第8話 システム警告「敵対性生物(幼馴染)」を検知しました
領地視察の最終日。私たちは騎士団の演習場を訪れていた。
乾いた土埃の匂いと、鉄と油の混じった金属臭。
そして、腹の底に響くような騎士たちの気合いの怒号。
照りつける太陽の下、ギルバート様は剣を携え、整列する騎士たちを見下ろしていた。
「――剣筋が甘い。踏み込みが浅いぞ、第三小隊」
低い声が響くたび、屈強な騎士たちがビクリと肩を震わせる。
今の彼は、完全に「氷の処刑人」の顔だ。
私に見せる甘い表情など微塵もない。
けれど、その背中に浮かぶウィンドウだけは、相変わらず正直だった。
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┃【リアルタイム・検索履歴】
┃
┃`[検索:妻 日傘 角度 完璧]`
┃`[検索:演習 かっこいい所 見せたい]`
┃`[検索:汗臭くないか 心配]`
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(……気にしすぎです)
私は日傘の下で、くすりと笑みを零した。
彼は演習中も、常に私の立ち位置や日差しを計算し、風上に立たないように位置取りを調整しているのだ。
その時だった。
「……あれ? もしかして、レティシアか?」
背後から、明るく弾むような声が掛かった。
振り返ると、汗に濡れた金髪を輝かせた、人懐っこい笑顔の青年が立っていた。
レオン・ハーヴェイ。
実家の隣の領地に住んでいた、幼馴染の騎士だ。
「レオン! 久しぶりね、こんなところにいたの?」
「やっぱりレティシアだ! うわぁ、懐かしいなぁ!」
レオンは屈託のない笑みを浮かべ、躊躇なく私に歩み寄ってきた。
そして、自然な動作で私の両手を握り、ぶんぶんと上下に振った。
「元気にしれくれたか? 王都へ行ったって聞いて心配してたんだぜ。まさか、こんな辺境で会えるなんて!」
彼の手は大きく、熱く、そして泥だらけだった。
懐かしい感触。
子供の頃、よく泥だらけになって遊んだ記憶が蘇る。
「ええ、私も元気よ。レオンこそ、騎士になったのね」
「おうよ! ここなら腕を試せると思ってさ。……それにしても、綺麗になったなぁ」
彼は無邪気に私の顔を覗き込んだ。
その距離は近い。
幼馴染特有の、パーソナルスペースの欠如だ。
彼の頭上には、清々しいほどクリーンなウィンドウが出ている。
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┃【対象:レオン(幼馴染)】
┃好感度:友人として100%
┃下心 :0%
┃思考 :妹みたいで可愛いなあ
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完全に無害だ。
ただの善良な再会。
そう思って安心した、その刹那だった。
ザッ……。
演習場の喧騒が、一瞬で掻き消えた。
風が止まったのではない。空気が凍りついたのだ。
真夏のような日差しが降り注いでいるはずなのに、肌を刺すような冷気が足元から這い上がってくる。
「……離れろ」
地獄の底から響くような、重低音。
レオンがビクリと動きを止め、私の手を握ったまま硬直した。
ギルバート様が、背後に立っていた。
その表情は、影になっていて見えない。
ただ、赤い瞳だけが、暗闇の中で光る猛獣の眼光のように爛々と輝いている。
腰の剣に置かれた指先が、カチリ、と鍔を鳴らした。
「か、閣下……?」
レオンが震える声で呼ぶ。
しかし、ギルバート様の視線は彼を通り越し、繋がれた「手」の一点に集中していた。
そして、私の視界にある彼のウィンドウが、今まで見たこともない毒々しい赤色に染まった。
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┃【システム警告:敵対性生物(害虫)を検知】
┃
┃対象:金髪の男(泥棒猫)
┃判定:妻に触れた罪 → 万死に値する
┃
┃【モードチェンジ:殲滅形態】
┃攻撃力:∞
┃理性 :断線
┃
┃`[推奨アクション:腕を切り落とす]`
┃`[推奨アクション:氷漬けにして粉砕]`
┃`[推奨アクション:存在の抹消]`
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(……っ!?)
まずい。
本気だ。
ウィンドウの文字が、バグったように明滅し、`[殺す][殺す][殺す]`という不穏なサジェストで埋め尽くされている。
周囲の騎士たちも異変に気づき、顔面蒼白で後ずさり始めた。
「閣下がご乱心だ!」「逃げろ!」という悲鳴なき悲鳴が聞こえる。
「……その汚い手を、俺の妻から離せと言ったんだ」
ギルバート様が一歩踏み出す。
地面の草が、バリバリと音を立てて霜に覆われていく。
レオンは腰を抜かしそうになりながら、慌てて私の手を離した。
「も、申し訳ありません! 決してやましい気持ちなど……!」
「口を利くな。貴様の息が妻にかかる」
剣が、鞘から数センチ引き抜かれた。
金属が擦れるキィンという音が、死の宣告のように響く。
このままでは、レオンが斬られる。
冤罪で。
私は動こうとした。
しかし、ふと気づいたのだ。
殺気立っているはずのギルバート様の、剣を握る手が――小刻みに震えていることに。
(……震えてる?)
私は目を凝らした。
真っ赤な警告ログの奥にある、小さな「隠しウィンドウ(サブプロセス)」を見るために。
そこには、恐ろしい殺意とは真逆の、泣き出しそうな「本音」が流れていた。
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┃【バックグラウンド処理:自己否定】
┃
┃`[思考:あんな笑顔、俺には見せたことがない]`
┃`[思考:光属性の男……俺とは正反対だ]`
┃`[思考:奪われる? 嫌だ]`
┃`[思考:俺のような暗い男より、あいつの方が……]`
┃`[思考:怖い。捨てられたくない。誰にも渡したくない]`
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息が詰まった。
彼は怒っているのではない。
怯えているのだ。
太陽のようなレオンと、闇のような自分を比較して。
私が、明るい幼馴染の方を選んで行ってしまうのではないかと、絶望的なまでに自信を喪失している。
その恐怖が、過剰な攻撃性となって表出しているだけだ。
(……馬鹿な人)
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられた。
★1.2の評価。
世間からの「冷酷」「魔王」というレッテル。
それらが彼自身をも呪い、こんなにも臆病にさせている。
私は躊躇なく、ギルバート様とレオンの間に割り込んだ。
抜かれかけた剣の前に、身を晒す。
「レティシア!?」
レオンが叫ぶ。
ギルバート様の動きが止まった。
赤い瞳が、驚愕に見開かれる。
「……退け、レティシア。そいつは君に触れた」
「ええ、触れました。懐かしい友人ですから」
私は一歩も引かずに、彼を見上げた。
そして、ゆっくりと手を伸ばし、剣を握る彼の手――震えるその手の上に、自分の手を重ねた。
冷たい革手袋の感触。
けれど、その下にある熱を、私は知っている。
「でも、ギルバート様。……貴方は間違っていますわ」
「……何がだ」
「レオンの手は、泥だらけで温かかったです。……でも」
私は彼の手を両手で包み込み、頬に寄せた。
革の冷たさが、私の体温でゆっくりと温まっていく。
「私が一番好きなのは、この不器用で、冷たくて……誰よりも優しい手です」
ギルバート様の喉が、大きく上下した。
殺気が、霧散していく。
凍りついていた空気が、春の陽気のように緩んでいく。
「……本当か?」
「ええ。貴方以外に触れられても、何も感じません。……私の心臓を早くできるのは、世界で貴方だけです」
私がそう囁くと、ギルバート様は剣から手を離し、私の腰を強く抱き寄せた。
衆人環視の中だということも忘れて、私に縋り付くように。
「……すまない。……俺は、見苦しいな」
耳元で聞こえる声は、弱々しく、そして甘えている。
頭上を見上げると、真っ赤だったウィンドウは砕け散り、代わりに美しいピンク色のパーティクルが舞っていた。
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┃【システム復旧:通常モード】
┃
┃状態:鎮静化(妻により無力化)
┃幸福度:限界突破
┃
┃`[ログ:勝った]`
┃`[ログ:俺が一番]`
┃`[ログ:この手を一生離さない]`
┃`[思考:幼馴染……許す。少しだけ]`
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「勝った」じゃないですよ。
最初から戦いになんてなっていませんから。
私は彼の背中に手を回し、トントンとあやすように叩いた。
レオンがポカンと口を開け、それから苦笑いを浮かべて敬礼して去っていくのが見えた。
データ(UI)は「敵」だと告げていた。
でも、私の目に見えた「震える手」こそが真実だった。
この便利なスキルがあっても、最後に見るべきなのは、やっぱりこの人の「生身の心」なのだ。
ギルバート様の体温に包まれながら、私は確信した。
このバグだらけで面倒くさいシステム(夫)を、私はどうしようもなく愛してしまっているのだと。




