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ありあけ幻奇譚  作者: 浜月まお
第七幕 迷いの森の守護者
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「そなたに問う」

「その軍を指揮していたのはあなたの身内。いとも容易く進撃を命じた。天狐族の根城を攻め落とすには鎮護の石碑を壊せばいい、と。自分たちは戦場に出もせずに」

「……やめろ」

「引きかえ、あなたは一兵卒。最前線で血を流したのに……そのあなたが、甦った怨霊の後始末をするというの?」

 女の含み笑いは徐々に高まり、ついに哄笑となった。

「やめろと言った」

「聞きかじった情報を鵜呑みにして、その結果、軍を壊滅させたのも、怨霊を世に放ったのも……みんなあの兄たちのせい。疎まれて、居ない者も同然だったあなたの責任ではないでしょう」

「もうやめてくれ!」

 かすれた叫びを上げながら、無意識のうちに愛刀の柄尻に掌を押し当てていた自分に、清白は気づいた。

 人妖か、人に化けたモノノケか。女がただの人間ではないことは明白だった。

 霧が一層濃さを増す。いよいよ白く染まった渦中に、なすすべもなく押し包まれていく。何も見えない。ただ女の嘲笑う声だけが森にこだましていた。

 女の声はとまらない。清白の奥深くに潜むわだかまりを炙り、じりじりと執拗に爪を立てる。

「一兵卒となり、名前すら変えて。そんなあなたが怨霊を相手に、一体何ができるというのかしら」

「うるさい……っ!」

 重ねられる嘲弄。耳をふさぐことも許されずに清白はうめく。見え隠れする女を睨みつけるしかできなかった。

 脳裏にありありと浮かんでくるのは、あの日見た、あの城の惨状だった。

 人間も人妖もみな死に絶えて、辺り一帯に満ちていたのは凍りつくような静寂。

 あんな光景を目の当たりにしてしまっては、誰の責任だとか家族との不仲だとか、そんな些末事を言ってはいられなかった。毒気を振りまき命を喰らう怨霊。解き放たれた怪異をなんとかするのは遺された者の、そう、責務だ。

 毒気で倒れ伏した葛葉を介抱したときは、たしかまだ何も考えていなかった気がする。怪我をして、見知った兵士たちの死に様を見て混乱もしていた。

 けれど、一族の死を知った天狐の姫が嘆くよりも怨霊封じに尽力しようとする姿を見て──自分も腹が据わったのだ。

 刀を遣えるだけの自分が何を成し得るかなど、分かるわけがない。それでもこの事態を、一人果敢に往こうとする葛葉を、放っておけるはずがないではないか。

「今あんたが言ったことは……全部俺の問題だ。あんたには、関係ない」

 そう告げるのが精一杯だった。

 霧を纏う女を清白がまっすぐに睨み据える。と、不意に女の輪郭が崩れだした。身構える清白の前で、あっという間にするする解けて形を失い、霧と同化してしまった。


〈若武者よ。迷いなく在るならば先へと進め〉


 どこからともなく響く声は先程の女のもので、けれど嘲笑の名残はまったくない。うって変わって静謐な、脳裏に忍び入ってくるような囁き声。

 やがて気づいたときには、霧はすっかり消え失せていた。



──… * * * …──



 しゃらん、と澄んだ音が聞こえた。

 見渡す限りの湧き上がるような霧の中、浄天眼を使っても清白と雲取の気配を捉えることができず、葛葉が途方に暮れかけていたところである。

 しゃん、しゃん。

 近い。音の源に意識を集中させようとしたが、探るまでもなかった。不意に霧が凝り、逆巻く。そして──笠を目深に被った黒衣の法師が、忽然と姿を現したのだった。

 澄んだ音はその手にある錫杖が立てていたらしい。杖の頭についているいくつもの環が、法師の身振りに沿って清浄な音を響かせる。

 しゃん、しゃらん!

 一際強い音が打ち出された。

 余韻はない。残響は辺りの霧が吸い込んでしまうのだ。錫杖の先端を突きつけられた瞬間、葛葉はそんなことを考えていた。

「……いきなりずいぶんなご挨拶じゃのう」

 のんびりとした口をきけたのは、法師に敵意がなさそうだったから。

 敵意どころか、生きものがみな持ち合わせているはずの気配が、ひどく薄い。まるで植物や、妖術で作り出された幻影などのように。

「そなたに問う」

 厳かな声で法師は言葉を紡ぐ。その口元だけは笠に隠れず露出していたが、感情めいたものは微塵も浮かんでいなかった。

「天狐の姫よ。怨霊封じという重責を、なにゆえ一人で背負おうとする。そなただけが危険を冒さねばならぬ道理など、ありはせぬ。そうであろう?」

 おや、と葛葉は内心身構えた。旅の途中でよけいな騒ぎを起こさぬようにと、天狐族の特徴的な耳や尾を術で隠して外見を変えているのだ。にも関わらず素性から事情まですべてを知っている、この口ぶり。ただの巡業僧であるはずがない。

 朗々たる口上はとまらず、突きつけられた錫杖は小揺るぎもしない。

「いかに天狐族が妖力甚大とはいえ、未曾有の怪異を一人で相手取れると本当に思っているのか。火明の系譜に助力を願うのではなく、そもそも怨霊封じを依頼すべきではないのか。今までろくに遠出したこともない箱入り娘のそなたに、一体何が成せるというのだ」

「……なるほど。まあ一理あるのう」

 頷いてから、葛葉は首を傾げた。

「で、おぬしは何がしたいのじゃ。そのようなことを妾に問いただして何とする?」

「質問に質問を返すでない。訊いているのはこちらだ」



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