9話 魔王様と四天王
秋津宮に所属する者は生徒、教育、研究者、各種サービス業の従業員に至るまでカードタイプの身分証(or学生証)を所持している。 秋津宮内ではあちこちにカードスリットがあり、身分証カードで入出室を管理していた。 それは秋津宮内は勿論のこと、外でも使えるクレジットカードでもある。 人間の文明がカード社会のみになった訳でもないのでお札や硬貨もキチンと使われているが、便利な方があるならそっちを使うのが人間であろう。
真門家のある地域までの移動に秋津宮駅を利用する。 そこで祐一と桐人は、わざわざ硬貨で切符を買おうとするパメラの姿に呆気に取られた。 基本ここの利用者は子供から老人まで身分証カードを使うため、券売機は端っこの分かりづらい場所にある。 キョロキョロ見渡して券売機を見付け、駆け寄ろうとしていたパメラを呼び止めた。
「ちょっと待てパメラ。 お前、……学生証は持ってないのか?」
呼び止められて一時キョトンとしたパメラは、誰に声を掛けられたのか把握したのちに姿勢を正して敬礼した。
「ハッ、閣下! 所持しています! これがないと自分の身分が立証出来ないと聞いたもので」
いきなり敬礼されて面食らった祐一は訳が分からないという顔で桐人を見た。 視線で助けを求められた桐人は、WDAに問い合わせた彼女の経歴を思い出す。
「……たしか、欧陸騎士団に所属していたという話ですから、そこのクセが抜けてないのではないかと」
「ああ、あれか……。 そこに所属していると現代社会には疎くなる特性でもあるのか?」
欧陸騎士団は【騎士】称号者が多数輩出されるヨーロッパ地方の統合軍だ。 一部の人員を除けば所属する半分は称号者である。 WDAと似たような形をとってはいるが、実際にはWDA西欧陸軍と言う。 非常時には【聖女】を頂点とした称号世界軍に入る狼の群れだ。
祐一が知っているのはWDAから、というより欧陸騎士団から主だった勇者候補が送られてくる理由のせいである。 世界級である【魔王】として自分の身を守るために、使える特権を全部使用して調べたからだ。 だがそこの騎士団は軍としての体系を取っていても、現代社会と無縁であるとは限らない。 パメラに教え込まれた行動なのか、それとも素なのか? と疑問はそこだ。
「パメラ殿、その学生証があれば券売機などに頼らずともここは通れますよ。 こうやって……」
桐人がパメラに分かり易いように自分の学生証をゆっくりとゲートのスリットへ通す。 「ピピッ」という認証音とともにゲートの閉鎖バーが開き、桐人がゲートの向こうに行く。 それを見たパメラの表情は驚きに満ちていた。 文明開化を目の当たりにした昔の人のようである。
「おい、マジで欧陸騎士団ってカードとか使わないのか?」
「は、閣下。 移動は輸送ヘリか、場合によっては馬の方が早いかもしれません。 宿舎はありますが、こういったものを使う所はありませんし……」
「実家に帰る時とかは?」
「近場でしたので馬で事足ります」
パメラの言う近場とは馬があれば1日で往復出来る距離であるらしい。 それがどれくらいの距離なのかは聞くだけで頭痛の種になりそうなので、祐一は「そうか」と聞き流した。 【騎士】の驚異的な機動力に馬がある。 馬に称号はないが、その気になれば騎乗して音速を出したり、ランスチャージで戦車をぶち抜いたりするのだ。 非常識極まりないがこの世界では珍しくない光景である。 「馬はどうなっているんだ!?」といった質問は突っ込むだけ無駄だ。
「秋津宮で生活するんなら硬貨や札はほとんどいらないぞ。 今みたいに大抵の買い物は学生証で済む」
祐一が自分の学生証を掲げてそう説明すると、「便利な世になりましたね」とパメラが呟いた。 なんでも最初は馬を持ち込んで空港から秋津宮まで激走して来る予定だったとか。 騎士団はどういう教育を施しているのか、今度【聖女】に文句を言ってやろうと誓う祐一だった。
五駅だけ交通機関を使い祐一の地元へ到着する。 そこから徒歩で祐一の自宅を通り過ぎ、神社の階段下へ辿り着いた時には夕暮れがすぐそこに迫っていた。
ふと自然な動作でパメラが振り向き、祐一の盾となる位置に移動する。 右手は魔王剣の柄に掛けられていた。 一拍遅れてパメラの警戒する様子に気付いた祐一が後ろを振り向いて、彼女が危惧するものを見て嘆息する。
「俺の知り合いだ。 警戒せんでいいぞ」
「……は、わかりました」
パメラが警戒していた人物は、祐一の姿を見つけるや否や手を振りつつ嬉しそうに駆け寄ってきた。 右手には茶色い大型犬に繋がれたリードが握られている。 言うまでも無く、霞神社の飼い犬である素盞嗚尊と飼い主の望美碧だ。
「ミコトの散歩か」
「うん、ゆーちゃんは今帰り? こっちの綺麗な人はお友だちかな? あ、桐人君こんにちは」
「はい、ご苦労さまです、望美さん」
桐人と碧がペコペコと頭を下げているところへ「俺の幼馴染だから」と説明されたパメラも加わって自己紹介を終える。
「ちょっと碧姉とミコトに話がある。 少しいいかな?」
「うん、秘密のお話? だったら境内まで上がってからでいい?」
「そっちのほうがいいか、この時間だと殆ど人もいないしな」
長い階段で脱落する者はおらず、全員が境内に移動した。 着替えのために一度碧が家に戻り、祐一は玄関前にある犬小屋から尻尾を振るミコトを解放してやる。 茶色の毛皮を持つ大型犬を見たパメラは見た目は兎も角、内包するものの異質さに目を細めるが、祐一の手前その事は口にしない。
「随分大きな犬ですね」
「名前が素戔嗚尊なんで、みんなミコトって呼んでいる。 ミコト、こっちはパメラだ」
「わんっ!」
「よろしくお願いします、ミコト殿」
律儀にお辞儀をするパメラに一同苦笑する。 少しして巫女装束に身を包んだ碧がポットと紙コップを持って戻ってきた。
「お待たせ~。 ゆーちゃん、立ち話もなんだしこっちこっち」
と案内されたのは、社務所横に備え付けられた長椅子とテーブル。 祐一の隣に桐人が並び、対面に碧とパメラが座った。 ミコトはテーブルの傍で尻尾を振ってお座りをしている。 皆の前に碧がポットから淹れた紙コップを置くと祐一が口を開いた。
「んで、碧姉」
「なーに? ゆーちゃん」
「四天王に入りたいっつーのは本気か?」
「え、えーと、なななんのことかなあ」
視線をさ迷わせる碧に桐人は苦笑する申し訳なさそうに小さく頭を下げる。
その様子に溜め息を吐いた祐一を席で縮こまった碧は見上げた。
「お、怒らない?」
「状況による」
「う~」
「唸ってないで理由を言え」
祐一のにべもない言い方に桐人へヘルプの視線を向けるが、苦笑したまま片手を上げて謝罪のポーズを取られた。 横に座るパメラを見るが、こちらは祐一に従う姿勢をとっているので、碧の視線にも意味が分からずハテナ顔だ。 やがて観念した碧はおそるおそる話し始める。
「え、えーとね」
「ああ」
「ゆーちゃんの……」
「は?」
ボソボソと喋りながら真っ赤になる碧は、聞こえないと聞き返す祐一に「この鈍感」と思いながらヤケクソになって怒鳴り返した。
「ゆーちゃんが心配だったからっ!」
「……まぁ」
「おや」
「くぅ~ん」
パメラと桐人が目を丸くし、ミコトが喉をならす。 言われた祐一は腕を組んで「四天王でも姉さん風かよ」とボヤくくらいだ。 その態度に桐人はともかくパメラまで呆れ顔である。
「まあいいや」
「え?」
「なんだよ、入りたいんじゃないのか?」
「え、うん。 怒らないの?」
「ああ」
あっさりと碧の四天王入りを認めた祐一にパメラと桐人も驚きを隠せない。 一般人を関わらせる事に否定的なパメラは、進言するべきなのかを悩む。 彼女の苦悩をよそに桐人がそこへ突っ込んだ。
「自分が言うのもなんですが、よろしいので?」
「前にマディに言われたんだよ。 俺には巫女が付くってな」
「『魔王の巫女』と言う訳ですか、閣下が賛成しているのでしたら自分は何も。 では今後とも宜しくお願いします、望美碧様」
ひとつ頷いた桐人は祐一にするように恭しく頭を下げた。 未だに思案中のパメラも、祐一が何も言わないのならとそれに倣って礼をする。
「え、あ、うん。 よろしくね、桐人君、パメラちゃん」
それを眺めていた祐一は静かに尻尾を振っていたミコトに目をやり、場に向けて顎をしゃくって促した。
「改めて挨拶しとけミコト。 これで四天王が勢揃いだ」
祐一の命令にミコトは後ろ足で立ち上がり、テーブルに前足を乗せて口周りをペロリとひと舐めした。
『では改めまして、魔王四天王、準世界級【精霊術師】ミコトです。 今後とも宜しく』
「「……ええええええええええええええええっ!?!?」」
流暢な言葉で自己紹介をして、ペコリと頭を下げた大型犬に目を丸くした女性陣は、次の瞬間大絶叫した。
「いいいいいつからっ?」
『お二人に拾われた時はすでに』
「なななんで黙ってたの?」
『とっぷしーくれっとだと言われましたので』
ミコトの頭を左右から鷲掴みにした碧が動揺したままミコトに質問を浴びせまくる。 ミコトはその勢いに流され、下がることも出来ないのでひとつひとつ丁寧に答えていく。
ミコトは生まれた時にはもう人語を理解する異常さから捨てられ、弱りきっていたところを祐一に拾われた。 家では飼えなくて困っていたら、碧が引き取ったのである。 二人には恩義を感じていたが、また捨てられるのが怖くて言い出せなかった。 しかし祐一は【魔王】という観点から膨大な魔力を漂わせているミコトに疑問を持っていた。 ある日大人に見せれば何か分かるんじゃないかと静琉の所へミコトを連れて行き、そこで初めて称号が発覚したのである。
ちなみに“準世界級”というランクは存在しない。 祐一がミコトを連れて行った丁度その場に、他の国から仕事で来ていた【選別者】が数名いて、そのメンバーが一人の例外もなくミコトを称号者と認めたのだ。 称号者の歴史の中で人間以外の動物が認定されるのは初めてのケースである。
当然その場は大騒ぎになりかける。 しかし、このことを予めマディから聞き及んでいた【聖女】が祐一に連絡を入れてきたことにより騒ぎは沈静化。 ミコトの事はその場に居た者だけのトップシークレットとされ、ミコトは【魔王】の眷族として契約を結んだ。 準世界級と言うのは【聖女】がその場で定めたクラスである。
WDA内に独自の情報網を持つ桐人は、祐一と出会う前にこのことを調べ上げていた。 そして事前にミコトへ接触し、四天王にならないかと持ちかけたのだ。 『恩義に報いるため』と説得されたミコトがこの話に飛び付かない筈もなく、祐一の知らないところで四天王の地盤は固められていたのである。
ミコト事情を要点だけかいつまんで説明され、合点がいったと頷くパメラ。 彼女も祐一と同じくミコトから漂う尋常でない魔力量に疑問を持っていたからだ。 そして碧はというと、ミコトを抱き締めて涙を零してていた。
「ご、ごめんねぇ……ミコト。 ぐすっ、ミコトの、苦しみを分かってあげられなくて……うえぇえ……」
『……碧様。 はい、ありがとうございます』
毛皮をびしょびしょにされながらも飼い主の愛情をしみじみと受け止めるミコト。 「しばらくそっとしておきましょう」という桐人の提案に、祐一と桐人とパメラの三人は静かにお茶を飲んでいた。
碧が泣き止むのを待ってからは祐一が【魔王】として立った経緯の説明だ。
別世界の魔王の辿った最悪の道程。 それが此方側でも起こり得ること。 世界を滅ぼさないために魔王の存在を表面化させること。 そこまでは良かったが、魔王城を起動させ拠点をそちらへ移すことに碧が異を唱えた。
「ゆーちゃん、家族はどーするの? おばさまとおじさまと雪ちゃんと離れて暮らすの?」
「そうなるなぁ。 魔王も結構敵が多いからな」
家族のことは以前に交わした契約から、秋津宮が責任持って護ってくれると説明する。
「そういう意味じゃないんだけど……。 一人暮らしするの?」
「自分が閣下に同行致しますよ、碧様はご心配なさらず」
「私も閣下を護るためにお側に控えます。 この剣に賭けて」
心配でたまらない表情の碧に桐人が安心させるように力強く頷く。 パメラは魔王剣を両手で捧げ持ち、真摯な瞳を碧に向ける。 「そーじゃなくてー、そーじゃなくてー、むーむー!」と唸る碧を見たミコトは『碧様の傍に控えた方が良いですか?』と祐一に尋ねる。
「そーだな、碧姉が関係者と知った奴らが何するかわからんし、頼めるかミコト?」
『はい、おまかせく「私も行くっ!!」ださ……』
高らかにそう宣言した碧に場の空気が停止する。 やれやれと肩を竦める祐一に、尻尾を振って嬉しそうに碧へ寄り添うミコト。 桐人は祐一の反応から何かを悟ったのか何も言わず、パメラだけが果敢に説得を試みた。
「あのですね、碧様……」
「様いらないよパメラちゃん」
桐人に小さく耳打ちされ「望美先輩」と言い変える。
「おそらくは魔属の中で暮らす羽目になると思いますし……」
魔属とは基本的に異形である。 きちんとした人の姿を持つ者もいるが、それは力の強いほんの一握り程度だ。 異形を目にした一般人は、恐れや嫌悪感を抱くのでそれを指摘したのだが、返って来た答えはあっけらかんとしたものだった。
「ゆーちゃんの傍にいれば魔属を見るのも珍しくないよ?」
「……魔王様に良くない感情を……」
「学校でも距離感あったりするよ。 時々友達にも忠告されるけど、私はそんなことしないもん」
別方向で攻めてみたがあっさり叩き落とされた。 困惑して桐人や祐一に目を向けるが、二人はパメラのやりとりを面白そうに眺めている。
「閣下の幼馴染みとはそれだけ肝が座っていないと務まらないということですよ」
桐人から苦笑混じりの一言を受け、パメラは碧を説得するのを諦めた。 逆に「これほどの方なら何かある前に自分が守ります」と明言するくらいに彼女を気に入ったようだ。
「話はそれくらいかな。 碧姉はまずおじさんやおばさんに許可を貰ってくれよ?」
「んー、多分大丈夫だと思うけど。 ほらうちの両親ってゆーちゃんのこと凄い気に入ってるしー、よく私を貰ってくれって口癖のように言ってるじゃない」
「うーあー、そうだった。 おじさんとおばさんってそういう人だった……。 四天王入りも俺が貰ったことになんのか?」
はたと気が付いて頭を抱える祐一。 厳しいが娘に甘い碧の両親とその祖父母には幼い頃から世話になっている。 恩は感じているが、あの人達と話していると最後には碧を嫁に勧めてくるのだ。 遂には精神が専用のスルースキルを構築するくらいのしつこさである。
「やった、結納だ」
「おいばか碧姉、曲解して伝えるな! マジ止めて下さいお願いします」
音符が飛びまくる雰囲気で「お母さんに報告しよ~」と家に向かう碧を追う祐一。 微笑ましい光景に二人と一匹は吹き出した。
「今日はこんなところですね。 細かい所はまた後日に詰めましょう」
「分かりました。 ところで閣下の方はあれでいいんでしょうか?」
『お二人共長い付き合いですから、あれが日常茶飯事ですね。 気にするだけ無駄かと思います』
そうなのですかと納得してミコトに別れを告げ、桐人と共に秋津宮に戻ることにした。 二人は学生寮住まいであり、それは秋津宮内にあるからだ。 ミコトに見送られる階段途中で「色んな意味で予想外でした」と呟くパメラに桐人はにこやかな笑みを見せる。
「閣下はあれでいてお優しい方ですから」
「それは分かります。 ですが、大丈夫でしょうか?」
それは場合によっては下さなければならない非常な決断に、祐一の心が耐えられるかを心配している。
「それでもあの方は【魔王】として立ったのです。 それくらいの覚悟はあるのではないでしょうか」
茜から紺色に染まり始めた空を見据えて桐人がそう断言する。 確かにそれは本人の意思しだいだ。 それでも心配を隠せないパメラだったが、不意に腰の魔王剣が振動したのを感じて顔を上げた。 慌てて手に取ってみると柄にはまった紫の宝石から力強い光を放っている。 「何かあったらオレを存分に振るえ!」という剣からの意志を感じたパメラは頷いた。
「パメラ殿も大変ですね、守るものばかりで」
「いいえ、今日一日で大切なものが増えました。 苦痛とは感じませんし、騎士としては本懐ですね」
二人の帰途には打ち解けて楽しそうな会話が続いていたという。