第6話 王都からの手紙は「薔薇の香り」と「不良債権の悪臭」を運んできた
午後の陽光が、執務室の窓辺に温かな光だまりを作っている。
私はソファに腰掛け、湯気を立てるアールグレイの香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
ベルガモットの清涼感ある香りが、鼻腔を抜けていく。
平和だ。
領地に来てからというもの、私の肌艶は日に日によくなっている。
ストレスフリーな環境と、専属シェフによる栄養管理、そして何より――
「……レティシア。寒くはないか?」
執務机から顔を上げたギルバート様が、心配そうに声をかけてくる。
室温は適温に保たれているし、私は膝掛けまでしている。
それでも彼は、私が少し身じろぎしただけで過剰に反応するのだ。
彼の頭上に浮かぶウィンドウには、相変わらずのログが流れている。
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┃【リアルタイム・検索履歴】
┃
┃`[検索:妻 ため息 理由]`
┃`[検索:午後のお茶 最高級 取り寄せ]`
┃`[検索:仕事 早く終わらせて 膝枕したい]`
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(……仕事、してください)
私はカップを置き、苦笑を浮かべた。
この愛おしい日常が、今の私にとっての「★5.0」の幸福だ。
その時。
コン、コン、と扉がノックされ、執事のセバスが入室してきた。
彼の銀の盆の上には、一通の封書が載せられている。
「奥様。王都よりお手紙が届いております」
「王都から?」
セバスが近づくにつれ、鼻を突く匂いが漂ってきた。
安っぽい香料を煮詰めたような、むせ返るほど濃厚な薔薇の香り。
人工的で、どこか腐敗臭を隠そうとしているような、不快な甘ったるさ。
私は眉をひそめながら、その封筒を手に取った。
差出人の名前を見た瞬間、背筋に冷たいものが走る。
『ミリア・ロ・アークライト(次期王太子妃)』
異母妹のミリアだ。
まだ正式な婚儀も済んでいないのに、すでにアークライト姓を名乗っている。
封蝋には、王家の紋章がこれ見よがしに押されていた。
「……誰からだ」
ギルバート様の声が、湿度を失った。
先ほどまでの穏やかな空気は消え失せ、部屋の温度が急激に低下する。
彼もまた、その手紙から漂う「悪意」を敏感に察知したのだ。
「妹のミリアからですわ」
「……捨てろ。読む価値などない」
「いえ、せっかく届いたのですから。現状確認だと思って拝見します」
私はペーパーナイフを差し込み、封を切った。
中から現れたのは、淡いピンク色の便箋。
そこには、踊るような筆跡で、溢れんばかりの優越感が綴られていた。
『お姉様、いかがお過ごしですか?
あのような辺境の地で、野蛮な方々に囲まれて、さぞお辛いでしょうね。
こちらは毎日が舞踏会とパーティーで、目が回るほど忙しいですの。
カイル殿下は本当に優しくて、私のために毎日ドレスを贈ってくださいます。
お姉様が捨てられた殿下は、私にとっては最高の宝物。
どうか、氷の棺の中で、私たちの幸せを指をくわえて見ていてくださいね』
典型的なマウンティングだ。
文面の端々から、「私は勝ち組、貴方は負け組」というメッセージが滲み出ている。
ギルバート様が、背後から手紙を覗き込んだ。
その瞬間、バキリ、と音がした。
彼が手を触れたわけではない。
彼から溢れ出た冷気によって、執務机の水差しが凍りついた音だ。
「……殺すか」
低い、地獄の底から響くような声。
彼の頭上のウィンドウが、真っ赤に染まり、警告音のようなログを吐き出している。
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┃【モードチェンジ:殲滅形態】
┃
┃対象:王都、およびアークライト王家
┃動機:妻への侮辱
┃
┃`[検索:王都 消滅 魔法]`
┃`[検索:妹 社会的抹殺 手順]`
┃`[検索:カイル 八つ裂き 合法]`
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「落ち着いてください、ギルバート様」
私は彼の手を取り、その強張った指を撫でた。
彼の怒りは嬉しいけれど、国を滅ぼされては困る。
「文字の上では幸せそうですけれど……実際はどうかしら?」
私は目を細め、意識を集中させた。
『真実の眼』の応用スキル――【遠隔商品追跡】。
かつて所有していた(婚約していた)対象の、現在のステータスを遠隔で読み取る機能だ。
視界が歪む。
執務室の風景に重なるように、半透明のホログラムウィンドウが展開される。
そこに映し出されたのは、手紙の文面とは似ても似つかない、悲惨な数値の羅列だった。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃【追跡データ】カイル・ロ・アークライト
┃
┃現在地 :王都・賭博場(VIPルーム)
┃総合評価:★☆☆☆☆(0.8)↓DOWN
┃
┃【ステータス異常】
┃・金欠(重度):借金取りから逃走中
┃・ストレス :胃潰瘍寸前
┃・脱毛進行中 :前頭部が後退気味
┃
┃【リアルタイム・思考ログ】
┃`[思考:金がない、ミリアのドレス代で破産だ]`
┃`[思考:レティシアがいれば、帳簿をごまかせたのに]`
┃`[思考:あの地味女、今すぐ連れ戻して働かせたい]`
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
(……うわぁ)
私は思わず顔をしかめた。
評価が★1.5から★0.8まで暴落している。
「毎日ドレスを贈っている」のではなく、「ドレス代で破産寸前」の間違いではないか。
しかも、思考ログが最低だ。
私を愛しているわけではなく、「便利な財布兼事務員」として欲しているだけ。
視線を横にずらすと、ミリアのステータスも表示された。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃【追跡データ】ミリア(自称:王太子妃)
┃
┃状態:極度の焦燥
┃
┃【トップレビュー】
┃投稿者:王城のメイド一同
┃タイトル:外面だけのヒステリー女
┃コメント:
┃ お姉様(レティシア様)の時は平和だった。
┃ 今の彼女は、気に入らないとすぐに物を投げる。
┃ 王子との喧嘩が絶えない。夜な夜な怒鳴り声が聞こえる。
┃ 早く出て行ってほしい。
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
これが「幸せな生活」の実態だ。
優雅な手紙の裏側で、彼らは泥沼の借金生活と、罵り合いの日々を送っている。
この手紙は、私への自慢ではない。
自分たちが幸せだと思い込もうとする、悲痛な自己暗示だ。
「……哀れですね」
私は呟いた。
怒りすら湧かない。ただ、汚いものを見てしまったような不快感だけが残る。
「レティシア?」
ギルバート様が、不安そうに私の顔を覗き込む。
彼の赤い瞳が揺れている。
私が手紙の内容に傷つき、王都を懐かしんでいるのではないかと、恐れているのだ。
「こんな手紙……やはり、見せるべきではなかった。君が傷つく必要はない」
彼は手を伸ばし、手紙を取り上げようとした。
その手は震えている。
もし私が「帰りたい」と言ったらどうしよう。
そんな恐怖が、彼のウィンドウにログとして流れている。
`[検索:妻 引き止め方 必死]`
`[検索:俺の魅力 カイルに勝てるか]`
`[検索:自信ない でも 離したくない]`
なんて愛おしい人だろう。
彼は知らないのだ。
自分の評価が、あの薄汚れた王子(★0.8)の数億倍も高いということを。
私は手紙を握りしめ、暖炉へと歩み寄った。
燃え盛る炎の前で立ち止まる。
熱気が頬を撫でる。
「ギルバート様。……私、返品の手続きをいたします」
「返品?」
「ええ。送りつけられた『不幸』を、送り主にそのままお返しするのです」
私は手紙を、炎の中に放り込んだ。
ボッ、と音を立てて紙が燃え上がる。
薔薇の香りのする便箋が、黒く縮れ、灰へと変わっていく。
人工的な香料が焦げる、鼻を突く異臭。
それが、カイルとミリアの未来そのものに見えた。
「私はもう、新しい『最高の商品』を手に入れましたから」
私は振り返り、ギルバート様に微笑みかけた。
炎の光を受けて、彼の顔が赤く照らされる。
「ここが私の居場所です。……たとえ王命があっても、二度とあちらには戻りません」
その言葉を聞いた瞬間。
ギルバート様が、崩れ落ちるように膝をついた。
彼は私の腰に抱きつき、子供のように顔を埋めた。
「……っ、ああ……!」
言葉にならない安堵の吐息。
彼の体温が、ドレス越しに伝わってくる。
強く、痛いほどに抱きしめられる腕の感触。
彼の頭上のウィンドウが、バグったように激しく明滅し、そして美しい黄金色の文字を表示した。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃【システム通知:永続契約の確定】
┃
┃契約状態:更新(有効期限:魂が消滅するまで)
┃幸福度 :限界突破(MEASUREMENT ERROR)
┃
┃`[ログ:愛してる]`
┃`[ログ:愛してる]`
┃`[ログ:この世の何よりも 君を愛してる]`
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
「俺もだ……! 俺も、君を二度と手放さない……!」
彼の震える声が、私の胸を打つ。
私は彼の銀色の髪を優しく撫でた。
灰になった手紙は、上昇気流に乗って煙突から空へと消えていった。
王都の彼らは、まだ気づいていないだろう。
自分たちが「不良品」として完全に廃棄されたことにも、そして間もなく訪れる破滅の足音にも。
今はただ、この重たくて温かい愛に包まれていたい。
私はギルバート様の背中に腕を回し、その頼もしい鼓動を指先で感じていた。




