プロローグ
少年が居た。
彼はまごう事なき少年だった。
近所で評判になる程天才肌な子供でもなく、噂になる程のやんちゃ坊主でもなく。
ただ、唯、平凡な少年で子供だった。
平凡な少年に変革期が来たのは彼が六歳になった時であった。
その日、少年はランドセルを背負って小学校へ行こうとしていた。
「車に気をつけるのよ~」と、母親に定番の注意を受け。 玄関から一歩でた少年が振り向いた瞬間、周囲の光景は一変していた。
ごくごく普通のありふれた住宅街が広がるだけだったそこには、真っ白な空間へ変化していた。 遥か彼方には一本線の地平線が、左右に視認出来なくなるまで伸びているだけ。
あまりの変貌ぶりに身動きすら取れず、思考がついていけない状況に目尻に涙が浮かんだ。
もう友達とも親兄弟とも会えなくなるのかと心細くなり、悲しみが増大する感情を制御しきれずに涙が流れ落ちる。
「ふぇ……」
―――泣かないで、
シャラン!
空間に響く鈴の音とともに優しげな声が少年の感情を押し留めた。
「……え?」
顔を上げた少年の真正面。
青い羽衣に身を包み、長い黒髪には金の鈴が幾つもつけられた髪飾り。 顔の半分は薄いヴェールに隠されて口元には春の日差しの様に柔らかい笑みが浮かぶ少女が居た。
唐突に出現した彼女に対し、驚きと神秘性に絶句した少年。 涼やかな声が再び少年の耳へ届く。
―――おめでとう、
誕生を喜ぶ母親に似た優しげな声が少年の心に響く。
「きみは……だぁれ?」
風が流れ、薄桃色の花弁が視界を流れて行く。 一枚が二枚、二枚が十四枚、十四枚が無数になり少年の視界から神秘的な少女を覆い隠す。
―――誕生おめでとう、
無数の花弁の彼方、途切れ途切れに見える青い羽衣に向けて手を伸ばす少年。
「待って! きみはだれっ!?」
少年の懇願など到底及ばぬ花吹雪の先。 最後の一言を残して少女は消え去った。
眩しい光に照らされた少年が、顔を覆っていた腕を退け目を見開くと、そこは何の変哲も無い住宅街が広がっていた。
何時もの光景に目を瞬かせ、キョトンと立ち尽くす少年に横合いから声が掛けられる。
「お早う、ゆーちゃん!」
「うわあっ!?」
飛び上がってバランスを崩し、道路に尻餅を付く少年の前に居たのは、赤いランドセルを背負った幼なじみの少女だった。
「な、なんだ……。 みどりちゃんかー」
不思議そうな顔をした少女は首をコテンと傾けて、少年の突飛な行動に戸惑う。
「どうしたの、ゆーちゃん?」
「今ここにへんな子がいてね?」
立ち上がって腰の土を払い、自身もよく理解しないまま少女へ手を伸ばす。
「そうなんだ、でもだれもいなかったよ?」
「むう~。 いたのになぁー」
少年と少女は手を繋ぎ、小学校へ足を向ける。 少年の耳には先程聞いた声がまだ残っていた。
―――誕生おめでとう、――
「まおーって何だろう?」
「まほーならしってるよー」
言われた言葉も聞いた事も特に不思議に思わないまま、二人は歩いて行く。
少年が尻餅を付いていた場所には薄桃色の花弁が一枚。 やがて、風にさらわれて何処とも無い彼方へと飛んで行った。
―――誕生おめでとう、魔王―――
【称号】
人によって付けられるモノ。
国によって付けられるモノ。
世界によって名付けられるモノ。
人の運命に介入し、個人の意志など省みず、常識をネジ曲げるモノ。
誰かに賞賛されるモノもあれば、誰かに嫌われるモノもある。
ソレによって流転の人生を送るしかなくなった者も居れば、栄光の表通りを邁進して行った者も居る。
【称号】によって国の運営さえ左右される世界。
ある日突然世界中の占いを生業とする者達が啓示を受け、口々に叫んだ。
【魔王】の称号を持つ者が現れたと。
世界が認定する【称号】を持った『世界災害級』が顕現したと。
これは【魔王】の称号を世界によって認定された為に、平和な日常を渇望するひとりの少年の物語である。
気が向いたら更新します。