第一章 1
暗かった。とにかく暗い世界だった。じじじという音のする切れかけたむき出しの電球が天井から伸びているだけで他に明かりと言うものはここには無かった。その中央にスーツを着て帽子を深く被った男が居る。
その男は人間の物とはとても思えない毛むくじゃらの顔で口を開いた。
「君はもう戦わなくていい」
それは安心を与えるために発せられた言葉では無く、事実上の決別であった。
桑納のかなはその時から魔法少女ではなくなった。
「待って………ねぇ、どういうことなの!?」
どこかに去っていくその男に手を伸ばすのかな、呼びとめようと口を開くが声が出てこない。焦るのかなに嘲笑うような声が聞こえてくる。
「まともに喋れないのかよ」
「喋ってみろよ、いつもみたいに『ヒックヒック』てな」
「………!」
段々と大きくなっていく声に耐えるようにのかなは耳を塞いでうずくまる。そして震えながら声が止むのを必死に待った。
そんなのかなの前に自分と同じ顔をした魔法少女が現れる。ゴミでも見るような目でのかなを見る彼女はのかなの胸倉をつかむと吐き捨てるように言う。
「お前はいらない子なんだよ」
「………! ………!」
乱暴に突き飛ばされたのかなは暗闇の中をどこまでもどこまでも落ちていき、
目を覚ました。
「はあ…………はあ………!」
嫌な夢と共に小学四年生の桑納のかなの一日は始まりを告げた。汗に濡れた服が肌に張り付いているのが気持ち悪かったが何より自分の声を聞くのが嫌でのかなは口を閉じる。
桑納のかなが満足に喋れなくなってから一体どれほどの月日が経っただろう。それも『吃音』という病気のせいだ。別に緊張しているわけではなく、動揺しているわけでもないのに言葉をはっきりと発音することができない。一つの文を話し終えるまでに六、七回は同じ言葉を繰り返してしまう。
それが嫌でのかなは声を出すことを止めた。以来、意志伝達は手書きのスケッチブックで済ませている。
ベッドから這い出たのかなはタンスを開けて着がえを始める。その際にちらりと視界の端に映るやけに派手な衣装。それはもう二度と着ることは無い魔法少女の衣装。着替えを終えたのかなはそれをじっと眺め、そっとタンスを閉じた。
下に降りていったのかなは食卓に着くと黙々と作り置きの朝食を食べ始める。
両親は朝早くから働きに出ているのでその姿は無い。自然とさびしい気持ちが湧いてくるが喋る必要が無いということに安心している自分が居ることを否定できずのかなは自己嫌悪に陥る。
食事を終えて食器を水に浸して学校に行く準備をしようかと思った最中、二階でガラスが割れるような大きな音がした。
何事かと驚いたのかなはとっさにしまってあった包丁を取り出し、おそるおそる様子を見に行く。二階の部屋を見て回り、どうやらさっき音がしたのは自分の部屋らしいということが分かると、より一層緊張が高まる。
ごくりと思わず唾を飲み込んだのかなは包丁をきゅっと握りしめ、勢いよくドアを開けて中に踏み込んだ。
「うごっ、うごく、うごくなぁ!」
恐怖に震えながら飛び込んだのかなの目に奇妙な物が映る。想像通りタンスをあさっている変質者は確かに居たのだが、それを変質『者』と言っていいのだろうか。少なくとも到底人とは思えない形の存在がそこには居た。
「んしょ、んしょ」
タンスをあさっていたのは人間ではなく、ぬいぐるみのような白い小熊であった。欠かさず毎日ブラッシングをしてもらっているようなふんわりとした毛並みはとても現実とは思えない。全体的は少しデフォルメが入っており、生き物というよりは絵本の世界からそのまま抜けだしてきたような少し間の抜けた感じがした。
不思議な出来事にのかなが茫然としていると小熊は目当ての物が見つかったらしく、のかなの魔法少女の衣装を引っ張りだした。
そして困惑しているのかなに気づくと、おもむろに近付いてきて子どものような高い声で話しかけた。
「お前、魔法少女か? 魔法少女なのかなぁ?」
「ち、ちがっ、ちがうよ」
くりっとした目で無邪気に小熊は語る。
「そんなに慌ててるってことは魔法少女なんだな? ならオレの頼みを聞いてくれ!」
「だかっ、だからちがう! 違うんだって!」
「落ち着け。ラー=ミラ=サンは待っててやる」
「だ、だかららぁ!」
このままでは話が通じないと思ったのかなは机の上に置いてあるスケッチブックとペンを取って素早く言葉を書き綴った。
「『私は病気で上手く喋れないの! だから書いて説明するからね!』」
小熊は無邪気な顔で納得する。
「なるほど、そういうことは早く言え」
喋れないからこうするんだけどなぁ、と苦笑いを漏らしたのかなは次の言葉を書く。
「『あなたは何者なの?』」
「オレはラー=ミラ=サン。魔法少女を育てて食べるために来た」
文字を綴るのかなの手が止まる。身の危険を感じる言葉を聞いてのかなは注意深く聞き返す。
「『食べる? ………どういうこと?』」
「どこかで聞いたんだ。パートナーに見捨てられた魔法少女は死にそうなくらいまずいけど、立派に育て上げればとても美味しくなるって」
どうやら聞き間違いなどではなく、本当の意味でラーと名乗るこの小熊はのかなを食べようとしているようだ。人の都合も考えない勝手な台詞にのかなは憤りを覚えるが、とぼけたような小熊の顔を見ているとその怒りがバカらしく思えてしまう。
食われる気は毛頭無いのかなだが、少しも隠さずあまりに直球な事を言うこのお馬鹿な小熊の事をもっとよく知ってみたいような気がした。
(あっ………!)
ふと時計を見たのかなはかなり時間を取られたことに気づき、急いで仕度をする。それを見た小熊は首を傾げる。
「急にどうしたんだ?」
『学校に遅れちゃう。話は帰ってきてからね』
カバンをひったくるように机から取ったのかなは家から飛び出すように走って行った。一人残された小熊は窓から見えるのかなを見てぽつりと呟いた。
「学校かぁ………」
「おーそーいーぞー、のーかーなぁー」
待ち合わせ場所で待っていた友人である佐下るいが走って来たのかなに呼びかける。左右対称の髪留めが印象的なるいは少々楽観と暴走が過ぎるものの明るくて元気なのかなの良き友人だ。
息を整えながらのかなはあらかじめ書いて置いたスケッチブックのページを見せた。
『ごめん! 色々あって遅くなっちゃった』
その台詞を見て、もう一人の友人である鐘紡ぐり子は心配そうに聞く。
「大丈夫? 一人でつらいのなら私が手伝いに行くけど………」
見る者に大人びた印象を与えるぐり子は少しお節介焼きな所がある。裕福な家の出であり、持てる者の務めを果たすように常々教育されているためかリーダーシップに長け頭が回る。ぐり子もまた、るいと同じくのかなの大切な友人の一人である。
「『大丈夫だよ』」
「ならいいんだけど………」
渋々ながら納得してくれたのを知ってのかなはほっと息を吐く。
鐘紡ぐり子という友人をのかなは苦手としている。どうにも押しが強いというかスキンシップが激しいというか、とにかく世話好きな彼女の事を迷惑に思うことは無いが他人に頼る事が苦手なのかなは戸惑わずにはいられない。昔はそんな事は無かったのだが、魔法少女としての過去がのかなの心を縛っている。
「なにかあったら躊躇わずに言ってね。友達として出来る限りの事はするから」
にこりとのかなは笑った。
『ありがとう』
待ちくたびれた様子のるいが叫ぶ。
「あーもう! 話してないで行こうよ! なんだか知らないけど、遅刻すると何故か私だけが怒られるんだ。二人は何も言われないのにさ」
ずばりとぐり子が言う。
「普段の行いの問題ね」
図星を突かれたるいはごまかすように歩き出した。
「うっ! と、とにかくゴーゴー!」
そんな友人に顔を見合わせて苦笑いをした二人はどんどん一人で先に行ってしまう友人を眺めながらゆっくりと歩き出した。
授業を受けながらぼんやりとのかなは今朝の小熊の事を考えていた。
(一体あれはなんだったんだろう? 邪気を感じなかったからそんなに悪い存在じゃないみたいだったけど、魔法少女を食べるとか言ってたからやっぱり危険な存在なのかな? まあ、私に被害が及ばなければどうでもそれでいいんだけどね)
正直、のかなは魔法少女というものにもうあまり興味を持ってはいなかった。なぜなら魔法というものも現実と同じで自分のような弱い人間には厳しく当たってくると理解したからだ。
自分では頑張っていたつもりなのに吃音で上手く呪文を唱えられないからろくな魔法も使えず、パートナーはそんな自分に見切りをつけて去っていった。
(勝手に期待を持って勝手に失望するなんて本当に自分勝手。魔法少女になる子がみんな凄い魔力や才能を持っているなんていうのはアニメの中だけの話なのに)
昔はよく見ていた魔法少女のアニメも今はあまり見ない。彼女達は自分にはまぶしすぎて、無責任なパートナーたちを見る度に怒りにも似た感情が湧いてくるから。
(育てる………かぁ)
もしこんな自分に伸び代が残っているというのならばもう一度だけ魔法少女をやってみてもいいかなとも思う。
―――たとえその結果として食べられるハメになったとしても。
興味が薄れかけても、未練が無いかと聞かれたらそれは『ある』。誰かのためじゃない、自分自身のために魔法少女になりたい。誰かを助けるのが魔法少女だというならばおそらく自分は間違っているのだろう。それでもこの胸にまだ残る“しこり”のような物を取り除くにはこれ以外に方法は無いと直感的に理解している。
(私は救われたいんだ………ただそれだけなんだ)
何かを得ようというわけではない。心の中にあるこの嫌な気持ちを取りはらって、昔のように純粋な気持ちになりたいだけなのだ。かつてヒーローに憧れていた無邪気な自分に戻りたいだけなのだ。
しかし、魔法というほんの小さな輝きのためだけに自分はたくさんの物を失ってしまった。その失ったものを取り戻すために今度は何を失うのだろう?
自分はもう昔のようには戻れないのかもしれない。だけども、求めずにはいられない。この胸にぽっかりと空いた穴がうずくから。
「なに………あれ?」
(え?)
クラスのざわめきで現実に戻って来たのかなは突如校庭に現れた巨大な化け物の姿に驚き、目の無い蛇のような異形に生徒たちは逃げ惑うのを見る。
(どうしてアレがこんな所に? 戦いは終わったんじゃなかったの?)
窓から見える目の無い蛇のような怪物はかつてのかなが魔法少女だった頃に戦っていた物と瓜二つであった。蛇はその出現条件や目的などが一切分からない謎の存在だ。ただ一つ言える事と言えば、それが人に害を及ぼす存在であるということだろう。
のかなは自分が魔法少女ではなくなってから少しして蛇の発生が止まったというのを噂で聞いていた。実際しばらくは平和だったためそれを信じていた。きっとこれは倒し漏らした一体なのだろう、きっとそうだ。のかなは悪い予感を掻き消すようにそう思い込むことにした。
騒ぎに乗じてそっと教室を抜け出したのかなは化け物の居る校庭に出ようとして突然その足を止めた。
なぜなら目の前にゴミを見るような冷たい目線を送ってくる自分が立ち塞がっていたからだ。
「『どこに行くの? のかな』」
幻覚だというのは分かる。己の戦いへの恐怖心や過去のトラウマが生み出した錯覚。だが、その言葉は自分の心を容赦なく抉ってくる。
「『アンタみたいな落ちこぼれがアレを倒す? ハッ、笑わせてくれるわね。行って何ができるっていうの。別にアンタが行かなくなって誰かが助けに来てくれるわよ。そして邪険にされるだけ。呪文も唱えられない欠陥品の魔法少女なんて誰も必要にしてないってことアンタだって分かっているでしょう?』」
(…………っ!)
のかなの心に段々と絶望が巣くい始める。
「『帰れ、帰れ、帰れ、帰れ。何の役にも立たない欠陥品』」
(やめ………て)
「『帰れ、帰れ、帰れ』」
段々と大きくなっていく声に耐えるように耳を押さえてのかなはその場にうずくまる。鳴りやまない声に震える彼女はただの無力な少女であった。
そんな時、のかなは突然誰かに肩を叩かれ、現実に引き戻される。
「大丈夫か?」
「あ、あなっ、あなたは………」
そこに居たのは今朝の小熊であった。背中のリュックサックを前に持ってくると中に器用に前足を入れ、ごそごそと中から魔法少女の衣装を取り出すとのかなに手渡してきた。
「忘れ物だ。お前は魔法少女なんだからこれを忘れたら駄目なんだぞ」
「『これを届けるために学校に?』」
信じられないという顔をするのかなにあっけらかんとした様子で小熊は言った。
「違うぞ、暇だから遊びに来たんだ。ここならオレの事可愛いって言ってくれる人たくさん居そうだし」
嘘でもいいからのかなのために来たのだと言えばいいのにと、嘘のつけない馬鹿正直な小熊を見たのかなから苦笑が漏れる。
「『可愛いって言われたいんだ』」
「うん。そう言われるとオレ、嬉しい」
「『そっかぁ………』」
小熊の頭を優しくなでたのかなにはすでに幻覚は見えなくなっていた。理由は分からない、だが心は初めて魔法少女を見た時のように温かく体には力が満ち満ちていた。
(ありがとう、クマさん)
立ちあがったのかなは勢いよく着ている服を脱ぎ去ると、のかなは魔法少女の衣装に着替え始めた。
魔力が無いために当たり前の変身もできない、吃音で呪文もろくに唱えられない。それでも彼女は精神的には魔法少女であった。
胸にあるスイッチを押して広域テレパシーを起動、これにより思考をテレパシーとして周囲の相手に送る事ができる。そして印象変化のための偽装装置が自動的に起動する。
この装置は対象の認識に侵蝕し、魔法少女の正体を悟らせない効果がある。さらにおまけ程度にかく乱効果も存在している。
最後に空中に構築された魔法補助用の杖型のマテリアルドライブ『ラヴハート』を取ってのかなは変身を完了した。マテリアルドライブは大気中の魔力を集めて魔法少女に供給する補助機関だ。基本的には杖の形をしているが例外も珍しくないため、魔導杖ではなく魔導装置と呼ばれる。
「『―――じゃあ、行ってきます』」
間抜けな顔と無邪気な声で小熊は答える。
「おー、頑張れよ」
「『うん』」
校庭に飛び出したのかなは地面すれすれを飛行しながら懐から呪文の書かれた紙を取り出して念じる。やがて小さな火の鳥と化したそれをのかなは怪物に向けて飛ばした。
紙に書かれた呪文を放つ魔法は俗にペーパードライブと呼ばれる。魔力の効率がいいのが特徴だが事前準備が面倒な割に効果が薄いため普通の魔法少女は使わない。だが、魔力が異常に少ないのかなにとっては少しでも効率を上げられるそれはとても重要な技法であった。
怪物に直撃した火の鳥はあまり効果を見せないが、生徒たちに向いていた注意をのかなに向けさせることに成功する。だが、それから何をどうすればいいかなどのかなは考えてはいなかった。
取りあえず化け物を現実から隔離するために魔力で作られた並行世界であるパラダイム空間を展開し、人払いをする。効率化されたパラダイム空間の式はのかなでも何回か発動できるレベルまで魔力の消費が少ないがそれでものかなにとっては痛い出費であった。
(何も考えずに出てきたけど………どうしよう? 私の魔力量じゃ時間稼ぎが精一杯。やっぱり時間を稼いで誰かが来るのを待つしか………)
ふとよぎる弱気な考えをのかなは頭を振って掻き消す。
(だめ………そんなんじゃ。誰かが助けてくれるなんて希望を持ったら厳しい現実に絶望するだけ。私一人でなんとかしなくっちゃ………!)
決意したのかなの瞳に力が宿る。
彼女は呪文を唱えることができず、魔力量も少なく特に何かの才能があったというわけではない。しかし、それでも彼女はあらゆる困難を乗り越えてきた。絶え間ない努力とそれに裏付けられた確かな技術を持って敵を打ち砕いてきた。
のかなに特別な才能は無い。しかし、かつて死の淵を何度も潜りぬけてきたのかなの技術はすでに才能と肩を並べるレベルまで向上していた。
(紙魔法が効かないというのなら、サークルドライブに頼るしかない………!)
一般に魔法陣とも呼ばれるサークルドライブは今の魔法少女の装備なら杖で地面を突くだけで作成し発動することができる。しかし、魔力の少ないのかなにそんな芸当ができるはずもない。せいぜい発動分の魔力しかのかなは持っていない。ならばどうやってサークルドライブを発動するか。
のかなは考えた。自動でできないならば手動でやればいいのだと。自らの手で魔法陣を描けばいいのだと。敵の攻撃を避けながら寸分狂わぬ魔法陣を描く。そんな馬鹿げた事をのかなは思い付いた。
常人ならこんな事、思いついてもやるはずがない。だが、のかなはやる。そうしなければ勝てないのだ。現実という壁には、才能という限界には。
低空飛行で怪物の攻撃をかわしながら杖の端で地面を抉っていく。彼女はそこに魔法陣を描く。星の数ほど繰り返した馴染みの行動。どんな攻撃が来ても杖が地面から離れる事は無く、まるで元からそうなるべきであったかのような軌跡で陣は描かれる。時折放たれる火の鳥が怪物の行動を制御しているのだ。それに相手は気づくことはできない、気づくことなどありはしない。そうやってのかなは生き残って来た。相手の気付きは自分の死だ。
「『起動!』」
陣が完成すると共に発動させ、怪物は地獄の業火のごとき勢いの炎によりその身を焼かれる。だが、その程度で倒せるような相手ではない。炎に体を焼かれながらものかなに暴力の塊とも言える腕を振り下ろす。だからのかなは炎で相手の動きが鈍っている内に陣をどんどん拡張していく。すでに相手に気づかれているがそんな事は最早関係ない。
大事なのは敵がどの程度の魔法陣で倒せるかということだけだ。サークルドライブの発動は杖からの魔力供給に依存しているためチャージに時間がかかる。本体の魔力量の問題でのかなの飛行時間の限界が迫っているということを考えれば陣を起動できるのはあと一回が限界だろう。次で決めなければ次のチャージが終了するまで低空飛行でかわすこともできずに敵の攻撃を耐え続けることになる。
のかなは汗ばんだ手でぎゅっと杖を握りこんだ。
「『もう一回起動!』」
チャージが終了すると同時に発動した魔法陣が先ほどの数倍の炎で敵を包む。効いている、だが息の根を止めるにはまだ足りない。
(やっぱりパワー不足………!)
魔力切れを起こした彼女は地面に着地した、と同時に薙ぎ払うような尻尾がのかなに襲い掛かり、大きく吹き飛んだ彼女はパラダイム空間内の校舎に激突する。
(ぐぅ………!)
痛みに顔を歪める彼女だが、声一つ上げない。いや、上げられない。敵と戦う時は吃音症がひどくなり言葉が出なくなってしまうのだ。なんとか復帰した彼女は激しい敵の攻撃にさらされる。足を止め、全ての魔力を使ってバリアを展開するものの、ダメージは確実に蓄積していく。
(痛くて怖い………逃げたい……………でも!)
のかなは小熊の事を思い出していた。ここで自分が逃げる事は簡単だ。おそらくこの怪物ももうすぐやってくるであろう誰か別の魔法少女が倒してくれるだろう。この苦しみに負けてしまっても誰も自分を責めないし、悪く言うこともないだろう。
しかし、ここで逃げ出したらあの小熊はきっと魔法少女に失望する。そしてあの日ののかなのパートナーのように悲しい目で去っていくのだ。
たかがそれだけの事だ。そうなればもう小熊と会うことは無いだろうし、気にすることなどないということも分かっている。
(でも………ここで逃げたら私は大切な何かを永遠に失う事になる!)
自分がアニメの主人公のような魔法少女になれないことはのかな自身が一番良く分かっている。そして、自分がアニメの主人公のような魔法少女になりたいと言う事ものかな自身が一番良く分かっていた。
「『私は………この大切な物を守るんだ!』」
チャージの終了した杖を地面に突き刺し、魔法陣を起動する。噴き出した炎の海が敵を包みこみ、ついに敵は倒れる。
「ギャアアアアオオオオオ!!」
断末魔が辺りに響き敵がクリスタルの割れるように消滅する。時間切れによるパラダイム空間の崩壊と共にのかなはぺたりとその場に座り込んだ。
(………ふぅ)
大きく息を吐いたのかなはしばらくの間、マテリアルドライブの能力である身体の修復機能の光に身を委ねていたが授業中であったこと、そして変装を手動で解かなければならないことを思い出すと、慌てて小熊の元へと向かった。
「お疲れー、久しぶりだから苦戦してたみたいだな」
(あはは………)
昔もこんな感じで毎回苦戦していたので返事に困ったのかなは苦笑いを返す。預かってもらっていた服を返してもらい、トイレで着替えを済ますとのかなは急いで教室へと戻っていった。
そーっと気付かれないように教室の後ろからのかなは入っていくが案の定ばれ、怖がりとしてクラスの皆から笑われることとなった。
(こういうことを我慢しなくちゃいけないのが魔法少女の辛いところだね………)
ひとしきり恥をかいた所で席に着いたのかなは先の怪物が集団幻覚として扱われていることを知った。担任の先生の話によると何かのガスの危険性があるとして今日の学校はこれで終わりになるようだ。
ホームルームが終わると共に友人の二人がのかなの席に集まって来た。どうやらさっきのことを話しに来たらしい。
不機嫌そうな佐下るいが悔しそうに語り出す。
「こういう時に飛び出すのは私の役目だと思ったんだけどなぁ。まさかのかなに先を越されるとは予想外だよ。さすがの私もおとなしく待っているしかなかったね。次は絶対負けないから覚悟してよ」
呆れたぐり子はため息をついて頭を振った。
「自重しなさい、バカ」
そしてぐり子はのかなを心配そうに見つめる。
「しかし、のかながこんな事をするなんて珍しいわね。やっぱり日々のストレスが溜まっていたのかしら………。それとも別の原因が………?」
のかなはいぶかしむ様子のぐり子に焦る。ぐり子は勘が鋭いのでちょっとの事からのかなの秘密がばれてしまうかもしれないからだ。
「『ちょっと驚いちゃっただけだよ』」
「ふーん………。あっ、そうだ。せっかく休みになったんだからどこかに行きましょうよ。駅前に美味しいクレープ屋が来ているからそこがいいんじゃない?」
『うーん………ちょっと………』
せっかくの申し出だが待たせている人………というより熊が居るのでのかなは遠慮しておくことにした。
『ごめんね、今日は外せない用事があるの』
「そう………残念ね。のかなの都合が悪いならまた今度にしましょうか」
こくりとるいも頷く。
「だね。ぐり子と二人だけで行ってもつまらないし、今日はお開きさんだ。気をつけて帰れよー、のかな」
『うん、じゃあね』
二人と別れたのかなは教室を出てまだ校内に残っているかもしれない小熊を探す。一応は魔法に関係のある存在であるために一般人には見えないはずであるので普通の人間に見つかって騒ぎになるということは無いだろうが、あの少々抜けた感じからするとその可能性が無いとは言い切れない。
万が一を考えてのかなは歩を速めた。