泉の麗人
泉の麗人
道と言っても良いのかすら分からないような獣道を歩きながら、ロナの背中に話し掛けた。
「ねぇ」
「ん〜?」
「カスティルって誰?」
「俺の師匠」
「ふぅん…どんな人なの?」
「…それは……会うたら直ぐに分かるわ…」
苦虫を噛み潰した様に言うロナを不思議に思いつつ、それ以上には詮索しないでおく。
そこでまた違う質問を重ねる事にした。
「その訛り言葉ってどこのなの?」
「これか?
ここからずっーっと南西に行ったところの民族が使っとるんよ」
「へぇー、場所によって話し方が違うなんて不思議だよね」
「せやな〜
でもその違いがまたおもろかったりするんやけどな」
そう言ってニコッと笑ったロナが何だかとても大人に思えて、私は原因も分からず焦燥にかられた。
歩を進めるにつれ、いつまでも続くような気すらしていた獣道に終わりが見え始める。
「あ、あれ…」
歩を進めていた足が止まった。
大量の水を蓄えた大きな沼のようなものが目に入ったから。
「ああ、あれが泉やで」
綺麗やろ
そう言うロナの嬉しそうな表情を見れない事が残念でならない。
「アイル、今のうちに心の準備しとった方が身のためや、とだけ言っとくわ」
「え?」
忠告の意味が理解できない。
しかし次に聞こえたものは泉とやらからの怒鳴り声だった。
「いつまでそんな端っこでコソコソしてんのよ!さっさと出てきなさい、トロすけが!!」
思わず肩を跳ねさせてロナを伺う。
彼は苦笑いを浮かべて何故か謝罪の言葉を呟いた。
呼ばれる儘、泉に近寄るとそこには女性が、不機嫌極まりないという顔で待ち構えていた。
「おっっそいのよ薄ノロが!!修行開始時間を守れないなら今すぐ帰りなさい!」
金髪に海のような青い瞳が魅惑的な彼女は、美しいという言葉を其の儘擬人化したような容姿。
だが足がついている筈のその場所は水に浸され、魚の尾ひれのようなものが見てとれた。
アイルが息をのんだのが分かったのか、ロナはアイルを後ろに庇うように立ち位置を変えてカスティルに話し掛けた。
「師匠、修行の時間はまだ先や」
「私が始めと言ったら始めなのよ!何でテレパシー送ってるのに通じないのよ」
「「………え?」」
ロナと声がかぶった。
お互い違う意味で。
「テレパシーなんてこぉへんかったで!」
「テレパシー!?何それ!」
顔を青白にするロナと目を輝かせる私の声がまた重なる。
それに耐え兼ねたカスティルが更に怒りを顕にした。
「ちょっと!2人とも同時に喋るの止めなさい!私は仙人じゃ無いのよ!!」
「「……御免なさい」」
「へーぇ、仲がかなり宜しいようで?くたばれば良いのに?」
「「…………」」
謝罪をした筈なのに空回りしてしまったようだ。
もう何も言うまい。
2人が黙るとカスティルは眉間の皺を消して無表情になった。
「で、テレパシーがきてないってどういうこと?」
明らかなる疑いの目でロナを凝視している。
ロナは両手をあわあわと左右に振って弁解をし始めた。
「ホンマやって!大体、俺が師匠に嘘なんかつくかいな!!」
「…それもそうね、この私に嘘をつける生き物がいるのなら見てみたいものだわ、世界一美しいこの私に!」
うわぁ…
とか思ってしまったことは大目に見てほしいものだ。ロナですら軽く軽蔑の目で彼女を見ているのだから。
「何よ、そんな目で………」
カスティルと目が合った途端に言葉が途切れた。
不思議に思っていると彼女は私と目を合わせた儘、泉から体を離す。
尾ひれがついている彼女は歩けないのではないかと思ったが、その心配は杞憂というものだ。
彼女が水からあがった瞬間に水が下へと流れ落ちて行き、乾いた尾ひれがみるみるうちに人間の足へと変化したのだから。
彼女は水に付かないようにと縛っていたワンピースの裾をほどくと此方へと歩いてきた。
「あなたが邪魔をしているのね?」
目を覗き込むようにして見ると、そう呟いた。
最早頭には‘?’しか浮かばないが、カスティルはお構い無しに話を進めて行く。
「あなたほど有能なテレパスは久し振りに見たわね」
「何を言ぅてはるん?テレパシーなら誰でも使えるやろ?」
この人たちは一体何を言っているのだろうか?
「……あのー…」
2人の問答を止めるように呟く。
「テレパシーって、何?新種の鳥?郵便屋さん?」
「……………はぁ?」
こいつアホだろと言わんばかりに凝視されて縮み上がる。怖い。
ガクガクと震えているとロナがテレパシーについての説明をしてくれた。
テレパス(テレパシーを使える人)はどうやらこの世界のほぼ全員なのだという。
摩訶不思議な話に思えたが彼らを見ればそれが常識であることは嫌でも分かる。
「……嘘だ!!」
現実逃避をしたくて叫んだがすぐに否定されてしまった。
「嘘ならこんなに大真面目になって言わないわよ」
続けざまに溜め息が聞こえると、不意にカスティルが振り返り、泉に戻って行く。
爪先が水に浸かると足に鱗が現れ、魚のそれへと変わった。
「でも実際は、私達が使っているテレパシーはテレパシーとは言わないのよ、これはノアの加護があってこそなのだから」
ノア?
意味が分からず聞き返そうとした。
しかしその声は自らとそっくりな声に遮られてしまう。
「アイル!」
「イギル」
振り返ると、森との境目辺りに2人の男女の姿があった。
一方は軍全員分の食事を作ているという超人少女、ヘレナ。
そしてもう一方は自分と同じ顔をした、イギルの姿。
しかし彼の表情は普段からは想像出来ない程に固く、そのことに違和感を覚える。
やがてヘレナによって意識をこちらに戻すと、謝罪を挟み、そして黒い鉄塊を差し出した。
「…なんで」
思わず漏れてしまった言葉を、これ以上は漏らすまいと必死に飲み下す。
イギルに手渡された剣が、父の形見に思えてしまうから。
「ありがとう。
そう言えば肌身離さず持っておけって言われてたんだった」
ただ上手く笑えていたことを強く願った。
そこからは何が起こったのかがよく分からない。
剣が淡い光を放ち、水がイギルをのみ込んだ。
そしてカスティルが言うのだ。
「ではひとつ目の修行よ」
状況が理解仕切れない。
自分を取り巻く環境はこんなにも変わってしまったのか。
「自分の片割れを、その剣で助けなさい」
異議を唱えたのはロナとヘレナだ。
「ちょぉ、待ってや師匠!いくらなんでもそれはやりすぎや!!」
「そうですよ!それでは死んでしまいます」
その必死な声にも、カスティルは心外だとばかりに視線を巡らす。
「あら…勘違い甚だしいわね、こんなトロい攻撃も満足に交せないようなガキならいくらでも代えがきくわ」
「むちゃや、昨日来たばっかりやのに!」
「いいの?
そうやって愚図ってる間にも彼は窒息してるわよ?」
そういわれて初めてイギルを見る。
彼はまるで生き物であるかのようにうねる水柱の中心でぐったりとしていた。
もう体に力が入らないらしい。
「イギル…」
そう呟くが早いか、私は剣を抜き鞘を置くと大地を蹴った。
「ロナ!」
視線をこちらに向けたロナは状況を理解したのか、自らの方に駆けてくる私に両手を差し出した。
差し出された手を踏んづける。
同時にロナが手を後方にまで一気に振り上げた。
「ぅおらあああああ!」
女子ならざる声をあげてしまったとは思ったが、そんなことを気にする程余裕ではない。
ロナに吹っ飛ばされた勢いで水柱の中腹を切りつける。
イギルの真下辺りだ。
だが生き物のように動いていると謂えども水は水。
切りつけようと振った剣は物体をとらえること無くすり抜けて行く。
「……あちゃ〜」
「‘あちゃ〜’ちゃうわ!切られへんのかい!!」
ロナが呆れた声を発する。
同時にカスティルが深い溜め息を吐いた。
「無知は罪だと言うけれど……」
そう呟いたかと思うとパチンと指を鳴らし、次の瞬間には水柱が泉の中へと戻っていった。
「え?」
訳も分からず眼下にある泉を見つめる。
見ればロナが真っ青な顔をしていた。
そこでふと気付く。
一体どうやって着地をすれば良いのかと…。
――いっ……
「いやぁぁああぁあぁぁぁぁぁあぁぁぁぁああ!!」
これ程までに重力を憎んだことがあっただろうか。
空高くからの位置エネルギーが運動エネルギーとなり重力もプラスしてより落下速度が増して行く。
しかも空気摩擦が異常に痛い。
目を開けている事が辛くて強く瞼を閉じる。
身を固く縮こまらせていると不思議な感覚が体を包んだ。
その浮遊感に目を開けると、視界一杯に輝く水。
「ったく…着地位考えて跳びなさいよどんだけ必死なのよ」
「うわっ、すごーい!!」
あまりにも美しい情景に叫んでしまったが、それがカスティルを怒らせてしまったらしい。
水柱が一気に崩れた。
「ぎぃやあぁあぁぁぁぁ!!」
「ちょっ、叫ぶんならもっとこう女の子らしく…!」
再び訪れた落下に変な悲鳴をあげてしまった。
確かに女の子らしくなかったなと反省する。
だがそれすらも一瞬の出来事だ。
その間にも落下が止まることはなく、頭から思い切り泉に突っ込んだ。
鼻が痛い。
カスティルが抱き抱えるようにして泉で意識を失っていたイギルを連れてくる。
必死に呼び掛けるとイギルは咳と共に意識を戻した。
ひどくホッとして彼を強く抱き締めると、安心させるように抱き締め返される。待ち兼ねたようにカスティルの声が響いた。
「あなたたち2人…いいえ、全員の方が良いわね……兎に角、修行を始める前に言っておかなくてはいけないことがあるわ」
その場の全員がカスティルに注目する。
「その剣…」
突然消え入りそうな声に変わりロナが聞き返す。
「え?」
「その剣は、本来なら上になければならないものよ」
今度ははっきりとした口調で告げられたその言葉。
しかしその内容は酷くぼんやりとしていた。
「…え?」
「その剣は本来なら……」
と、そのやり取りが二度、三度と繰り返されてしまったことは致し方の無いことだと思っている。
明らかにキレ気味のカスティルが一度咳払いをした。
「その剣はカリバーンと呼ばれる聖剣よ」