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巨大なヘビが逃げ去り、姉ちゃんの言葉に呆然としていた、そのとき。
不意に奥の植え込みから葉のこすれるような物音が響く。
――あっ、あれは……!
小さな影。
それは、黒い猫だった。
以前ミューちゃんを威嚇していた、あの黒猫だ!
ぼくの視線に気づいたのだろう、黒猫は植え込みから飛び出し、裏門のほうへと逃げ出す。
でも今日は、その姿を他のみんなも目撃していた。
「あっ、黒猫!」
いちごが声を上げる。
あの黒猫は以前にもここに来ていたのだから、また入り込んできていたとしても、さほどおかしいわけではない。
だけど、ぼくが昨日見た黒い影も、もしかしたらあの黒猫だったのではないだろうか?
そうすると、昨日のイノシシの件も、今日の巨大なヘビの件も、あの黒猫がなにか関わっていたのではないか、という推論が浮かび上がってくる。
普通に考えれば、そんなことがあるとはとうてい思えない。
それでも、ここ数日の状況を考慮した場合、そんな予測を立てたとしても不思議ではないだろう。
そしてその考えは、やっぱり間違いではなかった。
「ちょっと、あんた! しつっこいわよ! もう来ないでよねっ!?」
凛とした女性の声が響く。
でもその声の主は、いちごでも、夢ちゃんでも、姉ちゃんでも、もちろん、みるくちゃんや南ちゃんでもなかった。
……え?
みんな一斉に振り返る。
そこには、
「あっ……!」
と言って口を押さえながら、二本足でしっかりと立っている、ミューちゃんの姿があった。
ヒュ~~~~~……。
乾いた風が通り過ぎる。
「今、ミューちゃん喋ったよね!?」
「それに、二本足で立ってたぞ!」
ぼくたち全員から詰め寄られたミューちゃんは、観念したように、ポツリポツリと語り始めた。
☆☆☆☆☆
「わたくしは、実は、魔界のプリンセスなんです」
いきなり度肝を抜かれるような発言だった。
誰も口を挟まない。いや、挟めないのだろう。
そんなぼくたちの視線に気づいているのかいないのか、ミューちゃんはさらに話を続ける。
「さっきの黒猫は、わたくしをつけ狙っている、魔界のプリンスです」
「……ミューちゃんがプリンセスで、黒猫がプリンス……。つまり、家族ってこと?」
どうにかしぼり出したぼくからの疑問の声にも、ミューちゃんはしっかりと答えてくれた。
「はい。あの黒猫は、わたくしの弟、シグマです」
ミューちゃんが言うには、彼女は魔界の王家で何不自由なく幸せに暮らしていたのだそうだ。
ただ、いつしかミューちゃんは疑問を感じ始める。
ミューちゃんはプリンセスとして、やがては王位を継ぐ立場にあった。
弟の存在は関係なかった。どうやら魔界は女性優位な社会のようで、ミューちゃんのほうに王位継承権があるのだという。
とはいえ、自分が母親の跡を継いで女王になる気には、どうしてもなれなかった。
このまま魔界の王家でのうのうと生きていていいのだろうか。
もっと世間を知る必要があるのではないだろうか。
そんなもやもやとした思いが、ずっと心の中でくすぶっていたからだ。
ミューちゃんはある日、お城から抜け出して、一般人の暮らす町へと足を運んでみた。
町に出たミューちゃんは、いろいろな人からこんな噂話を聞く。
この世界とは別の、もっと豪華絢爛で楽しい世界があるみたいだ、と。
それはぜひとも、この目で見てみなければ!
そう思ったミューちゃんは、古くからの伝承にある、近寄ってはいけないとされている異世界に通じる泉へと向かった。
意を決して泉に飛び込むと、気づけばぼくたちの住むこの世界にいた。
「伝承では、王家の血筋を引く者以外が異世界へ出ると、言語能力も思考能力も衰えてしまう、と言われていました。わたくしは王家の血筋なので大丈夫でしたが、それでも身体的には変異してしまい、こちらの世界でいう猫のようになっていました。王家の血筋があってもこうなのですから、魔界に住む一般人たちがこちらの世界に来たら、おそらくは本当に猫と同じようになってしまうでしょう。だからこそ、近づかないようにと言われていたに違いありません」
「へぇ~、そうだったんだ」
さすがにちょっと現実逃避気味になっているのか、微妙に棒読み口調ではあったものの、いちごが相づちを打つ。
「だとすると、弟さんはあなたを連れ戻しに来たってことでしょ? でも、あのヘビとかをけしかけてきたのも、その弟さんなのよね? どうしてそんな危険なことをするの?」
現実逃避気味ではあっても、いちごはしっかりと話の内容を理解して、自分なりに分析しているようだ。
「きっと、わたくしを亡き者にしようとしているんだと思います。王位継承権はわたくしにありますが、わたくしがいなくなれば、王位は弟に移りますから。弟はきっと、ずっとわたくしのことを恨んでいたんだわ……」
最後のつぶやきは、とても苦々しい口調になっていた。
王家のことなんてぼくには想像もつかないけど、でもやっぱり、お家騒動とかってのがつきまとうものなんだろうな。
実の弟から命を狙われるなんて、すごくかわいそうだよね……。
「大丈夫だよ、ミューちゃん! ぼくたちが、絶対にキミを守る!」
「はっはっは! それがおれたち、肉球防衛隊の役目だからな!」
「うんうんっ! わたしたちにど~んと任せといてっ!」
「みなさん……」
決意を新たにするぼくたち肉球防衛隊の面々に囲まれ、ミューちゃんも明るい笑顔を取り戻す。
シグマ! ぼくたちは、お前なんかに負けない!
絶対にミューちゃんは守り抜いてみせる!
ぼくはぐっとこぶしを握りしめ、気合いを入れ直すのだった。