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「みんなにはお世話になりっぱなしで……。ほんとにありがとう。今までのことは、絶対に忘れないわ!」
ミューちゃんは潤んだ瞳をきらめかせながら、目の前に並ぶぼくたちにそう言った。
「にゃははっ! こちらこそ、楽しかったわよっ!」
「はっはっは、そうだな! とても充実した日々だったと思うぞ!」
そんなミューちゃんに手を振り返すぼくたちの目にも、自然と涙が浮かんでくる。
そう、ミューちゃんはオメガとシグマを引き連れて、魔界に戻ることにしたのだ。
といっても、王位を継承するためではない。
王位継承権を弟に譲るという当初の目的が果たされた今なら、もう戻っても問題はないと考えたのだろう。
「家族っていうのはかけがえのない大切なものだから。こんな人たちでもね」
ミューちゃんの言葉に反論することもなく、オメガもシグマも、黙って待っていた。
魔界にあるという伝承の泉を通って、この世界にやってきたミューちゃんたち。
その出口は学校の裏手にある池の中だった。
魔界とこちらの世界を結ぶその通路は、一方通行ではなかった。
つまり、魔界に帰りたいなら、その池の中に飛び込めばいい。
もっとも、ぼくたち人間がその池に入っても、魔界に行けるわけじゃないらしいけど。
ともかく今、ぼくたちはその池の前でこうして手を振り合っている。
ミューちゃんを隠していたウサギ小屋からは、学校の裏門を通り抜けてすぐの場所だ。
シグマとオメガが、ボチャンと音を立てて池に飛び込む。
水しぶきを上げながら、ふたりの体は池の中へと消えていった。
「それじゃあ、わたくしも帰るわね。……いろいろと巻き込んでしまって、ごめんなさい」
「いや、ぼくたちこそ、肉球防衛隊なんて勝手に作って、ミューちゃんを絶対に守るとか言いながら、結局あまり役目を果たせなくてごめん」
頭を下げて謝罪の言葉を向けてくるミューちゃんに、ぼくも思っていたことを吐き出す。
肉球防衛隊だとか肉球の平和はぼくが守るだとか、ちょっと面白半分な部分があったと、ずっと気にしていたからだ。
「そんなことないわよ! それにみんなは、自らの意思でそう決めて行動してくれた。それだけで充分すぎるほどだわ! もとはといえば、わたくしのわがままから始まったことだったんだから」
「ミューちゃん、ほんとに帰っちゃうのっ? 気が変わって、やっぱや~めた、とか言ってくれたり、しないのっ?」
夢ちゃんが、耐えきれなくなったのだろうか、中腰になってミューちゃんの両手をギュッとつかみ、早口でそう問いかける。
問いかけ、というよりも、それは心からのお願いだったのだろう。
そんな夢ちゃんの両手をぷにぷにの肉球でしっかりと握り返し、ミューちゃんは優しい目を向けつつ答える。
「ごめんなさい。でもわたくしは、魔界に戻ってひっそりと暮らすことに決めたの」
寂しそうな表情に変わる夢ちゃんを、ミューちゃんはそっと抱きしめる。
二本足で立っていたとしても、人間の半分くらいしかない猫のミューちゃんだから、抱きしめるというよりは、寄りかかるという感じに近いかもしれないけど。
「でも、たまにはわたくしのことを、思い出してね……」
そう言ったミューちゃんの声は、微かに震えているように感じられた。
戻ることに決めたと、はっきり言ってはいたものの、やっぱり寂しいという思いはあるのだろう。
――ぼくたちと、同じように。
「あ……あのさっ、また遊びに来て、くれるよねっ?」
「……だけど、また変なことに、巻き込んじゃうかもしれないわよ?」
夢ちゃんからのお願いに、ミューちゃんは悲しそうにつぶやきを返す。
「大丈夫だよ! ぼくたち肉球防衛隊は、ミューちゃんを守るためにいるんだから!」
「そうよ! 今日で解散ってわけじゃないんだから! いつでも来ていいんだからね!」
「はっはっは! そうだぞ! いつだって大歓迎だ!」
「うん~。あたちも、たまにはミューちゃんに会いたいし~」
「……ここは、ミューちゃんの第二の家……」
「ふっ、希望くん、いいこと言うねぇ~!」(ふぁさっ)
「にゃははっ! さすがわたしの弟だわっ!」
「ミューちゃん、隊長命令よ! 絶対にまた遊びに来ること! いいわね!?」
ぼくを筆頭に、みんながみんな、ミューちゃんを歓迎する言葉を重ねる。
「みんな……!」
ミューちゃんも、ぼくたち全員の想いを受け止めてくれたみたいだ。
「来てくれなきゃ、泣いちゃうよ!」
「降人くん……、男の子は泣いちゃダメ!」
笑顔で取り囲んでいるぼくたちの中心で、ミューちゃんも同じように笑顔を輝かせてくれていた。
「あはは! でも、約束だからね! ぼく、絶対にまたミューちゃんと会いたいし! 楽しみに待ってるから!」
いろいろとあったけど、無類の猫好きであるぼくにとって、ミューちゃんと過ごした毎日はとても充実した楽しい日々だったのだ。
「(ぼそぼそ)……う、う~ん、そんなセリフを言ってもらえるなんて……。……なんだかちょっと、うらやましいというか、ねたましいというか……、ううっ……」
夢ちゃんがなにやらつぶやいているようだったけど、ぼくの耳には届かなかった。
「ふふっ……」
そしてミューちゃんは、微かに含み笑いを残し、池の中へとその身を躍らせた。
☆☆☆☆☆
こうして、魔界の住人たちは帰っていった。
と、その夢ちゃんの足もとに、
「にゃ~~ん!」
いつの間にやらトラ縞の猫がいた。
そう、それはニャンコ神社でオメガと戦っていたときに夢ちゃんを助けてくれた、あの猫だった。
夢ちゃんの足に、すりすりと頬をこすりつけている。
「あら、さっきの猫じゃないの。ついてきちゃったのね」
いちごがつぶやく。
心なしか、いつものいちごらしくない弱々しい声だったのは、やっぱりミューちゃんが帰ってしまって寂しいからなのだろう。
それはきっと、夢ちゃんも同じなのだ。
さっきからずっと目を伏せているも、寂しいからに違いない。
「夢ちゃん、気に入られちゃったみたいだね! 妬けちゃうな! ひゅーひゅー!」
ぼくと同様、無類の猫好きである夢ちゃんには、猫に好かれるのはなによりの喜びのはずだ。
そう考えたぼくは、大げさすぎるほど明るい声で夢ちゃんを茶化す。
「…………うんっ……」
なぜだか一瞬肩をすくめていた夢ちゃんではあったけど、すぐに小さく頷くと、そのトラ縞の猫を抱き上げるのだった。