8話 魔王様と独立宣言
アポもなしに訪れた統括理事長室では、ニヤニヤとした顔の静琉が二人を迎えた。
「なんですかその顔?」
「いやいや、まさかキミが綺麗ドコロの転校生を連れてこの部屋を訪れる日が来ようとはね。 初日からもうモノにしたのかい?」
「……ハァ」
下世話な想像力を働かせているのはクラスメートと変わらないと思いながらパメラを促す。 彼女は一歩前に歩み出て祐一の隣に並ぶと、魔王剣を鞘ごと手前の床に突き立てた。 絨毯が敷いてある上に強く置いた訳ではなく、床が壊れるようなことにはならない。 柄の中央にはまっている紫色の宝石がぐるんと回り、爛々と輝く紫色の邪悪な瞳が出現する。 静琉の【選別者】としての鑑定眼が、瞬時にそれが何なのかを理解した。
「ま、魔王剣!? 封印されてた筈じゃなかったのかいっ?」
「魔王様より下賜されました。 不肖パメラ・シェルホルド、本日をもちまして魔王四天王の一角を務めさせて戴きます」
凛としてパメラが告げると、静琉が驚愕のまま祐一に視線を向ける。 それは祐一自身が四天王の存在を認めたことに他ならない。 あれほど避けていた存在なのに「どういった心境の変化が起こったのか?」と静琉の目は語っていた。
「その理由も含めて話しますよ。 忙しいところ恐縮ですが、人が揃うまで待たせて貰っても構いませんか? 仕事が立て込んでるなら後で伺いますけれど……」
真剣な表情で頭を下げる祐一に、これが異常事態だと理解した静琉は祐一の背後へ目を向ける。 彼を案内したまま室内に残っていた静琉の秘書は、上司のアイコンタクトに委細承知とばかりに頷いて部屋を後にした。 この後のスケジュールをずらしたり、キャンセルしたりするために
「話が終わるまでは暇になったかな。 お茶を淹れるからくつろいでいたまえ」
「ありがとうございます、静琉さん」
祐一に合わせてパメラも頭を下げる。 静琉が自ら部屋にあるティーセットを使い、お茶の用意をし始めた。
最初の来訪者は三人が落ち着いて10分程経ってから。 窓とは反対側の壁に赤黒い魔法陣が現れ、そこから一人の人物が歩み出た。 2メートルを越える長身で、濃紺のスーツを着た上からでも分かる筋肉質の30代くらいの男性。 左右に飛び出て緩やかなカーブを描く髭に、オールバックの黒髪を撫でつけ祐一の前まで進み、左腕を胸に当てて腰を折る。 祐一はソファから立ち上がってそれを迎えた。
「これはこれは魔王様、お久しぶりにございます。 お呼びにより参上いたしました」
「うん、呼びつけるような形になって済まないな、アスタロト」
「「あすたろとっ!?」」
気さくな友人に掛けるような祐一の発言の一部に、静琉とパメラが素っ頓狂な声を上げる。 耳が少し尖っている部分を除けば、そこら辺にいる(かもしれない)ダンディなオジサマと言った雰囲気である。 身に纏っている妖しい空気が特徴的で、一度遭ったら二度と忘れられないが。
「何を仰いますか。 私が直接赴く以外では初めての召集ですぞ。 嬉しさで舞い上がってしまい、貢ぎ物を忘れてしまいました。 誠に申し訳ありませぬ」
「いや貢ぎ物とかはどーでもいーから」
「左様ですか……」
祐一に貢ぎ物を断られ、ちょっとテンションの落ちるアスタロト。 見た目はピンとなっていた髭のカーブが、下向きにしおれることくらいだ。 どうなっているのやら実に不気味である。
「呼びつけたところ悪いが、人が揃うまで少し待っててくれないか?」
「御意にございます」
祐一には穏やかだった視線が室内を見渡す時には剣呑な光を帯びる。 ソファに座り直した祐一の脇に立ったアスタロトの視線は、パメラの持つ魔王剣に向けられた。 細目になったアスタロトに見つめられ、心臓を鷲掴みにされるような感覚に自然と戦闘体勢を取ってしまうパメラ。 一触即発になりかけた空間が、二人の間に手を差し入れた祐一によって霧散する。
「待て待て、身内同士で流血沙汰は勘弁しろよ」
「…………っ」
「……御意」
それぞれが身を引いたのを確認した祐一に静琉が苦笑する。
「上司の苦労が分かるでしょう?」
「勘弁して下さいよ静琉さん。 アスタロト、そっちの騎士パメラには四天王として魔王剣を預かって貰っている。 俺は剣の心得がないからな、文句はこっちに寄越せ」
「は、いえ、分かりました。 その様な事情でしたら我は何も言うことなどありませぬ。 騎士パメラには謝罪を」
「こ、此方こそ失礼したっ」
双方謝罪をしているその場へ「遅くなりました」と桐人が現れ、なんとも言えない空気に戸惑う。
「……、何かありましたか?」
「いや、気にすんな。 桐人に頼んだやつは?」
「全て滞りなく。 ああこれはアスタロト殿、ご無沙汰しております」
「いやいや、占士殿もご健勝そうでなにより」
桐人とアスタロトが昔からの知己であるような挨拶に、苦虫を噛み潰した表情の祐一。 「何処で知り合いやがったこいつら?!」と驚愕していたのはこの場にいる者達には内緒である。
静琉が祐一に頷かれたことで場に関係者が揃ったことを知り、会議の進行を促す。
「さてと、話を始めるか」
「何がどうしてどうなったのかをお願いね」
「分かりました」
静琉は自分のデスクに座ったままで、祐一はその前に立って窓を背に。 アスタロトは祐一の正面の壁側で直立し、桐人とパメラは祐一の右隣に並ぶ。
「さて、ことの起こりはついさっきと言うか、昼休みの時なのだが……」
詳細を省いて助言者に会ったこと、その者の口から語られた異世界の魔王の人生。 そしてその魔王が星を滅ぼすまでの経緯を、質問を後回しにして一気に話す。 聞き終えたあと、静琉だけが困惑を顔に貼り付けて深く長い溜め息を吐いた。
「……信じがたい話だけど、貴方がそれをここで話すということは、この世界でも同じような事が起こりうるという確信があってのことなのよね?」
「ほとんど囁き掛けてくるような勘、ですけどね。 証拠となるものはさっき……」
静琉に頷いた祐一の横、緑色のラインが空中に二重円を描く。 瞬時に通信を繋げた祐一と、開いた先にいた【占星術師】マディの視線が絡み合う。 顔の半分は薄桃色のヴェールに覆われている神秘的な姿で微笑んでいるように見えるのだが。
「早いな、タイミング的にはピッタリだ」
『曲がりなりにも世界級が一人、【魔王】からの依頼よ。 即効で扱うわよ」
この場に居る者で【占星術師】と【魔王】の友人関係を知らないのはパメラだけだ。 少しだけ驚いた顔を見せるも、桐人からの目配せを受けて表情を消す。
『アナタの依頼について結論から言いましょう。 ノイズが酷くなるのは八年程先で、十年も経てば真っ暗闇よ』
マディの言うノイズとは、分岐点が増えすぎて確定した未来が掴み難くなる事を示す。 真っ暗闇とは文字通り、その未来が閉ざされた事だ。 これについては最近彼女が占った幾人かの道が、十年前後で途切れていたことからほぼ確定である。 そこまでを包み隠さず説明したマディに礼を言い、祐一はそのまま視線を桐人へ向ける。
「そっちはどうだった?」
「マディ殿の出したものと遜色ありません」
「そうか……」
執務室に沈痛な空気が満ちる、 謀らずとも国級と世界級の【占】によって“十年後に世界は滅びます”と確定されてしまったようなものだからだ。 最もそんな空気を放っているのは静琉だけである。 沈黙を破ったのはマディだった。
『ユーイチ、依頼から察するにこの結末を招くのはアナタ自身が何処に身を置くか、ではないの?』
「流石マディ、我がご同輩よ。 見事な洞察力だ」
『茶化さないで。 どうせアナタはもうどうするか決めているんでしょう。 私達の【占】なんて過程のひとつにしか考えていなくてね』
ヴェールに隠れた向こう側で微笑みながらマディは促す。 「もったいぶってないでさっさと言え」と口元しか見えない占術師は語っていた。 それに呼応してニヤリと笑った祐一は、背筋を伸ばし魔力を漲らせ【言霊】まで併用してはっきりと告げた。
「俺は 【魔王】に就く」
キンッ! と、どこかで澄み切った音が響き、世界の隅々まで染み渡る。
祐一が立場を明確にしたことから、以前に魔王と聖女が結んだ口約束も断ち切られている。 ガタンと椅子を蹴立てて驚愕の表情で静琉が立つが、アスタロトと桐人とパメラはその場に膝を付いて頭を下げた。 特にアスタロトから歓喜と共に溢れ出す魔力が凄まじく、祐一が捌かなければビル内の人間全てが魔力当たりで倒れていただろう。
「落ち着けアスタロト」
「クックッ、……と、これは失礼を」
祐一の注意で魔力の放出は止まったが、アスタロトの表情には愉悦が浮かんでいる。 普通の人間が見たなら背筋に冷や汗がにじむ程の不気味さを漂わせていた。
「祐一貴方本気?」
「本気も何ももう言ったから」
言霊まで使って世界に宣言したのだ。 ある程度の力を持つ【称号者】なら世界に響いた音を通じて何かが起こることを知るであろう。 平穏な日常を選んで世界が滅ぶ道を辿るなら、例え全人類から嫌われることになろうとも、祐一は世界を存続させる分岐を選んだ。 マディは『こっちは任せておきなさい、頑張って』と激励を飛ばして通信を切る。 ほどなくして聖女陣営、WDAも大いに揺れるだろう。 静琉は祐一の自己犠牲っぷりに肩をすくめて腰を下ろし、「やれやれね」と呟いた。
「アスタロト」
「ハッ」
「魔王城を引っこ抜いて日本近海まで持って来い。 その際に人命を尊重しろとか、周囲に配慮しろとか、秘密裏に行動しろとか不粋なことは言わない。 お前の裁量で好きにやってくれ。 但し俺の顔に泥は塗るなよ?」
「畏まりましてございます。 我が軍団を総動員してご命令を遂行致しましょう。 吉報をお待ち下さい」
祐一は魔王として独立した本拠地を日本の近くに置くつもりである。 そのために残っているなら再利用してしまえと、地球の反対側にある魔王城を使おうと考えた。 ついでにデモンストレーションも兼ねて悪魔の軍団を動かして全世界に威光とか恐怖だとかを示す。 そのための軍団規模の悪魔を動かすことが可能なアスタロトである。 跪いたままの状態で足元に開いた魔法陣へズブズブと沈んでいくアスタロト。
頭を抱えていた静琉は淀んだ空気が落ち着いたのを見計らって、一番拙い部分へ切り込んだ。
「学業のほうはどうするつもり? ご家族の方は?」
「……あ」
祐一が世界の行く末を間違えると家族も消えてしまうため、安全だけを考えていた。 しかし別の問題として魔王が起つことで人類から村八分にされる可能性は充分にある。 そのことは以前に静琉と『祐一が何か起こした場合、その家族は秋津宮で保護する』契約が結ばれているので心配ない。
言われるまでそっち方面はまるっきり考えていなかったため表情がピシリと固まる祐一。 肝心なところで締まらない魔王の姿に桐人とパメラから失笑がもれる。
「はぁもうまったく貴方ときたら……。 退学するにしろ継続するにしろきちんと話し合ってからにしなさいよ」
「ああうん、ありがとう静琉さん」
礼を言って「お邪魔しました~」と執務室を後にする。 桐人とパメラはきちんと頭を下げて退出し、祐一の後を追った。 静琉はもしもの事を考えて、真門家を護衛するための人選を警備部に連絡しておく。 【魔王】に対して思うところのある者や、過激な行動に出る者は少なくないからだ。
「閣下、どちらへ?」
「神社」
「おや?」
「パメラも来い、もうひとりの四天王と予約を紹介するさ」
ビルを出て駅方面へ足を向ける祐一。 桐人は祐一の言葉を聞いて「お見通しでしたか」と頷く。 二人の阿吽の呼吸を掴みきれていないパメラだけが顔に困惑を貼り付けてそれに続く。