か、でもそんな時は必ずあいつは立ち止まってあたし達を待っていてくれるんだ。足手まといになっていると思いつつもそれが嬉しくてあたし達は一生懸命走ったよ。苦しくも楽しい時代だった。あいつはあたし達の仲間であり王だった…………でもそれをあの日」
失ったんだ。
「敵の策略に嵌まり、あたし達は捕まっちまった。マリーは自分かあたし達かのどちらかを選ばなくちゃいけなくなった。両方は出来ないんだ。片方を捨てて、その選択が正しかったってずっと信じ続けなくちゃいけない時が来てしまった。おそらくマリーはあたし達を選んでくれるだろう。だけどそれはあたし達にとって命よりも大切な物を売り渡す事だ。あたし達は迷わずにマリーを選んだ。元々使えなくなったら捨ててもらうつもりだった。それで良かったんだ。なのにあいつは!」
怒りに満ちた表情でパウラは語る。
「私達の覚悟を踏みにじったんだ。本来どちらかしか選べないあの場面で両方を生かすにはその方法しかなかったのは分かってる。だけどそれは今までやってきた事を全部否定する事じゃないか。あいつは敵もろともあたし達を殲滅し、その力で蘇らせた。結局あいつにとってあたし達は手のかかる道具でしかなかったのさ。仲間じゃなかったんだ。本当は分かってるつもりだった。あたし達とマリーには差があるって、それでもやってきた仲間だと思ってたんだ。死にたかったわけじゃない。だけど死なせて欲しかった。あいつに全部背負わせるくらいならあたしなんて居なければよかった!」
昂ぶる感情を押さえきれなくなり、パウラは顔を手で覆った。誰もマリーを怨んでいたわけではなかった。お互いを思いやるが故に傷つき、別れていったのだ。
「あいつの隣に居てやれなかった。独りぼっちにしてしまった。あたしが強ければ、力さえあればこんな事にはならなかったのかもしれない。だけど、あたしはどうしようもなく弱くて、臆病で何もできなかったんだ。そんなあたしが生きていて、なんであいつは死んだんだ! 答えろ! 答えてみろ! どうしてあたしがここに居るのか、誰か教えてくれよぉぉぉ!」
叫びはどこまでも青い空に吸い込まれて消えて、静寂だけが残った。のかなは沈黙によりそれを受け止めた。そしてマリーと同じ顔で言う。
「命に価値は無い。生き死にに理由なんてない」
「魔王」
「きっと私達は誰かの劣化で、感じている痛みすらいつか摩耗していくのだろう。所詮私達は代わりの利く存在で誰一人としてオリジナルじゃない。ここに私達が居たという事実すら時代の波にのまれて消えていく。後には何も残らない。私達は使い捨ての消耗品だ! 何もかもが嘘っぱちだ!」
「魔王!」
「だけど、そんな簡単に割り切れないから苦しいんだろ! 希望が無いって思いたくないから何度でも希望を求めるんだろ!? 私達の存在が劣化だとしても自分に嘘をつくな! 捨てきれないのなら否定するな! 私達は本物じゃない。だけどその願いの尊さや輝きが誰かに劣る事は絶対に無い! マリーに会いたい、そう思ったからあなたはここに居る。私はマリーじゃないし、その代わりにはなれない。だけど、あなたを抱きしめる事は出来る。この体と暖かさは本物だ。思いは引き継がれていくんだよ、そこに本物も偽物も無い。私達は迷ったままでも進んでいける。何かを捨てていく必要なんてないんだ! …………今、私がどうしてここに居るのか分かったよ。私はあなたを救うためにここにやってきたんだ」
「お前…………」
パウラは初め、困ったような顔をした。触れたら壊れてしまいそうな程脆く儚い物に手を伸ばし、崩壊を恐れるあまり引っ込める。だが、のかなはその手を取った。瞬間、パウラは恥ずかしげに戸惑った後、頬を伝う熱い滴を止める事無く力強く抱きしめた。
「マリー…………マリー! マリィー!」
「今はいっぱい泣いていいよ。頑張らなくたって、臆病だって無力だって構わない。きっとそんなあなたがマリーは好きだったはずだから。立派じゃなくたって時に情けなくなってそれが生きているって証拠だから」
のかなは泣き続けるパウラが落ち着くまで優しく抱きとめていた。記憶などあるわけないのに何故かその行為がとても懐かしい事のように感じられた。
いつまでそうしていたのだろうか。やがてパウラは憑き物が落ちたように晴れやかな顔を見せた。その横顔は少し寂しげでもあったが、同時に成長できたようにも見えた。
「ありがとな。なんかふっきれたわ。無論、心の痛みはあるさ。いつかは薄れていって時々は思いだして悲しくなるんだろう。でも、それについて悩むのはもう止めだ。今までの私は子どもだったんだ。マリーという凄いヤツに憧れているだけで何も考えてなかったんだ。あの時のあいつの行動はきっと大人になれって事だったんだろう。自分で色々考えて、悩んで苦しんで、それで自分なりの幸せを見つける。それが生きるって事なんだろうな」
「パウラちゃん」
「最後の最後まであたしはあいつの世話になりっぱなしだったな。だからせめてもの恩返しとして今度はあんたの世話をしてやろうと思うよ。マリーと同じ顔をしたあんたは同じように途方も無い夢を持っているんだろう? あの時は駄目だったけど今度はその夢、叶えてやろうぜ。あんたとあたしでな」
「それって…………」
にやりと得意気にパウラは笑った。
「ああ、お前の仲間になってやるって事さ。嫌か?」
「ううん、ちょっと驚いただけ。でも、いいの? ジャネットに相談しないで」
「あたしの考えてる事くらい分かってるさ。ああ見えて鋭いヤツなんだ。それより仲間になると言っておいて悪いんだけど、今の仕事に一区切りつけなくちゃいけないんだ。他にも色々と準備もあるし、だから実際に力を貸せるのは少し後になるけどそれでいいか?」
冗談めかしてのかなは言う。
「いいけど…………その間に戦いが終わってたりして」
「へっ、あたし無しじゃ勝てないさ。なんたってあたしは幸運の女神だからな」
そうだ、と思いだしたように言ったパウラは懐からあのナイフを取り出すとのかなに渡した。
「こないだあんたから貰ったこれ、かなり危険な呪いの品物らしくて買い取ってもらえなかったんだ。適当にマーケットで流しても良かったんだけど、危ない品と分かっててやるのはどうもね。借金はもう無いし返してやろうと思ってずっと持ってたんだ。渡せて良かったよ」
「呪いって…………パウラちゃん大丈夫だった?」
「まあね。なんとなくだけどあんたに返そうとしている内は敵意を感じなかったからさ。逆に自分の物にしてやろうってヤツには凄かったぜ。あのスリ野郎、頭から生ごみ被った上に鳥のフン付けられて上から植木鉢が落ちてきて犬の糞を踏んだ上に何故か開いてたマンホールから下水道に落ちてったからな。何かのコントかよ、と思うほどに見事だったな」
「うわぁ…………」
その様子を想像したのかなは手の中にあるナイフを見て微妙な顔をする。そんな性格の悪い事をするのはコンスだけだろう。今となっては忌まわしいだけなのに見れば見るほどそのナイフは美しく、破壊しなければならないと分かっていながらも捨てるのが惜しくなってのかなは懐にしまい込んだ。
(我ながら意思の弱い…………。だけど私には呪いは来ないようだし、これほどの精度の物はそうそう作れない。切り札として持っておく分には支障は無いだろう)
使える物はなんでも使う。それが例え自らを地獄に突き落とした存在の生み出した物であっても。邪悪の克服こそが聖者へと至る道であるならば、この血に濡れたナイフすら糧にする器量が必要となるのだろう。しかし、透明な水に一度毒が混じればそれは瞬く間に広がり、取り除くのは困難になる。表面的には変わらずとも、その中身には一体何が潜むのか。毒か霊薬か、それは杯を飲み干した者にしか分からない。
「私は城に戻るよ。雑用もあるしライオネルとの会食に備えなくちゃいけないから」
「もう行くのか、忙しいんだな」
「これでも魔王なんでね。指揮系統が一つだと忙しいなんてもんじゃないよ。なにからなにまで一人で片づけなくちゃいけないんだ」
「そうしないと謀反する…………か。けど、それじゃお前の求心力が無くなればすぐにでも崩壊する砂上の楼閣だぜ。“敵”が居なくなった後にも体制を保てるとは思えない。全てを支配した後にそうなればこの世は混沌と化すだろう。お前は世界に混乱をもたらすつもりか?」
「その時は支配者達がなんとかしてくれるよ。勢いだけで戦えるほど彼らは甘くない。私は束の間の夢のような存在だ。目的を果たした後は消えるつもりで居る。誰かが引き継ぐ事はできないだろう。私の模倣をしようとしても、それはマリーの劣化の真似なのだから真理にたどり着く事は絶対に無い。私は伝説だ。それは現実ではなくて、夢見がちな子どもの途方も無い空想なんだ。誰もが嘘と知りながらも語り継がれるような力を持った幻想にすぎないんだ」
「その伝説があれば完全に支配はされないと? そんなの馬鹿げてる」
「真実がどうであれ、出来たという事実だけが重要だよ。闇に名前を付ける事が克服の第一歩なんだ。すでに光は示された、後は進んでいくだけさ」
「あたしはそこまで前向きにはなれないよ。けど、あんたみたいなヤツがまたどこかから現れて時代を作っていくんだろうってのは分かる。善か悪か、どちらにせよこの世界には必要なんだろう。見させてもらうよ、その行く末を」
才覚の無いのかなが段々と肥大化していく軍勢に対応できなくなっていく事は明らかだった。いつか持て余したそれを破棄するという罪悪感をごまかすようにエゴは膨張し、目の前の敵を飲みこむことだけを思考する。その破滅的な意思の儚さがより多くの犠牲者を惹きつける。
人はそれを邪悪と呼ぶのだろう。友を見つけ出したいという小さな願いのために選んだ道のせいで、この世に長い混沌と苦しみを生みだす。裁かれるべき存在なのだろう。だが、裁かれるのは今では無いし、まして他者にではない。
パウラと別れたのかなは仕事が溜まっていると側近に怒られ、監禁されるかのように仕事部屋に閉じ込められる。これではどっちが王なのか分からないと文句を言いながら手を動かし、外出中に溜まっていた仕事に取り掛かる。
やるべき事は多い。民衆の不満の解消や施設の整備や軍備の拡張、治安の維持。政治的に優秀な偉人達を古の記憶から呼び出す事によってなんとかやりくりしているが知識をより効果的に活かすとなると人格が必要で、すると互いに議論を白熱させて派閥などを作り面倒な事になる。常に上手くいく政策など存在しないと分かってはいるが、それでも万能薬を求めてしまうのはやはり疲れているからなのだろう、。
再生能力の無い現在では人より疲れにくいといっても限度がある。オズボーン戦の後もろくに休んでいないのだ、動けるだけでも褒められたものだろう。
小休止とベッドに倒れ込んだのかなは大きく息を吐いた。
(体力の限界を感じる…………。失ってみて分かる、無限の体力は反則的な力だ。そりゃそうだよね。睡眠時間を6時間としたら一日の1/4だ。それを短縮した上に日中常に全快なら超人なんてもんじゃない。仕方ない、こうなったら偉人達にこの仕事を片づけさせ、いや、でも、彼らの影響力による…………問題が…………運用するとしても…………対処法を……………考えなくちゃ…………考え………………考え………………考え……………………)
襲い来る睡魔に勝てず、のかなは眠りに落ちた。いくら魔王を自称しても人の子だ、怪物の体無くして無理はできないのだ。
そうしてしばらく甘い眠りを享受していると不意にその目が開かれ、ゆっくりと上体を起こした。確かめるように手の握りを開閉させると、大きく息を吐く。
「夢幻でなし……か。確かにあの時食われたと思ったが…………」
独り呟くと胸元からナイフを取り出す。その刃に映る瞳はいつもとは異なる色を秘め、月光のように輝く。
「なるほどマリーはこの女の傀儡というわけか。それで気付かれないようのかなに手を貸せと。ふぅ…………人使いの荒いヤツだ。蘇ったばかりなんだぞ、少しマリーを休ませろ」
ふてくされたように愚痴を言ったマリーは虚空より取り出したロリポップを口に咥えながら凄まじい勢いで資料に目を通し始めた。
「凡人にしては良くやってるようだが、これでは長くは持たんな。民衆は際限なく欲しがり、下手に出ればつけあがる。基本不自由させ、娯楽とパンを適度に与えるのが正しい。世論操作も必要だな。社会は賢者よりも愚者が多く、故に正しい方向に誘導しなければならない。雇用は公共機関の設置事業で賄うか。軍備が弱いな、学校を作っている時間は無い、兵器を量産して戦略でカバーだ。税を緩くして市場を活性化させておこう。後々面倒な事になるだろうが、目先の成長が今は欲しい。後は…………」
状況を把握したマリーはある程度体裁を整えると、管理機関を設立して人員を割り振り、仕組みを構築した。ある程度の調整が必要になるが、自らの体に住むこの少女ならば上手く回す事ができるだろう。次に目覚めるのがいつになるか分からない以上、他者の力を上手く使っていかなければならない。歯がゆさもあったが自分より遥かに劣る愚民共を思い通りに動かした時の快感はひとしおだ、とマリーはそれを愉しむ事にした。
(あの女の考えは知らないが推測はつく。駒にされるのは癪だが、マリーは死人だ。今更この世に執着するのも滑稽というもの。生者がそれを望むならともかく、自らどうこうしようとは思わん。しばし見に徹する事にしよう。せっかくマリーが手を貸してやったのだ、少しは愉しませろよ、女)
外に出てその下にある光景を眺める。それらがやがて捨てられるという運命を知ってか知らずか皮肉めいた笑みを浮かべ、死者の世界に戻るようにベッドに倒れ込む。
そして数分過ぎると、ゆっくりと目を開きしばらくまどろんでいたが、即座に慌てたように覚醒し時計を見た。
「うわっ、何時間も経ってるじゃないか! た、大変だ! 横になって少し休むだけのつもりだったのに眠っちゃったんだ! 急いで仕事しないと! えっと、何から取りかかろう、民事、経済、軍事…………ってあれ?」
自分のやるべき仕事が完璧に片づけられている事に気付いたのかなは不思議そうに首を傾げた。
「おかしいね、一体誰が…………?」
心当たりは一つしかないと懐からナイフを取り出し、その青い刃を見つめる。そして、そこに映る月に問いかけるように呟きを漏らす。
「コンス…………お前の望みはなんだ?」




