第一章 1
「モグラは太陽を求めて地上を目指すが、それを見た瞬間に目は潰れて光を失う」
三十分前にそうした語り口で映画が始まったのを望夜は覚えていた。稲妻を跳ね返しそうな髪留めをした『最強』の魔法少女である望夜は小学生でありながらすでに複雑な精神構造を獲得していたが、この映画に対する正しい反応が何なのかは分からないでいた。
今、スクリーンを流れている映像は巷で流行っているような分かりやすく親しみやすいものではなく、ただ陰鬱として奇妙で難解だ。
しかし、誘われて見ているからにはこの後に感想でも言い合うのだろう。その為の回答を今の内に用意しておく必要があると思った。
貸し切りの映画館には望夜とこの映画へと誘ってきたジャネット=レオンという青髪ツインテールの無感情系魔法少女しかいない。ジャネットのセンスが変である事は周知の事実であったが、休日の女子二人が見るに相応しいとまではいかなくとも、せめて見るべきではない映画程度の分別はついて欲しいとめろんは思った。
やがて主人公の男が焼身自殺をして映画が終わった事で二人は席を立って外に出た。
「どうだった?」
開口一番それか、と望夜は思ったがすでに回答は用意してあったのでにこりと笑って言葉を返した。
「変な映画だったね」
するとジャネットは「ふふっ」と笑って言った。
「シュールって事だよね。ギャグっぽくって笑えたでしょ」
「…………」
反応に困った望夜を見てくすくすと笑うとジャネットは言う。
「今日、君を誘ったのは別にカルト映画の感想を聞きたかったからじゃないよ」
「じゃあ、なんで?」
じっと望夜を眺めて言う。
「君に必要な事だったから」
「必要?」
「これから大いなる災いがこの世界に訪れるだろう。それをなんとかできるのは君しか居ない。だって君は誰よりも賢く、特別で、最強だからだよ」
「…………」
少し考えて望夜は返した。
「それってプロポーズ?」
ジャネットは曖昧にほほ笑み、答えた。
「かもね」
「お腹がすいちゃった。何か食べに行かない?」
「そう来ると思って高級レストランに予約を取ってあるよ」
すると望夜は納得したように言った。
「やっぱりデートだったんだね」
ジャネットは「ふっ」と笑った。
「かもね」
☆
「はぁ…………」
「どうしたの、ゆりちゃん」
物憂げな顔で机に突っ伏している弱気な顔立ちの長谷川ゆりは望夜の顔を見ると嫌気が指したようにもう一度ため息をついた。
「めろんちゃんはいいよね、頭が良くて。私、最近テストの点数が悪くてこのままじゃお小遣い減らされちゃいそうでさぁ」
「大変だね」
「そう思うなら『アレ』やってくれないかな? 『アレ』やってくれると頭がすっきりしてなんでもできるような気がするんだ」
「………………」
「だめ?」
望夜は猫のように無表情にゆりの事を見ていたが、やがて笑みを浮かべると短く呟いた。
「いいよ」
身をゆだねるように目を閉じたゆりにすっ、と手をかざした。正体の分からない力が望夜より発せられ、思考を侵していく。
「あぁ…………」
ゆりが恍惚とした表情でその堕落に浸っていた時、ぴしゃんと教室のドアが開けられ、肩を怒らせて大人びた少女が入ってきた。
「このダメ人間!」
胸倉を掴まれても陶酔しているゆりを叱りつけると今度は望夜を睨みつけた。
「あんまりゆりを甘やかさないで!」
「………………」
やってきたもう一人が言う。
「今のくみちゃんに何を言っても駄目さね。少し時間を置いた方がいいよ」
「………………」
「帰ろうか、みっちゃん」
日本人形のような着物を着たおかっぱ頭の山田えまの言葉に従い、突き刺さる視線を背中に感じながら、望夜は教室を後にした。
「貧乏くじを引いたね。どちらを選んでも、どちらかに嫌われる運命だった」
「そんな瞬間は誰にだって訪れるものだよ」
えまは妖怪のように「くけけ」と口に袖を当てて不気味に笑った。
「みっちゃんは達観しているさね。だからこそ、今日みたいな事がありながらもゆりちゃんとくみちゃんとも友達で居られるんだろうね」
「あの二人ってそんなに変?」
「そうさね。ゆりちゃんは快楽に弱く、自堕落で、取り柄なんて一つも無い事が分かっているのにそれを変えようとも思わず、ただ他人にすがるだけのダメ人間さ。くみちゃんとくればそんなダメ人間を更生させようとする立派な自分が大好きな歪んだ人間さ」
「辛辣だね」
望夜は淡々と言った。
「でもそれは普通な事だよ」
続けて言う。
「みんな普通な事なの。ゆりちゃんが愚かだって事、くみちゃんが歪んでる事、私がそれを受け入れている事、全部何の変哲もない事だよ」
けど、
「あなたは違う。あなたは普通じゃない。人と同じ時間を生きず、記憶の中に容易く溶け込む。それは甘い毒のように」
「………………」
「あなたは誰?」
えまは面を張り付けたように笑みを絶やさない。代わりに嘯く。
「お前様は『あの世』というものを信じるかえ?」
「時と場合によりけり」
「まあ、どちらでも構わないさ。ともかく私は『あの世』からの使者というわけさね」
「死神って事?」
「そんな大層な物じゃないよ。いうなればそこらに居る地蔵みたいなもんさ。まあ、今あの世はちょいと混乱していてね。あの世を支配する王が現れて、そいつがこの世すら支配しようとしているってわけさ」
「あの世の王」
えまは真剣に語る。
「その名は『B』。無論、本当の名前じゃない。私のように真なる名を知る者が他者に伝えようとすれば、ヤツはたちまち召喚されて救世主たるお前様を殺すだろう」
「救世主かぁ。それってお店で割引効いたりする?」
困惑したようにえまは言う。
「あいにくと即物的なものはねぇ……。あの世でなら色々と融通してあげられるんだけど」
「じゃあ、今は別にいいや。それで私は何をすればいいの?」
「これと言って特別な事は。向こうはお前様を放ってはおかないだろうからね」
望夜は不思議そうに聞いた。
「でも、なんで私が狙われるの? 救世主としての不思議パワーが眠ってるとかそういうもの?」
「それは私には知りようがない。ただ、ヤツはお前様を怖れている。先ほどのように脳波を自在に操る力を持つ特別な存在だからなのか、お前様の言う通りなんらかの力が眠っているのか、はたまた別の理由なのか。ヤツと直接会った時にでも聞いてみればいいさね」
そう言うとえまは分かれ道を望夜とは違う方に歩き出した。
「逢魔が時もここまで。また明日ね、みっちゃん」
「……うん、またね」
えまと別れ、やがて望夜は自分の家に辿り着いた。建ってからそんなにまだ経っていない比較的新しい家なのでまだ新築特有の匂いを感じられる所もある。豪邸というほどではないが、一般的な価値観で言えばかなり大きな家であると言えるだろう。
二階にある自分の部屋に入るとそこでは黒く尾が二つに分かれたイタチが出迎えた。それはテレパシーで人の言葉を飛ばしてくる。
「『おかえり、めろん』」
「ただいま、アルト君」
黒いイタチこと『アルトゥース=ルービンシュタイン』とは望夜の魔法少女としてのパートナーであり、変身デバイスなどの装備を管理、調達してくれるマネージャー的存在である。他人に化ける事ができる能力を持つが、その力が正しく役に立った事は一度も無い。
「『今日は遅かったですね、学校で何かあったんですか?』」
「あ、そうだった。あの世の王様がこの世を支配しようとしてるんだって」
「『……すいません、分かるように説明してもらえますか?』」
あの世からの使者を名乗るえまより聞いた事をアルトに話すと難しい表情で唸りだした。
「『うーん……にわかに信じがたい話ですね。もしあなたじゃなかったら鼻で笑い飛ばしているようなものですよ』」
「でも、えまちゃんが人間じゃないのは確実だよ。信ぴょう性は高いと思うけど」
「『いえ、僕が信じられないのはあなたが救世主だって言う所です』」
きょとんとした顔で望夜は言った。
「えー? そうかなー?」
日ごとの恨みがこもった口調でアルトは語る。
「『そうですよ。救世主というより破壊魔です、疫病神です。毎回僕がどんな苦労をして装備を調達してると思ってるんですか? もっと備品は大切に扱ってくださいよ』」
「はーい」
「『分かってるんだか、分かってないんだか…………』」
はぁ、とため息をついてアルトは言う。
「『あの世の存在についての議論はともかく、なんらかの危機が迫っていることに間違いはないでしょう』」
「しかも私を狙ってくるんだって。大変だよね」
「『どうして他人事なんですか…………』」
ゆるい雰囲気を引き締めるようにアルトは語る。
「『このことは魔法少女仲間であるあの二人にも説明しておきます』」
その二人とは『不死炎』という再生能力を持つ『桑納のかな』と邪神の力を扱う『道下ことか』の事だろう。どちらも望夜が信用している頼りがいのある仲間だ。
「珍しいね、アルト君って巻き込むの好きじゃなかったと思うんだけど」
苦虫を噛み潰したようにアルトは言う。
「『あの人達は黙っていても勝手に巻き込まれてくるでしょう。なら、予め話しておいた方がトラブルも少なくなるというものです』」
「あはは、いえてるー」
「『あなたもですよ。まったく、こんなトラブルを持ってきて…………』」
望夜は当然のように語る。
「特別な人間には特別な義務があるものだよ。昔から言うでしょ? 『カエサルの物はカエサルに、餅は望夜に』」
「『それじゃ食い意地が張ってるだけですよ』」
「お菓子食べていい?」
「『駄目ですよ。夕飯が食べられなくなります』」
「ちぇっ」
台所の冷蔵庫から飲み物を部屋に持ってきた望夜はそれを飲みながら学校の宿題を始めた。特に学校に対して不満を持っていない望夜でも単純作業になりがちな宿題はあまり好きではない。
それをかつてアルトに話した時「めろんも小学生らしいところがあるんですね」とほっこりとした顔をした事を手を動かしながらぼんやりと思い出した。
「ふぅ、おしまい……っと」
大きく伸びをした望夜がアルトを見ると小動物の自身と同じくらいのサイズのタブレットPCを前に難しい顔をしていた。そこに表示されている画像は事件現場のようで風景を見る限りはこの世界の事柄のようだ。
「なに見てるの?」
「『最近、この世界で起こっている奇妙な事件についての記録です。火のないところには煙は立ちません。何かが起こるというのならこういった所にその予兆があるかもしれないですから』」
「ふーん」
望夜が無秩序な記事の羅列を眺めていると、ふと目に留まった単語があった。
「この『同化現象』っていうのは?」
「『それはあるアーティストの歌によって引き起こされたとされる現象ですね。特殊な歌により対象を催眠状態にして、自身をそのアイドルそのものだと錯覚させるといわれています。これだけなら異常ではありますが、奇妙ではありません。しかし、調査員が現場で見たのはそんな生易しいものではありませんでした』」
アルトは続ける。
「『“実験”が行われたとされる場所で調査員が発見したのは大量の肉塊でした。当初は邪教のミサの生贄程度にしか思っていなかったのですが、調査を進める内にそれが『動物だったもの』だと分かったのです。ドロドロに溶けたそれは薬品などの外的要因でそうなったわけではなく、
自ら変化していったということも分かりました。この奇妙な現象が単なる催眠によって引き起こされたと考えるのは不可能です。“魔法”のような超常的な力が関与しているとみて間違いはないでしょう』」
「その“アーティスト”って誰なの?」
「『残念ながら正確には分かっていません。ですが、現場に残っていた音声データからの解析では『鬼道かすみ』なのではないかと言われています』」
鬼道かすみといえば最近流行りの女性歌手だが、年齢や容姿が一切不明で実はユニットの通称だとか機械の合成音声だとかで実在の人物であるとは思われていない都市伝説的なところもある存在だ。
「捜査をかく乱するための偽装だっていう可能性は?」
「『その線も十分考えられるのであくまで予測の一人にすぎません』」
「なるほどねー」
自分で聞いておきながら興味がなくなってきたのか望夜は話を変えた。
「一緒にお風呂入ろうよ」
「………………」
「一緒にお」
「『聞こえてますから』」
アルトは苦々しい表情で言う。
「『何度も言いますが、僕はこんな見た目でも男の子なんですよ。世間体的にまずいですよ』」
「だけどアルト君は女の子にも化けられるよね、どうして気にする必要があるの?」
「『それは…………』」
「アルト君?」
浮かない顔のアルトは淡々と語る。
「『そろそろ話しておいた方がいいのかもしれませんね』」
「何の話?」
「『僕の種族についての話です』」
アルトは少年のような中性的な人型になると語る。
「今更になりますが、僕は人間ではありません。かと言って別に化けイタチというわけでもなくて、生物というよりはデータなどの人工物に近い存在です」
「SFにあるようなナノマシン生物みたいなもの?」
「まあ、大体そんなものです。なので姿はある程度自由に変えられますが、あくまで決められた範囲内であり万能ではありません。僕は見ての通り華奢なのでかつては女性として暮らしていました」
「でも、今は男の子だよね、なんで?」
「それは…………」
言い淀んだアルトは渋々ながら語る。
「スクール時代に襲われたからですよ。相手は曲りなりにも友人でしたから事件沙汰にはしませんでしたが、それをきっかけにして僕は男として暮らしていくことに決めたんです」
「それは辛いね」
「僕自身、相手の気持ちに無頓着過ぎたのもありました。彼……いや彼女は僕の事を見ていたのに、僕は彼女の事を自分と似たような種族だという認識でしかありませんでしたから。その違いが何もかもを狂わせてしまった」
「今、その人はどうしているの?」
「組織内に居ますよ。できればこのわだかまりを解消した後に紹介したい所ではありますが、おそらくそうもいかないでしょう。話を聞いたからには付き合ってもらいますよ、めろん」
「うん、覚えとく」
めろんは言う。
「じゃあ、お風呂行こっか」
アルトは苦言を呈する。
「あのですね……そういう思わせぶりな態度が僕達のような悲劇を生んだんですよ? あなたは何を聞いていたんですか?」
「別に私は誰でもいいわけじゃないよ、アルト君だからだよ。それでも駄目かな?」
「うっ」
顔を赤くしてアルトは俯いた。
「ど、どうしてそういう事を平然と…………。その無邪気さが恐ろしい…………」
「えへへ、それほどでも」
「誉めてませんから」
幼い望夜に恋愛感情などは理解できないし、存在しなかっただろうがそれでも誰かを特別に思う気持ちは確かにあった。アルトもまた、単なるパートナー関係を超える感情があったからこそ二人は上手くいっているのだろう。
それは絆だったが、絆とは束縛であり、必ずしも良い面だけを持つ物ではなかった。二人が信頼と親愛で結ばれた関係であるならば、おそらく別の二人は情欲と愛憎で絆されている。それはまるで光と影のように。
争いは避けられない。だが、望夜はこの穏やかな時間が永遠に続くかのように振る舞った。現実逃避しているのか、それとも己が敵など存在しないと驕っているのか。
答えは思想ではなく、ただ正しき資質によってのみ示される。




