第二章 1
「ス・ス・ス・スッゴイキレイー♪」
のかながめろんの家を訪れてから数日が経った。
アルトから渡された資料は分かりやすくまとめてあったが、のかなはブランクによって忘れた分と一度も聞いた事の無い専門用語に苦しめられている。装備の事はなんとか理解できるが、魔法の方は体系が違うというだけあってちんぷんかんぷんである。
というわけで今日は学校も休みであるので気分転換に家の掃除をしているのであった。
「レベレベレー♪ ダバダバダー♪」
よく分からない自作の歌を口ずさみながらのかなが掃除をしていると小熊が不思議そうに話しかけてきた。
「なー、のかなぁー」
はっとしたのかなが口を押さえ、テレパシーで答える。
「『あっ、ごめん。うるさかった?』」
小熊はのんびりとした様子で語る。
「いや、なんか不思議な歌でオレは好きだぞ。それにしても歌ってる時はちゃんと喋れるんだな」
のかなは曖昧にほほ笑む。
「『うん、なんでか知らないけど歌う時は大丈夫なんだ。それに歌なら意味の無い言葉を繰り返し言っても変に思われないでしょ?』」
感心といった顔で小熊は言う。
「お前頭いいな、ラー=ミラ=サンは感動したぞ。もっと聞きたいな、他にはないのか」
のかなの脳裏にかつてのパートナーの姿がフラッシュバックする。
(もっと聞きたい…………か)
「のかな?」
遠い目をしていたのかなは現実に戻ってくる。
「『ごめんごめん。昔、似たような事を言うやつが一人だけ居たから、思い出しちゃって』」
「それって前のパートナーのことか?」
「『うん』」
のかなはどこか遠くを見ながらしみじみと語り出す。
「『あいつさ、いちいち「君には才能が無い」、「飲み込みが悪い」とか言ってくるムカつくやつでさ、いくら頑張ってもろくに褒めてくれなかったんだ。そんな無愛想で無関心なやつが珍しく興味を持ったのが私の歌だった。どこで盗み聞きしてたのか分からないけど、ある日突然「君の歌は素晴らしい、大切にしろ」とか言ってきてその時、私は夢でも見てるんじゃないかって思ったよ。だって、あいつの口が素晴らしいなんて言葉が出てくるなんて天地がひっくり返ってもありえないことだもん。まあ、本当は夢だったのかもしれないけどさ、あの時私は凄くうれしかったんだ…………』」
「…………そっか」
のかなの話を聞く小熊は何かもやもやした気持ちを抱えていた。
話を聞いていると分からなくなってくるのだ、何故こんな思いあっている二人が別れてしまうことになったのかが。
(オレものかなと仲良くなっていけばその理由が分かるのかな?)
小熊は自分がどこから来て、どういう存在のかなを知らない。ただ、謎の声に導かれるままにのかなの元にやってきた。
(立派な魔法少女にしろって言われたけど、どうすればいいのかな?)
一体いつになれば謎の声が言っていたような『立派な魔法少女』になるのは分からないが、不思議と小熊はそんなことはどうでもいいような気がしていた。
(ま、いいかぁ…………)
のかなに頭をなでられながら、小熊は緩やかな時の流れに身を任せていた。
立ちあがったのかなは大きく伸びをした。
「『さてと…………掃除を再開しなくっちゃ』」
そう言って気合を入れた瞬間、出鼻をくじくように電話が鳴りだした。
「『誰かな? …………私は話せないからラー、出て!』」
「おー!」
小熊はばふんという擬音と共に白い煙を出して白髪の青年に変身し、受話器を取った。
「はい、かんのーです」
そして、しばらく「うんうん」と頷いていた小熊はやがて話が終わったのかがちゃんと受話器を置いてのかなを見た。
「なんかもーもくのびしょうじょの『道下ことか』って人からの電話だった。T病院で待ってるってさ」
「『盲目の美少女?』」
いたずら電話かとのかなは一瞬疑うが、一つ思い当たる節があるのでおそらくそれなのだろうと理解した。
(あの子…………かな?)
怪我は無いと言っていたが、やっぱりどこか怪我してたのだろうか。あの時は急いでいてろくに謝ることもできなかったし、一度ゆっくりと話をする時間が必要そうだ。
掃除を中断して出かける準備をしたのかなは家の鍵を閉めると杖型のマテリアルドライブ『ラヴハート』を展開して、小熊にまたがった。
「しっかり掴まってろよ」
「『うん』」
次の瞬間には小熊は空高く飛び上がり病院に向かって進み始めた。小熊の飛行は速く、乗り心地もいいので便利だなとのかなは思うが、その反面乗り物扱いして申し訳ない気持ちもある。小熊は気にしないとは言うがのかなはいつかは自分の力で空を飛びたいと思った。
「のかな、寒くないか?」
「『バリアを展開しているから大丈夫だよ』」
「そっか」
やがて病院の近くに降りるとのかなは杖をしまい、小熊は白髪の青年へと姿を変えた。
「『病院内では静かに、迷惑になるからふらふらしないこと』」
「おー」
小熊に注意をしたのかなは病院内に入っていく。ロビーで『道下ことか』という人物の事を聞くと病室の番号を教えてくれた。
教えられた病室に向かうと、何も無い白い殺風景な広い部屋のベッドにいつかの少女が寝ていた。
「よう! 久しぶりじゃな」
盲目の少女はベッドから降りると見えているかのようにのかなに近付いて抱擁をした。
「ここまで来るのに疲れたじゃろ。さ、入った入った」
そしておもむろに部屋の中に引きこむとのかなの背後を取り拘束した。のかなは抵抗する間も無く動きを封じられる。
「え、えっ?」
小熊は急な事に驚いた声を上げる。
「のかな!?」
盲目の少女はのかなの首元に果物ナイフを押し当てながら小熊と距離を取っていく。
「おっと、動かないでねパートナーさん。この子がどうなってもええのかな?」
「お前…………何が目的だ」
不敵な笑みを浮かべながら少女は語る。
「さあね。とにかく所属と役職を喋ってもらうよ、魔法少女ちゃん」
あまりの緊張のためのかなの声が出なくなる。アルトから刺客が来る可能性があるとは聞かされていたが、まさかこんな所で襲われるとは思っていなかった。
油断していたのかなは自分の注意力の無さを恨む。
「…………!」
無言を強情と勘違いした少女は強硬手段に出ようとする。
「そうか………喋る気がないんなら、生かしておく意味は無いなぁ。逃がす気は無いし、とりあえず死んでもらうことにしよっか」
ナイフで首を引き裂こうとした瞬間、小熊が叫んだ。
「止めろ! のかなは上手く喋れない病気なんだ、黙っているわけじゃない!」
それを聞いた少女の動きが止まった。
「…………なんじゃと?」
おもむろにのかなのポケットを探った少女はそこにある変身デバイスを取り、中身を見ると拍子抜けといった顔をした。
「なんじゃ同類か」
デバイスを奪った少女は乱暴にのかなを解放し、ベッドに座り込んだ。床に倒れこんだのかなに心配そうに小熊は駆け寄る。
「大丈夫か、のかな」
「『う、うん』」
のかなは驚きながらも謎の少女を睨みつけ、魔法少女だとばれているためテレパシーを送る。
「『あなたは一体………?』」
すると少女はつまらなそうにテレパシーを送り返してきた。
「『あんたと同じじゃよ。同じ旧世代の魔法少女』」
証明するように少女は懐からのかなとデバイスを取りだしてデータを提示する。それを見たのかなは驚かずにはいられない。
「『まさか生き延びた人が居るなんて…………』」
「それはこっちも驚きじゃよ。あの状況を生き残れるのは『BMG』の異名を持つ私くらいじゃと思ってたけぇね」
少女はおもむろに杖を展開するとのかなに向けてくる。
「ま、昔話もほどほどに、先に説明しておくけど一応あんたの体に私のトラップを仕掛けさせてもろうたからね。それもバリアも関係無しに体がばらばらになるような強力なものをね」
「『どうしてそんなことを? 今、私たちが争う理由なんてないはずだよね?』」
すると少女は呆れたような顔をした。
「あんた、なにも知らないんじゃね。記憶消去でもやられたのか、それとも本当に知らんのか。まあ、この際面倒だから話してあげるよ」
淡々とかつての状況を少女は語りだす。
「あれはあと少しで全ての怪物を殲滅できるという時じゃった。あの時の私は仲間割れと怪物との戦闘で少なくなった魔法少女たちをかき集め形成された魔法少女連盟の幹部で、あの頃はまだ目が見えていて一生懸命街の平和を守っとった。そんなある日の事じゃった」
少女の杖の握る手に力が入る。
「その日はどうにも朝から目の調子が悪くて私は恒例の会議に遅れてしまったんじゃが、何やら会議所の様子がおかしかった。…………静か過ぎた。何やら嫌な予感がした私は会議室に急いだ。そしたら、そこには見たことも無いヤツが皆の死体が転がる中に一人だけ立っていたんじゃよ」
続けて少女は言う。
「そいつは魔法少女アニメから抜け出してきたような奴じゃった。自分でもこれ以外に例える言葉が無かったのかとも思う。だが、それしか例えようがなかった。とにかく全てを支配するような圧倒的な存在じゃった。私を見たアイツはこの世の全てを持っているかのような満面の笑みで言ったんじゃ、『一緒に来てくれないか』と」
少女の息は荒く苦しそうであった。
「思わず頭を垂れて従いそうになった、仲間を殺されて死体が傍に転がっているこんな状況じゃというのに! 多分、そのままじゃったら私は奴の仲間になっていたと思う。それほどまでに凄まじい支配力を感じた。じゃがそんな時、どこからか私のパートナーがやってきて私の前に立ちふさがった。『逃げて』という言葉が聞こえると共にパートナーは全身から血を噴き出して倒れた。私は正気に戻り、この場所がかつての仲間たちによって包囲されていることを知って即座に逃げ出した。どうやって逃げ切ったのかは覚えていない。ただ激しい戦いがあったことだけは覚えとる。とにかく奴から遠くへ遠くへと逃げてたどりついたのがこの街だったんじゃ」
捲し立てるように話し終えると少女は傍にあるコップにぽっとからとくとくと水を注ぎ、勢いよく飲みほした。
「ふぅ…………風のうわさによると全国各地で同じようなことがあったらしい。強大な力を持つ一部の魔法少女以外はみんな死んだそうじゃ。残った魔法少女たちだけで怪物は全滅できたとも聞いた。それからしばらく私は奴と追手の影におびえて暮したんじゃが、いつまで経っても襲われることはなく全ては終わったのだと悟った」
憎々しげに少女が語る。
「じゃが、また怪物は現れた、魔法少女と共に。終わったんじゃなかったんか戦いは! 私は一般人の中に紛れながらこの事態の裏を探った。するとある魔法少女の姿が浮かび上がったんじゃ」
叫ぶように少女は言う。
「それは『魔法少女の掛け橋』の異名を持つ魔法少女、『マリー=マール』! かつて私が出会ったあの時の魔法少女じゃった。私はその時理解した。前の戦いも今回の戦いも全ては奴に仕組まれていたことじゃったんじゃと。そう分かった時、どうしようも無いほどの怒りが湧きあがってきて私は戦うことを決意した。それが私、道下ことかの終わる事のない闘争の始まりだったんじゃ!」
(…………あ)
全てを話し終わったあと、静かになったことかの頬にはとめどなく透明な滴が流れた。この街に逃げてきてから今までずっとこの苦しみを分かち合える人間は居なかったのだろう。
ズボンをぎゅっと握りしめ、悔しさに震えながらことかは必死に歯を食いしばって涙をこらえていた。
のかなはそんなことかにそっと寄り添い、彼女が落ち着くまで静かに待っていた。やがて彼女はなった目で力なくほほ笑んだ。
「…………悪かったな。こんな情けない姿を見せて。私の事、駄目な奴だって思ったじゃろ?」
「『ううん』」
「ま、そんなことどうでもええんじゃよ。あんたは私の味方なのか、それとも敵なのか。それだけ教えてくれれば」
すがりつくようなことかにのかなは一瞬どう答えたらいいか迷うが、意外にも答えはすんなりと出た。
「『敵でも味方でもないよ。私は友達』」
予想外の答えにことかは驚く。
「友達…………?」
「『自分でもどっちなのかよく分からないけど、あなたと友達になりたいって気持ちだけは嘘じゃないよ。だって私、前の戦いからずっと魔法少女と友達になりたいと思っていたんだもん』」
「…………そうか」
それを聞いたことかはしみじみと言葉を噛みしめるように頷くと優しくのかなの頭をなでた。
「優しいなぁ、あんたは。名前、なんて言うんじゃ?」
『『桑納のかな、だよ』」
「そうか、のかなか…………」
嬉しそうにほほ笑んだことかは元気よく言った。
「よし、のかな。あんたは私の友達じゃ。病める時も苦しい時も悲しい時も嬉しい時も楽しい時も分かち合って生きていく私の友達じゃ」
のかなは苦笑する。
「『それじゃ夫婦の誓いだよ』」
「別に気にせんでええんじゃよ。これくらい広島じゃ普通なんよ。これっぽっちも恥ずかしいもんじゃないけぇ」
「『そうなのかな…………?』」
疑問に思いながらも、ことかの押しの強さに押し切られてしまうのかなである。やがてことかは立ち上がるとおもむろに自分の荷物をまとめ始めた。
「『何をしているの?』」
不思議に思ったのかなが問いかけるとことかは当たり前のように言った。
「引っ越しの準備に決まってるじゃろ」
「『どこに引っ越すつもりなの?』」
するとことかはにっこりと笑ってかわいらしく言った。
「のかなんちに決まってるじゃろ」
「『え?』」
一瞬、ことかが何を言っているのか理解できなかったのかなだが、数秒後言葉の意味を理解して大声を上げた。
「ええええええええええええ!?」
「のかな、病院では静かにしなくちゃ駄目だぞ」
空気の読めていない小熊を無視し、のかなはことかに詰め寄る。
「『ことかちゃん何言ってんの!? 聞き前違いだよね!?』」
「冗談でもマイケルでもないんじゃよ。いい加減病院のメシにも飽きたけぇ、そろそろまともなシャバの食事が食べたいんじゃよ」
「『だからって私の家に来るの!? それっておかしいよね!』」
急に真面目な顔になったことかは厳しくのかなに告げる。
「おかしいのはのかなの方じゃよ。怪物が再び現れた今、私たちはいつ襲われてもおかしくないんじゃ、一か所に集まって防御を固めるのは至極当然じゃろ。それともなにか? 目の見えない私と喋れないのかなが一人だけで戦えると思ってるんか? 敵さんの事舐め過ぎじゃろ!」
「『…………うっ!』」
理論的には間違っていない、だがのかなはいまいち納得できない。しかし、言い返すのによさそうな言葉が浮かばなかったので、のかなは小熊にすがりついた。
「『ラーも何か言ってよ!』」
すると小熊はとぼけた顔で言った。
「なんだか楽しくなりそうだな」
「『あー………もう!』」
自分の味方は居ないのだと悟ったのかなは苛立つように髪の毛をくしゃくしゃと掻きまわした。ことかは荷物をまとめながら楽しげに笑う。
「逃げ場は無いんじゃよ。のかなの体にはトラップを仕掛けてあるしなぁ。その気になれば私はいつでものかなを殺せるんじゃよ」
「『ううう…………!』」
この時のことかはのかなには悪魔のように見えたという。
「だから病める時も苦しい時も悲しい時も嬉しい時も楽しい時も分かち合って生きていこうなぁ、のかな」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
病院から家に帰るまでの間、のかなは小熊の背中にうずくまりぶつぶつと何かを呟いていた。それは無理やりにもこの不条理な現実を受け入れようと自らに暗示をかけているかのようであった。
「今日からよろしくお願いします」
律義に家にあいさつしていることかを不機嫌そうな顔でのかなは眺めていた。
(どうせ、お母さんたちが認めないでしょ)
かすかな希望を胸に家の中に入っていくのかなはすぐにそんなものは魔法の前では何の意味も持たないのだと知ることになったのだった。
「ただいまー」
と早く帰ってきている両親にことかが愛想良くあいさつすると、当たり前のように二人はことかの事を受け入れた。
「おかえり」
「おかえり、ことかちゃん」
(え? なんで?)
驚いたのかなは素早くスケッチブックに書き綴る。
「『どうしてことかちゃんの事知ってるの?』」
すると父は不思議そうに話しだす。
「どうしたんだ、のかな。ことかちゃんは広島の方からホームステイしてきている友達じゃないか。喧嘩でもしたのか?」
「『そういうわけじゃないけど』」
「ならいいんだが…………ことかちゃんは一人でこっちに来てるんだから仲良くしてあげなくちゃ駄目だぞ」
にこりとことかは笑う。
「大丈夫ですよ、パパさん」
(…………………なんだかとってもおかしいよ)
その場をなあなあでやり過ごしたのかなは自分の部屋まで強引にことかを引っ張っていくとバタンと乱暴に扉を閉め、ことかに詰め寄った。
「『私の両親に何をしたの?』」
のかなの剣幕にことかは冷や汗をかく。
「そ、そんな殺気を放たないでもええじゃろ…………」
左手に燃え盛る火の鳥を構え、ことかに詰問する。
「『答えて!』」
「は、はい!」
このままだと本当に殺されかねないと思ったことかはまるで銃で脅されている情報屋のようにぺらぺらと喋りだした。
「わ、私はベルテルス式複合魔法………俗に言う『催眠術』の様な物が得意なんじゃ。と言っても一般に知られている物とはちょっと違うんじゃけどね。とにかくベルテルス式は人に思いこみをさせたり、勘違いをさせたりするのが得意な魔法なんじゃよ。それを上手く応用するとさっきみたいな事ができるんじゃ」
「『人を騙す魔法?』」
それを聞いたことかの機嫌が悪くなる。
「信じさせる魔法って言ってくれんかな? 詭弁じゃけど、私はそう思ってるけぇね」
「『どっちも同じだよ』」
冷たく言い放ったのかなはベッドの上に座り、扉の前に立っていることかを睨みつける。
「『私、ことかちゃんの事信じられなくなっちゃったかも。だってもしかしたら今だって私を騙しているかもしれないって事でしょ?』」
「そ、そんなことは……………」
「『ないって言える? 私の体に仕掛けられたトラップは多分嘘だし、本当はその目だって見えてるんでしょ? じゃなくちゃ、どうして病院の時私が来たって分かったの? 声も聞いてないのになんだかおかしいよね?』」
焦ったようにことかは否定する。
「ち、違う!」
「『じゃあ証明してみせてよ。でも、できるはずないよね? あんなに簡単に人を騙せるんだもん。どんなことをされても疑わしいよ!』」
両親とは時間の都合であまり交流も無いがそれでも人並みの親愛は持っていたのかなにとってことかの行いはショックであった。嫌悪感と敵意をむき出しにしたのかなに対して、ことかは何もできずに立ち尽くした。
「のかな…………」
「『部屋から出ていって!』」
ことかはしばらくうつむいていた。だが、やがておもむろに荷物を置くと正座した。その様子はとても静かで全ての雑音が今この瞬間だけは存在を消滅してしまったかのようだった。
「…………誠意の示しかたがどういうものなのか、私はよく分かってるつもりじゃよ」
「『……………』」
弓の弦が引きしぼられるようにことかの周りの空気が張り詰めていく。
「よく見といてな、のかな。多分、私の一生に二度しかできない大勝負の一回じゃけぇ」
覚悟を決めた様子のことかを見て、のかなは嫌な予感を覚える。
「『…………え? ま、まさか…………』」
「いくよ」
ことかは自分の右目の所に手を持ってくるとそこに突き入れ、目玉を抉りだし始めた。部屋の中に苦痛に耐えかねた獣の唸り声のようなものが響く。だが、それでも全く怯む様子はなく、最後はその手の中にひどく現実感の無い丸い球体が存在していた。
荒い息のままことかは笑う。
「ど、どうじゃ? 少しは誠意、示せたじゃろうか?」
茫然とそれを眺めていたのかなは正気に戻ると、何もかもを忘れてただことかを心配した。
「『なにやってるの!? 早く元に戻して! いくら魔法少女だからってこんな無茶したら元に戻らないかもしれないんだよ!?』」
「いいんじゃよ、のかな。元々見えてないんじゃ、こういう時しか役に立たん。今からこいつをホルマリンにつけるけぇ、それを私との絆として受け取って欲しい」
「『そんな重くて気持ち悪い絆なんていらないよ!』」
のかなの物言いにことかは軽くショックを受ける。
「き、きも…………や、やっぱりのかなは小指の方がええんか? でも、小指の方はできれば大事にとっておきたいんじゃけど…………。後生じゃ! どうか目玉のオヤジで勘弁してぇ!」
「『そういう問題じゃないの! 早く元に戻さないと本当に追い出すよ!』」
ことかは困ったように頬を掻く。
「うーん、そう言われても私治し方知らんしなぁ…………って言うか魔法で治るんじゃろうか、これ」
それを聞いたのかなは空いた口が塞がらない。
「『治し方も知らないでやっちゃったの!? バカじゃないの!?』」
「だってのかなが出てけって言うから………私もう体張るくらいしか思いつかなくて…………多分もう戻すのは無理じゃし、せっかくじゃから貰ってくれんかな?」
「『貰えるわけないでしょ!』」
ことかは渾身のプレゼントを受け取ってもらえなかった子どものような悲しげな顔をして力無く笑った。
「じゃあ、これ捨てるしかないんかなぁ…………ははは」
「『…………どうしてそんなに簡単に自分の体を傷つけられるの? バカじゃないの? あー、バカバカバカバカバカバカバカバカ…………!』」
「返す言葉も無いんじゃよ…………」
ことかの浅はかさに苛立ちが限界に達したのかなは叫んだ。
「あああああああああああああ、もう! いらいらする!」
目玉を奪い取ったのかなは強引にはめ込み、高速で呪文を唱え始めた。
「スキャット、ラバルビルビルバルビルバルニムラムラマルリ!」
聞き慣れない音の羅列にことかは驚愕する。
(な、なんじゃこの詠唱速度と呪文は!? こんなの人間のやれる技じゃないよ!)
ことかが驚いたのも無理はない。のかなの使用する呪文は一般のものとはかけ離れた現在の魔法の常識を塗り替えてしまうような全く新しい独自のものだったのだから。
一瞬で目は治癒したが、ことかにとってそんなことはどうでもよく今はただこの詠唱の秘密を知りたがった。
「い、今のは一体。ただ凄まじかった。それしか言えんほどに衝撃的じゃった。なんじゃ………なんなんじゃ、今のは!」
「『……………別にどうでもいいでしょ』」
不機嫌そうなのかなにことかは必死に頼み込む。
「小指か? 小指切ったらもう一度見せてくれるんか!?」
「『だからそういうことじゃないって言ってるでしょ! 今度そういう事したら絶交だからね!』」
嫌われてはたまらないとことかは少し落ち着いた。
「ご、ごめんなさい」
「『…………はぁ』」
説明しない限りはまた同じことをするだろうと思ったのかなはいやいやながらも話し始めた。
「『スキャット詠唱…………って私は呼んでる』」
「ジャズとかで意味のない言葉を即興で組み立てるあれか?」
「『そういう音楽的なことはよく分からないけど、前のパートナーがそう呼んでたんだ。上手く喋れないのにしつこく練習させられて大変だったよ。どんなに練習しても戦う時は吃音がひどくなって声すら出なくなっちゃうんだから意味無いのにね。結局あんまり使わなかったし』」
ことかは興奮冷めやらぬと語る。
「それでも凄いもんじゃよ。こんなに驚いたのは久しぶりじゃけぇ。これはえらい魔法少女にあったもんじゃ」
しかしのかなは浮かない顔で返す。
「『そんな事…………ないよ』」
「…………ん? どしたの?」
のかなの心は複雑であった。褒めてもらって嬉しくないわけではない。だが、自分は力不足で見限られたのだ。魔法少女として称賛を受けるのは何か間違っているような気がした。
「『私は凄くなんかない。もっと才能があれば失望されることもなかっただろうから』」
かつてのパートナーの存在はのかなにとってとても大きいものであった。それは憎んでいる今でも変わらない。むしろ心の奥で日に日にその存在は大きくなっているといっても過言ではなかった。
何かにとりつかれたように語るのかなを見てことかは真顔になって言う。
「のかな、私はあんたの過去に何があったのかを知らん。じゃけど一つだけ言えることがある。そんなに気負うな。今は私と一緒じゃ。辛い気持ちは私に分ければいい、私はあんたに楽しい気持ちを分けてやる。そのために私たちは集まったんじゃ」
(…………あ)
その時、のかなは不思議な感覚に襲われた。心がくすぐったいようなそれでいて無尽蔵に力が湧いてくるようなそんな不思議な感覚に。その正体は分からなかったが、心の中に巣食っていた闇が少し晴れるような気がした。
「『…………ありがとう、ことかちゃん』」
「分かればいいんじゃよ。私はのかなのために、のかなは私のためにってね」
かつて敵だった存在が味方になってくれる。なんと心強い事だろう。完全に信じる事はまだできないが少しことかの事をのかなは信じられそうな気がしていた。
「『ねぇ、ことかちゃん、一つ聞いていいかな?』」
「なんじゃ?」
のかなはことかを信じるにあたってどうしても聞かなければならない事があった。病院の時のまるで目が見ているような行動、そして初めて会った時のサングラスのような目が見えているなら説明のつかない行動…。それら謎を解いておかなければならなかった。
「『その目………見えているんだけど、見えていないでしょ』」
ことかはなんとも言えない微妙な表情で言葉を返した。
「これまた禅問答みたいな問いじゃね。うん…………だけど正解。なかなかいい勘しとるね」
気乗りしないと言った風であったが、のかなにだけ話させるわけにはいかないと渋々ながらことかは話し始めた。
「狭窄症って分かるかな? 視野がピンホールカメラみたいに狭くなっちゃうんじゃ。さっきのかなに治してもらった方はすごい良く見えとるんじゃけどね。どうせなら両方取り出してもう一方も治してもらった方が…………」
のかなのジトっとした目を見てことかは慌てて言葉を紡ぐ。
「じょ、冗談じゃよ!」
「『もう治してあげないよ?』」
「それだけは堪忍してぇ! たまには綺麗な風景も見たいんじゃよ!」
「『たまには?』」
ことかの言葉が引っかかる。のかなはそれほど狭窄症というものを詳しく知らないものの、体の異常に過ぎないというのならばさっきの魔法で完治したはずで、それが再発するなどまずありえない。
それなのにことかはまるで視界が元に戻ってしまうように語っている。のかなは何かがおかしいと思いことかを問い詰めた。
「『たまには…………ってどういうこと? さっきので治ったんじゃないの?』」
するとことかは困ったような顔をした。
「私のは治らんのじゃ。魔法制御回路の呪いでな」
「『呪い?』」
憎々しげにことかは続ける。
「私ら旧型の魔法少女は今の魔法少女とは違い、体に直接魔法を制御する回路を埋め込んどる。これがなかなか厄介なシロモンでね、人間に埋め込んだらほぼ確実に体のどっかはおかしくなる。しかも負荷がかかる所は同じじゃからおかしくなった所は絶対に治らん。私の場合は目が見えなくなる程度で済んだから良かったんじゃけど、頭がおかしくなったヤツは悲惨じゃった。後から知ったんじゃが、魔法少女同士の争いの原因は頭のおかしくなったヤツのせいもあったらしい。大体、七割の魔法少女が頭にクるらしいからそりゃ喧嘩にもなるもんじゃけぇ。ま、私ものかなも幻覚とか見てるわけじゃないし、お互いに幸運じゃったみたいじゃけどね」
目がろくに見えないということかが幸運というくらいなのだ、吃音を持つ自分もマシな部類なのだろうとのかなは思う。
だが、そんなのかなも幻覚という言葉だけは安易に聞き流すことはできなかった。
「『そ、そうだね…………』」
のかなは幻覚というものに会った事があった。学校で怪物と戦う前にあったもう一人の自分。あれほどはっきりしたものをただの錯覚と済ますにはあまりにも不穏過ぎた。魔法少女になる前ののかなは吃音など患ってはいなかった。これが魔法制御回路の呪いだというのはほぼ確実だ。そして、脳のどこかに異常をきたしているということも。
それが怖くてのかなは目を伏せた。
(いつか私が私じゃなくなっちゃう日が来るのかな…………? そんなの嫌だよ…………怖いよ…………)
震える体をぎゅっと抱きしめて、のかなはうつむく。いくら怪物と戦う事のできる彼女でもその中身は年相応の少女に過ぎない。見えない恐怖というものは確実にのかなの心を蝕んでいった。
そんな時、ふとことかが元気づけるようそっとのかなに触れた。
「じゃから心配するなって、私が付いてるって言ったじゃろ? 私は誰も見捨てん。なにせ『BMG』の異名を持つ女じゃからな」
ことかに恐怖心は無いのだろうか。いや、無いはずがない。それでも気丈に振る舞う、勇気には勇気が続き、希望には希望が続く事を知っているから。それがただの空元気に過ぎないことを知っていてものかなにはありがたかった。
「『…………ありがとう、ことかちゃん』」
「ま、頼りにしてね」
今は分けてもらってばかりだけど、いつかはことかに喜びや嬉しさを分けてあげられるようになりたいとのかなは思った。