第二章 2
―――――ギューン!
(…………ん?)
のかなは突然聞こえてきたギターの音に振りむく。いつからかそこに居た男は他の誰にも気づかれていないのか通行人は見向きもせずに通り過ぎていく。不思議に思ったのかなだが、道端のミュージシャンをまるで背景のように扱う事を知っていたので気にせずに立ち去ろうとした。
「待て」
「!」
凍りつくような声がその男の物だという事に気付くのに時間は必要なかった。
「こっちを見たな。今、確かに。ならば…………」
演奏が止み、鈍器のように持ち替えられたギターを見た瞬間、その殺意が自分に向いている事をのかなは瞬時に理解して走りだした。
(な、なにあの人。私を狙ってる? 目が語ってた『模倣者を殺す』って。『私は模倣者なんかじゃない』って意思を送ったのにまるで止まる気配がない。そっか、普通なら表世界にこれる『人間』なんていないから勘違いされているんだ。でも、私にその誤解を解く方法は無い。まして殺意を持って向かってくる人間を説得する術なんてそうそうあるもんじゃない。今は逃げなくちゃ!)
いつの間にか辺りに展開されていた結界は表の住人に悟られる事無く、この追走劇を可能にする。それは世界を支配する模倣者の能力だ。ギターの男が模倣者である事は間違いないだろう。特別な存在である彼から平凡なのかなが逃げおおせることは不可能だ。できる事と言えば逃げて時間を稼ぐという事だけ。同じ特別な存在であるアンジェラのみがこの事態を解決できる可能性を持つ。
(あの人ならすぐに気付いてくれるはず。でも、その“すぐ”は私にとっては長すぎるかもしれない…………)
角を曲がった先にたどり着いたのは行き止まりだ。あまりに高いその壁をのかなの身体能力で乗り越えるのは不可能だ。引き返そうとするがすでにそこには男が立っていた。
「祈りの時間を与えよう。何か言いたい事は?」
のかなは焦りながらも訴える。
「…………」
「『私は模倣者ではない』と?」
男は少し考えて、
「確かに少し違うようではある。だが、裏から来たのであれば同じ事だ。お前に恨みは無いが、自分の任務のために狩らせてもらう」
やはり構えは解かず。手に持っているのはギターのような物だが、それを単なる鈍器と見るのは危険だ。模倣者である男が何故、裏世界の人間を狩ろうとするのかは分からないが、そんな事を気にしている余裕は今の状況下では無かった。
壁を背にしたのかなは恐怖を感じながらも切り抜けるチャンスを探す。
(後ろには逃げられない。やれるとしたら隙を見て横を抜ける…………? …………駄目だ! できるはずがない。だけど前に進む以外にここを乗り越えられる可能性は無い。そんな事は分かってるけど、怖くて足だってすくんでいるのにそんな超人的な事ができるはずがない。私は平凡な人間なんだ。アニメ好きでささやかな幸せを求めているだけの凡人なんだよ。何の才能も無く、努力する事もできず、繰り返す毎日を何の意味も無く消費するだけの駄目なヤツなんだ。何かを求めようとは思わなかった。今持ってる物だけで十分だったんだ。なのに、どうして放っておいてくれないんだ。私は何もしていないのに!)
じりじりと近づいてくる緊張感に耐え切れずのかなは荒い息を漏らす。できる事など何も無い、それを認めたくないかのようにのかなは叫び声を上げるが、無力な慟哭はすれ違いざまに打ち伏せられ、すぐに物言わぬ肉片へとその身を変える。
「………………」
ボディへの薙ぎ払いを受けて、内臓を抉られたのかなはそのまま頭部を叩かれて脳漿を煉瓦の壁にぶちまけた。痛みの声を上げる暇もないあっけない、“死”。もしかしたら自らが死んだ瞬間すら認識していないのかもしれない。
男はギターについた血を軽く払うと沈黙する死体に黙祷をした。その表情は自身の行動を完全には肯定できていないような迷いが見受けられた。
「これは罪だ。正当化できるものではない。だが、罪悪感は己を殺すだろう。自分は任務にかこつけてお前という存在が居た事をここに置いていこう」
男は踵を返し、のかなだった物から立ち去ろうとする。展開された隔離空間が閉じればもうそこには何も無くなる。下手に証拠を残して追跡される事はないのだ。あくまで狩るのは男の側であり、それが逆転する事はない。
もし、そんな事になれば物量の差で男は負けるだろう。いくら途方の無いと思っても確実に一体ずつ殲滅していかなければならない。辛抱強く、そうまるで春を待つ動物のように静かに耐える。全ては始まりの時に請われしままに。
「…………?」
男はヒュン、と何かが背後に落ちたような音を聞いた。振り向けばのかなの死体に蒼いナイフが突き刺さっている。死者を痛めつけるような行動に不快感を露わにした男はどこかから見ているであろうふざけた見物人の姿を探した。
空間をサーチする事で高台からその人物が見ている事を知った男は上を見上げる。それは今しがた殺したばかりの人間と同じ顔をしていた。
「表のこいつか。一体なにを考えている?」
死体にナイフを突き刺すという行動に意味を見いだせない男は月のように微笑むそれをじっと観察した。やがて見られている事に気付いたそれは何かを伝えるように口で言葉の形を作る。
「『久しぶりね、ハヤタ君』」
「どこかで会ったのか? 自分には覚えが無い」
「『この姿では仕方ないわね。それにあなたも本物ではない』」
「写し身…………。強烈な閃光で地面に焼きついた影だとでもいうのか。記憶だけが独り歩くのならこれ以上の毒素はあるまい」
「『うふふふふ、邪悪の克服から聖者の可能性がある。悪意が無くとも心が壊れないのならばね』」
「それは心無しだ。人形にしかならない」
『『太陽の導きにより、心無しは太陽の心へと至る。失われた伝説を再び呼び戻す方法を私は見つけ出しているわ』」
「まさか…………お前は! いや、君は!」
瞬間、ハヤタは脇腹に走った鈍い痛みに顔を歪ませた。
「ぐ、ぐぅ…………!」
気がつけば死んだはずののかながナイフを突き立てていた。無理に振り払うとハヤタは脇腹を押さえながらギター型の武器を構えた。
(こいつ…………確かに死んでいたのに)
時間と共にどんどんのかなの体が再生していく。それを可能としているのは手に握っているナイフからあふれ出る力だ。無から有を生み出す創造の力は例えそれが死体だとしても関係無しに蘇らせる。
だが、肉体の喪失による渇きまでは癒せないのか、ナイフについた血をぴちゃぴちゃと浅ましく舐めとる。
「吸血鬼! 君は誰かをこんな目に合わせてまで叶えたい望みがあるというのか!?」
ハヤタは悲痛な叫びを漏らす。すでに見物人は失せ、その言葉は行き場を失って宙へと消える。のかなの持つ化け物特有の怪力は模倣者にも対抗できるほどのパワーを誇る。狂気に囚われている事もあってそこには普段の弱気や平凡さなど影も形も無い。
(これはただの死体だ。エネルギーが切れれば黄泉へと行くだろう。ならば、せめて束の間の正気を。酷だとしても人間の尊厳を!)
ハヤタがギターを鈍器としてではなく楽器として持ち直す。
「――――Deliver of the cheir nous…………」
祈るように歌いだす。その身に纏う緑色の光に乗せて精神の波動を放つ。その光は精神浄化の光だ。どんな暗闇に心が囚われようとも、必ず見つけ出し救いを与えるのだ。
「Hope and write!」
「GRURURU!」
ナイフがハヤタにつきたてられる。だが、怯む事はまるでない。痛みを感じていないわけではない。それ以上の痛みが目の前にあるというのにその程度で怯んではいられないのだ。先ほど虫のように殺した相手にする行動ではないだろう。それでもハヤタは救わずにはいられない。誰かに命令されたからではない。自身の中から出た真実の行動であるから、誰にも消すことはできないのだ。
「I know you knew come now no cam naw!」
それは“仕組み”などではない。理屈などでもなく、理路整然としているわけでもない。ただ感情のままに弾く、技術もへったくれもない。しかし、我武者羅だからこそ人は惹かれ、その気高さが“奇跡”を引き起こすのではないだろうか。遥か昔に置いていかれた奇跡を今一度土の中から掘り出して、主張するように塗りたくる。
今、それが許された。
「GU…………」
のかなの動きが止まる。その目に宿っていた狂気が失せ、手に持ったナイフを汚い物のように睨みつける。そして、怪物となってしまった自分を嘆くようにハヤタに怒りをぶつける。
「『どうして!?』」
疑問。その視線に全てが集約されていた。人殺しの情け、怪物として蘇させられた自分、助けに来る気配もない仲間。何もかもがのかなを苛立たせた。同時にされるがままにされている自分の無力さに涙を流した。
「『あのまま殺して欲しかった。私はもう『のかな』じゃない。強烈な閃光で地面に焼きついた影なのに、どうして殺してくれないの!?』」
「………………」
ハヤタは自己矛盾している事に気付いていた。それでも同じ人間を二度も殺すような事はできなかった。長く生きられないというのならなおさらだ。元々ハヤタは平気で誰かを殺せるような人格ではない。
誰かの痛みで自らも傷ついてしまうほど繊細な男なのだ。本人はそれを要領が悪いと嫌っていた。心が痛まなければ平気で誰かを傷つけられるのに、他者の気持ちが湧かなければもっと自分勝手になれるのに。分かっていても割り切れないから今のように誰かを傷つけて自分も傷ついてしまうのだ。
「君は長くは生きられない。どれほど浅ましく命を啜ろうともその果てには滅びがある。なら、わざわざ自分が手を下すまでもない」
「『そうやって命を弄ぶの? この人殺し!』」
苛立ったようにハヤタは怒鳴る。
「そうだ! 自分は人殺しだ! 倫理もへったくれもない。任務だからと人を殺す最低の屑だ。分かったらさっさと消えるんだ。まだ殺され足りないのか!」
「『………………っ!』」
ハヤタの怒りが八つ当たりである事は明らかだった。何も言えなくなったのかなは悲しげな視線を見せる。
「『…………こんな体でどこに行けって言うのさ。またすぐに正気を失うよ。そしたら周りの人達を傷つけるはずだ。それは嫌だ。でも、死ぬのも怖いんだ。こんな事になっても私はまだ平凡なつもりでいる。心が体についていってない。死んで蘇って怪物になって、はい分かりましたって言えるほど私は人間ができちゃいないんだ』」
「………………」
元来の甘さは捨てきれないということか、ハヤタは自らが憐れみを感じている事に気付いた。このままのかなを生かしておくことは全ての模倣者を破棄するという任務に支障がでるかもしれない。しかし、この状況下においても平凡さを見せるのかなが脆くも美しい物のように感じて、ハヤタは見捨てる事ができなかった。
「人間に戻りたいと思うか?」
「『慰めのつもり? そんな事言っても何にもならないよ』」
「自分は君をこんな風にした女に心当たりがある。彼女は君を万が一にも戻すという事はないだろうが、あの体は本来の物ではない。元の持ち主の人格によるが彼女から体を取り戻す事ができればもしかしたら元に戻れるかもしれない」
「『でも私は怪物と言っても雛に過ぎない。そんな事できるはずがないよ』」
「自分が手を貸す」
のかなは驚いたように目を開いた。
「『あなたが? 一度は私を殺したあなたが?』」
「そうだ。自分としても責任を感じている所はある。狩るのは模倣者だけだというのに手当たり次第と関係の無い君を殺した。だからこそ彼女は君を蘇させたのだろう。自分を苦しめるように吸血鬼というおまけをつけて」
「『責任…………』」
殺したのも任務ならば、助けるのも義務感からか。しかし、のかなは文句を言わなかった。所詮自分は巻き込まれているだけの平凡な人間なのだから大いなる力に意見する事はできない。それでもこの曖昧な気持ちは忘れないよう心に刻み込んでおく事にした。
『そういうなら、私を殺した責任を取ってもらおうかな?』
「付いてくるつもりなら名前を聞いておこう。何と呼べばいい?」
のかな、と言いかけて止めた。
「『『ディズ』。今の私は『のかな』を名乗る事はできない。なら、せめて『のかな』が憧れた物へと近付けるようにそれにちなんだ名前を名乗ろうと思う』」
「そうか。強さも弱さもそこに置いていくというのならそれでいいだろう」
ディズは聞いた。
「『あなたの名前は?』」
「ハヤタ=ヨウ」
ギターを背中に背負って言った。
「それが自分の名だ」
「間にあわなかったのかよ…………」
異変を察知したアンジェラはその場所へと急いだが、すでにそこには誰も居なく、血なまぐさい路地裏だけが全てを物語っていた。そこにのかなの死体は無かったが、飛び散った内臓や脳髄を見る限りは生きていると思う方が不思議だろう。
「クソッ!」
苛立ったように壁を叩き、アンジェラはうなだれる。機械の体を持ち、仙術を操れたとしても救えない物は数知れない。元より万物を救済できるなどと驕るつもりはないが、自分の手の中の物すら留めておけないふがいなさに自身への怒りを押さえる事ができなかった。
「俺はいつもこうだ。一手足りないんだ。どんなに気を払っても真実にたどり着かない…………!」
「………………」
感情的になるアンジェラと裏腹にチェンは冷静に状況を観察し、乾いた血を手で触れていたがやがて楽しげな笑みで口を開いた。
「おい、馬鹿弟子。朗報だ」
「なんだ、チェン。俺は今これからどうしたらいいか考えているんだ。邪魔しないでくれ」
やれやれと呆れたようにチェンはため息をつく。
「だからお前はアホなんだよ。感情に囚われて目が曇っている。確かにここには死の匂いに満ちているけど、よく見ればそれだけじゃない事が分かるはずだぜ」
「どういう事だ?」
探偵風の格好に着替えたチェンはパイプをふかしながら語りだす。
「あのパンクちゃんは通り魔に追われ、逃げたが行き止まりに追い詰められたわけだ。ここまではいいな?」
「ああ」
「無力なパンクちゃんは通り魔の攻撃で即死、それがこのぶちまけられた肉片だ。ここで死んだのは間違いないだろう。地面の血の広がりを見ても致命傷のはずだ」
痺れを切らしたようにアンジェラは言う。
「そんな事は分かってる。早く結論を出せ」
「焦るなよ、デビッタ。俺は結果だけを求めるヤツは嫌いだ。結果だけを求めていると本当に大切な物を見失う。…………ここだ。ここを見てみろ。おかしいと思わないか」
「一つだけ離れた所に血痕があるな」
「おそらくこれは重要な事だぜ、ちょっと調べてみよう」
地面に落ちた一滴の血の痕。チェンはそれを式神の札に擦りつけると確信を得たのかにやりと笑みを浮かべる。
「これはパンクちゃんの血じゃない。通り魔の血だ。そして足跡を見る限りはここの人数は増えてもいない。この閉所じゃ狙撃も無理だ。ここまで言えばそれがどういう意味なのかお前のアホな頭でも分かるだろ?」
「アホは余計だ。つまり、のかなが蘇り逆襲したって事だろ?」
喜ばしげな表情でチェンは言う。
「正解。ついでに言うけど誰だか知らないが変わったヤツが見ていたらしいぜ。地面に刃物のような物を突き刺した傷がある。そこから超常力の残滓を感じるぜ。そいつの事は後で考えるとして、とにかくその後ここで死闘があったような感じの足跡は無いからパンクちゃんと通り魔は仲間になったって考えた方がよさそうだ。洗脳か和解か、その方法は知らないけどな」
アンジェラはほっとしたように言う。
「生きているのならなんとかなるさ。死んでなきゃいくらでもやりようはあるんだ」
「俺はこの見物人に興味が湧いてきたな。こんな辺境の地で道士とは珍しい。関わり合いになる気は無かったが、少し調べてみる事にするよ」
「ならそっちは頼むぜ、大姐。俺はのかなと通り魔を追う事にするからな」
「じゃ、連絡はいつものように式神で」
「ああ、分かった」
チェンは鳥へと姿を変えると遠くの空へと飛び立っていった。




