7話 魔王様と騎士
女性騎士を伴った桐人は階段で祐一より手前、数段下に立ち止まって恭しく頭を下げた。 朝のHRでパメラと名乗った女性騎士は桐人より更に下段で足を止め、狭い階段上で器用にバランスを保ちながら膝を付いて頭を垂れる。 内心慌てたのは敵対宣言をしにきたのだとばかり思っていた祐一の方だ。 出会い頭に臣下の礼をされるのは桐人に次いで二人目であるといっても、され慣れている訳でもない。 不遜な態度をとりつつ、なんとか落ち着きを取り戻す。 表面上は眉をひそめた無言の表情で見下ろされていたパメラの方は、汗びっしょりになっていたなどとは知る由もなかった。
「ふぅ……。 それで、正義の騎士様は俺に何の用だ? 寝首を掻こうとして膝を折ったつもりか? まさか配下になりにきた、と言う訳でもあるま……」
「いえ、閣下。 どうやら閣下がおっしゃられた通り、『配下に加えてもらいたい』らしいのです」
「はあああっ!?」
祐一より二段下の左側に立った桐人が振り返りながら、パメラの用件を代弁する。 思いもしない単語を聞いた祐一は魔王の威厳を吹っ飛ばし、素っ頓狂な声を上げてしまう。 今までに出会った騎士を名乗る者に悉く『こんにちは、死ね!』とされていれば当然の反応である。 警戒を入れながら桐人と会話している今もパメラは頭を下げたまま微動だにしない。 ある程度知能を持つ下級魔属が命令を待つ形と似たような印象を受け、祐一は詳しい事情を聞くことにした。
近くにある六人が座れるテーブルの広場まで移動し、パメラに座るように勧めてみたが彼女は距離を保ち平伏したままだ。 祐一と桐人の背後には先ほどの魔獣が控える。 狭いスペースに体を押し込んで微動だにしない。
「主君と仰ぎ見る方の命には忠実でありたいのでしょうが、彼女は自分の身分を弁えている。 正しい反応です」
「桐人みたいな物好きが他にも居たことに俺がびっくりだよ……」
桐人が祐一の背後に控えてそう助言をしてくれる。 騎士道がさっぱり分からない祐一は桐人が言うならそういうものなのだろうな、と気にしないことにした。 臣下に入れてくれとやってきた桐人は、敬意とフランクさを使い分けて祐一に接するため息苦しさを感じないが、目を合わせない姿勢のパメラに「やりにくいなあ」と思いつつ疑問を口にしていく。
「あー、パメラ、だったけ? なんでまた率先して俺の配下に加わろうと思うんだ?」
「ハッ、実は我が家にあったこの剣が関係していまして……」
腰に下げていた得物を剣帯ごと外したパメラは、両手で捧げ持つように祐一へ差し出した。 長さは百八十センチメートルくらいの長剣で柄の部分に幾つか紫色の石がはまっている。 石を取り巻く柄の装飾も見事なモノで、実用より観賞用なんじゃないかと思われる。 そう断言出来ないのは、剣から微妙な『魔』の力が漂っているところと、鞘と柄を雁字搦めに繋ぐ古ぼけた鎖のせいだ。
剣を持つパメラが祐一に近寄って来ないので、仕方なく魔法で剣を手元に引き寄せる。 桐人が取りに行く手もあったが、自ら頭脳労働役を自称している彼に、騎士が持ち歩くような剣は(重量的に)身に余るかと思ったからだ。 手に持ってみれば思っていた程の重量はなく、長年振り慣れていたような一体感を感じる。 目を凝らしてよく見ると鎖には聖属性の力が込められ、剣自体に封をしていると分かる。
「この封印式……、【聖女】か? それにしては随分と古ぼけているような」
「リシェはこんなことで手を抜くか?」などと考えながら邪魔なモノを排除する。 柄に手を添えて剣に微量の魔力を注ぎ込んだ途端、甲高い音を立てて鎖は砕け散った。 そして灰色だった鞘が瞬時に漆黒に染まり、祐一が試しにと抜いてみた剣身から濃密な魔力を放ち始める。
「……おお」
「どうかなさいましたか、閣下?」
「恐ろしいほど手に馴染む剣だなこれ」
「それは……、以前の魔王の物なのですね」
「は?」
瞬時に自分の能力を使い、桐人は剣の過去を探り当てて祐一へと報告する。 一瞬呆けた祐一は剣と桐人を交互に見て、納得したように頷いた。
実のところ世界級の【魔王】と言うのは、祐一が二代目なのである。 一代目の【魔王】は今より千三百年も昔に誕生し、南ヨーロッパで猛威を振るっていたという話が残っていた。 時の【聖女】と【勇者】が率いる連合軍と激戦の末に退治されたらしい。 その時に【魔王】が拠点とした城は今でも存在し、立派な観光地と化しているとか。 しかし中までは入れず、外から景観を眺めるだけになっている。 その理由は城ごと第一級危険物扱いとなり、結界に封じられているからだ。 なにせ城が魔王に付き従うゴーレムのようなものであり、千年以上の時を経てもまだ活動を続けているからである。
「そう言われれば城が残っているんだったな。 ふむ……」
「閣下?」
何かを思いついたように視線をさまよわせる祐一に不安を感じた桐人が問い掛ける。 それをスルーした祐一はパメラに話の続きを促す。 流暢な日本語で彼女が語った剣の由来というのが以下の通り。
・彼女の家系の祖は初代魔王に付き従った騎士である。
・最終戦前に剣を託されて逃げ延びたが、残党狩りで捕らわれた。 当代は処刑されたものの家系は魔王の剣を封印する役目を与えられ、監視役を付けられる。
・細々と代を繋いで来たところ、六代前から【騎士】の称号者が再び生まれるようになる。
(監視役は戦争のどさくさで離れたままになっている)
・十年前のある日、地下深くに封印されていた剣がパメラの下に出現した。
「……チッ」
「閣下、もしかしてその日は?」
「ああ、多分。 俺が魔王認定された日だろう」
時期的に思い当たるのがそれしかなく、祐一は苦い顔で頷いた。 魔王の誕生を察知した魔王剣は近い者として運搬役にパメラを選んだのだろう。 パメラに話の続きを促すと、魔王剣は彼女にしか触れる事を赦さず、抜けないがそのまま使い手認定された。 一応聖女陣営に報告をいれたが『魔王に指示を仰ぐ事』という対応をされたらしい。
「こっちに丸投げか。 まあ、リシェらしいな」
それからすぐに【騎士】の称号者となったパメラは腕を磨きつつ、魔王の下に馳せ参じる機会をうかがっていた。 残念ながら日本語の習得に時間が掛かり過ぎて、祐一と同時に高等部入学が出来なかったのは笑い話と言えるやもしれない。
「私を魔王様の配下に加えて頂けますか?」
「いやちょっと待て、それはお前の意志か? 一族の悲願とやらに強制されてるんじゃないだろうな?」
祐一が待ったを掛けると、それまで伏せていたパメラが顔を上げる。 美貌を備えた瞳には鋼の如く強い意志が込められていた。 無言の時間がしばらく流れ、背後に控えていた桐人が噴き出す。
「これは閣下の負けですね。 目は口ほどにものを言う、まさにそのままですよ」
「余計な茶々を入れんな。 一応入団試験くらいはやらせてもらう」
咳で桐人の突っ込みをごまかし、背後で静かにしていた魔獣に合図を入れる。 指を鳴らした命令で魔獣は牙を剥き出し、唸り声を上げる。 凶悪な容貌を持つ魔獣は祐一の前へ歩み出ると、問答無用とばかりにパメラへ向かって突進した。 対するパメラは伏せた状態から即座に切り替え、腰を落として左手を腰に右手をそこに添える。 彼女の所持していた唯一の武器はいまだに祐一の手にある。 構えは熟練者の如く堂に入っているが、無手にしか見えない。 しかし彼女の体勢に祐一は目を細め、桐人は素直に感心した。
交差はほんの一瞬、半秒にも満たない時間で決着がついた。 魔獣は頭と胴体を袈裟掛けに斬られて即死。 その姿を黒い霧状に変え、空気に解け消えていった。 パメラの方は左肩を浅く切られているが、五体満足で立っている。 右上に振り抜いた手には、彼女の身長と同サイズの白銀の大剣が握られていた。 パメラが構えを解くと手から消失し、使った本人は疲れきったのか片膝を付く。 それを労うように二人から拍手が飛んだ。
「まさか我々の年代で魂技を使う者がいようとは……」
「こりゃなかなかの使い手じゃないか。 準世界級を狙えるんじゃねー?」
桐人は感嘆から、祐一は感心からパメラに惜しみない拍手を送る。 パメラは居住まいを正してから、二人に頭を下げることで返礼に変えた。
魂技は魂術とも呼称され、称号者が使うことの出来る奥の手だ。 称号者であれば使える可能性はあるが、それを意図して使用出来る段階にまで持って行ける者はとても少ない。 称号によって覚醒条件が違う上に、他人の経験が誰かの参考になるものではないからだ。 自身を研鑽して編み出していくのが最も近い道のりだ、と言うのが一番の通説である。
「……これでよろしいでしょうか?」
これほどの業物を見せられては祐一も了承するほかない。 魔獣をけしかけて有耶無耶にしてしまおうという目的はあっさり霧散した。 祐一が造った魔獣の驚異度はAクラス級、並みの騎士でも数人揃えねば倒せない相手だったというのに、単独撃破されるとは予想外であった。
「……分かった認めよう。 それでいいな桐人?」
「そう、ですね……」
いつも四天王を揃えることに肯定的な桐人から、戸惑う返事が返ってきたことに訝しむ祐一。 背後を伺えば、顎に手を当てて難しい表情をしている桐人。
「なんだ? お前が心待ちにしていた四天王候補じゃないのか?」
「いえ、しかし彼女を加えてしまうと些か苦しい形になると言いますか……」
「苦しい?」
「?」
桐人の発した言葉の意味が解らずに顔を見合わせる祐一とパメラ。
「このままですと……」
「このままだと?」
「五天王と言う呼称になってしまうではありませんかっ! 実に語呂が悪い!」
「わけわかんねーよっ!?」
至極真面目に力説する占士に本気で理解出来ずにツッコム魔王。 主従の遣り取りにポカーンと置いてけぼりの騎士。 それ以前になんで数が五になるのかが分からない。 現在のメンバーは桐人、ミコト、聖女(暫定)であって空席がひとつあるはずだ。 それを聞き返すと桐人は困った顔で口を濁らす。
「それについてはまあ、予約があるんですよ閣下」
「何だよ四天王の予約って……」
「いえ、その話は後に致しましょう。 閣下はまず先にそちらを」
ついと桐人の指差す先には跪いたままのパメラがいる。 やれやれと溜め息を吐いた祐一はパメラに向き直った。 あれだけの逸材が自分の意志で此方に付き従うというのは祐一の目論見にも丁度いい。 嘘は言っていないようだが、暫くは様子見かと思いつつ持っていた魔王剣をパメラへ投げた。 いきなり投げられるとは思っていなかったパメラは慌てて魔王剣を受け止めて、目を白黒させる。
「ま、魔王様っ!?」
「お前、じゃないな、それはパメラが使え」
「しかしこれは魔王様の……」
「この俺が剣なんか扱えるように見えるか?」
「え、あの、そそそれはっ」
うろたえ口ごもるパメラに桐人が近付いて、手を差し伸べる。
「閣下はお優しい方ですから。 貴女の配下入りを認めて下さるそうですよ。 貴女は閣下に剣を託されたのです」
「え……、あ、ありがとうございます! この命に代えても、魔王様の剣となり盾となりお守り致します!」
「あー、同級生にそこまでかしこまれると背筋が痒くなる……。 そういうのいいから!」
苦虫を噛み潰した表情で祐一が手を振ると、困惑したパメラは伺うように桐人へ視線を向けた。 彼女の言いたいことを察した桐人は「自分と同じく『閣下』と呼べばよろしいと思いますよ」と、アドバイスを入れる。
「はい、閣下!」
「……おい、桐人」
「まあまあ、いいではありませんか。 どちらにせよ選択肢は『魔王様』か『閣下』『祐一様』の三つくらいしかありませんし」
桐人の指摘にうんざりした顔の祐一は「好きに呼べよ」と諦めた。 諦めついでにあまりかしこまらないような先達例をパメラに勧めておく。
「あとフランクにしろ、……と言ったら判断し辛いだろうから、その辺りは桐人に聞け」
「はい閣下。 よろしくお願いします桐人様」
「同僚になるのですから様付けはいりませんよ。 改めまして、魔王四天王がひとり、三条桐人、国級【占士】の称号者です」
「国級【騎士】の称号者、パメラ・シェルホルド。 以後、ご指導ご鞭撻のほどをお願い致します」
ペコペコと頭を下げて挨拶を交わす二人を見ながらもうひとりの仲間もそろそろ表に出すか、と考える祐一。 話の流れ上四天王懸案事項になるが、その前に桐人にやってもらわなければならない事がある。
「桐人」
「はい閣下、先程の『予約』についてですね?」
「いや、その前にお前にやって貰いたいことがある。 【占士】の桐人に頼みたい」
真剣な顔の祐一に頼まれ、桐人の身に電撃が走る。 会ってから二カ月、【占士】としての力を頼りにされたのは、桐人にとって初めてのことだった。
「ッ!? ……ここでは機材がないので確実とは言えませんが、緊急を要するものですか?」
「ああ、確実性のある結果が知りたい」
「承知致しました。 それでは今から部屋に戻り、私の全力をもって掛かりましょう。 それで占うことはなんと?」
「俺がこの立ち位置のまま先を過ごしたとして、五年後、十年後の世界の姿だ。 占えるところまで伸ばしてくれ」
「また随分と広範囲ですね。 しかし閣下の行く末を占うよりは遥かに容易い事です。 お任せを」
片膝を付いて臣下の礼をとった桐人は、足早にこの場を去っていく。 なんのことか分からずパメラは首を傾げるも、自分から問うようなことはしない。
「さて、俺等は教室戻るか。 五時間目丸々すっぽかしてんからな、六時間目くらいは出ないと担任に何言われるかわからん」
「お供致します、閣下」
「だから敬語は……、あ~、言うだけ無駄か」
訂正しようとするのを止め、パメラを後ろに引き連れて教室に戻った祐一に、クラスメートから悲鳴や怒号が飛んできた。
「ま、真門ぉ! 美人転校生と姿をくらましてたなんてなんて奴だ! 見損なったぞ!」
「昼休みと五時間目使って何やってやがったっ!?」
「何もしてねーよ!」
血涙を流さんばかりに悔しがる一部の男子。 大半の生徒は中等部からの持ち上がりなので、【魔王】に対する勇者候補の決闘騒ぎを知っている。 あからさまに騒ぎ立てるのは極少数だ。 反対に女子はパメラを輪の中に引きずり込んで恋バナ方面での問い詰めに余念がない。
「ね、ね、決闘は抜きにしてどうなの?」
「……は?」
「『自分より強い奴なら認める』とか言うルールで、心も体も軍門に下ったとか?」
パメラはきゃーきゃーと興奮する女子達に目を白黒させていた。 女子の質問にパメラが返せずうろたえていると男子側がヒートアップし、それを受けてテンションが倍増する女子側。 終わりの見えないループにハマりかけたが、睨む穂乃香に気が付いた祐一が魔力を流し、教室のあちこちから闇が淀み始めた。 聖女来訪時を思い出した幾人かが悲鳴を上げ、そこへ穂乃香が割って入り沈静化させる。
淀んだ闇は祐一が手元に結集し、羽根のある小鬼『グレムリン』に加工された。 グレムリンは機械に異常を起こす原因となるので、ハイテクの塊である教室には鬼門である。 クラスメートが戦々恐々と見守る中、グレムリンに二言三言告げた祐一は窓から外へソレを放つ。
「なにやってんの真門君?」
「少々込み入った事態が発生したんでね。 関係各所に連絡を回しているのさ」
普段は魔王の力を目立つように使わない祐一の不審な行動に、疑問を感じた穂乃香が聞いてみる。 差し障りのない返答は穂乃香が思った通りだ。
「手が必要なら言ってね?」
「サンキュー。 そこまでの緊急事態になるようならばな」
遠まわしな遠慮に苦笑して席に戻る穂乃香。 友人の有り難い申し出に感謝する祐一は、彼女を魔王のごたごたには巻き込む必要がないと考えている。
放課後。
パメラを伴って教室を出る祐一に男子から殺意の眼差しが向けられる。 「チクショウちくしょう」だの「怨怨呪呪……」だのと呟く敗者の声をどこ吹く風とスルーして、「またなー」と教室を出た。 背後に控えるパメラは男子の様子に首を傾げ、女子からの期待の視線に悪寒を震わせながら。
「閣下、どちらへ?」
「事が事だからなあ。 静琉さんにも話を通しとく必要があるな」
「静琉……様ですか?」
「ああ、この秋津宮一帯の管理責任者で【選別者】な。 色々と世話になってるから間違っても斬るなよ?」
歩きながら携帯にメールを打ち込みつつ冗談でそう告げる祐一に、頬を膨らませたパメラは「そんなことはしません」とそっぽを向く。
「私が閣下の意に背くとお思いですか?」
「まだ初日だしな。何が何処までどんなもんか、というのはもう少し時間が経たないと分からないもんだろ」
いくら自分から希望して部下になったと言えども、命令マシーンになって欲しくないのが祐一の望みである。 桐人のようにそこそここっちの意向を汲んでくれて、自分勝手に行動してくれるのが望ましい。 時々責任転換な部分が発生するのが玉にキズだが、それも日常のアクセントと思えば、……思えば?
「アクセントに馴れてきてるような気もするなあ……」
「は?」
絶望感漂わせ肩を落とす祐一の様子に首を傾げるパメラであった。