第5話 横領代官の頭上には「不正な操作」のログが流れていた
ヴォルフィード公爵領に到着して三日目。
私たちは、領都の中心にある政務館の一室にいた。
石造りの壁に囲まれた執務室は、外の陽気とは無縁の冷ややかさに満ちている。
古紙の乾燥した匂いと、インクのツンとする鉄臭さが入り混じり、鼻腔を刺激する。
窓の外からは活気ある市場の喧騒が微かに聞こえるが、この部屋の中だけは、空気が重く澱んでいた。
「――以上が、今年度の水利工事に関する決算報告でございます、公爵閣下」
恭しく頭を下げたのは、この地区を管理する代官、ギーブス男爵だ。
恰幅の良い体躯を、上質なシルクの服で包んでいる。
揉み手をする指には、ルビーやサファイアの大ぶりな指輪がいくつも食い込み、ギラギラと下品な光を放っていた。
「……予算が超過しているようだが」
ギルバート様が、書類から視線を上げずに問う。
その声は温度を感じさせない絶対零度だ。
普通の人間なら震え上がる威圧感だが、ギーブス男爵はへらりと笑みを崩さない。
「ははっ、いやはや。ご存知の通り、昨今の資材高騰は凄まじいものでして。それに加え、職人たちの賃上げ要求もございましてな。我々としても身を切る思いで……」
流暢な言い訳だ。
表情にも、声のトーンにも、一切の動揺は見られない。
さすがは長年、この地で甘い汁を吸ってきた古狸といったところか。
ギルバート様も、怪しんではいるものの、決定的な証拠がないため沈黙している。
だが。
私の「真実の眼」の前では、彼のポーカーフェイスなど何の意味もなさなかった。
男爵の頭上には、どす黒い霧のようなエフェクトと共に、禍々しいウィンドウが展開されている。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃【対象データ】ギーブス男爵(代官)
┃
┃総合評価:★☆☆☆☆(0.5)
┃状態 :極めて悪質
┃
┃【リアルタイム・思考ログ】
┃`[思考:チョロいな、若造が]`
┃`[思考:この帳簿はダミーだ、本物は金庫の中]`
┃`[思考:浮いた金で愛人に宝石を買おう]`
┃
┃【タグ】 #横領 #二重帳簿 #賄賂 #愛人3人
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
(……真っ黒じゃないですか)
私は扇子で口元を隠し、冷ややかな息を吐いた。
疑う余地もない。
彼は工事費用を水増しし、その差額を懐に入れている。
しかも「愛人3人」というタグまでついている。カイル殿下も真っ青な放蕩ぶりだ。
ギルバート様が、眉間の皺を深くした。
彼は誠実すぎるがゆえに、部下を頭ごなしに疑うことを良しとしない。
確証がなければ、断罪の剣は抜けないのだ。
(……手助けしましょうか)
私はカップをソーサーに置き、カチャリと音を立てた。
その硬質な音が、張り詰めた室内に波紋を広げる。
ギーブス男爵が、初めて私に視線を向けた。
値踏みするような、ねっとりとした視線。
「おや、奥様。退屈でいらっしゃいましたか? ここは男たちの戦場でしてな、難しい数字の話ばかりで……」
「いいえ、とても興味深く拝聴しておりましたわ」
私はにっこりと微笑んだ。
そして、テーブルの上に広げられた帳簿の一点を、指先ですっと指し示した。
「ただ、一つだけ気になりまして。……ここの『東地区・第三水路』の修繕費ですが」
「は、はい。それが何か?」
「使われている石材が『青御影石』になっていますけれど、あそこの地盤は粘土質ですよね? 通常なら、より軽量な『白灰岩』を使うのが定石ではありませんこと?」
男爵の頬が、ピクリと引きつった。
「そ、それは……今回は強度を重視しまして……」
「あら、奇妙ですわね。先ほど町を通った時、積み上げられていた石材は真っ白でしたけれど。……それに、青御影石の市場価格は、白灰岩の三倍。もし白灰岩を使って、帳簿だけ青御影石にしていたら……差額はどこへ消えたのかしら?」
私の言葉に、ギルバート様の瞳が鋭く光った。
彼は私の意図を瞬時に察知し、書類を掴み上げると、凄まじい眼光で数字を追い始めた。
「……なるほど。資材の単価と、工期のズレ。……ギーブス、説明しろ」
「ひっ……!」
男爵の額から、脂汗が噴き出した。
さっきまでの余裕は消え失せ、顔面が土気色に変色していく。
頭上のウィンドウが、けたたましい警告音(※私にしか聞こえない)を鳴らし始めた。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃【システム警告:嘘が露見しました】
┃
┃心拍数:160 BPM
┃発汗量:異常
┃
┃`[思考:なぜバレた!?]`
┃`[思考:あの女、ただの飾りじゃなかったのか!?]`
┃`[思考:言い訳……言い訳を……!]`
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
「ま、間違いです! これは事務方の記載ミスで……! 決して私腹を肥やそうなどと……!」
「往生際が悪いぞ」
ギルバート様が立ち上がった。
椅子が倒れる音が響く。
彼の周囲の空気が、物理的に凍りついたかのように温度を下げる。
「氷の処刑人」の本領発揮だ。
「レティシアの指摘通りだ。現場の石材と帳簿の不一致。……直ちに査察を入れる。貴様の屋敷の金庫も、全て改めさせてもらうぞ」
「あ、あわわ……」
「連行しろ」
控えていた騎士たちが踏み込み、腰を抜かした男爵を引きずっていく。
「お許しを! 閣下ぁぁぁ!」という情けない悲鳴が、廊下の向こうへと消えていった。
静寂が戻った執務室。
私は紅茶を一口含み、乾いた喉を潤した。
少し出しゃばりすぎただろうか。
妻が政治に口を出すのを嫌う男性もいる。
恐る恐るギルバート様の顔色を窺う。
彼は、呆然と私を見つめていた。
その赤い瞳は大きく見開かれ、口元は微かに開いている。
怒っているわけではないようだが、反応がないのが逆に怖い。
しかし、彼の頭上には、すでに「答え」が出ていた。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃【リアルタイム・検索履歴】
┃
┃`[検索:妻 賢すぎる 怖い]`
┃`[検索:いや 違う 頼もしすぎる]`
┃`[検索:女神 予言者 転生者?]`
┃`[検索:惚れ直した 無限回目]`
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
(……よかった)
どうやら、幻滅はされていないらしい。
むしろ「予言者」扱いされている。
私はウィンドウを見ながら、小さく安堵の息を吐いた。
「……レティシア」
ギルバート様が、テーブル越しに身を乗り出してきた。
その顔は真剣そのもので、熱っぽい視線が私を射抜く。
「君は……何者なんだ?」
「え?」
「ただ書類を見ただけで、不正を見抜くとは。……君の慧眼には、言葉もない」
彼は私の手を取り、その甲に崇拝するような口づけを落とした。
触れた唇の熱さが、肌を伝って心臓まで駆け上がる。
「俺は、君をただ守るだけのつもりでいた。だが……君は、俺の背中を預けるに足る、最高のパートナーかもしれん」
彼のウィンドウが、黄金色に輝き始めた。
そこに表示されたのは、新たな称号の獲得ログだった。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃【ステータス更新】
┃
┃対象:レティシア
┃称号追加:『勝利の女神』『不可侵の聖域』
┃
┃【夫の脳内メモ】
┃ 彼女がいれば、どんな困難も乗り越えられる。
┃ この才能を誰にも利用させない。俺だけのものだ。
┃ ご褒美に、何でも買ってあげたい。国一つでも。
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
(国はやめてください)
愛の重さが、また一段階ギアを上げたようだ。
私は苦笑しながら、彼の手を握り返した。
「パートナーだなんて、光栄ですわ。……でも、ギルバート様。ご褒美なら、国ではなく、あの市場のケーキ屋さんの新作タルトで十分ですよ?」
私がそう告げると、彼は一瞬キョトンとし、それから今日一番の優しい笑顔を咲かせた。
「……安いものだ。店ごと買い占めよう」
「だから、一個でいいんですってば」
私たちの笑い声が、冷たかった執務室の空気を温かく溶かしていく。
頭上のウィンドウには、`[幸福度:MAX]`の文字が、いつまでも輝いていた。
続きは今日20時公開予定です。頑張って書きます。。




