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ありあけ幻奇譚  作者: 浜月まお
第十幕 星の乙女
35/51

「怪我をしても、知らぬぞ」


 歌い上げるように鵺は嗤う。

 その間にも妖力で縒られた網が大きく広がり、葛葉を足元から引き倒そうと牙を剥いた。見事な完成度の術だ。気が遠くなるほど精緻な刺繍を施された絨毯にも似ている。思わず状況を忘れて見とれそうになった。

 慌てて大きく跳び退ったが、またしてもそこへ重ねての追撃。

 さらにもう一度。雑草の茂る地面が抉れ、土塊が舞った。たたみかけるような攻勢だ。

 しつこい。確信が脳裏で点滅する。このままでは追い詰められてしまう。手荒い対応もやむを得まい。

 鉄扇を手首で返し、とうとう葛葉は宣言した。


「怪我をしても、知らぬぞ」


 ぶわりと音すら立てて術の構成が広がる。

 周囲の木々が震え、おののくように無数の葉が鳴りさざめく。

 鵺が目をみはった。

 そうした表情ひとつにもごく自然な艶がある。己の美をよく知っているのだろう、と葛葉は場違いなことを考えた。


 膨大な構成に意識を注ぎ、展開させる。妖力を持たない者にはろくに視えないものだが、鵺の目には細部まではっきりと映っているはずだ。葛葉を取り巻くように生じた、巨大な攻撃術の下地が。

 圧縮され、密度を増し、今にも敵に飛びかからんと唸る『力』。

 葛葉の意を受け、弾ける。妖術が迸る。


 鵺は動かなかった。瞬く間に護りの結界を築き上げる。正面から受けとめることを選んだらしい。──いい度胸だ。

 交錯する視線。

 鵺の顔から初めて笑みが消えた。

 先程までの嘲笑が拭い去られたそこには、難解な課題に面白がって挑むような眼差しがあった。

 打ち破ろうとする力とそれを防ごうとする力。二人の妖術はまともに衝突し、火花を散らして大きくうねる。


 鵺の結界は堅固だった。あれだけ緻密な構成を瞬時に編めるのだから当然だろう。

 だが、長くは持ちこたえられなかった。

 拮抗する力。その狭間へと重ねて放たれた葛葉の術によって、わずかに結界が綻びた。ひとたび生じた亀裂は燎原の火のように八方へと広がって、ついに防御膜は砕け散る。

 もうひと押し。


「泣いても遅いぞえ、二足歩行の女郎蜘蛛め」


 鉄扇を握る手に力を込め、葛葉は鵺に躍りかかった。接近戦に持ち込んで術を組み上げる余裕を与えない。それが最も有効と踏んだのだ。

 果たして、読みどおりに鵺は算を乱した。鉄扇の初撃こそなんとか避けたものの、大きく体勢を崩して地に倒れ込む。のけぞる白い喉。乱されたやわらかな腐葉土がかすかに匂いたった。


「勝負あったな」


 埃を払うために扇を広げる。ふと、あらわになった鵺の喉元が視界に飛び込んできた。


(え?)


 まず目を疑い、そして目を凝らした。あれはなんだろう。そんなまさか。


 直後──葛葉は唐突に動けなくなった。

 身体が、動かないのだ。前に進み出ようとした足も、鉄扇の要を掴んでいる指でさえも。

 今しがた脳裏に兆したばかりの驚きも一気に吹き飛んだ。ただ愕然と立ち尽くす。見えざる糸で縫いとめられたかのように、意思に反して身じろぎひとつできなかった。

 構成など一片たりとも視えなかった。妖術ではないということだ。けれど……


「形勢逆転ねえ。まったく、誰が女郎蜘蛛よ」


 ゆっくりと身を起こす鵺の手には、美しい薄布が握られていた。

 折りたたんで懐に隠し持っていたらしい。つややかに虹色の光沢を放つ布地はまばゆいほどで、つい二日前に阿古耶から借り受けたばかりの羽衣を強く思い起こさせる。


「……火明の神器かえ」

 かろうじて絞り出した声はひどく乾いていて、我ながら聞き取りづらかった。だが鵺には届いたらしい。底の見えない美貌に再び嘲り混じりの花が咲く。


「察しは悪くないのね。ええ、これが蛇ノ紗布(おろちのひれ)。神代の遺産よ」


 蛇ノ紗布──。

 やはり、と納得が胸に落ちた。火明の末裔が有する瑞宝のうちのひとつだ。葛葉たちが物部の衆に貸してほしいと頼もうとしていたもの。


 葛葉の背に怖気が這い上がった。

 抗おうにも抗えないのだ。妖術ならば発動前でも構成から術の概要が推測できるのに、身体が戒められている今もなお、一体どのような力が作用しているのかすら見当もつかなかった。突破口が見出せない。

 古より受け継がれる神宝とはこれほどまでに圧倒的なのか。



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