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「それじゃ、そろそろ帰ろっか!」
「そだねっ! ミューちゃん、また明日ね~っ!」
わざとらしいほどはっきりと大きな声を上げながらミューちゃんに手を振ると、女子たちがウサギ小屋の横から離れていく。
それに男子も続く。
帰るとき、裏門は使わないのが普通だ。というわけで、みんな中庭を越えて、正門のほうへと向かう。
「ミュー……」
誰もいなくなった一角には、寂しそうなミューちゃんの鳴き声だけが、微かに響いていた。
とそこへ、こそこそと隠れながら近づく人影があった。
人影は辺りを警戒しながら、足音を立てないように、ウサギ小屋の横――すなわち、ミューちゃんを隠してある場所にまで近寄ってくる。
手にはなにやら布製の袋を大事そうに抱えているようだった。
……どうして帰ったはずのぼくに、そんなことがわかるのかといえば。
それはもちろん、ぼくが帰ってなんかいないからだ。
ぼくだけじゃない。拳志郎も帰ってなどいない。
さっき大げさに声を上げて中庭を抜けていったメンバーに、ぼくと拳志郎は含まれていなかったのだ。
拳志郎はウサギ小屋の陰、ぼくは植え込みの陰に隠れている。
それぞれの隠れ場所で息を潜め、物音を立てないようにしながら、ぼくと拳志郎は様子を見守っている状態だ。
人影はウサギ小屋と植え込みのあいだを通り、ミューちゃんを隠してある辺りにしゃがみ込んだ。
それを見計らって、ぼくはなるべく足音を響かせないように気をつけながら作戦を遂行する。
あるものを、人影が通り抜けたあとの、ウサギ小屋と植え込みの隙間に置いたのだ。
さらに別のものを、いくつか地面に転がしておく。
うん、これで準備はOK。
どうやら、気づかれてはいないようだ。ぼくはホッと息をつく。
と、そのとき。
人影は、持ってきていた袋の中に手を入れた。
――もしかしたら刃物かなにかを取り出して、ミューちゃんを傷つけるつもりなんじゃ……。
ぼくは青ざめ、飛び出そうと身構える。でも、ぼくが飛び出すよりも早く、拳志郎が行動していた。
ウサギ小屋の陰から、突然飛び出してきた物体。
それは、ゼンマイ仕掛けで動く、いくつかのネズミのおもちゃだった。
だけど、それがなんなのかを確認するよりも先に、思わず声が出ていたのだろう。
「きゃっ!?」
人影は短く悲鳴を上げる。
……あれ? この声……。
と、予想以上に驚いたようで、人影は声を上げただけではなく立ち上がってきびすを返すと、脱兎のごとくこの場から逃げ去ろうとした。
その拍子に。
人影の足もとがすくわれる。
いや、正確には足もとにあった物体につまずいたのだ。
そのまま人影は倒れ込み、ドサリと音を立てて地面に転がる。
ぼくがさっき置いておいた爪とぎマットと転がしておいたボールが、バッチリ効果を発揮したというわけだ。
さらには生垣の陰から様子をうかがっていたメンバーも駆け寄ってくる。
実はみんなも本当に帰ったわけじゃなかった。
中庭を抜けて正門に行くには、各クラスの教室がある校舎と特別教室のある校舎を結ぶ渡り廊下を横断することになるのだけど。
その手前には、生垣が存在している。
みんなは渡り廊下の手前で身を屈め、生垣に隠れるようにしながらウサギ小屋のある一帯が見える場所まで移動し、静かにこちらの様子をうかがっていたのだ。
いちごと羽浮姉ちゃんを筆頭に、将流と拳志郎、そして夢ちゃんまでもが人影につかみかかる。
さすがに、みるくちゃんや南ちゃん、希望くんは、少し離れた場所で成り行きを見守っていたけど。
「痛たたたたっ! ちょ、ちょっと、なによ、あなたたちっ!? こら、やめなさい!」
数人に囲まれ、つかみかかられた人影は、慌てて大声を上げている。
マスクをしているから、少しくぐもった声ではあったけど、その声はやっぱり……。
「おとなしくしなさいっての!」
「はっはっは、やめろと言われてやめるようなら、こんなことはしないってな!」
「ふっ、そうだね~。ボクたちのミューちゃんを傷つけようとした罪は、万死に値するのさ~!」
「そうだよっ! 無駄な抵抗はやめて、観念しなさいっ!」
「いくらこっちが子供だからって、五対一じゃ、あなたに勝ち目はないわよ!」
口々に叫んで人影を押さえつけようとする肉球防衛隊メンバー。
「みんな、待って!」
そんな仲間たちに、ぼくは静止の声をかける。
「えっ? どうしたのよ、降人くん」
「この人を、よく見てよ」
どうして止めるの、という視線を向けてくるいちごにそう言い返しながら、ぼくは倒れてみんなから押さえつけられていたその人のサングラスとマスクを外した。
「あっ……」
「雪菜先生!」
やっと気づいたみんなは、驚いて目を丸くしていた。
そう、ミューちゃんに近づいてきた人影は、雪菜先生だったのだ。
「くしゅん! くしゅん! もう、なにをするのよ、あなたたちは! くしゅん! くしゅん!」
呆然と立ちすくむみんなの目の前で、先生は猫の毛アレルギーのせいでくしゃみを連発して涙目になっている。
涙目になっていたのは、寄ってたかって押さえつけられたから、という理由もあっただろうけど。
「ごめんなさい……」
それを見たみんなは、消え入りそうな声で謝るのが精いっぱいだった。
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雪菜先生は、すぐにマスクとサングラスをつけ直して、話し始めた。
「あなたたちが猫の世話をしてるのはわかってたから、少しでも手伝おうと思ったのよ。先生のアレルギーのせいで教室で飼わせてあげられなかったから、せめてエサくらいは……と思ってね。近づくとくしゃみが出るから、マスクとサングラスと帽子で防御して、服にも猫の毛がつかないようにジャンパーを着てたのよ」
先生の持っていた袋の中身は、猫のエサだった。
ここ数日ずっと、こうして誰もいなくなったあとで、ミューちゃんにエサをあげていたのだという。
希望くんが聞いた怪しい人影の噂は、雪菜先生のことだったのだ。
「雪菜先生……。お気遣いはすごく嬉しいです。ミューちゃんも喜んでると思います」
「ミュー!」
ぼくの声に、ミューちゃんも同意してくれるかのように鳴いた。
先生の持ってきてくれた、ちょっとリッチなグルメタイプの猫缶に舌鼓を打ちながら。
「でも……」
ミューちゃんのエサを持ってきてくれたのに、言ってしまっていいものかどうか迷ったけど、続けてぼくは先生に容赦ない感想を言い放つ。
「いくらなんでも怪しすぎです!」
「あう、そう、よね……。ごめんなさい……」
今度は雪菜先生がしゅんとして、消え入りそうな声で謝罪の言葉を述べる番だった。