12話 魔王様の終わりと始まりの日(3
※ お食事中の方は注意!
一方、聖女陣営とも称されるWDA本部でも、バケツをひっくり返したような騒ぎになっていた。
まるでロボットアニメの戦艦の艦橋のような司令室。
一段高い司令席で情報の推移を見守る聖女にも、聞き分けられないほどの雑多な報告や怒号が飛び交っている。
「魔王城! ヒマラヤ山脈近辺へ到達! 依然速度は変わっていません!」
「進行上にある街や村に避難勧告は出したのかっ!」
「現場より報告! 現地時間の1700時に全ての脚の再生を確認したそうです!」
「時差も込みで報告には3時間の遅延! 海底ケーブルの不調はまだ直らないのか!」
「依然通信網の断絶は回復していません!」
「魔王城の通過した経路での行方不明者は2000人以上! 称号持ちの無謀な吶喊も何度か報告されています!」
「なんでテレビが見れるのにこっちの通信回線だけが通じねえんだ!?」
「環太平洋艦隊より連絡! 問題の海域にて4時間前より大規模な高密度魔力が発生! 津波も確認されています!」
「近海の都市にて相当数の魔属の発生有り! パニックが広がっています!」
「やきにくたべたい」
「天文台より連絡! 大気圏外にてグレムリンが群れを作っているそうです!」
「ちくしょう! 通信衛星の不調はそれが原因か!」
「ミサイルを撃ち込んだらどうだ?」
「バカ野郎! 魔属が近代兵器なんかで死ぬか! 魔法が使える奴を送り出せ!」
「燃料の高騰により周辺国家の宇宙開発機構は打ち上げを拒否している模様!」
「誰だよここにきてそんなもんの値を釣り上げた奴ァ!」
あちこちから入ってくる報告に蜂の巣を突ついたような大騒ぎになっている。
「やれやれ。魔属も抜け目がないわねえ……」
「秘匿回線に使える通信網が悉く寸断。テレビと電話は使えるのに、国家間の通信は出来ないときているわ。ユーイチの嫌がることをキチンと心得ているみたいね。魔属の統制を執っている者は余程の傑物よ」
「私たちが感心してどうするの」
司令席にて眼下の騒ぎを眺める2人。
【聖女】リシェルと【占星術師】マディである。
「騎士招集をかけておいて良かったわ。独断専行で魔王に突撃しようとする者に牽制が間に合って」
それでも魔王城の進行上に居たからと無謀な突撃を仕掛け、逆に美味しく戴かれてしまった称号者も少なくない。
「此方の予測よりは3年早かったな。【繋ぐ者】が余計な忠告を入れなければ、此方の準備も間に合ったのだが……」
マディが悔しそうに唇を噛む。
彼女の占星術では魔王陣営が立ち上がるのは祐一が20歳の誕生日を迎えてからだと出ていた。誤差は早くても1〜2年の範囲とみていたのだが、今回の発起は聖女たちにとっても完全に想定外である。
しかも魔属たちの動きが予想以上に早く、聖女陣営だけでなく世界的に裏をかかれた状態だ。
どちらにせよ世界級の称号者に対して占う場合は、もう少し確率を低く見積もるべきだろうとマディは思っている。
「まあ、でも勇者が居ればまだましになったかもしれないわね」
「居ない者を当てにしても仕方がないでしょう。彼の者が誕生するまでまだ掛かりそうですし」
聖女陣営が保身に走っただの何だのと世間で噂が出ているが、実は強ち間違いではない。
聖女が魔王に対して真っ向勝負に出られない最大の原因は勇者の存在である。
聖女を筆頭に聖騎士や司祭などの称号を持つ者は、魔属に対抗する上で重要なファクターとなる。だがそれらの軍が束になっても、魔王個人に対抗出来るものではない。
やはり魔王には勇者を充てねば、勝利を得るのは難しいからだ。
その勇者であるが、基本的に魔王が存在しないと生まれて来ない。祐一が魔王として立った今、漸く何処かで誕生する兆しが見え始めたというところだろう。
そちらの捜索にも手を回して、魔属に見付かるよりも早く勇者と成るべき者を確保せねばならない。何処で、誰が、が分かれば苦労しないのだが、こればっかりはマディの予言にも明確なことは分からない。
聖女陣営にとって頭の痛い問題である。
「た、大変です!」
今後の対応をリシェルとマディが協議していると、また新たな問題が浮上したようだ。オペレーター席の一角から相当焦った声があがる。
「環太平洋艦隊からの、連絡が、……途絶しました」
『『なんだとおおぉぉっっ!?!?』』
そのオペレーター席の周囲以外のそこかしこから、驚愕のどよめきが司令室の中で木霊する。
環太平洋艦隊は国連に所属している多国籍混合軍だ。
魔王の活動が始まったのを機に結成されたが、今のところ超長距離からの監視任務を遂行中である。実際は監視しか出来ないというのが正しい。
基本的に魔属に対して一番効果がある攻撃は、人の身で振るう近接戦闘武器や魔法だからだ。アナログに頼らねばならないのが歯痒いが、ミサイルを撃ったところでグレムリンに操られでもしたら、被害は倍増するに決まっている。
「え!? あ、か、艦隊との通信回線繋がりました! モニターに出します!」
どーにかしていたオペレーターからの再報告に、その場の空気が安堵したものへと変わる。
だが司令室の大画面にパッと映し出されたものを見た瞬間、誰も彼もが言葉を失い無表情になった。
映し出されたのは青い空、蒼い海。巡洋艦らしきものの甲板と艦橋をバックに、右腕をビシッと上げて『やあ、諸君!』と声を掛けた存在である。
真新しいベージュ色の探検家のような服装。
頭には探検帽とそこからぴょこんと生えた丸い熊の耳。
背中には透明な短い虫の羽根。
腰から生えているタヌキの尻尾。
潰れた大福のような顔に、極めつけはほぼ3頭身。
漫画やアニメから抜け出して来たという表現がぴったりの、人類を逸脱した容姿の少年(?)であった。いや、魔属なのだが。
『この艦隊は我々魔属が占拠した。コソコソと此方を盗み見るこそ泥のような者は排除させて貰う方針でな。だが魔王様は寛大なお方だ。無駄な殺生はするなとの仰せにより、誰1人として命を奪ってはいない』
手を腰の後ろで組み、甲板上を右に左にと歩き回りつつ真面目な顔(?)で、諭すような物言いだ。
『現在、この艦隊はゆっくりとインド洋へ向けて移動中である。責任者は後程引き取りに来たまえ』
画面に鋭い糸目の眼光を飛ばしつつ、そのへちゃむくれの少年は尊大にのたまった。が、次の瞬間には雰囲気が一変する。
『では! これより! 楽しい楽しい処刑を始めようではないか!』
「「「「なぁっ!?」」」」
堂々と魔王の言ったことを反故にする宣言に、画面を注視していた司令室の面々は凍り付く。
バッと画面が切り替わり、空母の広い甲板が映し出された。そこには航空機の代わりに無数の十字架が並び立ち、まるで海に浮かぶ墓地のようだ。
何かの金属片を歪に組み合わせた十字架には、乗組員の者たちが背中を画面に向けて張り付けられていた。
画面が横に動き、甲板の縁に先程の少年が立っている。
鯉でも呼ぶようにパンパンと両手を打ち鳴らすと、のそりとやって来たのは牛ほどもあるハエが10匹だった。
すかさず司令室に悲鳴が響く。不気味なハエの造形が、顕微鏡で見るよりも際立っていれば誰が見ても嫌悪感を抱くだろう。
『よし、やれ』との少年? の合図でノソノソ動き出した巨大ハエは近くの十字架に近付くと、前脚の片方を振り上げた。先端の剛毛に覆われた部分が瞬時に変形し、鋭い鎌の形状へと変わる。
司令室の誰もがその凶刃が人体へ突き刺さり、真っ赤な血飛沫が上がるのを幻視した。だが、凶刃は人体の首筋や背中を通り過ぎ、海軍制服のズボンへと振り下ろされた。
ズボンとベルトに加え、下着までも切り裂いて下半身を丸出しにされる将校兵士の面々。すかさず司令部に黄色い悲鳴が響き渡った。男性たちは嫌そうな顔を。女性の中でも既婚者に類する者たちは目を逸らし、免疫のない者は両手で顔を覆う。その中で興味がある者は指の隙間から画面をチラ見していたりするが、咎めるものは誰もいない。
画面の中では少年魔属がうむうむと頷きながら『やはり尻はイイ』と満足げな様子を見せていた。なんというか魔属というモノに対しての認識が一部おかしくなる状況である。
それはともかく、指令室の巨大モニター全部を使っての卑猥な映像に、呆れた様子のリシェルから「映像を切りなさい」という指示が飛んだ瞬間であった。少年魔属が『おおっと! 今この映像を中断すると彼らが非常にまずい立場になるぞ』という忠告を飛ばしてきた。
「どういう意味かしらね?」
『そちらでは分からないようだが、この中継映像は環太平洋艦隊司令部とWDA双方に送っている』
その答えを聞いた直後にオペレーター側の責任者が大慌てで艦隊司令部との連絡をつけ始めた。少年魔属はこちらの反応を待っているらしく、のんびりと空母上の尻たちを眺めている。やがて確認が取れた責任者が大きく頷くことで、リシャルはその情報に間違いがないことを知った。
『こちらの要求は1つだけだ。今の状態をそのまま維持せよ。そうすれば民間の通信網にこの情報を流さないと約束してやろう』
「……っな、んですってぇっ!!」
とんでもない要求の上から目線に聖女の温和な仮面を脱ぎ掛けて、リシェルは奥歯を嚙み締めた。横に控えていたマディもこれには口元が悔しそうに歪む。オペレーター席からや、室内にいた護衛騎士からも同様の様子が見て取れた。
『返答や如何に?』
「ぐっ!?」
答えはすでに出ている。「はい」か「Yes」しかないのは明白だ。
通信網は魔属に抑えられている。人類側の通信網が魔属の思うがままなのは言うまでもない。
指令室の大型モニター丸ごと尻が映っているのも問題だ。
なんといっても指令室にいる面々の正面に位置しているため、否が応でも視界には入る。耐性のない者には気が散って仕方がなく、作業効率は落ちるであろう。
あと色々な情報を得た場合の主だった説明の要に使われていたため、それが欠けた場合の解説が更に面倒になる。急遽、司令部の内部に運び込めるモニターの調達に一部の者が奔走し始めた。それだけでもWDAの動きは停滞していくこととなる。
艦隊司令部の方が彼らを切り捨てるという可能性も挙げられるが、それがなされた場合には少年魔属が民間に流した映像にここに至った経緯を説明をするだろうと思われる。ただでさえWDAが沈黙している今、人々の不平不満は艦隊司令部並びに自国の政府に向くだろう。その際に生じる混乱は現状を持って余りあるさらなる混乱の上書きである。
『まあ、返答はいくらでも待つがね。気が変わったらいつでも連絡をくれたまえ』
それだけ伝えると少年魔属からの音声通信はぷっつりと途絶えた。画面に映るのは無数の尻が並ぶ光景だったり、1部がドアップで表示されたり、その間を監視するように歩き回る巨大ハエの映像だったりだ。