第二章 1
鐘紡ぐり子は『おかしさ』を認識した。仲の良い友人の一人の様子が数日前から何やらおかしいのだ。日常生活に支障は無いが、何やら極めて無口になったようでそうなってからは言葉を発した所を一度も見た事がない。
不思議な事に言葉を出さないというのに言わんとしている事が分かるのだが、それ故にもう一人の友人はその変化に気付かないようだ。試しにその事を相談してみても『変わっているのはいつもの事』と取り合ってくれない。
苛立ったぐり子はその腹いせに体育の授業で思いっきりボールをぶつけてやると不機嫌そうに家に帰ってきた。
「るいのバカ! 鈍感! アホんだら! どう見ても何かあったに決まってるでしょう! この所、何やら不穏な空気が漂っているし、こうなったら私が動くしかないみたいね」
ぐり子はどちらかと言えば行動的な性質ではない。しかし、大切な友人のためとあっては動かずにはいられない。通信端末を取り出したぐり子はどこかに連絡を入れて誰かを呼び付ける。その人物が来るまでの間に汗ばんだ服を着替えようとするが立ちあがった瞬間にはすでに到着していた。
「よう、ぐり子」
窓からやってきたのはサングラスをかけた陽気な片翼の天使。取ったサングラスの下にあるオッドアイと背中に羽がある以外はごく普通の少女といった風体だが、それは見かけだけで表面の肉を剥げばその下には冷たい機械の体がある。旧式ターミネーターの如き少女は手も使わずに机の上の飲み物をふわりと浮かせて取るとずずずとすする。
「久しぶりね、アンジェラ。食事を取れるようになったの?」
「まあな、エネルギー摂取の必要は無いから形だけだけど味も分かるぜ。それで用ってのは?」
「ちょっとのかなの様子がおかしくてね。何かあったみたいなのよ。あなたは何か知ってない?」
アンジェラは暗黒時代とされる旧世代魔法少女の精神を持つアンドロイドであるため、そのコネで裏の事情には詳しい。しかし、最近聞いた事と言えば道下ことかという魔法少女が辻斬りにあったというくらいでのかなについては何の話も聞いていない。
「のかなに何かあったのなら、こんな静かじゃないと思うぜ。アイツが関わると嫌でもうるさくなっちまうんだ。そんな引力を持つ奴なんだよあいつは」
「確かにほっとけない子ではあるけどね」
「口頭でおかしいと言われてもどうおかしいのか分からねぇ。とにかく本人の様子をこの目で見なくちゃ始まらないぜ。のかなは家か?」
「いえ、そこに」
ソファーに座るのかなに初めて気づいたアンジェラは驚いて飛び上がる。
「おぅ!? い、居たのかよ。あまりに存在感が薄くて分からなかったぜ…………。でも、服装はかなりファンキーだな。ドクロのTシャツにシルバー装備に加えて無駄に多いベルトとはお前、ビジュアル系でも目指してるのか?」
のかなは何か言いたげに顔をあげた。しかし、
「………………」
「何も言わないのかよ!」
突っ込みを入れたアンジェラにぐり子は説明する。
「いえ、今確かに“意思”を伝えたのよ。どうやら今ののかなは喋らずに相手に意思を伝える事ができるみたい。精神的にはともかく体が無機物であるあなたには伝えられなかったようだけど」
「ふーん。じゃあ、今なんて言ったんだ?」
「『変かなぁ? 向こうじゃ結構無難なコーディネイトなんだけど』」
アンジェラは確信した。
「確かにおかしいわ、これ」
「でしょう? それにどうやらここではない世界から来たらしいのよね。確かに別世界からこっちののかなと入れ替わりで来たのだとすれば色々と納得できるのだけど、なにより世界様式がかなり異なるはずなのに本人がまるで動じてないのが疑問なのよね…………」
「むしろコイツが動じる事があるのか? 地球が壊れても平然としてそうだぜ」
「けれど、月曜日に五話連続放送する大人気アニメ『ブルーマンデーガール』が見れないのが不満で早く帰りたいって言ってるわよ」
「別世界でもギークなのかコイツは。つーか、月曜日に五話やるとかもっと放送枠考えろよ。平日に一日一話でいいだろ」
「………………」
「『月曜日が憂鬱だから、少しでも楽しくなれるように五話やる』んですって」
お手上げだとアンジェラは肩をすくめた。
「もう好きにしろよ。ギークの感覚は俺には分からん」
どうしたものかと考える二人を横目にのかなは無表情でアニメを眺める。マイペースな変わり者で空気が読めないというよりわざと読まないような自分勝手な人間。その目は淀んでおり活力に満ちた表の自分とは真逆だが、言葉を発しない分不思議で不気味な力を漲らせ、その瞳は飢えた獣のようにギラギラと輝いている。
しかし、満たされぬが故にその本質は凶暴で、常に孤独を抱えている。誰も自分の事を理解する事はできないのだから、寄り添える者など居るはずもないと思いこみ。そのように孤独を抱える者は常々一定数存在するものだ。特別なのではなく少数派というだけで己を曲げるか抗うかの二択を迫られる。どちらを選んでも孤独である事には変わりない。その茨の道の中でのかなは後者を選んだ。そのきっかけは『ブルーマンデーガール』だった。
週の初めに五話連続放送する裏世界でも特に奇妙なアニメ『ブルーマンデーガール』。曜日にちなんだ名前を持つカートゥーン調の少女達がサイコでポップなスクールライフを送るという偶像劇。一応主人公は決まっていてタイトルの『ブルーマンデー』がメインを張っている。
その『ブルーマンデー』は主人公らしくない陰気なギークとして描かれている。気性の荒さからスクールカーストから独立した存在ではあるが代償として孤独を強いられている。趣味はサイト巡回とお菓子の新作漁りでイラつけばライブハウスでヘタクソなギターと歌をどこのゴミ箱から拾ってきたのかというバンドメンバーと共にひけらかす。もちろん観客からはブーインクの嵐だが、ライブチケットのノルマを果たせずに自分で買い取った事は一度もなく、演奏中にヤジを入れられるような事もないという奇妙な一面を持つ。
物語は他の曜日ガールの起こす騒動に集約される。曜日ガールは超人的な身体能力や圧倒的な権力や財力を持っている。彼女達はそれによって問題を起こしたり、時には解決したりするのだが、そこでも『ブルーマンデー』だけが何も持っていないのはもはや様式美といったところか。
なんだかんだで巻き込まれて被害をこうむることも少なくない彼女は傍から見れば凄まじく不幸な人間に見えるのだろう。友人の一人も居なく、何年続けても一向に認められる事のない演奏、不条理な曜日ガールズの騒動。大抵のエピソードでろくな目にあってない彼女が報われる日は来るのだろうか? いや、おそらくその日は来ないだろう。なぜなら彼女自身がそれを望んでいないのだから。
騒動を片づけると服の埃を払って彼女は決め台詞を言う「私って幸せ者ね」と。大抵がこれ以上無い不幸に自身が見舞われた後に発言し、ふてぶてしく笑う。ニーチェに言わせれば精神的超人というヤツなのだろう。その台詞は自身と重ね合わせて見ていたのかなに衝撃を与えた。
ギークで外れ者で度々酷い目にあっても「幸せ」だと主張してもいい。「幸せの量を測ることはできないわ」とガールズ達に言い放ち、迷いなく我が道を行く。その力強い姿は自らの在り方に悩むのかなに新しい風を吹き込んだ。自分の意思無くして己を捨てる必要はなく、どんな場所にもそれなりの幸せがあるのだと知った。
自分はただの人間で彼女のような超人にはなれない。それでもそこには人間としての勇気があり、純粋な心で前に進んでいけるはずだから悲観する必要はない。怒りや憎しみすら楽しんでいける。憂鬱な月曜日を越えれば後は加速していくだけだ。映像の世界を飛び越えて、この現実に自分の物語を刻んでいける。
『合言葉は革命!』
アニメの次回予告を見終わると共にテレビを消してのかなは立ち上がる。ここに居る自分から全てを始めていくために。自らが『幸せ』な存在だという事を主張し、この生き方も悪くないのだと納得するために。
「え? 『この事態の原因に心当たりがある』ですって?」
のかなはこくりと頷く。それを見てアンジェラが呆れたように言う。
「なら初めからそう言えよ…………これだからコミュ力の低いやつは…………」
「………………」
「『無能なら初めからそう言えばいいのに』…………だって」
「ムカつく奴だな。ベクトルパワーで軽く吹っ飛ばしてもいいか?」
「堪えてアンジェラ。話が進まなくなるわ」
「………………」
「えっと『こういう大事の時は間違いなく模倣者が関わっているんだ。凄まじき力持つ支配者、模倣者。彼らは別の次元にちょっかいをかける事が趣味だからね。でも、別次元で動くには体が必要だから何かの兆しはあるはずだよ。たとえば死体が蘇ったり、吸血鬼の噂が立ったりとか。彼らが別次元の方式に慣れるまではかなりの時間を要するから意識して見ればちゃんと分かると思うよ。情報屋にでも聞けば一発さ』」
「なるほどな。分かったけどそのしたり顔はやめろ。この国には情報屋なんて便利な物はないんだ。第一そんな噂程度の事…………いや、待てよ」
何か心当たりでもあるのか確かめるようにアンジェラは呟く。
「大姐なら知ってるか? けどあの人、騒がし屋だもんなぁ、あんまり関わらせたくないぜ」
「大姐?」
「そ、チェン大姐。俺がチベットの山奥に修行で行った時に出会った仙人だよ。青少年を誑かす事が趣味のとんでもねーやつだ。最近はこっちに来て誑かした少年をジュブナイル小説的な展開に巻き込んで楽しんでいるって聞いたけど、一体どんな惨事になってるのやら」
取りあえず連絡を取ってみるわ、とアンジェラが電話をかけると挨拶と事情の説明をして相手の反応を見る。会話の調子から察するにどうやら当たりのようだ。通話を終了したアンジェラは二人を見て言う。
「『今から会いに行く』だとさ。どうやら向こうもこの異変に気付いているようだ。手を貸してはくれないだろうが、話くらいは聞けるだろうさ。…………っと」
その時、窓がひとりでに開くと強い風が室内に吹き込んできた。ぐり子がその中でなんとか目を開けていると風が組み合わさりそこから人の姿が現れた。いかにも中華系という服装の少女はぐり子とそう変わらない年のように見えたが、そこには歳月による経験からか飄々とした雰囲気が見受けられた。
「チェン大姐」
「よう、デビッタ。ん? なーんだお前、仙人にならないとか言って尸解仙になったのか。依り代が機械仕掛けとはずいぶん思い切った選択したなぁ、今風ってやつ?」
「俺がどうしようと勝手だろ。それより話を聞かせろよ、チェン」
「ケケケ、恥ずかしがっちゃって。昔みたいに老師って呼んでくれてもいいんだぜ? 自分の事『俺』って呼ぶのも俺の影響だってのにさ。あの頃は可愛かったなぁ、どこに行くにもヒヨコみたいについてきてチェン老師って」
苛立ったようにクッションを投げつけてアンジェラは言う。
「それ以上言うとぶち殺しますよォ老師」
「ケケケケケ、からかいがいのあるヤツだぜ」
ふと視線をのかなに移したチェンは興味深そうに言う。
「へぇ、お前この世界の人間じゃないな。冥府の住人っぽいけど少し違う。しかも最近うろついてるヤツと似たような“気”を持ってる」
「………………」
「『分かるの?』って、おいおい。仙人舐めんなよ。取りあえずこいつら用の探知機は作れなくはないな。ただ…………」
「ただ?」
真剣な表情でチェンは問う。
「お前達はこいつらを見つけてどうするつもりだ?」
困惑した様子でアンジェラは返す。
「何をって…………この事態を引き起こしている原因がそれなら元の世界に送り返すだけだろ。俺達はこっちののかなを取り戻さなくちゃいけないんだからな」
「………………」
「『私も元の世界に帰りたいし』だって」
「ふむ、つまり解決する事自体が目的じゃないってことだな」
当然だとアンジェラは言う。
「そりゃそうだろ。のかなほどの物好きでもなければ命令も無しに事件に突っ込んだりしねぇよ」
「ならそんなお前達に朗報だ。――――この事態、誰も何もしなくともじきに自然に終息する」
「なんだって?」
チェンは一瞬でスーツ姿に着替えるとどこかから取り寄せたスクリーンに説明のためのスライドを映しだし、かけた眼鏡の場所をわざとらしく直した。
「このスライドを見れば分かるだろうが、こいつらの気はこの世界に適応しておらず、領域に浸食するほどでもない。つまり、自浄作用によって消えるかそれとも人間へとなってこの世界に帰化するだろう。そこのお前は体ごと来てるけど、ある程度経てば向こうの引力に耐えられなくなって勝手に反転して元に戻るよ。だから事件に関わろうと思わないのなら時が来るまで適当に観光でもしてな。その方が『安全』だ」
「安全? つまりこの事態に関わると危険って事か?」
「ひゅー、さすが我が弟子、冴えてるぅ」
「茶化すな、チェン。一体どんなヤツが動いているっていうんだ」
とぼけたようにチェンは言う。
「さあね、そこは俺でも分からない。確実に言えるのは同志討ちだって事だ。あいつらはわざわざ別の世界にしてまで殺し合いをしているのさ。仲間割れか、一方的な虐殺か、何にしても気を使っているのか俺達に影響は無い。なら無理に首を突っ込む必要も無く知らぬ存じぬで通せばいいさ」
「………………」
のかなは意思を伝える事もなく、ただチェンの顔を見た。確かに正しいが何かもやもやとするような気がして。のかなは『ブルーマンデー』と同じで特に能力を持たない一般人にすぎない。この仙人は言うまでも無く、アンジェラとかいう超能力少女にも、下手をすれば一般人のぐり子にも負けかねない身体能力しかない。
ならば当然何もせずやり過ごすのが道理だろう。のかなもそう思い、疑う事はなかった。自分は超人ではないのだから、できる事は限られている。勇気と無謀は違う。わざわざ解決する事件に突っ込んで怪我をするのは何の意味も無い行動だ。弱者の考えだと言われても、この中で『幸せ』を見つけていくしかないのだ。
しかし、二人はそうは思っていないようだ。『のかな』なら必ずこの状況で真実を求めようとするだろうと期待しているのだ。例え自分が無力でもどこかから力を持ってきて、必ず成し遂げるだろうと信じている。
それを二人の視線の中から知り、思わずのかなは目を伏せた。止めてくれと叫びたかった。勝手に期待して、勝手に失望する。自分が頼んだわけじゃない。姿形が似ているだけの別人なのに比べられる。自分は誰かのヘタクソな模倣なんかじゃない。責めているわけじゃないのは分かっている。それでも誰かの思いを無駄にしてしまう自分という存在が情けなくてどこにも居られなかった。
「………………」
無言で立ち上がったのかなは顔も上げずに歩き出すと開けた扉を勢いよく閉めて去っていった。その唐突さに二人は首を傾げ、チェンは冷ややかな目で語る。
「読まれたな、馬鹿弟子、小姐」
「どういう事だ、チェン」
「目は口ほどに物を語る。つまりアイツは目で意思を伝えるだけじゃなく、そこから読み取る事もできるんだろうさ。魔眼というよりは一種の精神病だな。言葉による意思伝達の不完全さを悟り、誤解を恐れて何も言えなくなった。相手からの嘘を嫌がった。人間ってヤツは真実だけでやっていけるほど丈夫な物じゃないってのにさ。アイツ、俺と目を一度しか合わせなかったぜ。どうやら自分は平気で読む癖に他人に読まれるのはお嫌いらしい。絶対性格悪いね、ケケケケケ」
「って事は…………しまった!」
焦ったデビッタはテラスに飛び出すとのかなの姿を探した。のかなはすでにぐり子の家の門を抜けて街中へと駆けだしている所だった。ベクトルの力を持つデビッタなら一瞬で追いつけただろうが、彼女をそんな行動に走らせてしまった自分にどんな言葉がかけられるのだろうと悩み、うなだれた。
「クソッ…………! なにやってんだ俺は」
「アンジェラ…………」
自らを叱責するように言葉を吐き出す。
「分かってるんだよ、あいつがこっちのヤツとは違うって。期待をかけたわけじゃない、かけるつもりも無かった。でもここに『のかな』がいたらと無意識に考えていたのは否定できない。『のかな』は無力だが弱いわけじゃない。むしろ俺達に必要な物を補ってくれていた。その力は誰にでもあるものじゃない。それを別人であるあいつに求めるのは誰がどう見ても間違いだっていうのに俺は…………」
ぐり子は難しい表情で語る。
「アンジェラ、自分を責めるのは止めて。私達が間違いを犯したのは分かったわ。でも、今彼女を追いかけなくちゃそれは一生間違いのままよ」
「だけど…………なんて声をかけたらいいんだ? 俺達はあいつという人間を見ようともしなかったんだぞ」
「それでも今は見ようとしている。初めから相手の事を全部知る事なんてできないわ。お互いに傷つきやすい私達は少しずつしか他人を受け入れられないのだから、歩くような早さで段々と根気強く理解していかなくちゃいけない。私は彼女がここを出ていってしまった理由を知りたい。期待されるのが嫌だったのか、それとも他の誰かと重ね合わせられるのが嫌だったのか、それともその両方か。けれど、きっと私達の事が嫌いになったわけじゃないのは確か。真実がどうでも私はそう信じるわ」
「ぐり子…………」
強い意志を秘めた瞳を持つぐり子ものかなと同じただの人間だ。それぞれ背負う物や境遇は違えども、力の近い存在である。それはお互いが理解するための掛け橋となるだろう。しかし、平等の存在であるからこそ、強者よりも傷つけてしまうという事をまだ幼いぐり子は知らなかった。
「はぁはぁ…………」
行く当てもなく走りだしたのかなは見慣れぬ路地裏で立ち止まり壁に寄りかかる。そして己の行動に苦悩する。居たたまれなくなって飛び出したというのはいいが、少し冷静になってみるとそれの何と愚かしい事か。
彼女達に悪気はなく、勝手に見た自分が一人で憤って暴走しただけだ。勝手に期待してそれに応えてくれなければ何も言わずに飛び出す。まるでだだをこねる子どものようではないか。いや、事実子どもであるのだが、それでものかなは自らの行動の浅はかさを嫌悪せずには居られなかった。
(…………読みたくて読んでるわけじゃない。普段ならこんな事は無いはずなのに。やっぱりこの世界はおかしい。光に満ちていて、私に無理矢理情報を流し込んで狂わそうとしてくる。口を開けたらきっと情報の海に溺れてしまうだろう。私に負荷をかけないで欲しい。この世界は私には眩しすぎて、直視なんてできないんだ。帰りたいよ、あの静かで安らぎに満ちた闇の世界に。ぼんやりと光るあの街灯が懐かしい。何も与えてくれないけれど、何も奪い取りはしない。私は何もできないけど、あそこに居るだけで幸せなんだ。そうさ、求めても得られないというのならそれで幸せとするしかないじゃないか)
裏世界ののかなは表とは違い、自己を革命できる機会に恵まれなかったためいじけた性格になってしまっていた。何をやっても上手くいかず、他者に誇れるような物もなく、馬鹿にされる事こそなくとも路傍の石のように扱われる。
独りぼっちだ、孤独だ。この広い世界で誰とも番う事なく、たった一人で無窮の荒野を歩いていかなければならない宿命にある。全ては他者と波長を合わせるつもりが無いが故に、自らの選んだ道の故に。
のかなは考える。巷で騒がれている『友達』とはなんだろうか、と。漫画やアニメで良く見る言葉だ、『友達』とか『仲間』とか。物語の彼らは作家の必然により心の通った仲間を宛がわれる。他の誰かのために自らの命すら投げ出してくれる『友達』。自分にそれは無い。おそらく一生できる事が無いのだろう。誰にも気づかれる事無く、誰にも気にされる事なく、成長して老いて、羊水が腐って死んでいく。
のかなは彼らがうらやましい。自分には手に入らない者を持っているから。だが、それが真に隣人足りえる者なのだとは少しも思っていなかった。彼らは“群れている”だけだ。水面の上っ面のぬるま湯をかけあって底の方にある凍れるような水を隠しているのだ。自らの通う学校のすました顔のクラスメイト達のように。
のかなは考える。真の『友』とは――――そう、真に心を許せる存在というのはきっと尊敬に値する者の事を言うのだろうと。互いに敬意を払い真摯に接するならば、例え憎しみ合い殺しあう仲だったとしてもそれは『友』と呼べるはずなのだ。
だが、おそらくそんな存在には未来永劫巡り合う事は無いだろう。自己を誇れぬ者がまして他者に尊敬されるはずもない。店員に「この商品は出来が悪いですよ、それでも買いますか?」と言われて買う物好きはいない。代わりなどいくらでも居るのだから、似たような誰かを探せばいいだけなのだ。それは模倣するまでもない単純な代替物。血統が優れているわけでもなければ重要人物というわけでもない平凡な人間。雑草、屑石。何者にもなれず、何も為せずに死んでいくのならば一体何の為に生まれてきたというのか。
無いと断定したくはない。だが、例え有るのだとしてものかなでは確認できないのだろう。元より平凡の体現ならば、その視界もまた平凡な物を見る事にしか使えないのだから、美しき真理を知る機会など一生無いのだ。
(戻ろう、彼女達の所へ)
そうしたくは無かったがのかなはそれしか方法が無い事も分かっていた。今から自分は皆と同じように愛想の良い振りをして彼女達の力を借りるのだ。期待されれば耳触りのいいだけの薄っぺらい言葉を返して、失望されれば殊勝にめげて見せるのだ。そうすればあの暗い世界に帰れる。安らぎに満ちていて、草木が喋り、猫が電波を飛ばすような正常な世界に帰れるのだ。
ほんの少しだけの我慢だ。自身に力がない事など自明なのだから、彼女達も無理をさせる事はないだろう。精々荷物持ちとジュース買いくらいだ。そうだ、物事は楽観的に考えるべきだ。自分は平凡な人間でこれからも平凡な日常は続いていくのだから…………。




