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昼休みには結局、なにもおかしなことは起こらなかった。
つまりシグマがリベンジに来ることはなかったのだ。
でもその放課後、やっぱりヤツは現れた。
昨日とはまた別の、一匹の猫を伴って。
「ワタシは猫ではないですにゃん。愚民ども、間違えるではないですにゃん!」
ガンマとは違って、ひょろ長いという印象の猫。
いや、本人いわく、猫ではないらしいけど。
こうして言葉を喋っているわけだし、ガンマと同様、魔界の住人なのだろう。
だけどどうしても、笑ってしまう。
だって、語尾が「にゃん」だし……。
「な……なにがおかしいのですかにゃん!? もう頭に来ましたにゃん! ワタシの力を、とくと味わうがいいでございますにゃん!」
ピューーーーーーーッ!
器用に肉球ぷにぷにの右手を口に当て、指笛を鳴らすひょろ長い猫……いや、猫もどき。
「……それはもっと、失礼な呼び方じゃないか? ま、いいがな。こいつはデルタ。魔界催眠術トーナメント、通称MSTのチャンピオンだ! ガンマのような筋肉バカとは、ひと味違うぜ?」
ぼくが思わず「猫もどき」などとつぶやいたのを聞かれてしまったようで、シグマは余裕の言葉をぶつけてくる。
それだけデルタの力を信頼しているということだろう。
というか、結局今日もシグマ自身は戦わないのか。
そんなツッコミを入れる時間は、あいにくぼくたちには用意されていなかった。
トタトタトタトタトタトタトタ…………!
無数の足音が、辺りに響き渡る。
トタトタ、というよりは、ペタペタに近いような足音。
「うわわわっ!」
夢ちゃんが、驚きとも歓喜ともつかないような声を上げる。
そう、それらは無数の猫だった。
おそらくは、デルタの指笛に応えて集まってきたのだろう。
すなわち、ぼくたちにとっては言うまでもなく、敵ということになる。
鋭い視線をぼくたちとミューちゃんに向けながら、「キシャー!」と威嚇の声を上げて飛びかかってくる猫たち。
総勢、数十匹はいるだろうか。
一匹一匹は、所詮、猫だ。体格的にも、さほど大きくはない。
体当たりを食らったとしても、仮に噛みつかれたとしても、大打撃を受けるほどではないはずだ。
とはいっても、こんなにもたくさんの猫がいっぺんに襲いかかってくると、さすがに脅威となる。
「きゃっ! 引っかかれた!」
「大丈夫か? 血が出てるじゃないか! ……うおっ!?」
「バカね! 人の心配してないで、自分のことを考えなさい!」
いちごと拳志郎が交わす言葉が聞こえてきた。
ともあれ、視線を向けているような余裕もない。ぼくだって、猫たちの攻撃を避けるので精いっぱいなのだ。
と、そんな猫たちのうちの一匹が、夢ちゃんのほうへと向きを変えて飛びかかる。
無類の猫好きの夢ちゃんは、こんな状態だというのに、
「ニャンコがぷにぷに肉球パンチで戦ってる~っ! か……可愛いわ~っ!」
と言いながら無防備に立ち、ケータイのカメラで猫たちの勇姿を写真に収めていた。
そんな夢ちゃんに向かって、恰好の標的を見つけた! とでも言わんばかりの勢いで、鋭い爪を立てて襲いかかる猫の姿が目に映る。
「夢ちゃん、危ない!」
ぼくは思わず叫んでいた。
ただ、叫ぶことはできても、夢ちゃんを助けることまではできない。距離が、遠すぎたのだ。
そんな夢ちゃんと飛びかかってくる猫のあいだに、さらに別の影が割り込む。
「にゃぁ~!」
それは、トラ縞の猫だった。
いきなり仲間である猫が割り込んできたからか、飛びかかっていたほうの猫もびっくりして飛び退く。
「にゃ~、にゃ~!」
チリンチリン。
トラ縞の猫のほうは、しきりに夢ちゃんの足にすり寄って、甘えた鳴き声を上げながら頬をこすりつけていた。
頬をこすりつけるたびに、尻尾にリボンで巻きつけてある鈴が、チリンチリンと音を鳴らす。
飛びかかっていたほうの猫は、どうしようか迷ってはいたものの、すぐに標的を変えることにしたようだ。
今度は拳志郎のほうへと襲いかかっていった。
……まぁ、拳志郎なら大丈夫だろう。たとえ瀕死の重傷を負っても、誰も悲しんだりしないし。
「こ……こら、降人! なんか失礼なこと考えてないか~? って、うわっ、やめろ、この猫! あっち行け! しっ、しっ!」
拳志郎から文句が飛んできたけど、すぐにそれどころではなくなっていた。
それはともかく、今は夢ちゃんだ。
「夢ちゃん! 写真は諦めて、今は身を守ることを優先してよ!」
ぼくの叫びにも、夢ちゃんは気づいてすらくれない。
足もとにすり寄っているトラ縞の猫を、いとおしそうな視線で見つめるのみ。
「おっと、そうかっ! キミはこれが欲しいんだねっ!」
夢ちゃんがポケットからなにかを取り出す。それは、ニボシだった。
「にゃ~~~~っ!」
チリリン。
トラ縞の猫は、すぐさまそのニボシに飛びつき、鈴を鳴らしながら美味しそうにかじり始めた。
……夢ちゃんって、いつもニボシを持ち歩いているのだろうか……。
「えっ? 当たり前だよっ! いつでもどこでも、ニャンコと仲よくっ! それが猫好きとしての使命なのよっ!」
「お~、そう言われればそうだね! ぼくも今度から、持ち歩くようにするよ!」
なぜか妙に納得する、同じく猫が大好きなぼくだった。
☆☆☆☆☆
「おやおや、一匹ほど、催眠のかかり方が弱かった猫がいるみたいですにゃ。ま、それくらい、構わないですにゃ」
デルタが一瞬だけ目を見開いていたけど、すぐに余裕の口ぶりで吐き捨てる。
確かに、数十匹のうちの一匹が支配下から抜け出したとしても、デルタにとってはとくに痛手ではないだろう。
でも、その余裕が命取りだった。
夢ちゃんの猫好き度を、甘く見てはいけない、ということだ。
ニボシをもらったトラ縞の猫は、にゃ~にゃ~と、さらなるエサを要求するように、夢ちゃんにすがりつく。
「にゃははっ! さすがに、鼻がいいねっ! よし、全部持ってけ~っ!」
夢ちゃんは制服のおなかの中から、ニボシがたくさん入った袋を取り出すと、それをトラ縞の猫に投げ渡す。
トラ縞の猫は、その袋を口で見事にキャッチ。
袋の上側は、すでに封が開いていた。最初にあげたニボシも、そこから取り出してポケットに入れておいたのだろう。
「というか夢ちゃん! キミはいつも、制服の下にそんなのを隠してるの!?」
「えっ? これも、当たり前のことだよっ! それが猫好きとしての使命なのよっ!」
「おおう! 夢ちゃん、ぼくはキミを尊敬するよ! いや~、勉強になるなぁ!」
ぼくと夢ちゃんの会話に、なんだか他のみんなが、微妙に冷ややかな視線を向けているような気がしたけど。
今はそんなことを気にしている場合じゃない。
夢ちゃんからニボシを袋ごと受け取ったトラ縞の猫は、口を上手く使ってそれを上下反転させる。
もちろん袋の中のニボシは、地面の上に盛大にまき散らされた。
「にゃにゃにゃ~~~~~~~!」
そして、ひときわ大きな鳴き声上げると、周囲にいた数十匹の猫たちが一斉に動きを止める。
一瞬の静寂を経て、
『にゃ~~~~~~~~~~っ!』
猫たちは我先にと、ニボシに群がっていった。
「なっ!? ワタシの催眠術が破られてしまうにゃんて! これはいったいどうしたことですかにゃん!? 信じられないでございますにゃん!」
「うっとうしいわ、ボケッ!」
ドゲシッ!
自分の力が破られ、慌てふためいていたデルタを、夢ちゃんの容赦ない蹴りが襲う。
「あ~~~~れ~~~~~~! このワタシが蹴り飛ばされるなんて、これはいったい、どうしたことですかにゃん~~!?」
吹っ飛びながらもそんな声を残し、デルタは遠く空の彼方へと消えていった。
「くっ……!」
それを見たシグマも、悔しげなうめき声を上げて素早くきびすを返すと、そのまま裏門のほうへと逃げ去っていった。