1話 魔王様の日常
「ふわぁあああ~」
真門 祐一は自宅を出た所で欠伸をして立ち止まった。
白い学園指定の半袖シャツに紺のズボン、胸ポケットには秋津宮学園の鷲と一角獣の刺繍された校章。右脇に抱えるのは真新しい学生鞄。
視線は住宅街より北に伸びる道の先へ。
真門家より二軒奥から小高い丘へ続く階段がある。階段の上には赤い鳥居がそびえ立っていて、今まさにそこから飛び出した女性が軽快なステップで階段を下りてくるところだ。
翻ったスカートの中が見えそうな光景に祐一は慌てて視線を反対側へ。そのままそっぽを向いていると背中からタッタッタッと軽快な足音が近付き、祐一の肩がポンと叩かれた。
「おはよっ、ゆーちゃん!」
「ああ、おはよう。碧姉」
望美 碧。
祐一の幼馴染でひとつ上の姉みたいな存在である。
幼少のころは“みどりちゃん”と呼んでいた祐一だが、年を経るごとに呼ぶのが気恥ずかしくなり、ある日“望美先輩”と呼んでみた。しかし他人行儀を嫌う彼女はストライキを起こし、彼の部屋の前で涙を瞳に溜めながらテコでも動かなくなったことがある。それ以来祐一は“碧姉”と呼ぶ事にしている。
高台の上にある霞神社の一人娘で、上に兄が二人居る。放課後は巫女装束に身を固めて家業を手伝っていて、祐一も彼女の巫女装束目当てのファンをよく見かける。
霞神社は霊験あらかたと評判で、雑誌で知った者が恋愛成就や家内安全などでよく訪れる。
“魔王のお膝元に有りながら”と言う噂もそれを加速させているのだろう。
そのまま二人は連れ立って歩いて行く。
目的地は近所の駅だ。新交通システムと名付けられたモノレールに乗り、五駅通過した所で降りる。
学園と同じ秋津宮と名付けられた駅周辺の区域は、祐一達の住む住宅地と様相が一変していた。
近代的なビルや動く歩道が敷設され、未来都市もかくやと言った建造物が建ち並んでいる。ここら一帯を取り仕切る秋津宮グループのお陰だ。
駅周辺のビル街は校舎か、研究機関に関連する施設の二択しか存在しない。
それでも学生や勤める者達の娯楽用にビル丸ごとひとつがアミューズメントエリアだったり、ショッピングエリアだったりと、遊ぶ所にも事欠かない。
この駅を利用する者の大半は学生で、学舎は駅ビル丸ごととその周辺に建つビル群に収納されている。 運動場すらもビルの途中階に設営されていたりと、科学と魔法の粋を極めた技術の結晶だ。
【称号】と言う世界に組み込まれたシステムが、人の有り方を丸ごと変えて早二百年。
【科学者】が既存の研究員や教授などとは段階の違う発明品を世に発表し、技術史の歴史を塗り替えた。例えばたったひとりで産業革命を起こしてしまった。
【魔術師】を名乗る者が架空の世界や物語の中でしか起こり得ない超常現象を引き起こし、物理学を信奉する者達の常識を根底から叩き折った。
【騎士】や【剣士】に武器を持たせれば歩兵が戦車のような働きをする。
【錬金術師】の手により何の変哲も無いクズ鉄の塊が、見た事も聞いた事も無い金属へ姿を変えた。
世界によって称号を与えられた者達が披露した技術により、たった百数十年で人々の営みを根底から覆した。
しかし、覆すのは簡単だがそれによる一般人の混乱は数人の【称号持ち】だけではどうにもならない。 一般人との軋轢を避ける為に一部の【称号持ち】が結託して、自分達の統制と管理を始めた。
【独立世界称号統制機関】(略してWDA)の誕生だ。 彼等は【称号】によって人と隔絶した能力を持つ者達を集め、その科学力で空飛ぶ人工島を作り上げて、其処を自分達の本拠地とした。
秋津宮財閥は古来からの日本に於けるWDAの様なもので、開国と同時に海の向こうの同じ組織と手を結び、日本の中での影響力を強化してきた。
この地はその出先機関も兼ねていて、日本中の【称号持ち】が集まる学院研究機関である。
真門祐一と望美碧はそこに所属する学生だ。
碧は今年で高等部二年目の在籍になるが、祐一は高等部一年。そして今は六月。
まだまだ成り立てほやほやの新入生である。とは言え二人とも中等部からこの学園に通っているので、校舎を見上げるのも今更と言った感じだ。
碧は称号を持たないごくごく普通の一般人、しかし祐一は違う。
世界によって定められた【魔王】の称号を持つ唯一の人物であった。
最初の頃はマスコミやら世間が散々騒ぎ立てたが、秋津宮が素早く彼を”保護”した為、混乱は直ぐに収まる事となった。
しかし秋津宮も慈善事業で保護した訳でなく、そこにはギブ&テイクが存在する。真門祐一は煩わしいマスコミや世間の目から隔離される為、秋津宮は【魔王】たる彼の行動をプライベート以外でモニターする為だ。
『貴方のその魔王としての力、何処から捻出されているのかとても興味深いわ』
【魔王】理論のプロジェクトチームの主任研究員から祐一はそう言われた。
こうして秋津宮駅に降り立った時点から、祐一は学院のシステムの管理下に置かれる。最初のうちは何かしら人の目を気にしていたが、三年も経つと気にもしなくなった。
「じゃ、ゆーちゃん。また後でね~」
「ああ、うん」
昇降口で碧と別れ、自分の教室へ向かう。
廊下は動く歩道。階段はエスカレーター。あちこちには円筒形のガラスの中をエネルギーボートと呼ばれる床が上下に動くエレベーターもある。
まだホームルームの予鈴にも余裕があるため、学生達はそこらで固まり雑談に興じていた。
二階にある真門祐一の所属する教室。実際には駅ビルの上にあるから五階に相当するが、校内表示はその辺りをほぼ無視して表示されている。……に辿り着くと自動ドアを潜り教室へ足を踏み入れた。
教室内は既に登校していた生徒で半分くらい埋まっていた。
【魔王】である祐一について物怖じせずに普通に挨拶を送ってくるクラスメートに挨拶を返すと、自分の席に腰掛けて溜息をひとつ。
「おやおや、朝から溜息とはお疲れですか? 閣下」
すぐさま近付いてきた長身の影が机の前に立って声を掛けてくる。
敬意を払いながらどこかからかう様な口調に、祐一は半目を上げて挨拶を返す。
「おはよう、桐人。なんでも見通してるんじゃないのか?」
「いやいや、閣下こそ。僕が何でも見通す事が出来ると思うのは大間違いですよ?」
肩にかかる長髪に灰色の瞳。少し楽しそうな笑みを浮かべた整った容姿の青年がそこに居た。
三条 桐人。
クラスメートで同い年だが高等部に入ってからの編入組で、北欧帰りの帰国子女だ。WDA本部から秋津宮に出向になったエージェントにも拘わらず、祐一を【魔王】として崇めていた。自称“魔王四天王”を名乗っている。
ちなみにエージェントうんぬんは、ばれる前に本人が自発的に祐一に告白した。エージェントと言うだけあって一般人ではなく、国級の【占士】の称号持ちの人物だ。
普段は女生徒の恋愛相談にその無駄に優れた能力を使っているため、悩み多き彼女達からの支持も高い。
一部の男子からは目の敵にされている、少々レベルの高いイケメンである。
片や祐一は見た目から一般的な日本人と言った印象を受けるくらいでしかない。
中肉中背で伸び過ぎない黒い髪に黒い瞳。時折その瞳が光の加減で金に光る時があるだけだ。しかし、一度動くと経済にとんでもない影響を与える称号持ちな為、進んで彼にちょっかいを掛けようと言う者はまず居ない。それはそれで本人的には平穏な日常が送れて満足していた。
「途中で不快な出来事でも有りましたか? 何でしたら占いますが……」
「いや、いい。そーゆーのは廊下で期待の目を向けている女子達に使ってやればいいんじゃないか?」
視線を横に向けると、廊下からキラキラと憧れの眼差しを向ける女生徒が数人、此方側の桐人へかまってオーラをだしていた。爽やかな笑みを彼に向けられると、廊下に悲鳴だか感嘆だが判別しかねる黄色い声が響く。
軽くにこやかに手を振って黄色い騒音を加速させる桐人。
入学した初日に【魔王】に向けて拝謁した彼のせいで、高等部では既に二人の存在は周囲の認めるところだ。
一部では誰が次の“魔王四天王”に入るかでトトカルチョが行われていた。平穏な日常を送りたい祐一にとっては望んで噂になりたい状況ではない。
軽い雑談を交わしているうちに予鈴が鳴り響き、廊下に居た生徒達が慌てて席に着く。
時間になると扉が遮断され、所定の机に座っているかを判断して出欠が取られる。廊下に取り残された生徒は例外無く遅刻扱いにされるので、皆の行動は迅速だ。
五分経って、二度目のチャイム。
HR開始と同時に教室正面の全面ディスプレイに光が灯り、ほんわかした表情の緩くウェーブした髪を持つ女性が映し出された。1-Aの担任、山崎・F・ほもろ教諭だ。視線で教室を見渡した教諭はにっこりと柔らかく微笑んで朝のHRを開始した。
『はい、皆さんおはよう御座います。今日は特に連絡事項等はありませんが、貴方達にとっては高等部の選択科目初日ですね。自分の受ける科目をキチンと確認して、所定の講堂へ遅れないように。連絡は以上です、今日も頑張ってくださいね』
軽く会釈をして朝のHRは終了、映像は切れた。その次にクラス内で一人の女生徒が前に進み出た。
穂野木 穂乃香。
やや細めの瞳に腰まで届くようなポニーテール。スタイルは細身ながらしっかりとグラマーだ。祐一にとっては数少ない友人で、1-Aのクラス委員である。
手をパンパンと叩きながら皆の前へ出て、自身の端末から正面ディスプレイに英数字を表示させた。
D=11、F=9、A=10と表示される数値を横に教卓、と言っても直系20センチほどの柱だ。その先にある小さなコンソールを操作する。
「昨日取り決めた通りの教室移動を行います。D棟運動系が一番、A棟特殊系が二番、F棟実務系が三番です。なお、私はD棟なので教室のコントロール操作を誰かにお願いしたいと思います。立候補は?」
「あ、じゃあ、俺がやるよ」
真っ先に手を上げた祐一に教室が一瞬ざわめく。しかし、それを制して隣に居た桐人が立ち上がった。
「それは自分がやりましょう。実務系が最後ですので、そこに行く僕の方が都合がいいでしょう」
「そう、ですね。それでは最後のは三条くんお願いします」
一度自分の席に戻った穂乃香は次の授業の準備をしてから、祐一の所までやって来た。
「こういう時に動くと皆が戸惑うから止めておいた方が良いわ」
「そうですよ閣下。【魔王】が自主的に動くと何が起きるか分からない。と、一般人は誤解しますからね」
「…………はいはい、俺が悪うございました」
穂野木穂乃香は人外級【弓師】の称号持ちで中学時代からの腐れ縁だ。気さくに祐一と接するようになるまでは時間が掛かったが、校内では数少ない【魔王】の理解者でもある。
ふてくされたように溜息を付く祐一にクスクスと笑い、手を振ってそこを離れた。
彼女が教卓のコンソールを操作すると軽い振動が教室に響き、前後の扉に赤いランプが点いて防壁シャッターが下りる。そして外の景色がゆっくりと横にスライドした。
ここで生活をしている者は慣れているが、高等部からの編入組みからは「おお~」という感嘆の声が上がる。
教室そのものをそれぞれの専門棟まで移動させ、生徒の教室移動時間を短縮させるシステムだ。
窓から外を見れば、幾つもの教室が本校舎からブロックごとに外れ、中空を上下左右に移動しながら目的の校舎に移動してドッキングを繰り返していた。
最初の目的地であるD棟は本校舎の南側なので、横移動で校舎ブロックから外れた1-A教室は本校舎を越えた所にあるD棟へ向かう。
校舎の中段から四方に伸びた空港ターミナルに似たドッキング回廊のひとつに接続、内部の防壁シャッターが開くと安全が確認されてから赤いランプが青く変わって扉が開く。
教室の前に待機していた十一人は、穂乃香も含めて教室を出て行った。
次は代わりに桐人がコンソールを操作する。
校内のあちこちにあるこういった入力形式のモノは、教員以外だと称号持ちしか操作する事が出来ない。称号主義の秋津宮の弊害だと言われるが、必要な時には称号持ちに頼めば済む話である。
A棟に移動する際には桐人に深くお辞儀をされて見送られ、祐一は背中がむずがゆくなる感じに身震いした。
A棟は超常系の専門技能に細分化されていて、祐一が向かうのは魔法科である。
講堂は二百人位までなら生徒を入室できる広さを持つ。選択科目は一年から三年まで合同なので大人数で行われる。
だいたい中段に腰を落ち着けた祐一の隣に、先に来て待っていた碧がちょこんと腰を下ろす。一緒に来ていた同じクラスの友人らしき女生徒が、祐一の顔を見るなり顔を強張らせた。
「み、碧~ィ……」
「どうしたの、博美ちゃん?」
「こ、ここ、大丈夫なの?」
「ん? 別に変なところは無いけど。ね、ゆーちゃん」
「ああ、誰かが予約して此処に座りたいって事も無いぜ」
二人が妙に親しげなのが分かって半信半疑で腰を下ろす女生徒。但し碧の横をひとつ開けて。ニコニコと機嫌の良さそうな友人と【魔王】が親しげに話す様を心配そうに見つめていた。
マイペースに定評がある碧はともかく、自分は平凡で無害な普通の人間だと思いたい(他人の評価含まず)祐一は難しい表情で前を向く。
そうこうしているうちにチャイムが鳴り、教卓付近の床に穴が開いて二人のローブを着た教師がせり上がってきた。腰の曲がった老齢の理論系 国級【魔術士】ラゴン・ラプラス教諭と、若手の青年実践系 人外級【魔術士】蒼月リュウ教諭だ。
同時に生徒達は、カードケース型の学生証を各卓のスロットに差し込む。机のシステムが作動して、ノートパソコン型のディスプレイとキーボードが展開する。これがそれぞれの出欠を示し、教諭に伝えるシステムになっている。ラプラス教諭は自身のディスプレイに表示された名簿に欠席者が無いのを確認して、満足そうに頷いた。
まずは一年生へ魔法科としての主旨説明。二年と三年は去年と同じ話を繰り返されているので、気の抜けた顔で聞いていた。それから魔法を使用する時の注意事項。その後にお手本として上級生及び称号持ちが指名され、前まで出て実演をやらされる。
生徒それぞれのディスプレイに教員より指名が告知される。ピーッと鳴った自分のディスプレイに祐一はウンザリした顔になった。
席を立って前に出て行く祐一にもの凄い数の視線が突き刺さる。知らない仲でもないラプラス教諭を見ると、顎鬚を撫で付けながら満更でもない笑みを浮かべていたので、早々に諦めて実演に集中した。
称号持ちはその称号自体がライセンスを兼ねているので、特に制限無しで魔法や魔術等を行使できる。 それ以外の素質ある一般人は、ある種の資格試験を通過しなければいけない。
ライセンス無しの魔法行使は違反者として最悪逮捕されてしまう。
【魔王】の称号を持つ祐一は、別名【魔を統べる者】と言われ、“魔”と名付けられる物ならその全ては祐一に従う。
デモンストレーションとしてこれ以上最適な人材は居ない、と判断した爺さんを一瞬睨みつけた祐一。並んだ生徒達が火、風、土と単素魔術を披露したのを見てから、水の属性魔術を最小威力で解き放った。
途端に足元から六角状に水柱が噴き上がり、天井付近で複雑に絡み合う。
ただの水流が実体を伴って具現化し、教室中に足を伸ばす巨大な烏賊の姿をとった。
最小に調節してこのあり様である。教室のあちこちからは悲鳴が飛び交ったので、生み出した側の祐一は眉間にシワを寄せた。出現したクラーケンが期待した視線を向けてくるのを無視して「戻れ!」と命じた。
命令に素直に従ったクラーケンは自身を構成していた水を解き、バラバラになって霧散する。細かい水滴となったモノは祐一の手中に集まって圧縮され、最後には何処へとも無く消えて行った。
「うむ、昔とは比べモノにならぬの」
「こういう事は金輪際やめてくれよな、爺さん」
幼き頃の魔法の師に悪態を付いた祐一は、あちこちからの恐怖の色が混じった視線を特に気にせず席に戻った。碧からは「すごかったねー」と慌てる事も無い賞賛の笑みを向けられて、少し照れた。昔から驚くとか慌てるとかは微塵も感じさせぬのは彼女の特徴だ。
結局、初期説明だけで最初の選択科目は終わったが、祐一の披露した圧倒的な魔力のお陰で多少空気の強張った授業となった。
「ほう、そんなことになっていたんですか……」
「まったく、あの爺さんはいいけどな。他の人達が迷惑するだろーが」
午前中の授業を終えた祐一と桐人は連れ立って食堂へと来ていた。
本校舎の屋上にある食堂にはあちこちに丸テーブルとセットになった椅子が置かれ、誰でも使える様になっている。
屋上だけではなく、周辺の空に向かってエネルギーボートで出来た道が広がっていて、中空に浮かぶ小庭園だとか草原だとかの小島でシチューエションを変えて食事が出来る。二人が居るのは普通に屋上に設置されたテーブルだ。
普段であれば特に示し合わせた訳でもなく碧が居るが、約束した訳では無いので今は居ない。今頃は教室で友人達と騒がしくやっているのだろう。
桐人には教諭が祐一を指名した訳が推測できた。
入学してから特に突飛なリアクションを起こしていなかった祐一に、業を煮やして強制的に行動を起こさせたのだろう。【魔王】の一部始終をモニターしているセクションには潤沢な資金が費やされている分、変わり映えのしないデータは見向きもされないのだから。
(これは過剰なアプローチを避けるように本国の方から横槍を入れて貰うべきか?)
「ん、どうした桐人? 口に合わなかったか?」
「あ、いいえ。とても美味しいですよ、ご馳走様です」
「おう、それならいいや。雪香にもそう伝えておくさ」
真門家は父親が研究員で母親が作家なため、家事全般は子供達の担当だ。
交互に食事当番をしている祐一とその妹の雪香は、つい先日真門家へ遊びに来た桐人がインスタントか外食の毎日を送っていると聞いて、弁当を作る事を提案した。
臣下が主君にそんな事をして貰うのは悪いと断った桐人。しかし雪香が「じゃあお兄ちゃんじゃなくて私が作ればいいんじゃん」と言う言葉に押し切られてしまった。
「今日は碧さん来ませんね?」
「ちょっと授業で悪い事しちゃったからな、友達に捕まったのかもしれない」
妙に怯えていた碧の友人を思い出した祐一は、何もしていないのに怖がれることには慣れっこだ。それでも目の前であからさまに怯える様子を見るのは気分が悪い。
内心の思いを押し殺して普段と変わりないように務める祐一に桐人は溜め息をついた。
午後は特に変わった事が無く平穏な時間を過ごせた事に安堵する祐一。
称号に依る弊害か、毎日何かしら騒ぎが起きる事がしばしば続く日が多いだけに、静かな日常は一杯の清涼剤みたいなものだと実感する。
まあ、そんな考えは直ぐ甘いものだった。と改めさせられる出来事に中断させられるが。
一緒に帰ろうと約束していた相手、碧が祐一と合流した時にそれは起こった。
街頭スピーカーから“ヴィー!”とサイレン音が飛び出し、駅前に設置されている街灯が赤い警告灯に切り替わる。
緊急時の避難警告灯が起動した為に、付近に居た生徒や職員が規定の場所へ。しかしこの都市に慣れた者は慌てない、慌てるのは編入組の人々だけだ。
本校舎の左斜め北側の建物から爆発音と共に二階部分の壁が破壊されて、ターミナルの二階部分広場と隣接された場所を煙が覆う。
近くで逃げ遅れていた学生が慌てて駆け出す中、煙の中より団子虫の形状をしたロボットが現れた。 大きさはちょっとしたプレハブサイズはあるだろうか。
赤銅色の蛇腹装甲に身を包み、伸び縮みしながら走行するソレ。何故か本校舎の一階部分へその矛先を向けた。
祐一達がいるのはエネルギーボード内の三階部分な為、ここまで被害が来る事は無い。真下からはパニックになった人々の悲鳴が上にまで聞こえて来る。中継の空中庭園に避難していた数人の学生と共に下を覗き込んだ祐一は、碧に服の袖を引っ張られている事に気が付いた。
「ゆーちゃあぁん……」
「え……?」
悲しそうな顔で何かを言いかけては止める碧。誰よりも祐一の近くに居た彼女は弟分が平穏な生活を渇望しているのを知っている。その為に自分の我が儘で助けに行ってくれとは言えないのだ。
そして祐一もそんな姉貴分をよく知っていた。癖になっている溜息を長ーく吐いて碧の頭を撫でた。
「ゆーちゃん?」
「あーもーしょーがねーな。ちょっと待っててくれよな、碧姉?」
返事も聞かずに空中庭園から飛び降りた。
庭園自体は二十mの高さに位置していて、常人なら飛び降りただけで無事に済むとは思えない。常人で無い彼は風の魔法を操ってターミナルの出入り口付近へ難なく着地。途中で横合いから光の矢が高速で射出され、団子虫の表面に付き刺さるのを見た。
「穂野木!?」
「真門くん!?」
ガレキの遮蔽物を旨く取って和弓を振り絞っていたクラス委員は、普段なら知らん振りを決め込む祐一を見て目を丸くした。
戦闘能力を持つ称号持ちは、緊急時に事態の沈静化の為に尽力を尽す契約が結ばれている。それも自主性に委ねられるが、祐一に関してはその範疇外だ。理由はその事態にも依るが、ハッキリ言って振るう力が強力すぎるからである。
「珍しいわね貴方がこんな時に飛び込んでくるなんて。どういった風の吹き回し? いえ、鬼の霍乱かしら?」
「勘弁してくれよ委員長……。幼馴染がちょっとな」
それだけで【魔王】も女性の涙には勝てないのかと理解した【弓師】は思いっきり噴き出した。爆笑する友人に憮然とした顔でソッポを向いた祐一は、団子虫にトンファーで討ち掛かっていた男子生徒があっけなく弾き飛ばされる様子を見た。
「なんだありゃあ? 新型の装甲か?」
「……みたいね。ふう、面白かった」
「笑うところかよ、今のは?」
聞き返した祐一が面白いのか邪推の笑みを浮かべた穂乃香。言っても無駄だと理解した祐一は、近くにあった二トン近いガレキを重力魔法で持ち上げて雷撃魔法をレールのようにして床に展開。ガレキと床に磁力の反発力を作用させ、団子虫目掛けて撃ち出した。
剛速球で突き進んだガレキは見事に団子虫へ命中したが、装甲を凹ます事は叶わずに表面を滑って軌道をそらされ、その向こう側の天井に突き刺さった。その下に居た称号持ち数人が慌てて避難して、天井の崩落を避ける。同時に「なにやってんじゃーこらあ!」と非難も飛んで来た。
文句を言われ慣れてる祐一は片手を上げて詫びた。向こうはコッチに居るのが魔王とは気付かないので文句の言い放題だ。
「さっきから矢も当たったって意味無いのよねー」
「あれは瞬間的なエネルギーには強いだけですよ、閣下」
こりゃお手上げだと肩をすくめた穂乃香は、イキナリ出現して助言を出す桐人に驚いて飛び上がった。
「わあっびっくりしたあ! 三条くんももう少し穏便な登場方法は無いの?」
「これは失礼を、穂野木嬢。と言う訳ですよ閣下」
「瞬間がダメなら、満遍無く圧力をかけてやればいいってことか?」
「そうですよ。たとえば水圧とか?」
「水圧って……。此処は陸上なのよ、三条くん?」
「水圧か。だったら丁度いいのがいるさ!」
【魔王】としての力を解放、加減して壊せないと困るので惜しみなく大魔力を行使した。
あちこちの床や壁を突き破って露出した水道管から大量の水がターミナル内へ流れ込み、全長百メートルを越える巨大な水の魔獣を形作る。
ターミナル内ギリギリに体を潜り込ませたそれは、目前の脅威に硬直している称号持ちを避けて、六十メートル以上にも及ぶ十本の足で団子虫を包みこんだ。
「ぶっ潰せ! クラーケン!」
─── キュイイイイイイィッ!!
なんと表現して言いのか分からない鳴き声を上げて【魔王】の命令を実行したクラーケンの死の抱擁。
その足の中に赤子のように包まれた団子虫は、一瞬で信じられないような水圧を掛けられた。あっという間に直径五十cmにまで圧縮され、唯の金属塊に変わり果てる。
命令を果たした事で満足したのか、祐一の命令も待たずにただの水へと戻ったクラーケン。その体を作っていた莫大な水量は唖然としている称号持ち達を怒涛で押し流し、悲鳴とともにターミナルを水浸しにして行った。後片付けの仕方のあまりの惨状に穂乃香はともかく、命令を下した側の祐一までもがポカンと口を開けて眺めている。
残ったのは限界以上に圧縮され、床のタイルにめり込む赤銅色の金属塊だけだ。
「真門くん……」
「あー、その。……スマン」
「流石は閣下。【魔王】の名に恥じぬ見事なお手前です」
心配した碧が降りてくるまで、祐一達は委員長の小言に付き合わされてしまった。
称号の等級は世界級>国級>人外級、という強度になっています。数の順で行くと、この逆です。