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ありあけ幻奇譚  作者: 浜月まお
第二幕 堕ちた聖域
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「よう来てくれましたね。わたくしが刑部です」


 と、そのとき。

 最初に清白が感じ取ったのは音だった。ぽっ、ぽっ、と連続する軽い音。

 続いて、炎。青白い火球が二つ、虚空に躍り出る。

 思わず葛葉を振り返ると、驚きもあらわに琥珀色の双眸を見開く彼女の姿が視界に飛び込んできた。葛葉の仕業ではないのか。

「……招いておるのか?」

 炎は誘うように揺らめきながら、少しずつ確実に、奥の一角へ向けて動いていく。

 清白にとっては得体の知れない妖術だ。しかし不思議と禍々しさは感じない。葛葉と顔を見合わせた後、うなずきあって火影を追った。

 気が急くのだろう、葛葉は足早に進みながらも廊下の果てを食い入るように見つめている。

「我が一族の使う狐火に、よう似ておる。誰か無事な者がこの奥におるのじゃな」

 呟く声には、くっきりとした喜色。

 生まれ育った城が災厄に沈んだ、そのときの圧倒的な絶望は、今も彼女の胸に真新しい痛みを生み続けているはずだ。だからこそ、この殿舎に生存者がいるらしいと分かってこらえきれないのだろう。

 ほの蒼い炎が、刹那、ひときわ強く光り輝いて四散した。

 廊下の突き当たり、最上階の最奥。ひと続きの襖で仕切られた大きな一間だ。位置取りといい襖を彩る厳かな意匠といい、一等室であることは間違いない。

 おそらくは、清浄なる殿舎の主──刑部姫の居室。

「御免。失礼つかまつる」

 ここまで来て怯むような惰弱さなど、清白という青年の内には存在していなかった。襖に手をかけ、一気に引き開ける。

 焚きしめられた香の、ほのかな匂い。天窓から光が差し込んで、部屋の中は意外なほど明るい。

 中央に、座している人物。隙なく端座していてなお、彼女がひどく小柄な身体つきをしているのが一目で分かった。

(子ども?)

 どう見ても、小柄というより幼いと表現したほうが的確だった。

 外見を見る限りでは、人間の年回りで言う十歳にも満たないだろう。成人女性の正装である、幾重にも衣をかさねた唐衣裳(からぎぬも)姿をしているが、両頬は白桃のようにふっくらと丸く、腕も指さえも未だ伸びきらずに未成熟な様子が見て取れた。

 こんな無人の聖域にいるよりも、春の野原で無心に蝶を追ったり、花冠を作ったりしているほうがよほど似合いそうな童女が、殿舎の奥座敷に鎮座していたのである。

 あっけに取られた清白は、いま目の前にある現実をうまく飲み込むことに失敗した。思考は空転し、声は喉の奥に絡まるばかりで、意味のある言葉など出てこない。

 驚きを隠せない清白と葛葉の視線を一身に浴びながら、童女のまぶたがゆるりと開かれる。

 大きくつぶらな双眸。緑柱石の色をした両の眼には、幼い容貌とは裏腹に、深く理知的な光が明らかに宿っていた。

 さくらんぼのような童女の唇から第一声がすべり出る。

「天狐族の同胞、敬愛せし大主の娘……よう来てくれましたね。わたくしが刑部です」

 澄み切った、いとけない声。銀の鈴を思わせる響きだった。

 緑柱石の瞳が、琥珀の瞳を見つめる。刑部姫の目元がふっと和んで、親愛の眼差しで葛葉を見上げた。

「葛葉殿。しばらくお会いしないうちに、大きゅうなられましたね」

「えっ」

 見た目の年齢が自分の半分以下の相手にそんなふうに言われて、さすがの葛葉も戸惑ったようだ。

 葛葉自身が体現しているように、人妖の年齢を外見から推しはかることは難しい。とはいえ、百歳を超す葛葉より年長であるのなら、ここまで幼い容姿は通常ではありえないのだろう。

 ああ、と刑部姫は一つうなずいた。

「前にお会いしたとき、あなたはまだ愛らしく伝い歩きをしておられました。わたくしのことを憶えていなくとも無理はありません」

 それで得心のいった葛葉は改めて挨拶を述べ、手早く清白を紹介した。

 鮮やかな緑色の瞳が、おっとりと清白に視線を注ぐ。なんとなく居心地の悪い思いを味わった清白は、肝心な話に入れと葛葉を急かした。

 しかし、父親である白蔵大主の支配地から出たこともなかった箱入り娘が、人間の青年ただ一人を伴って唐突に訪れてきた事情について、説明されるまでもなく刑部姫はすべてを掌握していたのだった。

「占いにことごとく大凶兆が出て、もしやと思いましたが……災厄の解き放たれた様が、この宮居にあってもはっきりと分かりました。お父上をはじめ、白碇城(はくていじょう)の皆々様のことはお悔やみの言葉もありません。ですが葛葉殿だけでもご無事で本当によかった」

「こちらこそ、刑部様に災禍がなく安堵いたしました。この一帯には、例の──怨霊の通った気配がありましたゆえに」




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