3話 魔王様と同盟
何だかんだと途中で寄った同胞の喪儀に長居をしてしまった聖女リシェル。彼女と共に祐一が自宅へ戻ったのは、午後六時過ぎになろうかと言う時間帯だった。
聖女とはいえお客様なのでくつろいで待っててもらおうと思った祐一は居間へ続く扉を開け、そこに広がる光景に唖然とする。
不自然に固まる祐一の行動を疑問に思い、リシェルは隙間から居間の様子を盗み見た。
そこに広がる光景に、祐一と同じく目を丸くする。
「ユーイチ……、日本の食卓はありったけの皿を並べる所から始めるの?」
「……んな風習があるかい」
居間にはテーブルの上から床に至るまで、一品料理の乗った皿で埋め尽くされていたからだ。皿の上に乗った料理は和洋折衷、バラバラだった。
そこへ廊下側から声が掛かる。
「お帰りなさい、お兄ちゃん。……と、リシェルさんもいらっしゃいませ」
「あ、ゆうちゃんお帰りー。聖女様もお帰りー」
心底理解出来ないとでも言うように頭を抱えた妹と、満面の笑みを浮かべ、聖女相手でも物怖じしない幼馴染みがいた。兄の説明しろアイビームを受けた雪香は、一品料理だらけになった居間の惨状を簡潔に述べた。
事の始まりは碧も調理をすると我儘を言って聞かなかった為に、料理一つにつき皿一枚に納まるといった制限を付けたのではある。 うしたらあら不思議。きちんと一品料理を適量で作ってしまったので、制限をつければ碧姉を制御出来ると思い込んでしまったのが雪香の敗因であった。
途中、足りない材料を買いに出掛け、碧から目を離してしまった雪香が三十分後に帰宅して見たモノは……。三倍程にその皿数を増やした一品料理だった。
以降の惨状は居間に足の踏み場もない皿の軍勢が物語っている。
結論としては量を制限すると数が増える、という事らしい。
一部の皿を重ねるようにして何とか人の座れるスペースを作り出し、ようやっとお客を座らせる事が出来て雪香と祐一は安堵した。
ひさしぶりの人数が多い食卓に、引きこもりの母も呼んでくる事に。
二人の母親の真門綾観は基本的に自室に引き篭もって仕事をしている。
何を生業にしているのかと言うと絵本作家だ。
父親の毅は秋津宮で研究員として勤めているが、子供達は何を専門にしているのか聞いた事はない。時折研究室に泊まりとかあるくらいで、超然に忙しいということはないらしい。
ボサボサ頭で眼鏡を掛け半纏を羽織った綾観を祐一が部屋から引っ張り出し、居間へ連れて来るくらいには毅も帰宅した。
家に上がるなり妻を抱きしめてスキンシップを図る。それから背広を脱いでネクタイを緩め、今更気が付いたように祐一へ顔を向けた。
「ん~、お帰りなさい毅さん」
「ただいま綾観さん。……と、いたのか息子よ」
「俺はオマケか……」
家族の中で祐一だけが称号持ちで、世界に二つとない特殊な位を受けたと言う事実は家族を多少揺さぶったが、特に偏見や疎外等はなかった。
当初は親に受け入れられなかったらどうしようか、と考えていた祐一は毅が最初から秋津宮の関係者だった事もあり、環境を変化させられる事もなく、それまでと同じくして育てられた。
その辺だけはおおらかな両親に、感謝してもしたり無いくらいだ。
まあ、それなりに懐の広さを見せる両親もこの状況は想定しなかっただろう。
いったい誰が中流家庭で子供の幼馴染みと食卓が囲める場に、世界的有名人の【聖女】が同席するなどと予想するだろうか?
碧は年下の幼馴染みの友人だから名声なんざ気にはせずに。
雪香は両親が留守の時に一度会っていて、しかも本人から直々に『お友達になりましょう』と畏れ多い言葉を貰っている。
祐一に至っては、以下省略だ。
「こんばんは、リシェルと申します。初めまして、ユーイチさんには何時もお世話になっています」
皿に囲まれた部屋の中で、流暢な日本語を操る美貌の麗人に頭を下げられた綾観と毅はパカッと口を開けて硬直し、次の瞬間には慌てふためいて居間から超特急で走り去った。
「お兄ちゃん……。母さんにお客様が来てるとか言ったの?」
「言ったが、部屋から出すまで寝ぼけ眼だったからな。何処まで聞こえていたのやら」
もはや確信犯な兄をたしなめる妹。
ニヤリと笑った祐一は「こういう反応を見ないと俺達の称号は良く分からんしな」と呟き、リシェルを苦笑いさせていた。
食事が再開されたのはきちんとした格好に着替えた両親が揃った十分後だった。
十分で化粧をしてボサボサ頭を綺麗に梳き、白いブラウスに濃い緑のロングスカートに着替えた綾観に、雪香は戦慄を感じた。
毅はスーツを脱いで、クリーム色のズボンと上半身はワイシャツの上に首元に青いラインの入った白いセーター。二人ともガチガチに固まりつつ、カクカクした3DCGのように【聖女】へ挨拶をしていた。
「こ、この度は、よ、ようこそいらっしゃいままました……」
「こここんななな何もお持て成し出来ない所でもも申し訳……」
しどろもどろに口を開く二人に対し、リシェルはクスリと微笑みかける。それだけで電撃が走ったように、緊張感がみるみる去っていくのを二人は感じた。相手にリラックス効果を与える【聖女の微笑】である。
「そう緊張しないで下さい。今の私は【聖女】ではなく、只のリシェルとして友人のユーイチを訪ねて来ただけです」
「「は、はあ……」」
訪ねられた先の当の本人である祐一は、妹と幼馴染み合作の春巻きを満足そうに頬張っていた。両親の恨めしそうな視線に気付くと、不思議そうな顔で返す。
「いや、リシェルも俺と同じく世界級じゃねーか。俺と同じ対応で接すりゃいいんじゃね?」
「お兄ちゃんは息子でいいでしょうけど。リシェルさんはWDAの代表格と言う肩書きと、世界の善の頂点に立つ人と言う認識の隔たりがあると思います」
「私としてはプライベートにまで立場を持ち出すつもりはありませんし、ユーイチの言ってる通りで構いませんわ」
あっけらかんと立場の相違を自分に例える祐一に、雪香は呆れて突っ込んだ。
しかし、本人から無礼講を許可されて、やり場の無い視線が兄へ突き刺さる。何時もの事なので、祐一は全く気にせずにそれをスルーした。
普段は食事中でも新婚夫婦みたいな空気を纏う両親も、ちぐはぐな雰囲気にそれどころではなかったようだ。子供達が和気あいあいと食事する中、無言で食事を終わらせるとリシャルに「ゆっくりしていってくださいね」と声を掛けると、部屋に引っ込んでしまった。
「つか六人掛かりで半分しか減らねえ……。少しは考えろよ碧姉」
「うーん、御免ね」
悪びれの無い笑顔で頭を小さく下げる碧。
祐一だけで碧と雪香とリシェルに匹敵するだけ消費しても、まだ三十皿程残っていた。雪香は日持ちするものを重箱に詰め、碧に持たせる。
日持ちしないものはタッパーに入れて冷蔵庫へ。上手く行けば明日の朝食と弁当でなくなるだろう。
片付けを雪香と祐一がしている間に碧は重箱を一旦家に持ち帰り、着替えを携えて戻って来る。
その間リシェルは一番風呂に入って貰う。リシェルは風呂に浸かるよりはシャワーで済ますタチなので、片付けを祐一だけで引き継ぎ、順番に雪香と碧が一緒に風呂へ。
「家事の得意な【魔王】って……。信者が見たら幻滅するんじゃありません?」
「俺は信者なんか持った覚えはないけどな。勝手に崇拝する奴等なんか知らん」
何故だか知らないが破滅思考で凝り固まった信者があちこちにいるらしい。傍迷惑な事に時折騒ぎを起こし、時々ニュースになったりしていた。
そして人々の非難がやった奴等ではなく【魔王】の方に来るのが頭痛の種なのだ。
怨唆を口にする訳にもいかず、――マジで呪いとなって飛んで逝く為―― 憮然とした顔で皿を拭く祐一の足元に異変が生じた。
コーナーの影が唐突に揺らめき、質量を盛って立ち上がる。波打つ黒い不定形がのっぺりした人型になり、祐一の背後に跪いた。祐一が特に関心を持たない目で一瞥すると、その口を開き何事か呟く。
一言二言開閉し、現れた時と同じく床に染み込むように姿を消した。
ちなみにキッチンカウンター越しにいたリシェルに声は聞こえていない。ほぼ無音に近いが、聖と魔では伝達波長チューニングが違うからだ。
今のが何かと言うと、防犯用のセキュリティーにしている使い魔のようなモノだ。
見た目不気味なだけの影に見えるが、祐一の命により人畜無害に偽装しているだけで、正体は魔人クラスである。
「どうしたの?」
「どうやら【聖女】のお迎えのようだ。黒塗りのゴツい車とSPが、ウチの回りで手を出しあぐねているらしい」
幾ら迎えの任務と言えど、魔王の家に率先して訪ねよう、……などと考える者はごく少数だ。
例え魔王が学生でSPが百戦練磨であろうと、世間一般の認識はそんなものだ。
リシェルはそれだけ聞くと、身支度を整える。
着の身着のままではあったが、亜空間ポケットからヒラヒラとした銀色のドレス(正装)を取り出しyr羽織る。目前で服を着替えようとしたリシェルに、慌てた祐一が空間遮断した無色不透明の囲いを生み出した。
「うーん、お泊まりくらいは出来ると思ったんだけど、秋津宮の動きの方が早かったわねー」
「こんな所で着替えんな馬鹿たれっ!」
壁の向こうからの焦った祐一の様子に、企みが成功した笑みを浮かべるリシェル。
外見上は似たような年齢だが、リシェルの方が遥かに年上だ。世界級称号を得た事によって老化が止まってしまった為である。
ドレス周りに視認出来る聖光で金の帯を纏う【聖女】の装いとなったリシェルを外まで送る。
SP達は聖女を見つけると車を住宅街の路地へ寄せるが、闇を纏った祐一が側に居る為に近付くのを躊躇していた。
「何をSPに対して殺気立ってるのよ?」
「雪香とか碧姉とか楽しみにしてたんだぜ? 一晩くらい居ても良いじゃんか」
片や衣服やその身から仄かな燐光を発し纏い、宵闇の中一際浮かび上がる【聖女】。
片や隣から発せられる光にも影響を受けない、夜の暗闇よりなお深い闇を纏った【魔王】。
第三者から見ると険悪な雰囲気の魔王と、平然とした聖女が対立している図としか見えない。
妹達の楽しみより立場を優先したリシェルへの祐一のやっかみでしかないが、迎えに来たSP達は周囲に撒き散らされる聖と魔の対立寸前の緊張感に呑まれていた。
「お兄ちゃん!?」
「ゆーくん! どーどー、落ち着こう。ね?」
リシェルもWDA代表という立場が無ければ祐一達の歓待を受け続けていたいが、人目の多い所での魔王との対立は世界の軍事バランスに深刻な影響を与える可能性がある。
どうやってこの場を取り繕うかと思案していたところへ援軍が現れる。辺りに蔓延する剣呑な空気を感じ取った雪香達が、家から飛び出して来た。
SPを背後に控えさせて正装したリシェルと、兄との対立を見て一瞬で何が起きたかを把握した妹は、真っ先に兄を宥めに掛かった。屈強なSPすらも近寄りがたい魔王の腕を掴んで聖女より引き剥がす。
「ほら、お兄ちゃん。リシェルさんも今日はキチンとした来日なんだからさ、立場ってものがあるでしょう。我が儘言ったらダメだよ」
「いやちょっと待て雪香、俺はなあ……」
「そうだよゆーくん。我が儘言うのは女の子の特権で、ゆーくんが言ったらダメだからね!」
妹達の気持ちを汲んでの行動だったのに当人達はあっさりとしたもので、言いかけた言葉を飲み込んだ祐一は闇を引っ込めた。当然、濃密な魔の気配に釣れられて寄ってきた魔の眷属を、手を振って解散させる。
間違っていないが些か見当違いな方向で碧に怒られ、溜め息をついた祐一にリシェルは声を掛けた。
「またお忍びで来たら厄介になるわ。申し訳ないんだけど、この埋め合わせはその時に」
「いや、いいけどよ。秋津宮にはこっちから抗議はしとく」
渋ったのが馬鹿らしくなる結果に、肩を落とした祐一は大人しく引き下がった。
魔王が覇気を潜め引き下がったのを見たSP達は、自分達の職務を遂行すべく動き出す。程なくして聖女は黒塗りの車に乗ってその場を後にした。
◆
翌日。
1-Aの教室に何時もより遅れて登校した桐人は、教室に蔓延したピリピリした空気と、室内の真門祐一を中心とした一角から学生が退避している空白地帯に、何事かと首を捻った。
無論昨夜の【聖女】と【魔王】の誤解から生じた、対立とは言えない騒ぎの報告も受けている。
雪香と碧の介入によって深刻な問題になる前に事態が収拾されたとも聞いた。但し、住宅街に撒き散らされた濃密な魔力によって、軽度の魔力酔いになった者も出ているとの報告を受け、秋津宮の衛生局から専門の対処班が派遣されている筈だ。
抗議が魔王に集中しないように意識誘導する処置も取られているので、真門家が近所付き合いで孤立する事はないと思われる。
流石の土師木も昨日の今日で、この状態の祐一へ突撃レポートを掛ける勇気はないらしい。学院全体には早朝から既に訪れている【聖女】への歓迎ムードに覆われていた。
そこへ来て【魔王】のただならぬ様子にクラスのみならず、高等部全体が緊迫した空気に包まれていた。
一部の報道関係クラブからの推測は、両者の間に致命的な亀裂が生じたのではないか? と言う意見と、来日時の騒動が知れ渡っているところから、光陣営と闇陣営のバランスを取る為の予定調和のうち、だと言う意見もあった。
一般人よりは称号持ちの方がこういった空気に過敏な反応を示す。
腕組みして溜め息を付いた委員長、穂乃香からの「どうにかして!」との命令形の視線が桐人に向けられていた。自称四天王の身としては【魔王】の意向に口を挟む気は無いが、穂乃香嬢との友人関係に余計な波風を立てない方を選択した桐人は、主へとご機嫌伺いに向う。
「お早う御座います。閣下」
「お早う桐人。今日は何時もより遅いんだな?」
「ええまあ、本業の方が少々立て込んでまして……」
「ああ、WDAの方でなんかあったのか」
そのなんかあった原因の当人に言われ、苦笑いで返す桐人。
祐一は特に普段と変わりなく、授業の準備をしていただけだ。唯、放射されている威圧感が人を寄せ付けないだけである。チラリと壁際や廊下に避難しているクラスメートに目をやった桐人は、慇懃な態度で一礼した。
「閣下、畏れながら申し上げます」
「何だよ、改まって?」
「その苛烈な気を収めて頂けませんと、クラスの皆の迷惑になるかと……」
言われてから初めて気付いたように教室を見渡した祐一は、自分の周辺からクラスメート達が疎開している現状を確認した。
慌てて「あ! 悪い」と軽い謝罪で皆に頭を下げてから、周囲に放射していたプレッシャーを引っ込めた。一般人より感覚が鋭敏な為近付けずにいて、やっと本人に面と向かって文句を言えるようになった穂乃香が、表情堅く突撃した。
「もう、真門君! 何があったか知らないけれど、皆の迷惑になることは止めてよね!」
「まあ、特にこれと言った理由は俺には無いんだけどな。他の奴等がなぁ」
「ん? それはどういう意味……」
祐一の言葉尻に混じった不穏な表現に、桐人と穂乃香が嫌な予感を感じ取って身構えた。
程なくしてその予感は、廊下から届いた生徒の悲鳴によって現実のモノになる。
慌てて廊下に飛び出した穂乃香を筆頭にクラスの武闘派が見たモノは、廊下の隅にわだかまる黒い質量を持った影。天井に張り付いた不定形の影。窓枠に絡みついた生き物のようにうねる影。
黒い霧が生物の形を無理矢理取っているような影、影、影、という不気味な光景であった。
ホラーハウスも真っ青のおどろおどろしいモノ達に、廊下に居た者は教室に、教室に居た者は廊下にと泡食って飛び出してきた。
あっというまに不気味な影から逃避しようとする生徒達でパニックが起こる。
……が、走り出そうとした生徒達は内側から凍りつくような重圧を感じ、恐怖で足を止めた。
発生源は教室から廊下へ姿を見せた真門祐一からだ。濃密な『魔』の気配が一般人にも視認出来る位に物質化して周囲へ。波動が祐一を中核として四方八方へ広がった途端に、影達は輪郭を滲ませて掻き消えた。その所業に絶句してフリーズを起こしている穂乃香に振り向いた祐一は両手を広げ、肩を竦ませ「ほらな?」と答えた。
「……なるほど、そういう事ですか」
「いや、三条くんだけで納得されても判らないわよ!」
称号者権限(魔王の圧力)で廊下に溢れていた生徒達を教室に押し込め、廊下側の窓へ寄りかかった祐一は目で桐人に話を促した。
主に腰に手を当て、立腹している穂乃香に話を通す為だ。
「……で? どういうことよ?」
「簡単な事ですよ。閣下は学園のあるこの地に十年以上関わっています」
桐人の説明に穂乃香は頷いた。
【魔王】が出現したのは十年前。同時に秋津宮は称号者である祐一を保護下に置いた。その時は製薬会社として秋津宮の出先機関がこの場所あるだけだった。
しかし【魔王】の能力を調べて行く途上、僅か五年の間を経ただけで秋津宮はこの地を丸ごと管理下に置くまでに成長した。元々秋津宮が持っていた称号者のノウハウと、魔法魔術魔力の効果的な運用方法を確立した手腕によるものである。祐一が協力していた事が前提で。
例えば空中食堂庭園で足場に使われているエネルギーボード。あれは魔力を持っていても運用器官、魔法魔術の才能の持たない人間から抽出した魔力と超科学と錬金術の混合した魔導機関だ。勿論、非人道的な実験体が居る訳でもなく、キチンと魔力提供者とした職員が詰めている。そんな技術が生み出されるほど、この秋津宮は祐一にとって第二の生活場みたいなものに変化していた。
「つまりこの地は十年以上【魔王】様のご威光があまねく染み渡った『魔』の領域、とも言えるでしょう。そこへ『光』の頂点といった【聖女】がやって来たのです。直接【魔王】の御下命が行かない魔属が最大限に警戒し、ああやって視認出来るまで現界しているのです」
「もしかして真門君がプレッシャーを振り撒いてたのって…………?」
「ああ、まあ、うん、押さえ込んでた。知性のある魔族達はいいけどな、命令系統の確立されていない下っ端魔属だと、強い光の気配に触発されて有象無象が溢れてくるからなー」
「ナワバリに入り込まれた野生動物みたいなものだ」との説明に穂乃香の顔は盛大に引きつった。
それはつまり【聖女】が秋津宮に居る限り、この状態が続く事に他ならない。四六時中【魔王】の放つ波動の中に居なければならないか、魔属の博覧会下で生活するかを選べと言うことだ。
これは祐一にとっても苦渋の選択である。まさか馴染み過ぎた地でこんな弊害になるとは全く予想しなかったのもあるし、一般人に無理難題を押し付ける気も無いからだ。対極の存在がいるせいで普段の生活に波風が立つなどと、祐一にも不本意な状況だった。
どうする? と言った視線を受け、全校生徒への選択を迫られた穂乃香が言葉に詰まると同時に、祐一が背にした窓が不意にディスプレイと化す。
黒いスーツを纏ったショートカットの、キツメの顔立ちをした二十歳くらいの女性が映し出された。
「ありゃ、静琉さん?」
『やあ、祐一。お話中悪いけど、統括理事長室までご足労願えるかな?』
「いいですけど、三人でですか?」
話掛けられた祐一が桐人と穂乃香を指差した。穂乃香だけは慌てて両手を体の前で左右に振る、自分は除外して欲しそうな表情で。
『いや、祐一と三条君だけで構わない。現状、秋津宮の状態に関しての話でね?』
「はーい、直ぐ向かいまーす」
唐突に現れた映像はそれだけ伝えると消失した。
今の女性に伝えられた場所は、高等部のある駅ビル校舎より南側に燦然とそびえ建つ高層建築物にある。秋津宮の中核とも言える建物で、見た目はガラスで覆われた網目の円錐形状。
30セント・メリー・アクスとでも言ったほうがいいだろう。全高三百メートルを越える高層建築物で、秋津宮都市でも名物の行政区画だ。
一度校舎から出て、徒歩でビルに向かい、エレベーターで統括理事長室がある五十階に辿り着く頃には呼び出されてから三十分が経過していた。途中、エネルギーボードや動く歩道を使わない結果であるが、呼び出した当人と部屋の中で優雅にお茶を楽しんでいた【聖女】は笑顔で二人を迎え入れた。
部屋付きの顔馴染みの女性秘書が、二人の前に紅茶とお菓子を並べ、一礼して退出していく。ソファーに腰掛けた祐一がリシェルに片手を上げて挨拶し、桐人は腰を折って頭を下げてから着席した。
「授業中にすまないね、祐一」
「いやいや、静琉さんの呼び出しは今に始まった事じゃ無いでしょう?」
彼女は秋津宮 静琉、二十五歳。秋津宮本家の次女で、既婚者。関東で秋津宮の地を管理統括する責任者である。付き合いが長すぎた祐一にとって、随分と歳の離れた姉みたいな親近感で接する事の出来る友人だ。
まだ【魔王】に成り立てだった頃の祐一を保護した実行者で、【選別者】の称号者でもある。
この【選別者】の称号は特殊で、地位は世界級と国級との間に据えられる。能力は唯一つ、『称号者を見極められる』事だ。しかし称号者から見れば存在は希少で重要である。 国に存在する【選別者】全員に認められると、その【称号】は国級と成り。少なくとも三人からの認証が受けられれば、人外級と認められるからだ。
但し、日本に存在する【選別者】は二十人にも満たない。
これは【選別者】を見極められるのが世界級称号を持つ者だけだからだ。本来ならば祐一がこの国における【選別者】を探さねばならないが、実際『何処の誰か分からない者をどうやって探したらいいのか?』と本人が放棄しているせいで、日本における【選別者】の数は少ない。
一応秋津宮が素養のありそうな者を片っ端から祐一に会わせているが、この十年で見つかったのは三人だけだ。静琉はそのうちの一人である。
「話と言うのは、魔属ゾロゾロ事件ですか?」
「おや、話が早くて助かるよ。朝から聖女殿に学園市を案内していたんだけどね、行く先々で職員がパニックになって困っているんだ。魔属は君の担当だろう、どうにかならないかな?」
「横から失礼致します、静琉様。実はかくかくしかじか、……と言う訳でして。閣下には対処のしようがありますが、それに関しては学園全域に迷惑が掛かるというので、此方も頭を悩ませているのですよ」
全容を理解している桐人が『魔』と『聖』の関係に付いて述べた。
それだけ聞けば責任の一端は静琉にもあるので、彼女も苦い顔になる。全国から称号持ちが集まる学院とはいえ、九十六パーセントは一般人だ。その耐性の無い者が【魔王】の波動をモロに長時間浴びて、身体共に無事と言うわけにもいかないだろう。
桐人と静琉が難しい顔で黙ると、嬉しそうな顔をしたリシェルがポンと手を叩いた。
「私に良い考えがありますわ!」
「へー」
「私と同盟を結びましょう、ユーイチ!」
「へー…………、ってなにいいいぃぃぃっ!?」
聖女のトンデモ発言に桐人と静琉は目を丸くし、祐一はソファーからずり落ちた。絶句してる空気の中、【聖女】リシェル・フォトーンは矢継ぎ早に提案をする。
「この場で口約束と言えど、【魔王】と【聖女】である私達が契約を結べば、それは世界に対して認識化されます。そうすれば『聖』の波動であろうとも、『魔』は異物扱いをせずに受け入れるでしょう?」
「待て待て、それは『魔』が『聖』の上位であった場合だろう。同盟だとそれは成立しねーって」
「いえ、それで間違ってませんよ? この場を丸く治めるのにはそれが一番でしょう」
「そりゃあ同盟じゃなくて主従契約だ! 何考えてんだお前はっ! 本音を言え!!」
「四天王【聖女】って響きが良いと思いません?」
「女難の相ってこれかあああああああああああああっっ!!?!?」
あれよあれよと言う間に目の前で交わされて行く、世間に公表出来無い危険な会話。
だらだらと脂汗をかきながら目の前のやり取りを見つめ、引きつった笑みで桐人を振り返る静琉。視線で「この会話は本気か?」と問われた桐人は重々しく頷いた。基本的に【聖女】は冗談は言うが嘘は言わない。
間違いなく目の前で恐ろしい四天王の一角が誕生した瞬間だった。
次の日の四時間目の授業時間中。
リシェルはサンドウィッチとオレンジジュースの乗ったトレイを手に、空中庭園としてある木製のテーブルが並ぶ場所に足を運んでいた。
お供のSP達には傍に居る事を遠慮して貰っている。
これから会う者がそういった煩わしい者達を嫌う傾向にあるからだ。
授業時間中にも係わらず三十人は座れそうなテーブルについていたのはたった一人の女性だけ。
黒い綺麗な長い髪をポニーテールにし、紺色のスーツ姿の上に白衣を着ている。彼女の前に置いてあるのは空のトレイ、本人はストローを加えたままぼんやりと頬杖をついていた。
【聖女】リシェルが対面に立って「ここ、相席宜しいですか?」と声を掛けても視線を動かそうともせず「んー」と覇気の無い返事を返すだけだった。
リシェルは彼女の前に座るとおしとやかな手つきでサンドウィッチ食べ、音も立てずにジュースを飲み干す。その間ポニーテールの女性は最初の姿勢から身動きせずにぼーっと虚空を眺めていた。ただ咥えているストローが風に揺れているだけである。軽い食事を終えたリシェルも何の行動も起こさず、ただ静かに緩やかな風に吹かれているだけだ。
沈黙に耐えられなかったのか女性が先に口を開いた。
「お礼を言うならお門違いだよ。我は只、使命だったからね……」
「それでも、貴女がそう言ったものを感じてないとしても言わせてください。ありがとうございます」
リシェルが目線だけの礼をすると女性は小さく舌打ちをした。
「我はああするのが今まで幾度となく繰り返した常識なんだ。お前に礼なんぞされる云われは無い」
「まあ……。それはまた珍しい言葉を聞いたものです」
感心した様子を見せるリシェルを女性は眼球を動かす事だけで睨み付けた。黒銅の瞳の色の奥、そこに浮き出た白い光。それだけを目にしたリシェルは慌ててトレイを持って立ち上がり、礼もそこそこにその場を辞した。女性はエネルギーボード上を飛び跳ねるようにして退散していく【聖女】をチラリと見ただけで興味を失った。
「……何年経っても傲慢なのは我の方か…………」
表情を消した女性は再び虚空に目をやって、溜め息をひとつつくとトレイを持ってその場から立ち上がり、今まさにリシェルが通った道を下って行った。




