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勝手に逃げちゃってもいいと考えていたから、教室のドアを少し開けたまま河原へと向かったのだけど。
あの白い猫ちゃんは、授業が終わって帰ってきたぼくたちのことを、綺麗な青い瞳を輝かせつつしっかりと出迎えてくれた。
「あちゃ~、やっぱり出ていってないね~っ! う~ん、困った困った!」
夢ちゃんは言葉とは裏腹に全然困っていなさそうな笑顔を浮かべている。
「そうだねぇ~。ぼくのいるこのクラスの居心地が、とってもいいのかもしれないねぇ~!」(ふぁさっ)
将流もいつもの軽い笑い声を上げる。
「はっはっは! とはいえ、このままじゃマズいだろ。雪菜先生が来るまでに、外に連れ出さないとな!」
そんなふたりに、拳志郎がやっぱり笑いながらではあったけど、冷静な指摘をする。
「うん、そうだよね」
ぼくもそれに同意する。
「だけど~、猫ちゃん、かわいそう~……」
そしてみるくちゃんが、今にも泣き出してしまいそうな弱々しい声をこぼす。
と、そんなぼくたちのもとに、騒がしい嵐のような物体が飛び込んできた。
「ちょっと、あたしの可愛いみるくを泣かしたのは、いったい誰よ!?」
鬼の形相でツバを飛ばしながら怒鳴り散らしているのは、みるくちゃんの双子の姉であるいちごだった。
毎時間毎時間、よくもまぁ、こうやって人のクラスまで遊びに来るものだ。
みるくちゃんは、思わず守ってあげなきゃって気にさせる雰囲気を漂わせているから、いちごが心配になるのもわからなくはないのだけど。
「はっはっは! べつにおれたちが泣かせたってわけじゃ、ないんだがな!」
「あんたの言うことなんて、信じられないわ! みるく、ほんとに泣かされたんじゃないの?」
「う……うん~。そうだよぉ~。お姉ちゃんはいっつも、早合点するんだからぁ~。しっかりしなきゃ、ダメだぞぉ~?」
「うぐあっ、あんたにしっかりしろとか言われるなんて! 納得がいかないわ!」
「そ……それって、どういう意味ぃ~?」
なんというか、心配しいてるのは確かだろうけど、いちご本人もみるくちゃんに対して結構失礼なことを言ったりするんだよね、いつもいつも。
「べつに深い意味はないわよ! というかみるく、あんたそれじゃ、どうして泣きそうな声なんて出してたのよ?」
首をかしげてハテナマークを浮かべていたみるくちゃんを軽~く受け流すと、いちごは逆に質問で返す。
「え~? んっとねぇ、この猫ちゃんがねぇ~、かわいそうでぇ~、そんでねぇ~……」
のんびりとした口調で答えるみるくちゃんの言葉を遮るように、ぼくは口を挟むことにした。
もちろん、白猫ちゃんの件を簡潔に伝えるためだ。みるくちゃんに任せていたら、説明するだけで休み時間が終わってしまう。
ぼくたちには、この休み時間のうちに猫ちゃんを学校の外まで逃がさなきゃいけないという使命があるし。
というわけでぼくは、朝の会が終わったあとの教室にこの白い猫ちゃんが入ってきたこと、可愛いし首輪もついてないから、みんなで飼おうという話になったこと、雪菜先生にお願いしたら猫の毛アレルギーらしくてダメだと言われたこと、これからこの猫ちゃんを学校の外まで逃がしにいくことを、いちごに話した。
ときおり相づちを打ちながら、いちごは真剣な表情でぼくの言葉を聞いてくれた。
「そっか。よくわかったわ。ってか、あんたたち、おバカ? もう休み時間半分過ぎちゃってるじゃないの。早く連れていかないと!」
もっともな意見だった。
「ふっ、ボクたちが教室を出ようとしたところに、キミが来てしまったから、こんなに時間がかかってしまった、とも考えられるんじゃないかなぁ~?」(ふぁさっ)
「ほほぉ~。すると、なに? あたしが悪いとでも言いたいわけ?」
余計なことを言い放つ将流に、睨みつけるような視線を返すいちご。
まさに一触即発といった様相で火花を散らしていた。
「っていちご! そんなことをやってるから、時間がなくなるんだってば!」
「なんですって!?」
一応ぼくのほうが正論だとは思うんだけど、いちごの怒りの矛先はこちらに向いてしまったようで。
ああ、もう、こんなんじゃ、猫ちゃんを連れていけないじゃん。
なんて思ったところで、助け舟が出された。
「は~い、そこまでっ! いちごも、将流くんも、降人くんも、そこまでそこまで~っ! ニャンコも呆れ顔で見てるぞっ! ほらほら、早く出発するよっ!」
いつの間にか猫ちゃんを両手で抱き上げていた夢ちゃんが、一瞬でその場を取りまとめる。
若干電波な女の子なんて言われている、ちょっと変わった部分のある夢ちゃんだけど、いつも絶妙なタイミングで鋭い発言とかをする。
ぼくたちのグループの中で一番頼りになるのは、実は夢ちゃんなのかもしれない。
☆☆☆☆☆
ともかく、いちごがどうにか気を落ち着かせたところで、ぼくたちは素早く教室をあとにした。
ぼく、拳志郎、将流、夢ちゃん、みるくちゃん、いちごの六人で下駄箱まで歩き、昇降口を通って外に出る。
そう、ぼくたちのクラスに迷い込んできた猫を逃がすためなのに、いちごも一緒に来ていたのだ。
授業の開始時間までに間に合わなかったとしても、ぼくたちは言い訳できるけど、いちごは理由にならないだろうに。
「大丈夫よ。あたしはこれでも、真面目な生徒で通ってるのよ? 少しくらい遅れたからって、目くじら立てて叱られたりなんてしないわ」
そんなふうに言われると、妙に納得してしまう。
すごくケンカっ早くて、口調も高圧的だったりするのに、実際のところ、いちごはすごく真面目なのだ。
拳志郎が、「ああいうのを、ツンデレっていうんだぞ。最高だろ?」なんて言ってたけど、ぼくにはいまいち、よくわかっていない。
ツンデレって確か、普段はツンケンしているのに、好きな人の前とかだとデレッとなる感じだよね?
でもぼくは、いちごがツンケンしているのはよく見てる、というかいつも見ているけど、デレッとしているところなんて、まったく見た記憶がないのだから。
……拳志郎は見たことがあるのかな……?
そんなことを考えているうちに、ぼくたちは裏門付近まで到達していた。
わざわざ裏門まで来たのは、正門の前は少し広い道になっていて車の通りも結構あるし、猫ちゃんを逃がすにはさすがに危険だろうと判断したからだ。
「う~、でもぉ~。ほんとにこのまま逃がしちゃうのぉ~? 猫ちゃん、大丈夫かなぁ~?」
「う~ん……、だけど、本能ってやつがあるわけだから、きっと大丈夫だよっ!」
「そうだねぇ~。本来猫ってのは、肉食の獣なわけだしねぇ~。闘争本能とか、生存本能とかだって、充分強いと言えるんじゃないかなぁ~?」(ふぁさっ)
「はっはっは! 確かに夜中とか、争い合ってる猫の声なんかが聞こえてきたりもするよな!」
「ふぇ~。夜中はぐっすりだから、あたちはよくわからないけどぉ~。でもぉ~、やっぱり心配だよぉ~。車にひかれちゃったりしないかなぁ~? 通りがかりの悪い人にいじめられちゃったりしないかなぁ~? ご飯にありつけなくて、おなかすかせちゃったりしないかなぁ~?」
みるくちゃんはこの猫ちゃんのことを、すごく心配しているみたいだ。
「大丈夫だとは思うけど……、でも、絶対とは言いきれないよね……」
ぼくの声に、さっきまで逃がすことに反対なんてしていなかった夢ちゃん、拳志郎、将流もうつむいてしまう。
微かな風の音だけが響く中、ぼくたちはただ黙って立ち尽くしていた。
その静寂を打ち破ったのは、いちごのひと言だった。
「そんなに心配ならいっそのこと、あたしたちで飼っちゃわない? もちろん内緒でさ!」