第二章 2
「ここは…………」
えまの問いかけるような視線に望夜は当然のように答える。
「そ、のかなちゃん家」
「……ならば今日はここいらでお暇しようかね」
「どうして?」
苦虫を噛み潰したようにえまは言った。
「ここには最近性根の腐った悪霊のような女が住み着いてるさね。彼奴と関わるとロクな事にならん。お前様ならその甘言に誑かされたりはしないだろうが、付き合う人間……いや生物を選んだ方がいいだろうね」
「ふーん…………」
望夜は考えるように少し沈黙したが、やがて割り切ったように言った。
「でも、あの世の存在に対抗できるのはのかなちゃんくらいだよ。私は気とか概念とかを扱えるようなびっくり人間じゃないもん」
「それはツッコミ待ちかい?」
「ほぇ? なんで?」
「………………」
望夜のズレた発言を聞き流しながらえまはため息をついて語る。
「とにかく努々(ゆめゆめ)気を付けるんだね。私は例えあの『B』相手にも立ち向かって見せるが、彼奴だけとは会いたくない。あの世がこんな状態で会おうものなら彼奴はきっとにやにやねちねちと女の腐ったように…………」
「誰が女の腐ったヤツじゃと?」
えまは最悪だとでも言いたげに顔をしかめた。
「エリィキッス…………」
二階の窓から顔を出したのかなはまるでコスプレのようにエキゾチックなドレスを身に着け、金のアクセサリーを全身に纏っていた。
「門前で人の悪口を叫ぶとは相変わらずの陰気さじゃな。早うあがれ、それともわらわに責任を追及されるのが恐ろしいか? 地蔵よ」
「…………腐れ外道め」
吐き捨てるように言ったえまは望夜と共にその部屋へと招かれる。扉を開けると建物の構造を無視した広大な空間がそこにはあり、エジプトのようなエキゾチックでムーディな黄金郷が展開されていた。
王座のような威厳ある椅子にふんぞり返っている“のかな”は二人の姿を見ると楽し気に口の端を上げた。
「ようこそ、我が私室へ」
「あなた、誰?」
望夜の質問に不服そうにのかなは言った。
「地蔵から説明を受けておらんのか? ……おい地蔵、職務怠慢じゃろ」
「知らんな。そもそもお前のような外道の存在を認めるわけにはいかないのさね」
「あの世の管理もロクに出来ん奴が何を偉そうに。我が半身は貴様の尻ぬぐいをしてやってるのだぞ、情報伝達くらいスムーズに行え」
「ふん」
そっぽを向いたえまを見てため息をついたのかなは語る。
「望夜よ、お前の察した通り、わらわは『のかな』ではない。名を『NO=エリィキッス』という古代エジプトのファラオじゃ」
「エヌオー?」
「うむ。かつて名乗っていた真名の記憶は既に失われて久しい。NOの名は錬金術士時代のものじゃが、まあ支障は無かろう」
「エジプトのファラオ……って事は外人さんだ。日本語、上手だね!」
サムズアップの望夜に対し反応に困ったようにエリィキッスは呆れた顔をした。
「こやつ……半身の記憶と違って随分と天然が過ぎるような…………」
「そこには目をつぶるんだね。“切れ味”は本物さね」
「お前が目にかけたヤツじゃ、腕は疑ってはおらんよ。ただ、おそらくは戦利品であるあの世の物品をこれ見よがしに腰からぶら下げてるのは品性に欠けるとは思うがな」
望夜は聞く。
「どうしてエリィちゃんはのかなちゃんの体に?」
「わらわの人格はこの体に宿る『不死炎』に備わっておる。ただし、通常時はどんな事があっても表に出る事はない。例え宿主が死んでしまったとしてもな。わらわが出てくる条件はただ一つ、それは『監視塔からの信号が途絶える事』じゃ」
「信号?」
「かつてのわらわは現世と冥界の狭間――黄泉平坂ではないが、に監視塔を作らせた。この世にはそこからの信号が絶えず送られておる。これがなんらかの原因で途切れるとわらわは目覚め、その時の宿主の精神を問題解決のために監視塔へと送り込む。大抵は監視塔の故障とか職員の不注意で済むものだが、今回のように本来想定された事態の場合もある」
「『あの世からの侵略』さね」
エリィキッスは頷く。
「それはどこかの宗教が語るように全ての死者が蘇り、彗星が降り注ぐ程度の生易しいものではないぞ。文字通りの終末じゃ。そもそも世界とは非常に危ういバランスで成り立っているもの、冥界が許容範囲を超えて現世へと浸食すれば世界は形を保っていられずにそこにある全ての物体ごと単なるエネルギー溜まりへと変化してしまうじゃろう」
「それってあの世側もって事? どうしてそんな道連れみたいな事を?」
「お前様も戦って分かっただろうが、あの世の存在は物質というよりもエネルギーに近い。仮に世界が混沌となろうともあの世からすればそこまで違いは無いという事さね」
「本来なら現世と冥界はお互いに干渉する事はできない関係にあるが、どうやら侵略者にはわらわのように世界を越える力を持つ者がおるらしい。そやつが何を目的としているのかはまだ見当もつかんが、世界を破滅させる程度では終わるとは到底思えんな」
「ふーん」
分かったのかどうかも曖昧な返事をすると望夜は話を変えるように言った。
「のかなちゃん居ないみたいだしそろそろ帰ろっか」
「お前様……ここに何をしに来たのか忘れたのかい?」
「え? のかなちゃんに会いに来たんだよね?」
「あの世の刺客への対抗策を求めてここに来たのさね!」
「そうだっけ?」
望夜はとぼけたように斜め上を眺め、それを見たえまは頭痛がするかのように目頭を押さえた。
「ふむ、あの世から狙われておる、か。ならばお前は救世主という事じゃな?」
「一応そういう事になっているみたい」
「救世主はあの世に存在する御使いや悪魔と契約し、その力を使う事ができる。逆に言えばその力が無ければ他の人間と変わらんのじゃ。……もしやその事すら知らんのか?」
「へー、そんな事できるんだ」
エリィキッスは驚愕したように目を見開いた。
「ば、馬鹿な……それすらも知らずに刺客を退けたじゃと? そんなの道理が通らんのじゃ、非科学的じゃ! こやつただの人間ではないな? ……というか地蔵いい加減にせいよ。重要な事これっぽっちも教えておらんではないか! 貴様、マジで只のお地蔵さんか!」
えまはやけになって反論する。
「ええぃ、うるさいうるさいうるさい! 今の私では教える事ができても実践ができんのさね。無駄な情報で混乱させてどうするんだい」
「役立たずが! こやつじゃなかったら何度死んでおるか分からんぞ」
「救世主はこれくらいでは死なんのさね」
「そういう根拠の無い自信が世界を何度も危機に晒してきたのが分からんのか。こんな奴があの世の代表の一人だったと思うとわらわは頭痛がするわ!」
「代表の一人?」
慌てたようにえまはエリィキッスの口を塞ぐ。
「おおおお、おい待て! あまり大きな声でそれを言うな、誰が聞いているか分からないんだ。私がこちら側に加担していると分かれば向こうの私の身が危ない。仮にも現世側に付いているのなら迂闊な発言は自重するさね」
「貴様などおらんでもわらわだけで十分対応できるのじゃが……まあ、よかろう」
望夜に視線を向けたエリィキッスは言う。
「わらわがこの役に立たぬヤツに変わって超常存在を授けてやろう。何か希望はあるか?」
「じゃあ、スーパーゼウス」
「お前様……それは小学生の出すネタじゃないさね…………」
「あいにくとわらわの出生上の都合で呼び出せる神はエジプト系だけじゃ。そこにガチャマシンがあるじゃろう? このコインを使って、神を呼び出すのじゃ」
「リセマラって出来る?」
「うむ。ただし、わらわのエネルギーの都合上、実体化は一枚までじゃ」
「お前様……確かに小学生らしい台詞だが……救世主としては何か間違ってないかい?」
エキゾチックな部屋の中で不自然に存在するガチャマシンへとコインを投入し、排出されたカードを手に取った。
「SSRだね。最高レアリティって事でいいのかな?」
「まあ、レアリティ固定ガチャじゃからな。お主と相性が良いのが自動的に選ばれる仕組みにはなっておる。お主が男ならばカタログから気に入った見た目の半裸の女を選ばせるのじゃが、別に半裸のイケメンなどを貰っても嬉しくはあるまい。この方法が一番じゃろう」
「ところでお前様、カードにはなんと?」
「ん、【アヌビス】だって」
望夜が口にした瞬間、カードから煙が立ち上り、頭の部位が犬の頭部の男が目の前に実体化した。
「『アヌビス』神か。ラーやトトに比べると神としての位は落ちるが、エジプト限定なら間違いなくSSRクラスの存在。どれ、少々対話をしてみるか」
エリィキッスはアヌビスに言う。
「アヌビス神よ。お主も知っての通り、現世と冥界は混乱の最中にある。そこの女は現世に平和をもたらすべく戦う英雄じゃ、どうかその力になってやってはくれんかの?」
「……分かりました、ファラオよ。それで私は何をすればよいのですか?」
「その者の持つサーベルへと宿り、死者を冥界へと返す手助けとなるのじゃ」
するとアヌビスは軽い調子で慌てたように言った。
「ええーっ!? む、無理ですよ! 私、先端恐怖症ですし!」
「なぬ? その顔で何を言うのじゃ!?」
「それに刃物なんかに宿ったら日本のナイル川に入水した挙句、救助されずに放置されちゃうかもしれないじゃないですか、私そんなの嫌ですよ!」
「このたわけ! 日本にナイル川があるか!」
えまは困惑したように呟きを漏らした。
「ど、どうにも顔や体と印象が異なる神さね」
「顔が怖いだけみたいだね」
エリィキッスは苛立ったように言う。
「こやつは外れじゃな。全く役に立たん」
「そんなぁ! 私、お菓子作りとか得意ですよ。ほら、ミイラ作りの時のタール塗りの要領でバターとか塗れますし」
「敵にバターを塗って一体どうするつもりじゃ!?」
「おいしくできます」
「この、くっ、かっ…………!」
手で額を押さえ、怒りにぷるぷると震えていたエリィキッスが不意に「ふっ」とアヌビスに息を吹きかけるとその体は塵となって霧散した。
「はい、次!」
望夜は再度ガチャを回し、カードを取り出す。
「【セト】だって」
「ふむ、『セト』神か。お主にはピッタリの神じゃな」
「どうして?」
「セト神は雷鳴を操る破壊の神じゃからな」
「へー、そうなんだ。でも、どうせなら同じ属性じゃなくて苦手をカバーしてくれる神様が良かったかもね。私、電気耐性あるし」
それを聞いたエリィキッスはにやっと意地の悪い笑みを浮かべた。
「そうじゃな、誰しも一度はそう考えるものじゃ、自らの弱点を補いたいと。さすれば無敵になれるとな。まあ、数々の神話を見れば分かる通り『最強』はあっても『無敵』は無い。強さと弱さは表裏一体じゃからな。お主の内に秘めた暴雨のような破壊衝動を削り取れば、その脆弱な人間の体をわらわのような不老不死の物に変えられるやもしれんが、それはお主の長所を消すことじゃ。欠点など見る必要は無い、長所だけを伸ばせばよい。余りある長所の前に欠点など些細な問題じゃ」
望夜は残念そうに語る。
「うーん……そういうものなんだね。私ものかなちゃんみたいに回復系が使えたらって思ったんだけど…………」
「中々慈悲深き台詞じゃな。破壊者というよりは菩薩のようじゃ」
「私が回復魔法使えたら、倒した相手とまたすぐに戦えるんだけどなぁ」
「すまん、破壊神じゃった」
「お前様、何を食べたらそんなえげつない発想ができるのさね」
「えー?」
とぼけた表情の望夜を見て肩をすくめたエリィキッスは話を変えるように言う。
「では交渉と参るぞ、準備は良いか?」
「うん。オレサマ、オマエ、マルカジリ」
「お前様…………」
カードから出た煙が寄り集まって狼の姿へと変わる。儀礼的な化粧が施されたそれはそこはかとなく高貴な雰囲気を醸し出している。
「セト神よ、この者はお主と同じように戦いを好み、血を求める勇敢な戦士じゃ。これからの戦いに勝つためにもお主の力を貸してはくれまいか?」
「ふーん…………」
セトは望夜を見定めるようにその周囲を回るとやがて元の位置に戻って言った。
「まあ、器量は悪くないわね。でも、ちょっと幼すぎる気がしないでもないけど…………」
「こいつは何を言ってるんだい?」
その時、エリィキッスは何かを思い出したのか気まずそうな顔をした。
「しまった、セト神と言えば……!」
言い終わるよりも早く、セトは望夜に飛び掛かった。
「ふっふっふっ、幼女いただきなのだわぁぁぁぁぁぁぁん!」
「…………」
「はがっ!?」
超人的な反応で望夜はサーベルの柄をセトの口につっかえ棒のようにぶち込む。それを見たエリィキッスはため息をついて言った。
「セト神は“えろす”の神じゃ。男も女も関係ないのじゃ」
「さっきのアヌビス神といい、エジプトの神ってヤツはどうしてまともじゃないヤツしかいないんだい?」
「北欧よりは何千倍もマシじゃ。そもそも神とは不条理や自然現象を例えただけの物。異常性が無いものなどそうはおらん」
「はがはがっ!」
抵抗するセトの足を難なく紐で拘束した望夜は聞く。
「この神様が駄目ならまた引き直しするの?」
「それはお主次第じゃな。まあ、一つ言っておくと、戦いの役に立ってなおかつ性格も良い神などおらんという事だけは心に刻んでおけ」
「ふーん…………」
望夜はセトをじっと眺めるとやがて口を開いた。
「じゃあ、この神様でいいや」
「本気かい? お前様」
「どんな悪癖がある神様だって私の戦いの役に立てばいいよ。それに代償の無い力ほど信じられない物はないからね」
「強気な発言じゃな。一体どれだけの人間がそう言って身を滅ぼしていったものか」
望夜は口の端を上げて笑った。
「こんな短い人間の生の中で一瞬でも輝く機会が与えられるというのにどうしてそれを憂う必要があるの?」
「お前様…………」
えまは呆れたように言った。
「曲りなりにも救世主なのだから、邪悪な顔は禁止さね」
「えー? そんな悪い顔してたかなぁ?」
「してたのじゃ」
「してたわねぇ」
「あっ、こいつ!」
いつの間にか拘束から抜け出していたセトは先ほどの奇行が無かったかのように語る。
「うふふふっ、久しぶりに楽しめそうな人間じゃない。なんて名前なの?」
「望夜」
「じゃあ、よろしくね、モッチー。私は『セト=スピーゲル=ヴィーナス』、一緒に気に入らない物全部ぶっ壊して、気に入った生き物全部と愛し合いましょう」
セトが吸い込まれるようにサーベルへと宿るとそれは威圧するようなオーラを持つ武器へと変わった。オーラは望夜自身の纏う物と反発する事なく混ざり合い、お互いをより強力な物へと高めていく。
望夜は満足げに口を歪めるとえまに言われた事を思い出して茶目っ気っぽく口を押さえた。
「やっぱり、もっと良性の神にしといた方が良かったんじゃないかい?」
「救世主には二種類ある。正義である者、正義でなくとも悪を倒す者。こやつは後者じゃ。本来は善でも悪でもない破壊の化身。しかし、人にとっては都合のよい事に悪しか食べない。お行儀の良い神などでは胃もたれ確実じゃ、付いていけん」
「そういう時は胃腸薬を飲めばいいよ、もぐもぐ」
「お前様、何を食べて…………」
はっ、としたえまが辺りを見渡すとセトが蒸したキャベツを皿に乗せてテーブルに各種ドレッシングと共に出していた。
「吐け! 吐けぇぇぇぇぇ! 神の出したものを迂闊に口にしては駄目さね!」
「キャベツ……ま、まあ、セト神は種無しじゃ、妊娠する事は無いじゃろう」
「エリィキッス! こんな年端もいかない子どもにそんなもん食わせるのは大問題さね! 逮捕物さね!」
「いや、あくまで暗喩的なものじゃし? 一応は本物のキャベツじゃから本人が良ければいいんじゃないかのう?」
「蒸しキャベツって美味しいよね」
「まだまだたくさんあるのだわん、うっ……ふふふふっ」
エリィキッスは話を変えるように言う。
「ところで望夜よ」
「なぁに?」
「お前が救世主としてどのようにこの世界を導いていくのかは知らん。ただ“私”を悲しませるような選択だけはしないでもらえるかの」
「………………」
望夜は視線を一瞬惑わせ、諦めたような笑みで言った。
「のかなちゃんに私の気持ちなんて分からないよ」
「お前様…………」
「ご馳走様」
さっと荷物を取るとそれ以上の言及を避けるかのように望夜はのかなの家を後にした。




