第三章 1
「おかえり」
ウィタカは雑誌から顔を上げずにそれを言ったが、目の前を通っていく体が二個であった事に気付くと数秒の差を置いて、思わず見返した。
「ちょっとあんた! なんなのよ、その子!」
「?」
「なんで『なに怒鳴ってるんだこいつ』みたいな顔してるの!? ぼろぼろ服の血塗れの女の子連れて帰ってきたら誰でもおかしいと思うじゃん!」
ディズは困ったように言う。
「『この人に殺されちゃったから責任を取ってもらおうと思って…………』」
「理由聞いてるんじゃないわよ! っていうか殺されちゃったってなに!? あんた生きてるじゃん! もー意味分かんないわよ!」
「模倣者のウィタカだ。寝る場所を借りさせてもらっている」
「『どうも、お世話になります』」
ウィタカは相方のマイペースさに辟易したように言う。
「はぁー…………。まあ、良いわ。同居人が一人増えようが同じものよ。あんたはちょっとこっち来なさい。臭くてたまらないし、何より女の子がそんな格好をしていいわけないでしょ」
雑誌を置いたウィタカはディズを脱衣所に連れ込むと、もはや服の体を為さなくなった布切れをはぎ取り、ビニール袋に放り込んで口を縛りゴミ箱に入れた。そして、風呂場に叩きこむと自らも服を脱いで入ってきた。
「ちょうど湯を張った所だから良かったわ。人間の体って汗を掻き易いからシャワーを浴びる回数が多くなるのよね」
「『そうなんですか』」
ディズの体を洗ってやりながらウィタカは問う。
「目で話をする人間なんて初めて見たわ。それにこの世界の人間というわけでもないようね。一体どうしてここに?」
「『分からないんです。気がついたらこっちに居て、他の人の話によるとどうやらこっちの私と入れ替わったみたいで』」
「ふーん、つまり私と同じで望んできたわけじゃないってことね」
ウィタカは少し寂しげな表情で語りだす。
「こっちに居る模倣者はね。大半が『魔法少女』に力を貸していた者達よ。どこか別の場所からやってきた化け物を殺すためにその力を貸した。各人それぞれの思惑はあったかもしれないけど、ほとんどが自分の世界を守りたいという切実で綺麗な願いに応えての事だった。月明かりに照らされた仄暗い世界に住む私達には彼女達の生き方が眩しく映ったのかもね。だけど純粋な彼女達はあまりに脆く、汚れやすかった。システムの不調で互いに殺し合い始めた彼女達は皆死んでしまった。ただ一人『なのか』を除いては」
「『なのか?』」
「『神は“なのか”で世界をお創りになった』。世界を創った道具“なのか”。それは人間に姿を変え、世界が乱れる時に偉大なる者として現れるという。そして今回のそれはこの国の平凡な少女として存在する事が分かった。この情報は魔法管理組織のトップシークレットだから確かよ。その情報に続いてこの騒ぎ、つまりどういう事か分かるかしら?」
「『この事態全てが仕組まれていた?』」
ぎりっ、と憎々しげにウィタカは歯噛みをする。
「そうよ。彼女達の狂気も怪物の出現も全て仕組まれていた事だった。確証はない。だけど私には分かる。純粋な彼女達の願いを食い物にした邪悪な怪物が今ものうのうと生きている事が。多くの模倣者はこの世界に光に精神を蝕まれて狂ってしまった。残った者も元の世界に戻れない絶望感や環境に適応できずに死んだ。ほんの少しの者は体に引っ張られて段々と元の人間と同じ人格へと変わっていった。つまり彼女達の模倣者になったのよ。皮肉な物ね。偉大さに倣う事から模倣者と呼ばれた私達が浅ましく生きるために擬態をするなんて。でも、私はどんなにさげすまされようとも絶対に生き残って見せる。彼女達を汚したヤツのはらわたをえぐり出してぶちまけて、その顔を恐怖に染めて絶命させるまでは絶対に諦めたりしない。そう誓ったの。この子が守ろうとした世界がこんなにも汚いというのなら、私はそれを綺麗にしてみせる。偉大なる者の模倣者になって私達が失った物を全て取り戻してみせる」
ウィタカの目には強い意思があった。それは燃え尽きる前の蝋燭にも似た光だった。復讐を果たした後に支えを失った魂が持たない事をウィタカは理解しているのだろう。
だが、それは幸せな事だとディズは思った。何か目標を持つだけで人は有意義に生きていける。同じ残り少ない命でもその価値は比べようがない。自分がそれを見つける事は無いのだろう、いや例え見つけられたのだとしても残された短い時間で叶えられずに悔いを残すくらいなら無い方がいいのではないか。
この場に置いても後ろ向きな自分に嫌になったディズはその考えを洗い流すように熱い湯を頭から被った。
狂気に身を任せるのは楽だ。人が生きていく理由の一つが不安を無くす事なのだから。思考が無くなれば不安も無いのだからある意味人生の目標を達成していると言ってもいいのかもしれない。それ自体は悪い事ではないとディズは思っている。しかし、いつでも狂えるというのならそれは今で無くとも良いと考え始めていた。
(血は官能の味だった…………。どうせ死ぬのならばもう少し味わってからでも遅くは無い。彼は聞こえの良い事を言ったがどうせ私は助からない。知ってるんだ現実ってやつは私を苦しめる事しかしないって。でも、今は少し様子が違う。なんだろう、覚悟が決まったってヤツなのかな? それとも心まで怪物に変わり始めているのかな? 体の調子がとても良くて、どんどんやる気が湧いてくるんだ。私の中のマイナスが気持ちいい。心の中でドロドロしているコールタールのような汚い物がとても甘い蜜だ。あぁ…………キモチイイ)
人間としての“タガ”が外れ始めたディズはウィタカの白い首筋を見て、舌なめずりをした。性欲を押さえきれない少年のようにかぶりつこうとしたが、鏡に映る自分の姿を見て危うく踏みとどまる。
(…………っ、何を考えてるんだ。こんな綺麗な物に触れようだなんて。私のようなヤツは腐肉を食らっているのがお似合いだ。綺麗な物はつい手で触れてみたくなるけど、そんな事をすれば汚れてしまう。この人には綺麗なままで居てほしい、私はどうしようもなく汚いから、それがいつでも分かるようにこの人は美しいままでなければ駄目だ)
ディズは初めて自分が幸せだと感じた。これほど純粋な存在に出会えた事に、それが自らの醜さを際立ててくれる事に。
(あぁ…………私はなんて卑しいんだ。他者を物のように見るなんて。だけど許して欲しい。そうしなければ卑しい私は劣情を押さえきれなかっただろうから)
狂気などに囚われなくとも、その思考がすでに狂い始めている事にディズは気付かない。怪物としては何もおかしい所はないのだから、疑問を持つ事などあるはずがない。
「『ふぅー…………』」
ため息をついたディズを見て湯船に浸かるウィタカは聞く。
「ん? のぼせちゃった? あたしって長風呂だからさ。あんまり付き合ってくれなくてもいいよ」
「『いえ、問題ないです。ちょっとムラムラしてきただけですから』」
「ふーん、ムラムラ…………。は? ムラムラ!?」
ディズは当然の権利であるかのように堂々と言う。
「『実は私、女の子が好きな人間みたいで。いえ、普通に男の子も好きなんですけど、なんて言うか自分に無い物に憧れるというか。…………要するにおっぱいが好きです』」
「…………あなた、頭大丈夫?」
悲しげにディズは言う。
「『すいません。変、ですよね。私は愛情や母性という物に飢えているみたいで。言っても理解はされないと分かってはいたんです。けど、ウィタカさんは自分に何でも話してくれて、だから自分も話したくなって。…………すいません、迷惑でしたね』」
「あなた…………」
ふと、その姿があの時の少女とダブって見えたウィタカはなんとも言えない気持ちになり、不意に出た涙を拭って言った。
「分かったわよ。そういう事なら遠慮なく触るじゃん。どうせ減る物じゃないし、私に出来るのはこれくらいだからさ」
「『…………ありがとうございまず、ウィタカさん』」
ディズは獣のように目を光らせると手をわきわきと動かした。
「『では遠慮なくいかせてもらいます』」
「ちょっ、目怖い! 手加減するじゃん!?」
その手は下から抉りこむように胸を鷲掴みにすると共にそこに顔を埋めてこれ以上無いほど官能的に揉み始めた。
「『うはー! 漲るぞ! エロスもリビドーもはち切れそうだ!』」
「手つきがいやらしすぎっ! やっぱ無し! さっきの無しぃぃぃぃ!」
「『駄目ですよぉー、こんな立派なおっぱいを持ってるのに揉ませてくれないなんて。あぁー、私の悪戯心がワクワクだよぉー!』」
「変態変態ド変態ぃぃぃぃ!」
涙目のウィタカにどつかれながらも、ディズは恍惚の表情で離れる事はなかった。吸血鬼にとってはその程度の攻撃がダメージになるはずが無いのもあるが、それ以上にエロスのパワーというものは恐ろしいものがあった。
「『ふぅー、大体満足しました。後はペロペロさせてくれたら言う事は無かったんですが』」
「そんな事をされたらあんたを殺して私も死ぬわ」
「『ははは、御冗談を。お互いにもう死んでるじゃないですか』」
「はぁ…………笑えないわよ」
ウィタカはこの少女の事を計りかねていた。落ち込んでいるようであるかと思えば急に元気になったり、平凡なように見えて狂気を寸での所で押えられたり、まるでキメラのようにどこかちぐはぐだ。
「ねぇ、あなた」
「『ディズ』」
「ねぇ、ディズ。あなたは何者?」
その質問にディズは困ったような笑みを浮かべた。
「『怪物。平凡で浅ましいただの怪物』」
「そう……そうね。私達はこの世の摂理に逆らう怪物だわ」
ウィタカは運命に抗うかのように語りだした。
「だけどそれだけじゃないはずよ。私達の悩み、苦しみ、喜び。それはどこにでもある平凡な物かもしれない。でもそれは誰かの模倣じゃない。私達だけの物よ。代わりの無い存在なんてない。それでも知りあいが死んだら悲しいし、きっと誰かも私達の事を悲しんでくれる。私が聞きたいのはね、ディズ。あなただけの特別の事よ。私はあなたの事を何も知らないわ。でも、あなたが逃げてきたという事だけは分かる。俗世のしがらみが嫌で怪物になった。だけどそれじゃきっと後で後悔するわ。あなたにはまだ心配してくれる人が居るはずよ。今すぐにとは言わない。それでも失ってしまわない内に話をしてみてほしい。居場所は無くなってからでは遅いのよ。あなたを私と同じにはしたくない」
お節介が過ぎるのは分かっていた。世から外れた者同士だとしても、それぞれの領分というものがあるのだ。出会ったばかりでそこまで踏み込むのは嫌われても仕方の無い事だ。それでも全てを失ってしまったウィタカは言わずには居られなかった。
ディズは不快とも怒りとも取れる感情に襲われたが、彼女の覚悟を知っているためにその感情は自らの情けなさから来る物だと受け止めた。事実、ディズが抱いている怒りに正当性は無い。ただの八つ当たりだ。しかし、そう分かっていても実際に向き合った時、素直になれる自信が無かった。
(でも、嫌なヤツと思われながら死ぬのは嫌だ。きっと私は成長しなくちゃいけないんだ。例えこれから死にゆくのだとしても、私という存在の足跡をこの世界に残すために“偉大なる者”にならなくちゃいけないんだ)
模倣者の本懐である偉大なる者への到達。平凡だった自分が偉大なる者になる事ができたら、きっと今までまともに向き合う事すらできなかった友人達とも対等に話せるようになるのではないか。それが浅はかな考えだと知っていても今のディズには希望が必要だった。
風呂を上がったディズはウィタカより借りた服に袖を通す。この世界においては特に違和感の無いそれもディズの目にはとても奇異な物に映る。空に浮かぶ物が違うのなら、そこに住まう者達の思考ベクトルも違うのか。天に太陽があるならばその暖かさを受け取るように、天に月があるならばその静けさを受け取る。このあり方の違いになれるのには少し時間がかかりそうだった。
「………………」
ハヤタは窓際に座り込み、ギターのような武器の弦を奏でるように撫でていた。それはまるで本物のギターであるかのように空間に音が響いた。流れていく曲はディズが狂気の中で聞いた物と同じ不思議な旋律であった。
「『それ、なんて言うの?』」
「…………『延の奏で』だ。太陽の力を持ち、精神を正常化する力がある。主にこれと月と狂気を司る『終の鳴り』を合わせる事により、旋律は形作られる。あらゆる事を忘れてしまったが、あの方が下さったこの音だけは忘れる事が無かったようだ」
「『あの方?』」
「終鳴延奏」
知らないという顔をするディズにウィタカは語る。
「終鳴延奏…………聞いた事があるわ。宗教組織『炎翼衆』の教祖にて伝説の魔法少女。一切の魔力を使わずに魔法を放てるとされ、彼女の為に作られた『伝説』の二つ名を永久欠番にした。…………という話よ」
「『不確かですね』」
「あくまで噂程度なのよ、彼女の存在わね。魔力無しに魔法を使えるなんて眉唾ものだわ。でも、こうしてその関係者が居るとなるとその噂も少しは真実めいてくるかもね」
淡々とハヤタは語る。
「彼女は自らの行動を公にはしなかった。直面している問題が世界に混乱を与える事を知っていたからだ。代わりに近くの者に言葉を残した。それが人々の間に伝わり、彼女はその意思に関係なく神となり崇められた」
「高潔過ぎて食い物にされた。ありがちな事ね。でも、本当に居たのかしら? あなたが嘘つきだとは思わないけど、事実『伝説』の二つ名は落ちこぼれの悪運魔法少女に受け継がれているくらいだからね」
「『平凡?』」
ウィタカは苦笑して言う。
「そ、『桑納のかな』って言う、Eランクの魔法少女。マリー=マール討伐や外来宇宙兵器撃退とかの実績を持ってるけど、仲間にSランクの魔法少女が二人も居るからもっぱらそのお陰でしょうね。世の中、こういう要領の良いヤツが出世するのよね。全く、真面目にやってる私達が嫌になるってもんじゃん」
データを端末から閲覧していたウィタカはふとそこにある顔と目の前にある物が同じである事に気付く。
「ん!? もしかして、あんたが桑納のかな? …………ご、ごめんなさい。悪く言うつもりはなかったの。だから手下のSランク達をぶつけるのは止めてぇ! 洒落になんないじゃん!?」
ディズは困ったように微笑む。
「『よく似た別人だよ。私は彼女のようにはなれない』」
「あ、あらそう…………。でも、本当によく似ているわね。姉妹か何か?」
『裏世界の同一人物だからね。もっと深い関係であるとも言えるし、赤の他人でもあるとも言える。どちらかと言えば後者かな。片や英雄、片や怪物じゃ比べるのもおこがましい。どうしてここまでバイアスが異なるのか、私には分からないよ』
基本的に裏と表の人間の立ち位置は同じだ。その背景によって少し異なる場合もあるが、最終的には同じに運命に収束する。そう考えれば二人の関係は至極不自然と言える。まるで別人のように立場や力、思考までもが異なるのだ。それは同じ地点に収束するはずもなく、また表面的に異なるとするにはあまりに違い過ぎた。
その理由を探したウィタカは不意に馬鹿げた発想をする。
(人工的に作られた存在なら影としての自分は生まれるけど、中身まで同じではないはずだから辿る運命は違ってくるはず。桑納のかな…………桑納延奏。まさかね)
馬鹿げているとウィタカは自らの考えを一蹴した。裏と表を行きかい、両方の存在がそれぞれの社会で問題なく稼働できるように環境や状況を管理できる存在など居るはずがないと。もし、そんな存在があるとすれば万能の神だけだ。この世にある神モドキ達では決して為す事はできないだろう。
(でも、ディズを怪物として蘇らせた存在が居るのなら、神とまではいかなくとも管理者的な存在は居るのかもしれない。自らが作りだした“人形”を大切に育てて何かと戦わせようとしている存在が。それほどの力を持つ管理者がそこまでしなければならない相手ってなに? 一体どんな怪物が待ち受けてるっていうの?)
おそらく上を見れば果てが無いのだろう。自分には関係の無い話だとウィタカは思考を現実へと戻す。やる事は多く、残された時間は少ない。今やるべき事は自分の所にやってきた怪物を飼い慣らし、自らの手駒とする事だ。その目に紅い狂気を満たしながらも“平凡”な振りをしている怪物。意識的か無意識か、どちらにしてもその“平凡”さはこの状況下では異常だ。これの生態を知る事が自らの復讐を果たす足がかりになるだろう。
「お腹がすいてこない? あなたは何か食べたい物はある?」
「『…………人間の血』」
「え?」
ディズはにこりと微笑んで聞く。
「『ウィタカさんは処女ですか?』」
「ちょっ、急に何を言い出すのこの子は!?」
ハヤタが説明するように言う。
「彼女は吸血鬼だ。伝承によれば処女の血を好むらしい」
「知らないわよそんな事! あんたら分かっててやってるでしょ!?」
ずいっ、とディズは迫る。
「『で、処女なんですか、どうなんですか』」
「うるさい! 死ね!」
「確か処女だったと思うが」
「なんであんたが知ってんのよ! もうやだぁ、みんな死ね!」
「『またまた御冗談を。もう死んでますって』」
「木の杭って教会に売ってるのかしら…………」
この怪物が手に負えない可能性を考慮していなかったウィタカは頭を悩ませた。まだ太陽の光の残る部屋の中で平然としているということは吸血鬼としての弱点はないのだろう。逆に長所はどうなってるのだろうか。
怪力であるのは間違いない。胸を揉むときに一瞬、力の程度の違いに焦ったことにウィタカは気づいていた。他の部分はどうだろうか、揺らめく炎の影のように自在に姿を変えるのだろうか。蝙蝠に狂犬に狼人。その程度なら模倣者でもそう珍しいことではない。全ては模倣者の劣化だ。違いといえば食性が異なるといったところだが、血を吸わないと弱るのはむしろ弱点といってもいいだろう。
だが、それでもどこか恐れを感じるのは模倣者とは違い、それが本物の怪物であるからなのだろう。原始的で理性がない。人間が消化器官を肉と皮で包み込んで出来ているようにそれは暴力を飢えと乾きで包み込んで出来ているのだ。
他の全てが模倣者に劣ろうとも、戦えば必ず勝利するだろう。ただ一つ突出した虐殺器官が己の死すら甘い刺激に変えるのだから。
「『日が暮れてきましたね』」
ディズはナイフの蒼い刀身に自らの顔を映すと、それをどこか見えない場所へとしまいこんだ。
「『ちょっと“食事”に出かけます。いくらウィタカさんが処女でも模倣者の血は好みじゃないみたいです。だって全然美味しそうじゃないんですもん』」
「ディズ」
「『ご心配なく。吸血鬼と言っても食性が同じだけです。ゾンビみたいに増えたりしないし、己の取り分も弁えている。誰にも目撃させませんし騒ぎにもしません』」
「ディズ!」
ウィタカが心配しているのはその過信が身を滅ぼすのではないかということだ。怪物の雛のくせに妙に慣れた風に振る舞う。心と体がちぐはぐでかみ合っていない。一番危険な状態だ。もちろん、それが分からないわけではないだろう。何よりの問題はそれを分かってやっているディズの破滅願望的な側面だった。
「『自分は死人です。もう死ぬことはない、ただ消えるだけだ。生者に狩られるのならやむなし、それが怪物の運命。しかし、そう易々とはやられない。どんなにさげすまされようとも必ず反撃の機会を見つけ出し、このふざけた運命に楔を打ってやる。そのために少しだけこの身を危険にさらす。痛み無くして勝利は得られないのだから』」
閉じていく玄関の扉から見える顔には言葉とは裏腹に邪悪な笑みがあった。死んだのは果たして心なのか体なのか。ウィタカはまだその答えを持ってはいなかった。
夜の闇を飛ぶように渡っていく。体が羽であるかのように足取りは軽く、月の光がパーティーの音楽のように降り注ぐ。蒼いナイフに集まった月光が呼応するように弾けた。
(体の調子はそれなり、すぐに順応できたのはこのナイフのおかげか。これをくれたのは一体誰なんだろう。いや…………そんなことはどうでもいい。大事なのは何ができるかだ。もっとも必要な“信用”はすでに自分の手の中にはない。脆く壊れやすい不確かな力を自分は“信用”しなければならないんだ。ゆえに確証を求めるのではなく、そこに道を刻んでいこう。一歩ずつ確かなことを積み重ねてこの深い闇に確かな明かりをともしていこう)




