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刹那。
雷鳴のような空気をも切り裂く破砕音が轟く。
「きゃっ!?」
「油断大敵だぜ、ミュー姉よ」
それは、ミューちゃんの弟――魔界のプリンス、シグマだった。
いつの間にかぼくたちの背後に迫っていたようだ。
いや、おそらくはオメガに全神経を集中させていたから気づかなかっただけなのだろう。
ともかくヤツは今、ぼくたちの後ろで勝ち誇ったように立っている。
代わりにミューちゃんの体がドサッとその場に崩れ落ちる。
「きゃあ、ミューちゃんっ!」
夢ちゃんの悲鳴がこだました。
苦しげにどうにか頭を上げるミューちゃんではあったものの、その顔は明らかに苦痛で歪んでいる。
ミューちゃんはもちろん猫の姿のままだけど、これまでずっと一緒にいたことで、表情はなんとなくわかるようになっていた。
心が通じ合っていれば、動物の表情だってわかるのだ。
……ミューちゃんは魔界の住人なのだから、動物呼ばわりするのは失礼かもしれないけど……。
それにしても。
突然現れたシグマと、それによっていきなり倒れてしまったミューちゃん。
これはいったい、どうなっているのだろう?
「なに、簡単なことだ。ミュー姉が猫たちを支配した上から、さらにオレ様が支配の上書きをしただけ……。支配の上書きをされると、力が倍になって、自分自身に跳ね返ってくるのさ」
シグマはそう言い放つ。
「……呪詛返し、みたいなもの……?」
希望くんがつぶやく。
なんだか希望くんって、妙なことをよく知っているような気がする。
それはともかく。
言葉の上では確かに、「簡単なこと」でしかないのかもしれない。
だけど、実際にはそんなに簡単ではないはずだ。
その証拠に、猫たちを支配し直すほどの力を発揮したシグマのほうも、尋常ではないほどの汗をしたたらせている。
そして次の瞬間――。
腕で防御することもなく、シグマは体の正面から勢いよく地面に倒れ伏した。
「あとは任せたぜ……」
最後の声をしぼり出したシグマは、それっきり動かなくなってしまった。
☆☆☆☆☆
「ふぉっふぉっふぉっ。シグマなんぞに助けられたというのもシャクにさわるが、これで形勢逆転じゃの、ミューよ」
今度こそとばかりに勝ち誇った嘲笑を響かせながら、オメガは地面に倒れたミューちゃんへとにじり寄る。
「ミューちゃん!」
「くそっ、結局おれたちは、負けてしまうってのか!?」
……いや、違う。
ミューちゃんはシグマによって猫の支配を上書きされ、呪詛返しの要領で傷つき、倒れた。
でもそれならば、さっきミューちゃんが猫の支配を上書きしたときにだって、オメガも同じようにダメージを負ったはずだ。
そんなダメージなんてなかった。だからオメガはミューちゃんの前に立ち、勝利を目前にしている。
――というわけではないのは、明らかだった。
オメガの足もとは、酔っ払ったおじさんをもしのぐ勢いでふらつき、今にも重そうな体を支えきれなくなって倒れてしまいそうなほどだったのだ。
その他にも、ぼくの考えが正しいと裏づけられる変化は、もうひとつあった。
「あっ、動けるよっ!」
「おお! ほんとだな!」
そう、ぼくたち全員の動きを封じていたオメガの力が解けたのだ。
口々に安堵の声を上げるみんな。
「わ~い、やっといつもみたいに、機敏に動けるあたちに戻れたよぉ~!」
……いやいや、みるくちゃんは普段から、機敏になんて動けてないよ?
なんてツッコミは、この際、胸のうちにしまっておくことにして。
ここで勢力図を確認してみよう。
ミューちゃんチームは、大将のミューちゃんが倒れる寸前。
とはいえ、オメガの封印を逃れたぼくたち肉球防衛隊と雪菜先生の総勢十一名が残っている。
一方のオメガチームは、シグマが援護に入ったものの、一瞬にして撃沈。
シグマが支配した猫たちは、あくまでシグマの配下。
主人が気を失ってしまった以上、もうただの猫でしかない。
さらには大将であるオメガも、ミューちゃんほどではないにしても、足もとがふらつくほどの痛手を追っている。
どちらが優位に立っているのかは、改めて言うまでもないだろう。
それはオメガ本人にも充分にわかっていたようだ。
「くうううう……! 仕方がないの、かくなる上はっ!」
ふらつく足をどうにか踏みしめながら、体中に力を込めるオメガ。
凄まじいオーラが、オメガの全身からほとばしり始めた。
「ダメッ! 最後の力を振りしぼって、まとめて蹴散らすつもりよ! 猫たちも、神社も、わたくしたちも、なにもかも! みんな、逃げて~!」
苦痛に顔をしかめながらも、ミューちゃんが叫ぶ。
それでも――。
「ミューちゃんを残して、逃げられるわけないよ!」
「はっはっは! そうだな、それがおれたちの役目だ!」
「肉球防衛隊は、肉球を、ミューちゃんを、ひいては世界を守るために存在するんだから!」
「なんだか、勝手にすごく規模を拡張してる気がしなくもないけど、でも、そういうことなのさ~」(ふぁさっ)
「あたちだって~、ミューちゃんを守るのぉ~!」
みんなの心がひとつになる。
「わたしだって、教育者として、教え子たちに負けてはいられません!」
雪菜先生も、ぼくたちの味方だ。
「にゃ~ん!」
加えて、トラ縞の猫も。
……って、このあいだの猫ちゃんも、巻き込まれていたのか……。
夢ちゃんのニボシで、餌づけされちゃったのかな?
チリリン。猫ちゃんの尻尾に巻きつけられた鈴が、乾いた音を響かせる。
ともかく、そんな猫ちゃんも含めて、みんなの心はひとつになった。
「みんなの想い、しかと受け止めたわ!」
ミューちゃんが立ち上がる。
「な……っ! どうしておぬしらは、そこまでしてミューの味方をするのじゃ!?」
驚愕をケバい顔全体に張りつけるオメガ。
「だってわたしたちは、ミューちゃんを守る肉球防衛隊なんだからっ!」
勢いに乗った夢ちゃんが、胸を張ってすかさずそう答える。
と同時に、
「ほざくでない!」
オメガが右腕を伸ばし、その手のひらからレーザーのような激しい光を放った。
一直線に、夢ちゃんの左胸を――心臓を貫かんとするレーザー。
「きゃっ!」
「危ない!」
「にゃ~ん!」
ぼくの叫びよりも早く、トラ縞の猫が飛び出していた。
チリ~ン……。
レーザーは、猫ちゃんの尻尾にリボンで巻きつけられていた鈴に当たり、そのまま明後日の方向へと飛び去っていく。
「おおっ、トラ縞ニャンコ! わたしを助けてくれたのねっ! ありがとうっ!」
夢ちゃんはトラ縞の猫を抱き上げ、いとおしそうに頬ずりをしていた。
「な……!? この猫、いったい……!? い、いや、そんなはずはない! 偶然じゃ! そうに決まっておる!」
信じられない光景を目の当たりして、オメガは焦りを隠せない。
最後の力を使ってすべてを吹き飛ばすはずが、夢ちゃんの言葉に怒って思わず攻撃を放ってしまった上、それをいともやたすく、しかも猫によって弾かれてしまったのだ。
焦るのも無理はないだろう。
ただ、まだすべての力を使い果たしたわけではないはずだ。
ともあれ……、
もう終わりだ!
ミューちゃんが跳ぶ。
勢いに乗って、右手を――みんなの熱い想いを受け止めて明るく輝いている右手を、困惑しているオメガに向かって繰り出した。
「食らいなさいっ! 猫パーーーーンチ!」
ぼくたちの想いを乗せた肉球ぷにぷにパンチが、オメガの顔面を直撃する。
「うぐはっ!」
短くうめき声を上げながらも、オメガは足を踏んばっていた。
スタッ。
ミューちゃんが着地する。
「…………」
沈黙の時間が訪れる。
おそらく数秒程度だっただろう。
でもそれは、ぼくたちにとって、数十秒にも数分にも感じられる長さだった。
そして――。
「ふっ……。わらわの、負け、じゃ……」
ドォッ!
盛大に砂塵を巻き上げながら、オメガは倒れた。
ぼくたちは、勝ったのだ!