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第4話 朝食のパンケーキは甘く、夫の脳内レビューはもっと甘い

小鳥のさえずりが、意識の水底から私をゆっくりと引き上げた。

重い瞼を持ち上げると、レースのカーテン越しに柔らかな朝陽が差し込み、部屋の中を白く染め上げている。


「……うう」


身体を起こそうとして、思わず低い呻き声が漏れた。

全身が、鉛のように重い。

腰から背中にかけて、鈍い痛みが走る。

指先一本動かすのも億劫なほどの倦怠感は、昨晩の「激闘」がいかに凄まじいものだったかを雄弁に物語っていた。


隣を見ると、シーツは冷たくなっていた。

キングサイズのベッドの半分は綺麗に整えられ、そこにあったはずの熱源はすでにない。


(……逃げられた?)


一瞬、不安がよぎる。

「氷の処刑人」と呼ばれる彼が、一夜の過ちを悔いて冷酷な態度に戻っていたらどうしよう。

そんなネガティブな想像をしながら、私はきしむ体に鞭打ってベッドを降りた。

用意されていたガウンを羽織り、ふらつく足取りでテラスへと続くガラス戸を開ける。


瞬間、香ばしいバターと焦がしキャラメルの香りが鼻腔をくすぐった。


「起きたか、レティシア」


テラスのテーブルには、すでに朝食の準備が整えられていた。

そして、その奥の席に、ギルバート公爵が座っていた。


彼はすでに身支度を整えていた。

昨夜の乱れなど微塵も感じさせない、パリッとした白いシャツに、仕立ての良いベスト。

銀色の髪は朝日を浴びて輝き、その肌艶は驚くほど良い。

エネルギーに満ち溢れ、発光しているのではないかと疑うほど爽やかだ。


対照的に、私はボロボロだ。

髪は絡まり、目の下には薄っすらとクマがあるかもしれない。


「……おはようございます、閣下」


「ギルバート、だ。……昨夜、そう呼ぶように言ったはずだが?」


彼はコーヒーカップを置き、悪戯っぽく口角を上げた。

その仕草だけで、心臓が跳ねる。

昨夜、耳元で何度も名前を呼ばされ、そのたびに甘い痺れが背筋を駆け上がった記憶がフラッシュバックする。


「……おはようございます、ギルバート様」


私が言い直すと、彼は満足そうに頷いた。

そして、私の椅子を引くために立ち上がる。

その動作は優雅で、無駄がない。


だが、私の視界には、彼の完璧な所作とは裏腹な「脳内の騒音」が映し出されていた。


┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓

┃【リアルタイム・検索履歴】

┃`[検索:妻 朝 可愛い 直視できない]`

┃`[検索:腰痛 マッサージ 方法]`

┃`[検索:昨夜 やりすぎた 反省]`

┃`[検索:でも 最高だった 後悔なし]`

┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛


反省の色が見えない。

最後の行に関しては、開き直りすら感じる。

私は苦笑いを噛み殺しながら、彼の引いてくれた椅子に腰を下ろした。


「食欲はあるか? シェフに頼んで、消化に良く、滋養のあるメニューを用意させた」


テーブルの上には、ふわふわのパンケーキ、彩り豊かなフルーツ、そして温かい野菜のポタージュが並んでいる。

どれも美味しそうだ。

ナイフとフォークを手に取ろうとしたその時、ギルバート様の手がすっと伸びてきた。


「待て。俺がやる」


彼は私の皿を引き寄せると、慣れた手つきでパンケーキを一口サイズに切り分け始めた。

カチャ、カチャ、と食器が触れ合う音が、小気味よいリズムを刻む。

その横顔は真剣そのもので、まるで重要な作戦会議中の指揮官のようだ。


「……あの、ギルバート様。子供ではないのですから、自分で切れます」


「駄目だ。君の手は疲れているだろう」


彼は切り分けたパンケーキの一切れをフォークに刺し、たっぷりとメイプルシロップを絡めて、私の口元へと差し出してきた。


「あーん」


「……っ!?」


時が止まった。

天下の「氷の処刑人」が、新妻に「あーん」をしている。

周囲に控えているメイドたちが、音もなく身悶えし、尊さに震えている気配が背中越しに伝わってくる。


恥ずかしさで顔から火が出そうだ。

しかし、拒否すれば彼のウィンドウに`[ショック][拒絶された][泣きたい]`という文字が並ぶのは目に見えている。

私は覚悟を決めて、口を開いた。


ふわ、とした食感。

濃厚なバターの塩気と、シロップの甘みが口いっぱいに広がる。

美味しい。

疲れた体に、糖分が染み渡っていくようだ。


「……美味しいです」


私が素直に感想を告げると、ギルバート様のアメジストの瞳が細められた。

その瞬間。

彼の頭上で、目に見えないファンファーレが鳴り響いた気がした。

ウィンドウの枠が金色に輝き、新たなシステムログがポップアップする。


┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓

┃【レビュー投稿画面:下書き】

┃投稿者:ギルバート(夫)

┃対象商品:レティシア(妻)

┃評価:★★★★★★★★★★(星5つでは足りない)

┃タイトル:女神との朝食

┃本文:

┃ 朝起きたら隣に天使がいた。夢かと思った。

┃ パンケーキを食べる姿が小動物のようで愛おしい。

┃ シロップになりたい。

┃ この笑顔を守るためなら、世界を敵に回してもいい。

┃ 一生、俺の専属シェフにパンケーキを焼かせ続けることを誓う。

┃`[投稿する]` `[保存して額縁に入れる]`

┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛


(……シロップになりたい?)


思考回路がおかしい。

重い。愛が重すぎる。

そして「保存して額縁に入れる」という選択肢は何なのか。


彼は私の口元についたシロップを、親指でそっと拭った。

その指先が、そのまま彼の唇へと運ばれる。

無自覚な色気に、私の心拍数が跳ね上がった。


「もっと食べろ。君は細すぎる。俺好みの感触にするには、あと三キロは必要だ」


「……それ以上太らせて、どうするおつもりですか?」


「決まっているだろう」


彼はニヤリと笑った。

その笑顔は、昨夜の情熱を思い出させる、捕食者の顔だった。


「体力をつけさせて、今夜はもっと長く愛するためだ」


ブワッ、と全身の血液が沸騰した。

この人は、朝から何を言っているのか。

しかも真顔で。


私は慌ててポタージュを口に運び、火照った顔を隠した。

温かいスープが食道を通っていくが、それ以上に胸の奥が熱い。


ふと、彼の頭上のウィンドウを見ると、ステータス画面が切り替わっていた。


┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓

┃【現在のステータス】

┃状態:超・幸福

┃装備:デレデレの笑顔(レア度SSR)

┃`[今日の予定:領地視察(早急に終わらせる)]`

┃`[今日の予定:妻へのプレゼント購入]`

┃`[今日の予定:夕食後のイチャイチャ時間の確保]`

┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛


仕事をしてほしい。

領主としての威厳はどうした。


けれど、不思議と嫌な気はしなかった。

かつてカイル殿下の頭上に浮かんでいた`[浮気][サボり][自己愛]`という不快なタグとは大違いだ。

ギルバート様の思考は、すべてが「私」を中心に回っている。

その重たくて不器用な愛が、空っぽだった私の心を、甘いシロップのように満たしていく。


「……ふふっ」


思わず笑みがこぼれた。

すると、ギルバート様がキョトンとして私を見た。


「何がおかしい?」


「いいえ。……ただ、幸せだなと思って」


私がそう告げると、彼は一瞬驚いたように目を見開き、それから耳まで真っ赤にして顔を背けた。

頭上のウィンドウには、`[システムエラー:尊死寸前]`という真っ赤な警告文字が点滅している。


この人と結婚して、本当によかった。

★1.2の評価なんて、私がこれから毎日★5.0をつけ続けて、上書きしてやればいい。


「私も……ギルバート様と一緒で、幸せです」


ダメ押しの一言を放つと、ついに彼はテーブルに突っ伏してしまった。

背中越しに見えるウィンドウには、花火のアニメーションが打ち上がっている。


こうして、私たちの新婚生活二日目の朝は、甘すぎるパンケーキと、さらに甘い夫の脳内レビューと共に幕を開けた。


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