第三章 2
不意にディズは立ち止まる。その視線に先には獲物が。仕事帰りだろうか、白い首筋を見てディズは喉を鳴らし、ナイフを低い姿勢で構える。
「GURURU」
バネのように力を溜めて体の“しなり”で打ち出す。弾丸のような襲撃は獲物に思考する時間すら与えずに仕留めるためのものだ。今回は致命傷を避け、昏倒を狙ったものだったがそれが逆にディズの命を救った。
「GU!?」
瞬間、割り込んだ人影。それが纏うバリアのようなものではじかれたディズは本来獲物に与えるはずだったダメージをその身に受けることとなった。
「――――いやだねぇ、こういう再会の仕方」
「『アンジェラ…………』」
仕事帰りの女を逃がしながらアンジェラは言う。
「その目の波長、だんだんと理解出来てきたぜ。こう見えてもカンはいいんだ。割り込みのタイミングもバッチリだったろ?」
「『邪魔をするな』」
おかしさをこらえきれないかのようにアンジェラは手で顔を覆う。
「くくく…………。『邪魔をするな』か。いいねいいねぇ! 最高だねぇ! そういうの俺は好きだよ。何があったのか知らねぇが、心まで化け物になっちまったようだな、のかな!」
「『私をその名で呼ぶな!』」
ナイフを振りかざし、襲いかかってきたディズを指一つ動かさずアンジェラは跳ね返す。
「俺は何もしてないぜ。お前は自分の力で吹き飛んだだけだ」
「『ぐっ!』」
「迷っているようだな、分かるぜ。まだぴんぴんしてるもんな。全力だったら今ので愉快なオブジェだ。だから今のうちに言っておくぜ、“やめろ”とな。過去を忘れ去ることはできる。そして不意にあんなこともあったよなと思い返したり、馬鹿なことをしたと恥ずかしくなったりするかもしれない。だが、過去を捨て去ることはできないんだ。お前は今、俺たちや自分自身から逃げようとしている。でもそれはできないんだ。お前はどこまで行ってもお前なんだから。それでも何かを変えたいと思うのなら克服するしかないんだ。お前にそれができるか? 俺やぐり子と向き合わずに先に進めるのかと聞いているんだ、桑納のかな!」
「『うるさい! 私はこうすることしかできないんだ!』」
「こいよ、遊んでやる」
アンジェラの機械の体に搭載された力量操作装置『SIBICU』はあらゆるベクトルを操作する無敵の永久機関だ。弱点と呼べるものはベクトルを持たない膨大な架空質量の攻撃くらいのものでこと戦闘においては並ぶ者はいないと言ってもいい。
逆に怪物になりたてのディズはまともな戦闘など一度もした事の無い全く初心者で戦闘経験の差も含めれば万に一つの勝機もあるはずはなかった。
「お前の思っていることを当ててやろう。“強くなりたい”“勝ちたい”、どうだ当たってるだろ? …………ったく、考えてる事が二流、いや三流だな。それはただ願っているだけだ。現実は変わらない。死んだら次は無いんだぜ? 分かってんのか? お前と同じ顔をしたあいつならこう考えるだろうな、『自分が弱いのは分かった。じゃあ、どうやって勝つか』。発想を逆転しろ。その時自分の弱さが本当の強さへと変わる」
「うぐっ…………ぐぅ』」
自らの攻撃で傷ついたディズはそれでもなお立ち上がり、攻撃態勢を取る。
「それでいい。お前は俺と戦う決断をしたんだからな。逃げる事もできたのに戦うという選択をした。それが重要だ。それだけで今までのお前とは違う。だが、まだ打つな。その程度じゃ俺には届かない。思考に頼るな、感覚を信じろ。お前は怪物だ、そうだろう? のかな」
「『私はっ…………!』」
ディズにはアンジェラの考えが理解できなかった。無理に組み伏せるわけではなく、かと言って捕獲する気がないわけでもない。しかし、何か“成長”を促そうとしている事だけは確かだ。そしてその“成長”がなければこの状況を切り抜ける事は絶対にできないのも事実だ。
(逃げない? 違う、逃げる隙が無いだけだ。この人はあまりに強すぎる。本気を出せば一瞬で片がつくはずだ。それをしない理由は分からない。でも、このままじゃジリ貧だ。なんとかしなくちゃ…………)
ディズはここで初めて冷静になり勝つための思考を始めた。
(あのバリア、どの角度や速度でも正確に跳ね返してくる。高出力の攻撃で力場崩壊を狙えば破壊できるかもしれないけど、私には無理だ。こっちにあるのは怪力と僅かナイフ一本。これでどうやって戦っていうんだ)
何度シミュレートしてみても勝ち筋が見つからない。勝つためにはここからさらに何かが必要だ。そしてそれは今のディズの中にあるはずなのだ。アンジェラが気付いていてディズが気付いていないものが必ず存在する。そうでなければ、こうして待っていてくれるはずはないのだから。
(どうすれば…………)
その時、ナイフを見つめた自分の顔が目に入り、ディズは気付く。
(『目の波長』…………あの人はそう言ってなかったか。思いを誰かに押し付けるだけの目が別の何かに使えるとでも言うのだろうか。今の私の体がどうなってるのかは分からない。だけど、この目が他の何かに使える可能性があるというのなら、試してみる価値はある)
ディズは今まで思いを飛ばすだけだった視線から逆に何かを得る方向へと力の波長を変え始めた。
「ほぅ…………」
(情報を送れるのなら受け取る事もできるはずだ。そのバリアから何かを“視る”事だってできるはずなんだ)
行動を始め、その凄まじい情報の奔流に目を閉じかけたディズは顔に爪を食いこませて必死にこらえる。
(あ、頭が割れそうだ。眼球が潰れて何か漏れ出して、いやもうすでに漏れ出しているのか?視界が赤く染まっていく。目に焼けた鉄の棒を突き入れられて抉られているかのようだ。苦しい…………。だ、だけど、段々と視えてきた。“月の光”が!)
一度斬れた物は元には戻らない。それは斬れた面の接合面が合わないからだ。逆に言えばその接合面さえ合えば斬った物も接続できるという事になる。
しかし、実際にはそうはいかない。斬った時点でその部位を接着していた“何か”が失われてしまっているからだ。つまり、その“何か”を奪い去る事ができれば物体を切断できるという事である。
今のディズの目にはその“何か”を月の光のように視認できた。そして手に持つナイフは月光を集める特性がある。これを偶然とは思わなかった。それが例え月の光で無かったとしても奪い去る事ができると感覚で理解できた。
(バリアはどうやっても破壊できない。なら、バリアに触れずに破壊すればいい。できるはずだ…………いや、やってみせる!)
吸血鬼の体でもこれだけの負荷だ。次は無いだろう。チャンスは一度だけだ。それが厳しいとは全く思わなかった。むしろ幸運過ぎると思った。平凡で何もできない自分に勝利へのチャンスがこうして残されているのだから。
(『私って幸せ者ね』)
ディズは迷うことなく突撃した。アンジェラは相変わらず身動き一つせずそれを見守る。振りかざされたナイフがベクトルの障壁に触れる。
「!」
障壁を貫通してきたそれはアンジェラの体を切り裂いた。だが、致命傷には至らない。咄嗟に抜いていた銃が寸前でナイフを受け止めていたからだ。
「俺に銃を抜かせるとはな。上出来だ、怪物」
次の瞬間には地面を転がっていたディズに起き上がるだけの力は残ってはいなかった。ただ満足げな表情でそのまま気を失う。
それを見たアンジェラは複雑な表情で頭を掻き、ため息をついた。
「はぁー…………。我ながら不器用過ぎんだろ。もっとやり方もあったと思うけど、こいつも納得しなかっただろうし仕方ないか」
ふてくされたようにアンジェラは言う。
「――――なぁ、あんたらもそう思うだろ?」
現れた男女の二人組は警戒した様子で見ている。その様子がどうにも間抜けでアンジェラは呆れたようなため息をついた。
「はいはい、争う気はありませんよ。友好条約にサインでもすれば満足か? アホやってないでそこに転がってるヤツを早く回収してくれ。こっちは引き取る気は無いんでな」
「彼女はお前の仲間だったのではないのか?」
男の言葉に理解したようにアンジェラは返す。
「なるほど、お前が“のかな”を殺したヤツか。こっちとしては思う所もある。だが、事情があってもそいつがそっちに行く事を選んだのなら俺はその決定に従うぜ。それに“のかな”を知らないヤツの所の方がそいつは生き易そうだ。似ている誰かと比べられるのが苦痛だってのは俺が一番良く知ってるからな。殺したヤツに言うセリフでもないが、どうかそいつをよろしく頼むよ」
「分かっている。俺には彼女を元に戻す義務がある」
「そしてまた殺すのか?」
アンジェラは聞く。
「模倣者は無害のはずだ。どうしてそれを殺す。一体なにを企んでいるんだ?」
「………………」
「ちょっとアンタ、それってどういう事!? そんな事聞いてないわよ!」
驚く女を遮り、男はギターを鈍器のように構える。
「全ては命じられしままに…………」
「そうかい答える気は無いって事かい。なら、ちょっとだけ本気だしちゃおっかなぁ?」
アンジェラが銃を構える。二人は睨みあったまま制止する。お互いに隙を探っているのだ。手の内が分からないという事以上に互いの力が相当なものである事を感じ取り、迂闊に動けばその隙を突かれるために動く事ができない。
どれくらいの時間睨みあっただろうか。それは数秒だったか、それとも数分だったか。突如として響いた間の抜けた声に中断させられるまで、その場は硬直していた。
「二人ともそこまでっ!」
「チェン!」
悪戯好きの風に乗ってやってきた仙人は自らの愛弟子ではなく、その相手を背にして語りだす。
「ここは退いてくれないか、デビッタ」
「何故だ。そいつはこの事態の真相にもっとも近いヤツだぜ。それともそっちに寝返ったとでも言うのか?」
「うん、そう」
「…………は?」
予想外の答えに驚愕する弟子を楽しげに眺めたチェンは悪びれた様子もなく話し出す。
「いや、俺さー、道士探してたじゃん。そしたら向こうから接触してきてくれてさ、カフェとかゲーセンとか回ってる内に仲良くなっちゃってさ。寝返っちゃった、てへっ」
「てへっ、じゃねぇ! なにスナック感覚で裏切っちゃってくれてるんですかこのクソ女!」
「いろいろ買ってもらっちゃったしな。魔法少女のお人形さんとかさ。最新のヤツは凄いね、神様モードとかに変形できるんだもん。それがカラーチェンジしただけで同じ型のヤツを色々出してるんだからアコギな商売だよなぁ」
「ば、買収されてやがる。仙人の風上にも置けねぇ…………」
頭が痛いとうなだれたアンジェラは銃を下してため息をついた。
「あんたとやりあう趣味はねぇ。さっさとどこにでもいっちまえ」
「おう、あんがとな。何日かしたらそっちに帰るわ」
「おとといきやがれクソ女」
突風が吹いたと思った瞬間にはその姿はなかった。一人残されたアンジェラは真剣な表情で先ほどのチェンのセリフを反芻する。
(『魔法少女の人形』、飼いならされた手駒が居るってことか? いや、『人形』ってことは人造人間の線で見た方がよさそうだな。『買ってもらった』、人形は味方か。それが『神様』ってことは祭り上げられた人間になるか。そして『モード』ってことはその模倣になるな。『同じ型の』、なら多くのクローンが居る? まてよ、裏世界の“のかな”の存在を『カラーチェンジ』とするなら並行世界的な見方ができる。『商売』、その元締めが居るのか。ここで『アコギ』ってことは人道的ではない。つまり遊んで仲良くなったという件の道士とは別人ということだ)
そこまで推理してアンジェラはまとめにかかった。
(えーと、要約するとだな。件の道士は自分の作った魔法少女を神のような物にしようとしている。それは本来意図されたことではない。元は並行世界に無数に存在する“誰か”を神にするという話だからだ。…………ここまではいい。問題はこれを俺に秘密裏に伝えるチェンの意図だ。無難に考えるのなら件の道士を妨害しろってのが道理だろう。だが、そもそもの話がきな臭い。“誰か”を神にする? 話が壮大すぎて冗談にしか思えないぜ、老師)
巨大な歯車が動き始めているのをアンジェラは感じていた。だとしてもやれることは常に一つしかないことも同じように理解していた。
(やれやれだな。人のあずかり知らぬところで好き勝手やりやがって。直接文句の一つでも言ってやらなきゃ気が済まねぇ。俺はこの賭けの元締めに喧嘩を売りに行くぜ。理屈じゃねぇんだ。その相手がどんなに強大だとか勝てるとか勝てないとかじゃない、それが『俺流』だからだ。老師はくだらないって笑うか? それでもいいのさ。凄い力はくだらないことに使うくらいでちょうどいいんだから…………)




