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ありあけ幻奇譚  作者: 浜月まお
第十四幕 血の盟約
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「それはやっぱり性格がアレだから?」


「そう言やさあ」


 などと雲取が言い出したとき、葛葉はリッカと共に鍛錬の真っ最中だった。具体的にはリッカが丹念に編み上げた妖術の檻をどうにかこじ開けるべく悪戦苦闘、力戦奮闘しているものの未だ達成に至らずつい肩に力が入ってしまい──、そんな瞬間のことであった。

 なので当然のごとく無視して術式に集中する。妖術の巧者であるリッカの編んだ構成は精緻で、葛葉を取り囲んで生み出された檻はかなり強固だ。力押し以外でこの中から脱出するのが本日の稽古というわけである。


「良い眺めねェ、鳥籠の鳥みたいで。言っとくけど葛葉、その連子をひしゃげさせたら最初からやり直しだからね」

「うう……承知した」

「なあ。なあってばよリッカ」

「もう、うるさいわね。いま葛葉の術を見てるんだから後にしてよ」


 リッカの『見ている』は『採点している』と同義だ。しかも減点式。ただでさえ切れ長の美しい青墨色の目でじっと見つめられると誰でも幻惑されるであろうに、その双眸が一挙手一投足を注視してくるのだから少々緊張する。

 物部(もののべ)の里から彼が同行して以来、もう何度も手厳しい講評をもらった身としては少しでも進歩を見せたいところだった。


「昔ちっと聞きかじったんだけどさっ」


 なのに雲取は相変わらず呑気でご機嫌よろしく、つまりやかましい。しっしっと羽虫でも払うような対応をリッカにされても全然めげない。

 どうせ大したことではあるまいに、この鴉天狗ときたらいつも相手の都合などお構いなしだ。彼に時機を見計らうという配慮は存在しない。普段は専ら相手をしてくれる清白(せいはく)が今は離れているのでなおさらだろう。

 大樹の枝から羽ばたきひとつで降りてきた雲取は、伸びをしながらリッカに話しかけた。


「お前さんの(ぬえ)って種族の話。たしか……仲間内でお互いに助け合う約束? 義兄弟の契り? とか何とか、そんな契約を結ぶもんなんだってなあ? お前さん怨霊封じの旅なんかについて来ちまって、その契約のお相手と一緒にいなくていいのかい」


 巫女と人形師の逸話が伝わる村里を出発した翌日。

 現在地は、人間が行き交う主要街道から少し逸れた森の中である。先ほど街道に商人の姿を見つけて清白が周辺の情報収集に行っている間、人妖三人は森へ入って待機することにした。

 木霊たちの穂積(ほづみ)、鵺たちの物部氏族に次ぐ火明(ほあかり)の末裔の元へと急ぐ傍ら、道行きに差し障りのない範囲で、妖術の構成組みが未熟な葛葉はこうしてリッカの実践指導を受けている。たとえわずかでも隙間時間を無駄にはできない。


 リッカの組み立てた術式は、妖力の檻を出現させ固着している。その構成の見事さに圧倒されそうだった。洗練されていて隙がない。檻を形作る条件定義、強度を維持するための指示、術者から妖力を供給する経路といった様々な要素が濃縮されている。

 以前の葛葉であったら委細構わず膨大な妖力を叩き込んで破壊していただろう。だがそれでは、あの災厄のごとき怨霊には敵わない。ただでさえ天狐の妖力量をもってしても降すのは至難の業であり、雪崩を素手で受け止めようとするようなものなのだ。付け焼き刃でもなんでも己にできることは全部やって、ほんの少しでも可能性を増やしたい。

 その一心で目を凝らした。


「なによ突然。……よく知ってるわね」

「今ふっと思い出したんだよな! なんだか知らんけど大層な風習もあるもんだなァってよ。んで、里を離れてもいいのか?」

「別に大丈夫よ。あたしは“盟約者”なんかいないもの」

「それはやっぱり性格がアレだから?」

「あんたに言われたくないわ! 羽根むしって吊るすわよ!」


 リッカは怒った声を上げたが視線は葛葉に据えられたままだ。

 葛葉を閉じ込めた檻は、ごく淡く発光して見える。蛍よりもずっと微かな燐光だが、触れたらびりっと衝撃を喰らいそうな存在感があった。単純構成の術ではないだろう。

 こうした複雑な構成には、ほぼ例外なく楔があるものだ。構成の一部分同士を繋ぐ結い目。そこをほどいてやれば多面的または重層的な成り立ちを保てず全体が緩み、瓦解する。

 組成の要を探して神経を研ぎ澄ますまでもなく、その在りかは分かった。巧妙に隠蔽されている……八箇所。ずいぶんと多い。

 葛葉は崩しに取りかかった。結い目をほどくための術を組み、慎重に圧縮して縒り上げていく。今回は速度よりも精確さ重視。薄皮を剥がすように少しずつ接合部に差し入れて、檻の構成へと干渉する。


「ちょっと難易度高めかしら? でもこのくらいできてもらわなきゃね。時間はかかってもいいからまずはきっちりやってみて」

「ぐぎぎぎ……!」


「ってことは皆が皆、その契約? 盟約? をするってわけでもないのかァ。ふーん。まあお前さん約束事を絶対守りますってガラでもなさそうだしなっ。なァ葛葉?」

「……その返事は……今でなくては、ならぬのかえ……!?」

「邪魔するんじゃないっての!」


 盟約者。初めて聞く話だった。

 鵺は中性的な外見をした者が多いということが知られているが、それ以外の能力や暮らしぶりなどはほとんど謎に包まれている。人妖の中でもひときわ神秘的な印象の強い種族である。葛葉としても気になるが、ひとまず眼前の課題が優先だ。

 力を、注ぎ過ぎないように気を配らなければならない。せっかく自分なりに妖力効率の良い術式を立てたのだから。


 葛葉にとって、妖術の行使は走ることに似ている。大部分の同朋が苦もなく生得的にできて、訓練次第でそれなりに上達するもの。しかし野兎や山狗(やまいぬ)より速く走れるようにはなり得ない。

 生まれつき他人より健脚だったので通り一遍の練習しかしてこなかったが、より速く長く走れて疲れにくい走り方を研究する──例えるならそんなところだ。

 妖術を得意とするリッカが同行してくれるのは本当に幸運なことだった。水浴び中に踏み込んで来られたせいで初対面の印象は最悪に近かったけれど。

 脳裏にぱちっと軽い感触が弾けた。ひとつめ、よし。あと七箇所も同じように。


 全ての楔を外し終えた途端、葛葉はあっと声を上げそうになった。

 課題達成かと思いきや、なんと奥深くに隠されていた楔がもう一つ姿を現したのだ。驚くほど手が込んでいる。これでは檻は壊せない。

 慌てて新たな構成を作り始めた。組み上げながら考える。無駄はないか。最短経路か。本当にそれが最適解か。


 極論を言えば、リッカの特訓は“術の行使に際して考える癖をつける”という一点に尽きる。もちろん一朝一夕に身につくものではないからひたすら繰り返すしかない。

 妖力の浪費を抑えた技巧と、速度を重視した力押し。その場により適した戦法を柔軟に選べるのが理想的だ。

 地道な積み重ねは決して無意味ではないと葛葉はすでに知っていた。術組みの見直しを重ねた結果、当初の半分以下の消費で雲取を吊るせるようになったし、構築速度も段違いに速くなったのだから。


 最後の結い目を処理すると、構成は一気に分離した。全体に灯っていた薄い光がすうっと失せ、檻は風に溶けて消える。まるで音もなく枝を離れる桜の花弁のようだった。


 その後、リッカの講評を受けて改善点を話し合い、うるさく茶々を入れてくる雲取の耳を引っ張ったりするうちに、木立の合間から清白の姿が現れた。

 もうじき日が暮れる。夜に備えなければならない。



   *



 街道の行商人たちから清白が聞き込みしてきたところによると、彼らがつい先日までいた街では“怪異”の噂で持ち切りだったという。

 巫女と人形師の里ではそのような様子は見られなかった。住処を離れて移動する者は官吏や商売人などごく一部に限られているし、大きな被害を出した白碇城周辺は人妖の領域なので情報が伝わりにくいのだろう。

 ということは、その街のほうが怨霊の現在地に近い可能性が高い。


「南のほうで致死毒の化け物が出たらしいって大騒ぎで、色んな品物が飛ぶように売れたのはいいんだが、やっぱり不気味だから今度はもっと北の街で商いすることにしたんだと」


 『死を振り撒く何か』への対処法など誰にも分からない。機に敏い商売人でも逃げ出すしかないのだ。

 このぶんだと郡司か、ひょっとすると国府が動くかもしれない、というのが清白の見立てだった。


 宵入り時、小さな焚火を囲みながら葛葉は怨霊について思いを巡らせた。

 毒を噴き出す災厄の化身。命あるものに仇なす怪異。その猛威の前では人も人妖も等しく無力なのかもしれない。

 郡司や国司をはじめとする人間の組織が調査に乗り出したら、おそらく被害はますます大きくなる。

 本当に、自分たちにできるだろうか。元どおり封印する、あるいは祓う。どちらにせよ途方もない難事である。知識も技術も持たず遮二無二走るしかない体たらくなのに。一命を賭してもまだ足りないに違いない。


 ──けれど、やる。

 やるしかない。


 霊妙なる巫女が人外の存在へと転化したという逸話を聞いて、考えた。

 解き放たれた怨霊は、生じたときから怨霊だったのか。何かが生命を喰らう怨霊に成ったのではないのか、と。

 刑部(おさかべ)姫に連絡用の術で尋ねてみたが返事はまだない。もし成り立ちの一端なりでも分かればもっと何か手立てを講じられるやも、と一抹の期待があった。



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