第二章 4
翌朝、いつもの癖で目覚まし時計のアラームが鳴る前に止めようとのかなは枕元に手を伸ばすが、今日は休みだった事を思い出してベッドの中に手を戻した。
むにゃむにゃと朝の眠気とベッドの温かさにのかながまどろんでいると目の前に何者かの気配を感じ、寝ぼけた様子で目を開いた。
「んー……。もう少し寝かせてよ、デビッタ…………」
その瞬間、のかなは目の前に広がる能面のような白い顔に驚き、飛び起きた。
「ひやああああああ! いいい、一体なに!?」
反射的にベッドの端まで後ずさったのかなを見た能面はやれやれと頭を振った。
「キミ、久しぶりの再会にその反応はあんまりじゃないかな?」
「はっ? えっ?」
しばらく寝ぼけた頭でのかなは混乱していたが、段々と目が覚めてくるとその白い顔が誰なのかを理解し、その不可解さにまた驚いた。
「そんな………まさかシンプルマン………?」
「It‘s so simple(その通り)」
かつて機械兵と戦っていたのはデビッタとのかなだけではなかった。能見クラウ。俗に『ノミ』と呼ばれ、逆三角形の黒い衣装と絵の具のように白い肌のモノクロを持って『シンプルマン』とも呼ばれていた魔法少女。
機械兵と同じ力場を使う謎の包まれた存在であり、戦いの中で行方不明になったとされていた。
「無事だったんだ。……いや、それよりどうしてここに?」
「機械兵が現れる所に私あり、だ。私には全ての機械兵を破壊する任務があるからな」
それはいつかとまるで同じ台詞だった。どこか別の星からやってきたような事を言う彼女は自分の事を宇宙人なんだと冗談めかして言っていたが、機械兵が宇宙からの侵略機械だと知った今となっては冗談では済みそうになかった。
「あなたは本当に宇宙人だったんだね…………」
「………………」
能見クラウ―――ノミは沈黙した。答えたくなかったからそうしたのか、それともついに正体がばれた事に思う所があったのかは分からない。だがそれは肯定に他ならなかった。
ふぅと息を吐いたノミは観念したように呟く。
「そうだ。しかし隠すつもりはなかった。ただ……そうした方が任務を円滑に進められると思ったからそうしたのだ」
ノミは叱責を甘んじて受け入れるという態度を見せた。元より責める気などないのかなは代わりに質問する。
「機械兵は一体何者なの? あんな力場しか攻撃手段が無くて、魔法少女とはいえ私のパンチ一発で壊せるようなロボットが本当に戦闘用とは思えない。あのロボット達はどういう目的で作られたの?」
重苦しくノミは口を開く。
「それを知ったら戦うのがつらくなるかもしれないぞ」
「………………」
のかなの想像とノミの知る真実に違いはあまりないだろう。それを知る事によって想像を確信に変えるのはそれ相応の責任と覚悟を強いられる事となる。だが、何も知らずに戦うのは人形と変わらないとのかなは真実を知る道を選んだ。
「知らなければ楽なのかもしれないけど、知らなければ何が正しいのかも判断できないと思うんだ。だから教えて欲しい、真実を」
「……いいだろう、キミがそれを望むのなら」
ノミはゆっくりと語り出した。全ての始まりを。
「私達の星はある種の限界が来ていた。星には寿命があるのだ。それは高度に発展した我々の科学力でもどうしようもない事だった。そこで我々は星を捨て宇宙に出る事にした。それにあたって宇宙に人工居住区を作るという案とどこかの星に移り住むという案が出た。後者は人工知能を積んだロボットに未開の惑星をテラフォーミングさせるという物で繁栄に資源が不可欠という面から強く支持された。そのロボットには力場―――正式には宇宙不確定性力量制御操作装置、略称はSIBICUというベクトルの釣り合った状態である“0”を分解しベクトルパワーを抽出できる実質的な永久機関が搭載され、E金属という自己修復可能なパーツで作られたメンテナンスフリーの理想的な惑星開発機械……だった」
「だった?」
「人の作る物に完璧など無い。高度すぎるAIは暴走し、何年かかるか分からないテラフォーミングよりもすでに生物の居る星を侵略した方が早いと気付いたのだ。それは我々の望む事ではなかった。我々は宇宙を漂う難民であっても、侵略者ではないからだ。よって私達が送り込まれた。狂ったロボットを止めるために。それがキミ達と一緒に戦った過去というわけだ」
「目的を果たしたあなたはみんなの元に帰っていったってことなんだね…………」
「そうだ。デビッタや多くの犠牲を払いながらも任務は達成されたはずだった。しかし、今頃になってロボットは再起動し、再び侵略を始めた。その知らせを受けた私は部隊の準備を待っている時間を惜しみ、単独でこの星にやってきた。嫌な予感がしたのだ。もしAIが先の失敗を学習しているのだとしたら、必ず一番の障害となるであろう魔法少女を殲滅しに来るだろうと。私はキミを失いたくなかった。デビッタの時のような思いはもうこりごりなんだ…………」
「ノミ…………」
涙ぐんだノミは顔を覆い、はぁと息を吐くとのかなを軽く抱擁した。
「我が友よ。良かった、キミが生きていてくれて。私がこうして急いできたのも無駄ではなかったというわけだ」
抱擁が少し恥ずかしかったのか、のかなは照れ隠しに頬を掻いた。
「まあ、結構危ない時もあったけどね。スケィラのお陰でなんとかなったよ」
「スケィラ……。デビッタの技術か。我々の科学でも解明できない、謎のパワー……。彼女は死してなお私達を助けてくれるというのか…………! ありがとう、ありがとう」
懺悔するように祈り始めたノミに苦笑したのかなはふとアンジェラが居ない事に気付く。まさか、またどこかに行ってしまったのではないかとのかなは不安になるが扉を開けて中に入ってきたアンジェラを見て、ほっと胸をなでおろす。
「おい、のかな。漫画も飽きたし雑誌でも買ってきてくれないか…………って、おい」
「ん?」
「………………マジかよ」
ノミと視線があったアンジェラは一瞬硬直し、次の瞬間には踵を返して一目散に逃げ出そうとした。しかし、とっさに動いたのかなに後ろから取り押さえられる。
「ちょっとデビッタ! どこ行くのさ!」
「離せ! お前にさえ会うのが気まずかったのにノミに会うなんて死んだ方がマシなレベルだ! あとこんな時にデビッタって呼ぶな! 嫌がらせか!」
「逃げたってどうにもならないでしょ! あなたが話さないんなら私が話すけどそれでいいの? この腰抜けアンジェラ!」
「うるせぇ! ノミはガチだから下手すると殺されかけるんだ! 機械の体だってぶっ壊されるのは怖いんだよ! 手足が自由にならない怖さがお前に分かるか!?」
ぎゃあぎゃあと二人はしばらく言いあっていたが、ノミの放った凍りつくような調子の言葉で静かになる。
「のかな、デビッタと今呼んだのか? そのロボットを」
「あっ、いやその…………」
慌ててごまかそうとするアンジェラを遮ってのかなは言う。
「そうだよ。この機械兵はデビッタの意識と記憶を持っているんだ。なら形は違ってもデビッタと呼べるでしょ?」
「なんだと……?」
それを聞いたノミは凄まじい形相でアンジェラの事を睨みつけた。怒りとも憎しみと悲しみとも言えるような複雑な表情でしばらく黙りこんでいたが、やがて苦しげな表情で絞り出すように言った。
「こんなひどい事があろうか……。これも私の背負った業だというのか…………?」
ノミは目の前の光景から逃げるように目を背け、手を震わせた。明らかな拒絶だった。まるで存在そのものを否定するようにひどい後悔を見せた。
「ノミ…………」
アンジェラは力の無い笑みを浮かべ、震えだした。
「そ、そうだよな。オレは偽物だ。しかもデビッタを殺してなり変わった最低最悪のロボットだ。許されるなんて思っちゃいねぇ………。そうだ、オレは許されちゃいけないんだ…………分かってる。だけど…………だけど!」
「デビッタ!」
のかなを振り払ったアンジェラは一度も振り返る事もなくその場から逃げるように去っていった。のかなは追いかけようとするものの、タイミングを逃し、代わりにノミに訴えかけるように言う。
「どうしてこんな……! 彼女もデビッタなんだよ!?」
「……分かってる!」
「!?」
ノミは悲しげな顔で自分の手を見つめていた。
「でも、認められないんだ。本当にデビッタの事を思っていたから。私は今どんな気持ちだと思う? 自分の代わりに死んだ人間が倒すべき敵の姿で居る私の気持ちは。例えそれが彼女の意思を持っていたとしても人はそんな簡単に割り切れやしないんだ。キミみたいに合理的じゃないんだよ」
「ノミ…………」
のかなにも分かっていた。こうなってしまうかもしれないという事は。世の中には許し認められる人間ばかりではない。人間には感情がある。時に理屈では説明できないそれは深い溝を作る事がある。
まるで先日のことかのように。
(これでいいはずがない。だって二人とも傷ついてるじゃないか。ノミの気持ちも分かる。だけど、このままじゃ一生分かりあえなくなる。そしたらもう取り返しがつかない。後悔しながらこの時の自分の選択を悔やむんだ。そんなの絶対駄目だ。お節介だっていい、憎まれたっていい。このままじゃ終われない。だって二人は……私の友達だから!)
立ちはだかる現実の壁の大きさをのかなは肌で感じる。だが、動かずにはいられない。のかなをここまで生かしてきたのは人と人との絆。
その引力が非力なのかなを今という瞬間まで引っ張り上げてくれた。今度はのかなが引っ張り上げる番だ。受け取った引力を今度は他の誰かのために使うのだ。
顔をあげたのかなは凛として言う。
「ノミ、あなたがこれでいいと言っても私は認められない。デビッタを、いやアンジェラを追いかけるんだ!」
吐き出すようにノミは言う。
「私に彼女を許せというのか! デビッタを殺した彼女を!」
「そうだよ!」
「!?」
あまりの迫力にノミは気押され、押し黙った所にのかなは続ける。
「彼女は仲間だ、同じ敵を倒すために集った者の一人だ。許せないというならそれでもいい。だけど、結論を出すのは戦いの後にして欲しい。チームがこんな状況じゃ勝てるものも勝てなくなる。あなたの使命はロボットの暴走を止める事だったはず。感情で使命を見失うな! 能見クラウ!」
「!!」
ノミはのかなを合理的だと言った。そんなのかながありきたりな感情論を持ち出してもノミを動かす事は出来なかっただろう。
故にのかなは理屈を貫いた。感情をすり合わせるのは難しくとも、理屈は理屈で動かせる。その事を今までの経験からのかなは理解していた。
「のかな、キミは…………!」
しばらく茫然としていたノミは一杯食わされた事を知って、ふぅとため息をついた。
「……相変わらず正しい事しか言わないのだな。キミはまるで変わっていない。しかし、相手が人間である以上、絶対的な正しさなど存在しない。それを知って私を導こうというならばそれはキミのエゴだ。自分以外の意見を認めない独裁者の考え方だ」
だが、とノミは続ける。
「……それでもキミの意見に惹かれてしまうのはなぜか。キミからは人と人とを繋ぐ“引力”を感じるような気がする。おそらくそのせいだろう。私の心がこんなにも痛いのは。怒りや悲しみを忘れて許してしまいたくなってしまうのは」
「…………ノミ」
ノミは完全に納得したわけではなかったが、言い負かされてしまった以上ある程度のかなに従うしかないという態度を見せた。
「デビッタの意思を持つロボット……確かアンジェラだったか。彼女を追いかけよう。彼女の力は私達に必要だ」
「ノミ…………」
「勘違いはしないでくれ。デビッタを殺したという彼女を私は怨んでいる事には変わりない。彼女をそんな風にしてしまった自分への憤りもある。しかし、それ以前に私達は同志だ。仲間は大切にしなければならない。フォアザチーム。誰だって分かる、It‘s so simple(簡単な事だ)」
にこりともせず言ったノミはアンジェラを探すために歩き出した。のかなもその後を追ってついていく。
「のかな、アンジェラがどこに行くか見当がつくか?」
「多分あそこだと思う。……そこしか行くところがないだろうから」
「よし、なら飛ぶぞ」
「うん」
魔法少女に変身したのかなと力場を展開したノミは屋根を伝ってアンジェラの居ると思われる場所に向かう。それはのかなの友人である鐘紡ぐり子の家だ。昨夜派手に壊されていた部分はすでにめろんの手によって完璧に修復されている。
力場の迷彩があるせいか姿は確認できないものの、アンジェラの識別信号はその屋根の上から発せられていた。
そこに降り立ったのかなは反応を元にアンジェラに話しかけようとするが、先にアンジェラの方が口を開いた。
「……ぐり子は忘れちまったみたいなんだ、オレの事を」
膝を抱えたままアンジェラはうつむいていた。
「どんな罰でも受けるって思ってたんだ。でも、こんなのあんまりじゃねぇか。アイツは忘れて、オレだけが覚えてるなんて。辛い、辛すぎるよ。帰れる場所があると思うからこそなおそう感じるんだ。デビッタでもなく、アンジェラでもないというならばオレは一体どうすればいんだ。オレは……オレは一体どうして生まれてきてしまったのだろう」
「アンジェラ…………」
顔も見えず機械が涙を流すはずがないと分かっているのに、のかなはまるでアンジェラが泣いているかのように感じた。
のかなはアンジェラが帰る場所にはなれない。その中にデビッタを見てしまうからだ。頭では別物だと分かっていても、のかなの中では同一の物と判断してしまっている。それではアンジェラがデビッタの場所を奪っているだけで帰るべき場所にはならない。
アンジェラが真に安らぎを得るためにはデビッタを知らない人物の手を借りるしかない。現在を知ってから過去を知らなくてはならない。そうしなければ本物になれない。そうでなければデビッタの皮を被った偽物のままだ。
そんなアンジェラを救ったのはぐり子だった。彼女はアンジェラをまるで恐れず、大いなる慈愛を持って受け入れた。だが、その救いも束の間の物に過ぎず、記憶の喪失という残酷な現実を持って失われる事となってしまった。
もうアンジェラが帰る場所はどこにもないのだろう。誰も彼女の孤独を癒すことはできないのだろう。すでに彼女は終点。死という暗闇の中に囚われているのだから。
「……なあ、のかな。スイッチを切ってくれないか? 自分じゃできないんだ。オレはもう疲れたんだよ、ただ動いているだけの意味の無い生に。苦しいのや悲しいのはもうたくさんなんだ……頼むよ」
「………………」
生きろ、という一言をのかなは言う事ができなかった。アンジェラの悩みの大きさは自分ではどうにもできないほど強大だと分かったからだ。
それに深い闇を抱える相手に対し安易な励ましは逆効果だ。最終手段としてサニティシステムにより精神を安定させる事も考えられたが、それこそアンジェラの言う『意味の無い生』そのものだ。
救いたいという気持ちが無いわけではない。ただそれが本当に正しい事なのかとのかなは思い悩む。かつてパウラは『救えばいい』と言ったが、今ののかなの精神は重苦しい雲が上空を覆うかのように少したりとも肯定の気持ちが湧いてこなかった。
エゴを突き通せる程強い気持ちを持つわけでもなく、かと言って簡単に割り切れるわけでもないのかなは良く悪くも普通の人間であった。
(希望を失ったアンジェラに生きていて欲しいと思うのは私のわがままかもしれない。でも、ここで死なせてしまったら私はもっと後悔すると思う)
のかなが誰かを救おうとする時にこれほど気分が重く、苦しい事は無かった。あまりの気分の悪さに吐いてしまいそうだった。誰かの意思をねじ曲げて、自分のためだけに生かすという事がこれほどまで良心を咎めるものなのかと気持ちが折れそうになる。
だが、ここで負けてはいられない。この先もずっとこの苦しみは続いていくのだ。人を生かすという事はそれほどの覚悟が必要なのだから。
「…………! …………!」
(……あれ?)
のかなは自分の声が出ない事に気付く。あまりの精神負荷のために持病の吃音が再発したのだ。心からの言葉で伝えなければならない場面でそれはあまりに致命的だった。
(声が出ない……! アンジェラに言わなくちゃいけない事があるのに……!)
焦れば焦るほどのかなの頭は白くなっていき、何も考えられなくなっていく。それはあがけばあがくほど深みに嵌まっていく底無し沼のようにのかなの精神力と気力を奪い去る。
やがてアンジェラは残念そうに呟いた。
「……その役目はお前には酷だったみたいだな。できればお前に殺してもらいたかったけど、自分の始末くらい自分でつける事にするよ」
(ち、違う! 違うの! 私の伝えたい事はそんな事じゃないのに……!)
どんなに声を出そうとしても、のかなの口はぱくぱくと鯉のように動くだけで意味のある音を紡がない。立ち上がったアンジェラはどこかに向かって飛び立とうとする。それに向かってのかなは必死に手を伸ばすが、その手は何も掴めず空を掻いた。
(アンジェラ!)
絶望のあまりのかなは目をつぶった。そうすれば嫌な物を全て無くせるかのように。だが、どうにもならない事を理解していたのかなの瞼は諦めたようにゆっくりと開かれた。
(…………え?)
のかなの目の前に誰かの背中があった。それは自分と同じくらいの小さな物であったが、誰かの思いを背負えるほどには広かった。
彼女は飛び立とうとしたアンジェラの手を引いて地面に引き戻す。
「どこに行こうというのだ。お前は私が殺すのだぞ」
「ノミ…………?」
仮面のような白い顔でノミは言う。
「お前はデビッタを殺した。だからその復讐として私が殺す、逃がしはしない」
「そうか、なら一思いにやってくれよ。オレとしてもその方がいい」
「もちろんそのつもりだとも。だが、それは今ではない。お前は共に機械兵を倒す仲間だ。仲間である内は殺せない。それが例えデビッタの仇であろうともだ」
アンジェラは信じられないという表情をする。
「オレを……生かそうっていうのか?」
「結果的にはそうなるか。だが所詮執行猶予だ、楽には死なせない。最後の最後まで足掻いて、苦しんで抗って、何もかも絞り出して懸命に生きろ! それがお前に出来るデビッタへの償いだ!」
「お前…………」
ノミの白い肌にとめどなく透明な滴が流れていた。感情を捨てなければならないエージェントが見せた人間らしさだった。自分のためにデビッタが死んだという事にどれほどの葛藤を抱えて今まで生きて来たのだろう。
そして、デビッタをこんな姿にしてしまった自分をどれほど後悔したのだろう。魂から響くようなその必死の訴えは深い闇に沈んでいたアンジェラの心を動かした。
「……そうだよな。せっかくの仇がこんなにしょげてちゃ、復讐したって気が晴れねぇ。反省なんかこれっぽっちも必要ない。オレに必要なのは憎たらしさだ。そういう事だよなぁ!」
アンジェラは宣言するように言った。
「いいか! オレは今からデビッタだ。アイツからせっかくこの場所を奪ったんだ。とことん利用してやる。お前らの目に焼き付けておけ、オレがどれほどオリジナルに及ばず、醜い存在であったという事を。よく覚えておくんだ。オレがデビッタの足元にも及ばない薄汚い偽物であったという事を!」
「デビッタ……!」
のかなはいつの間にか声が出るようになった事に気付く。同時に胸にのしかかっていた重い気持ちも消えていた。
アンジェラのそれが空元気であるという事は誰の目にも明らかだった。それでものかなは嬉しかったのだ。一時的とはいえ、本物のデビッタが帰って来たという事が。
「のかな、遊んでいる暇はないぜ。機械兵の侵略作戦はもうかなりの所まで進んでるんだろ? そうでなきゃノミが急いでくる理由はない。そうだろ?」
涙をぬぐったノミはこくりと頷く。
「そうだ。一度魔法少女達と戦闘した機械兵達はそれを圧倒できる物量を持って再び襲い来るだろう。もう一刻の猶予もない。今すぐに魔法少女達を集め、戦争の準備をしなければならない」
「戦争…………」
ノミのその言葉はこれが単なる戦闘では済まない事を物語っていた。文字通りの生存戦争なのだ、地球に住む生物が滅びるかどうかの。
のかなはアルトに通信を入れ、今の状況を説明して魔法少女達に呼びかけてもらう事にする。その後めろんとことかの二人にも連絡を入れ、パウラへの説明も考えマリーの世界にて合流する事となった。
マリーの世界のゲート管理者へ申請したのかなは虚空に開かれた裂け目のようなゲートを通り、その世界へと入っていった。
今回は急を要するためかいつもの花畑ではなく、城の前に転送されたようだ。門をくぐり、城の中へと入っていったのかな達は書類の山とにらめっこしているパウラに出会う。
「おっ、のかな。……って後ろのヤツは先日の機械兵じゃねぇか! どうしてここに!?」
銃型のマテリアルドライブを展開して今にも撃とうとするパウラにのかなは慌てて説明する。
「だ、大丈夫だよ! 仲間だから!」
「なかまぁ? マジかよ……お前ってやつはなんでも味方につけちまうんだな」
あまりの見境の無さに少し呆れた様子のパウラはマテリアルドライブをしまい、隣のノミを見る。
「そっちは誰だ? 見た目のインパクトが凄いからどっかで見たような気がするんだけど、名前が出てこないな……。確か……し、し、シングルマンだっけ?」
「シンプルマンだ。パウラ=マッカートニー」
とぼけた様子でパウラは言う。
「あー、そうだった、そうだった。……で、シンプルマン、話があるんだろう? 茶でも出すかい?」
「お気遣いなく。それよりここに居る魔法少女達に一刻も早く戦闘の準備を整えるよう通達してくれ。下手すると機械兵達が来るのは今日なのかもしれないのでな」
ぴくっ、とパウラの眉が動き、表情が鋭くなる。
「……ほぅ、そいつは大変だ。すぐに伝えさせてもらう」
事態の緊急性に気付いたパウラは目を閉じ、こめかみに指を当てて何かを念じ始めた。それはほとんど一瞬にすぎなかったが、それだけで用事は全て済んだようだ。
「ネットワーク全域に緊急速報として流した。一回襲われた事である程度の準備はしてある。一、二時間もあれば態勢は整うだろう」
「そうか。なら、その間に話をさせてもらおう。機械兵や私がどういう存在であるという事かを。……ちょうど人も揃ったようなのでな」
がちゃ、とドアを開けて誰かが入ってくる。それは望夜めろんだ。しかし、そこにあるべきはずの道下ことかの姿はどこにもない。
代わりにめろんがその理由を説明する。
「ことかちゃんはダウンしてるって。無理もないかな、かなり無茶してたみたいだし。むしろそれくらいで済んで良かったって所だね」
ぐり子の屋敷での戦いからまだ一日も経っていないのだ、ことかの消耗具合を考えれば数日程寝込んでもおかしくない。ただ、機械兵との戦いが近い今の状況でことかが居ないというのは大きな痛手だった。
「居ないヤツの事を悔やんでも仕方ない。それより話を始めてくれよ、シンプルマン。時間がないんだろ?」
「ああ」
こくりと頷いたノミはのかなに語った時と同じように機械兵の正体と自分の素姓を話した。全てを聞き終えたパウラは難しい表情で言葉を探していたが、やがて大きくため息をついた。
「全く迷惑な話だぜ。要するにお前らの尻拭いって事じゃねぇか。こちとら死人すら出てるのに保障も何も無しかよ」
ノミは申し訳なさそうに顔を伏せる。
「すまない。だが、私達は星を無くした難民だ。対処するだけの人員を送るだけで精いっぱいだった。差し出せる物と言えばこの命くらいなものだ。どうかそれで許してほしい」
「命、ねぇ…………」
つまらなそうな顔で頭を掻いたパウラはまた大きくため息を吐く。
「シンプルマン、あたしはコピーなんだ、そのあたしに言わせてみれば命なんて何の価値もない。知っているか? あたしの体は十数万あれば同じ物が作れるんだ。その体に記憶のデータをインプットすればあたしが一体出来上がりってな。命なんて安いもんだ。そんなもんで許してもらおうなんて甘いんだよ」
「しかし、私は…………」
パウラは言葉を遮って言う。
「命の形に意味はない。大事なのは精神に宿る物だ。安易に命を差し出すなんて言うんじゃねぇよ。それはお前のチップだ。勝負せずに出していいもんじゃない。命ってのはな、自分で払うもんじゃないんだ。賭けている内にいつの間にか無くなっちまうもんなんだ。自分から払うヤツは勝負師としては二流だ。逃げるなよ、現実から」
「………………!」
ノミは命を捨てる覚悟などここでは何の意味も無い事を理解した。いや、思い出したというべきか。パウラの時代は地獄のような凄まじい世界だった。そこを生き抜いた魔法少女は常に命がけで戦ってきたのだ、命をかける覚悟など当たり前にすぎないのだ。
しかし、それはノミも同じだ。のかな達と共にその時代を戦ってきたのだから。
形式的な言葉など何の意味もないと思ったノミは表面的な謝罪を取り払い、戦闘時のように白い能面のような強い表情を取った。
「ほぅ……。そうこなくっちゃな。マイナスをゼロどころかプラスにしてやろうっていう気概を感じるぜ」
「それくらいの覚悟がなければ遠路遥々この星まで来ていない。私は地球を守るために来たのではない、全てを取り返すためにここに居るのだ」
にっ、とパウラは不敵な笑みを浮かべた。
「面白い、聞かせろよ。お前がどれだけの人間に迷惑をかけ、その欲望を満たそうとしているのかをな」
「元よりそのつもりだ」
ノミがマリーの世界に来たのはただ事情を説明するためだけではなかった。いくら魔法少女が強力であろうとも、機械兵の物量の前では被害は免れない。正面から戦えば大勢の死者が出るだろう。過去の戦いで友を失ったノミは誰一人として犠牲を出したくは無かった。
だからノミは考えた、いかに犠牲なく機械兵を倒す事ができるかを。
「陽動作戦?」
のかなの言葉にノミはこくりと頷く。
「そうだ。囮の魔法少女達には守り重視で戦ってもらう。その間に特攻部隊が敵本拠地に奇襲をかけ、マザーコンピュータを破壊する。機械兵はマザーからの指令で動く。その信号を止めれば機能を停止するはずだ」
「特攻部隊は人数を多くできないと思うから、突破力を考えたら私が行くべきかな?」
「そうだな……。大砲娘なら十二分だ。その火力があれば一瞬で片がつくかもしれないし、そしたら囮の負担も軽くなるだろうぜ」
「うん、めろんちゃんならきっとできるよ」
当然のように思えためろんの採用をノミは否定する。
「駄目だ。キミを部隊に入れるわけにはいかない」
「やっぱり囮の方が向いてるって事?」
「見たところキミは対集団を得意としているようだ。確かにそうとも言えるだろう。だが、理由は別にあるのだ」
「別の理由?」
ノミは神妙な顔で言う。
「特攻部隊の者は放射線などのさまざまな宇宙線のシャワーに耐え、真空をもろともせず、極寒の冷気をいともせず、最悪の場合単騎で大気圏突入ができる存在でなければならない」
それを聞いたのかなは慌てた様子で聞き返す。
「た、大気圏突入!? 待ってよ、それじゃまるで宇宙に行くみたいじゃないか」
ノミは表情を変えずに告げる。
「”まるで“じゃない。行くのだ、のかな。敵の本拠地は月にあるのだから」
「月…………」
信じられない話ではあったが、あり得なくはなかった。もし、地球に機械兵の基地があるとするならばこれほど痕跡を残さずに軍隊を強化するなどできるはずがないからだ。今まで地球上で戦ってきたのかなにとって宇宙はまさに盲点だった。
「私の宇宙船は一人用だが、なんとかあと二人くらいはいけるだろう。逆にいえば特攻部隊は私を含めた三人のチームになるという事だ」
「三人か……。宇宙空間を素で耐えられるのはベルテルス化した外道女と強化状態のマリーくらいだろうから、きついな。あいつやマリーなら実力も十分だってのにどうしてここに居ないんだよ…………くそっ!」
「宇宙かぁ…………。一応バリアでなんとかなると思うけど、逆にバリアがなくちゃ生きていられないからなぁ…………。私でもちょっと荷が重いかも」
「うーん…………難しいね」
三人は予想外の難題に頭を悩ませる。だが、アンジェラとノミは違うようだった。まるでこうなる事が当たり前だと知っているような表情で二人は顔を見合わせると頷いた。
そして今まで黙りこんでいたアンジェラが言葉を発する。
「のかな、お前はどうだ?」
「え?」
「お前は不死炎の適応能力のおかげで宇宙空間に耐えられるし、大気圏突入もできる。攻撃力に不安は残るがスケィラがあれば機械兵くらいは壊せる。今の状況ならお前が適任だとオレは思う」
予想外の台詞にのかなは慌てて否定する。
「そ、そんな無茶だよ。私なんてこの中の誰よりも弱いし、魔力も少ないから長く戦えない。それに…………なにより私は特攻部隊には相応しくない人間だと思うんだ」
「何故だ?」
「だって、本拠地を潰せなかったら多くの被害が出るんでしょ? それは特攻部隊の人がみんなの命を預かるってことじゃないか。私は見て分かる通りの落ちこぼれで、何の取り柄もないし、みんなの足手まといな気がするし、こんな私がみんなの命を預かっていいはずがないよ」
「のかな…………」
恐れてしまうのも無理もない事だ。今までのかなが誰かの命を預かった事がなかったわけではない。だが、それはあくまで数人程度、多くて数十人で今のように大規模ではなかった。
のかなが負けたからといって地球が滅びてしまうわけではないが、それでも凄まじい規模の被害が出るだろう。
最初から負ける事を考えてはいけないとのかなも分かってはいるものの、ジャネットを失った時の心の傷がまだ癒えていないのだ。誰かの命を守り切れなかった後悔と恐怖がのかなの心を支配している。
「無理だよ……できるはずがないよ…………」
諦めよりも悔しさがのかなからにじみ出ていた。自分の及ばなさが悔しくて、顔を伏せて行き場の無い怒りに拳を震わせる事しかできなかった。
「のかな」
アンジェラは淡々と言う。
「そんな事は誰だって分かってる。お前が落ちこぼれで何の取り柄も無いギーク女だってのはな。それを承知でお前に言ってるんだ。宇宙に行けと」
分からないとのかなは言う。
「どうしてそんなに信じられるの? 私ですら不安なのに…………」
「それはお前がお前だからだ。どんなに実力がなくても、どんなにピンチでも最後にはなんとかしてくれる。そんなツキを持った人間だからオレはお前を信じているんだ」
「デビッタ…………」
訳の分からない無茶苦茶な信頼だった。しかし、のかなはなんとなくデビッタらしいような気もしていた。意味のないジンクスを大事にして、判で押されたように守り通す。そんな強情な人間がデビッタなのだ。
そのデビッタが連れていくと言ったら何が何でもそうするのだ。嵐のような勢いにのかなが逆らえた事は無い。むしろ連れて行ってもらいたいとすらのかなは思っていた。弱気な自分を吹き飛ばして、新しい世界に連れて行ってくれるデビッタがのかなは好きだった。
弱気を追い出すように大きく深呼吸をしたのかなは困った顔で皆に問う。
「私で……本当にいいのかな? もっと適任が居ると思うけど」
やれやれとパウラは肩をすくめた。
「ツキなら確かに仕方ない。あたしが出会った中でこれほどツキを持ったヤツはマリーくらいなもんだ。いや、もしかしたらそれ以上かもしれねぇ。だってマリーに勝ったんだもんな。お前は凄いヤツだ、自信持てよ」
「でもそれほど運は良くないよ。くじ引きで当たった事無いし…………」
にこっとめろんは邪気の無く笑う。
「私は運が良い方かな? だってのかなちゃんと友達になれたもん。私はのかなちゃんでいいと思うよ、それならどんな結果が待ち受けていても後悔しないと思うから」
「めろんちゃん…………」
ノミは当り前のように言う。
「のかな、分かっただろう。キミは十分資格のある人間だ。これだけ慕われているのだからな。それでもまだできないというのか?」
「………………」
じっと自分の手を見つめていたのかなはそれを固く握り締め、顔をあげて皆を見た。
「…………分かったよ。こんな私がどこまで出来るかは分からないけど、それでもやれるだけやってみる。ここに私が居るのは多分そのためだから」
決意したのかなにもう迷いは存在しなかった。自分が恐怖に負けそうになっても支えてくれる仲間が居る。一人で戦っているのではないと信じられる。
特攻部隊のメンバーが決まった後は立体通信によるアルトを含めた相談で囮となる魔法少女達の動きを決めた。彼女たちが敵の本隊を惹きつけている内に特攻部隊が敵本拠地に乗り込むのだ。ノミの予想では作戦の決行は早くとも今日の夜、遅くとも三日以内になるという。
作戦会議が終わり、自由行動となったのかなは関西の方に行くというノミとアンジェラと別れ、少しでも強くなるためにめろんとスケィラの練習をする。
(今度は誰も見捨てない。そのために今ここに居るんだ)
☆
「っ…………」
鐘紡ぐり子が目を覚ました時、軽い頭痛に加え吐き気と言いようの無い気持ち悪さがあった。そして何故そんな事になったのかを思い出そうとしても記憶にぽっかりと穴が空いていて何も分からない。
頭を押さえながら置きあがり部屋を見渡すと、ぐり子は何かが足りないような喪失感に襲われた。その正体は分からないもののとても大切な物を失ってしまったかのように悲しく、しばらくの間ぐり子は茫然と部屋の中を眺めていた。
(一体どうしたのかしら…………。訳も無く悲しいだなんて…………)
こうしていても仕方ないとぐり子が着替えをしようとすると突然窓が開いた。鍵がかかっているはずのそれがどうして開いたのかを不思議に思う間もなく、そこに立つ奇妙なロボットにぐり子は目を奪われた。
「あなたは一体…………?」
何かの光景がフラッシュバックし、その痛みにぐり子は頭を押さえてうずくまる。そうしている内にそのロボットは姿を消していた。
(なんだったのかしら……今のは…………)
寝ぼけた頭が見せた錯覚なのかとぐり子は首を傾げるが、空いている窓だけがそれが現実であった事を物語っていた。
昼を過ぎて少しするとぐり子の家にるいがやってきた。元気が取り柄のるいにしては珍しく調子が悪いようで部屋に入ってくるなりソファーに倒れ込んだ。
「ふぃー……」
「元気が無いなんて珍しいわね。悪い物でも食べたの?」
自信なさげにるいは言う。
「うーん、どうだろ。なんか昨日までの記憶が曖昧でさー、古いのはしっかり思い出せるのに新しいのになればなるほど思い出せないんだ。今朝は頭痛や吐き気がしてさ、お酒も飲んでないはずなのに二日酔いでもしたのかなぁ?」
ぐり子は驚いた顔で言う。
「るいもなの?」
「えっ? ぐり子も?」
二人はこの奇妙な偶然にしばらくの間硬直した。自分達の中で大切な何かが失われているような感覚は段々と強くなり、それは取り戻さなければならないという焦燥感を生む。
やがて二人は根拠も無いというのに、この違和感が偶然ではない事を確信した。
「何かがおかしいわ。昨日と何も変わって無いはずなのに凄く大切な事を忘れているような気がするの」
「私もだ。憧れていたヒーローに会ったような気がするのに、何も思い出せないんだ。無理に思い出そうとすると何かとんでもない化け物の姿が頭の中をよぎって体が震えるんだ」
顔を見合わせた二人はまるで打ち合わせたように立ち上がり、辺りを物色し始めた。
「るいはそっちを探して! 私の事だから妙な体験をしたら何かメモを残しているはずだわ。その痕跡を見つけるの!」
「オーケー! 面白い物を見つけるのは大得意だよ!」
どうしてこんな行動に至ったのかは分からない。そこに手掛かりがあるなど記憶の無い今は知るよしもないのに。だが記憶は消えてしまっても確かに残る物はあったのだ。失われた過去を取り戻そうとする意思、今朝のロボットの正体を確かめたいという思いがぐり子を動かす。
「ん?」
机の近くを探していたるいがその隙間に落ちている何かを見つけた。
「…………ぐり子、ビンゴだ」
それはぐり子によるロボットの観察日記だった。語調はいつもと違う仰々しいものであったものの、筆跡によりそれがぐり子により書かれた物だと分かる。
人と同じように動くロボットの話などとても信じられた物ではなかったが、今朝ロボットに出会っていたぐり子にはそれが嘘だとは思えなかった。
「この日記には昨日何かに襲われそうになって私を呼んだ事が書かれている。昨日、私達に何かがあったと考えるならばこの記憶喪失にも説明がつく」
「けれど、それが分かったとしても記憶は無いのよ。どうやってそのロボット……アンジェラまで行き着くの?」
口に手を当て思考していたるいは神妙な顔で呟いた。
「……魔法少女だ。魔法少女がロボットと繋がっている」
「どういう事……?」
「私の机にあるコルクボードにそんな紙が張り付けてあったんだ、そこに電話番号が記されていた。おそらくそれが手掛かりなんだ。詳しい説明は後だ、今は行動するしかない」
何かを思いついたらしいるいは理由も話さず走り出す。こういう時のるいがまるで何かのスイッチが入ったように超人的な能力を発揮する事をぐり子は知っている。
ぐり子の家の電話の受話器を取り、るいは急ぎながらも正確にボタンを押していく。どこにかけているのかは分からないがるいはなかなか電話の相手が出ない事に苛立っているようであった。
「頼む、かかって! 番号は間違ってはいないはずなんだ!」
「るい…………」
話しかけられないほどの真剣さにぐり子は見守る事しかできなかった。やがて、るいの祈りが通じたのか電話が繋がった。
「『もしもし?』」
やった、と小声でガッツポーズをしたるいは逸る気持ちを抑えながら慎重に言葉を紡ぐ。
「サンハート……さん、だよね?」
「『…………佐下さん?』」
電話の向こうから緊張が伝わってくるのがるいには分かった。本来ならばこの回線はあり得ないものなのだ。なんらかのミスかそれとも偶然によって繋がったものであり、向こうからすればすぐに切ってしまいはずだ。
電話が切られる雰囲気を察知したるいは向こうが驚いている隙に楔の言葉を打ち込んだ。
「昨日はありがとう、サンハートさん。ところであのロボットはどこに行ったの? ぐり子が心配してるんだけど」
平静を装いつつもドクドクと緊張のあまり自分の心臓が早鐘を打つのをるいは感じていた。ここで記憶が無いのを悟られてはいけない。
ばれたら失われた記憶への手掛かりは完全に失われる。逆に記憶さえあると見せかけられれば全ては上手くいく。向こうには化け物からるい達を守れなかったという負い目がある。そこにつけこめるからだ。
一か八かの賭け。るいの受話器を持つ手が汗ばむ。
「『佐下さん、あなた記憶が…………?』」
「ああ、あるよ。昨日は大変だったよ、あんな化け物に襲われるなんてね。巻き込まれた以上、私にも知る権利があるはずでしょ? あのロボットに会わせてくれない?」
迂闊に喋ればぼろがでるかもしれない。だが、喋らなければチャンスは失われてしまう。そのギリギリの綱渡りにるいは凄まじいプレッシャーを感じる。
「『………………』」
長い沈黙があった。受話器の向こうの人物が何を考えているかなどるいには知るよしもない。静寂がまるで自分の嘘を吐きださせようとしているようで、るいは思わず受話器を置いて逃げ出したくなる。それでもじっと耐えた。傍で不安げに見守っているぐり子の希望を消さないために。
(頼む…………っ!)
るいは祈った。そして、その祈りが通じたのか電話の向こうから再び声が聞こえてきた。
「『……分かったよ。おそらく彼女もそれを望んでいるだろうしね』」
その台詞を聞いたるいは安心してほっと胸をなでおろす。だが、続く向こうの言葉を聞き、るいはどきりとした。
「『けど佐下さん、あんなに機械兵を怖がっていたのにどうしたの? もう二度と会いたくないって感じだったのに』」
(……まずい!)
記憶を失った事による明確な齟齬の表れだった。下手に取り繕えば全てが台無しになる。だが、記憶を持たないるいにとって失言を避ける事は不可能に近かった。
(どうする? 気が変わったとでも言う? ……駄目だ、曖昧な答えはかえって不信感を呼ぶ。ここははっきりとした答えを選択しなくちゃいけない。けど、一体どれが正解なんだ? ぐり子のため、文句を言うため、話をするため。……くっ、分からない。分かるはずが無いじゃないか! 私は記憶が無いんだから!)
「『佐下さん?』」
向こうに沈黙が怪しまれ始めている。もはや幾許の猶予も無い。こうなったら当たるも八卦とるいは適当な答えを選択しようとした。
(ええい! ままよ!)
だが、その瞬間、ぐり子が受話器を奪い取った。
(ぐり子!?)
すぅと深呼吸をしたぐり子は落ち着いた様子で話しだす。
「もしもし、サンハートさん。私は鐘紡久利子と申します」
「『鐘紡さん?』」
「サンハートさんはご存知かもしれませんが、ここ最近の記憶がありません。いえ、無くなったというべきでしょうか。昨日の出来事によって」
「ぐり子……一体何を言って……」
顔面蒼白のるいを置いてぐり子は続ける。
「今朝、アンジェラが会いに来てくれました。ですが私は誰だか分からなかった。その事で私は彼女に謝りたいのです」
「『鐘紡さんが悪いわけじゃないよ。守れなかった私が悪いんだ』」
電話の向こうから落ち込んだ声が聞こえてくる。だが、ぐり子はその弱みに付け込もうとは思わなかった。
「誰が悪いというわけではないと思います。私が謝りたかったのは彼女が悲しんでいるように見えたから…………。不思議な話ですよね、機械の表情が人間のように変わるはずがありませんのに」
「『鐘紡さん…………』」
「彼女に……アンジェラに言っておいてくれませんか? いつでも帰ってきていいよ、と。確かに私の記憶はありません。でも、だからと言ってアンジェラが私を嫌いになったわけではないでしょう? 出会いはやり直せばいいんです。私はもう一度彼女に会いたい。会って話がしたいんです。私の日記に書いてあったみたいに無二の親友のように」
話が終息しかけているのがるいには分かったが、もう何も言わなかった。
「『…………うん、分かったよ。彼女にはそう伝えておく。じゃあね』」
ぶっ、と電話が切られ、ぐり子は静かに受話器を置いた。
しばらく間、まるで時が止まったかのように静かだった。るいは自分の交渉を台無しにされ、機嫌悪そうな様子でふてくされていたがぐり子に後悔は無かった。
すでに目的は達せられたのだ。それはアンジェラに会う事ではなく、記憶を取り戻す事でもなく、昨日までのぐり子と同じように落ち込んでいるアンジェラを元気づけることであった。
自分は友人であり、それは記憶を失った今でも変わらない。この事実が伝われば十分だった。
それに、もし会ってしまったらやはり過去との自分との対比があるだろうとぐり子は考えていた。会いたいという気持ちが無いわけではなかったが、会う事はきっと彼女の枷になるだろう。自分が帰る場所であろうとも、彼女の羽を縛りつけてはいけない。
彼女は天使であり、その翼は大空を飛ぶためにあるだろうから。
「ごめんなさい、るい。せっかくあなたが頑張ってくれたのに」
ふっ、と笑ったるいは落ち込んでいるぐり子の背中をぽんと叩いた。
「別にいいよ。ぐり子がそうしたいって思ったら私に止める権利はない。それより気晴らしになんかしようよ。忘れちゃった二人だけでさ」
「るい…………」
ぐり子は落ち込みを吹き飛ばすように笑った。
「……そうね。なにか楽しい事をしましょう。今日は何もかも忘れるくらい馬鹿騒ぎがしたいのよ」
「よっしゃ! そういう事なら任せといて、馬鹿騒ぎは私の得意技さ!」
それからるいは良く喋った、まるでぐり子に考える隙を与えないかのように明るく元気に語り続けた。どんな事があってもすぐにまた笑えるようになるのがるいの強さだった。その底抜けの明るさは暗さを恐れるぐり子の心を照らしだした。
時間はあっと言う間に過ぎ、日が暮れて夜が訪れる。
記憶が無くても昨日の恐怖が体に残っているらしく、ぐり子はがたがたと体を押さえて震えだす。それを見たるいはそっと寄り添い、元気づけた。
(この様子じゃ今日は泊まりかな。ま、明日休みだからいいけど)
ベッドでぐり子が寝静まるのを見たるいはぼんやりと暗い外を眺めていた。星の瞬く空は昨日とは違う安らぎのある色をしていて、るいの中にあった黒への恐怖が幾らかやわらぐような気がした。
(……なんだか眠れないな、胸騒ぎがする)
起き上がり窓を開けてテラスに出たるいは空にある大きな月を見上げた。それは何故かいつもとは違う重圧を感じさせ、るいは恐怖のあまり叫び出しそうになる。
(一体なんなんだ? 何かが始まるのを体が感じている? そんなファンタジー染みた事、あるはずがないじゃないか、馬鹿馬鹿しい)
眠って忘れてしまおう。そうしてるいがテラスを去ろうとした時、闇の中で何かがうごめいた。
はっ、としたるいが振り返るとそこには闇の中で輝く二つの宝石があった。いや、正確には体の黒が迷彩色となって輝く瞳以外が同化していたというべきか。
「君は感じ取っているんだね、彼女達の力の波動を。どうやらかなりの才能の持ち主のようだ」
「お前は…………?」
闇の中から出て来たのは真っ黒で尾が二つあるイタチだった。それが喋っているのだと一切の疑問を持たずに直感的に理解したるいを見て、それは満足げにほほ笑むと親しみのある表情でこう言った。
「僕と契約して魔法少女に会おうよ」




