第3話 初夜のベッドは「我慢」の文字で埋め尽くされ、私は夫の顔が見えません
馬車が砂利を踏みしめる音と共に停止した。
窓の外には、闇夜にそびえ立つ巨大な石造りの城館――ヴォルフィード公爵邸が鎮座している。
月光を弾く冷たい外壁、鉄格子のはまった窓、そして屋根の上で睨みをきかせるガーゴイル像。
屋敷というよりは、難攻不落の要塞、あるいは魔王城といった趣だ。
「……着いたぞ」
ギルバート公爵が先に降り、私に手を差し出した。
その手は相変わらず革手袋越しでも熱く、そして小刻みに震えている。
私はその手を借りて地面に降り立った。
「お帰りなさいませ、旦那様。そして、ようこそお越しくださいました、奥様」
玄関ホールでは、数十人の使用人たちが整列し、一糸乱れぬ最敬礼で出迎えてくれた。
彼らの表情は硬い。
ピクリとも動かず、私語一つない。
まるで訓練された軍隊のようだ。
世間一般の噂通り、「恐怖政治」が敷かれているように見える。
しかし、私の『真実の眼』には、まったく別の光景が映っていた。
使用人たちの頭上に、色とりどりのウィンドウがポップアップしている。
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┃【執事長:セバス】
┃評価:★★★★★(5.0)
┃コメント:旦那様が女性を連れてきた! 奇跡だ! 赤飯を炊け!
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┃【メイド長:マーサ】
┃評価:★★★★★(5.0)
┃コメント:やっと春が来た。あの不器用な旦那様にも春が!
┃タグ:#全力サポート #孫の顔が見たい
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(……温かい)
表向きの無表情とは裏腹に、彼らの内心は祝福と安堵で溢れかえっていた。
ギルバート公爵の背中に向けられる視線には、確かな敬愛と、少しばかりの「親心」のようなものが混じっている。
この屋敷は、冷たい要塞などではない。
不器用な主君を、温かい臣下たちが支える、強固なチームなのだ。
◇
夕食は、驚くほど静かに進んだ。
長いテーブルの端と端に座り、カチャリ、カチャリと銀食器の触れ合う音だけが響く。
料理は絶品だったが、味を楽しむ余裕はなかった。
なぜなら、遠く離れた対面に座る公爵の頭上から、常に高速スクロールするログが流れてくるからだ。
`[検索:会話 きっかけ 天気以外]`
`[検索:女性 食べる量 少ない?]`
`[検索:沈黙 気まずい 対処法]`
彼は無言で肉を切り分けているが、脳内では必死に話題を探しているらしい。
私はスープをスプーンで掬いながら、微笑みを送った。
それだけで、彼のウィンドウには`[尊い][心臓痛い]`という文字が弾け飛び、会話どころではなくなってしまうのだ。
そして、夜。
いよいよ、その時がやってきた。
案内されたのは、屋敷で最も広く、最も豪奢な部屋――主寝室だ。
中央には、キングサイズの天蓋付きベッドが鎮座している。
深紅のビロードの天蓋、雪のように白いシルクのシーツ。
部屋の隅には暖炉があり、パチパチと薪が爆ぜる音が、静寂を際立たせていた。
ガチャリ。
重厚な扉が閉ざされ、鍵が掛けられる音が響く。
密室。
逃げ場のない空間に、私とギルバート公爵、二人きり。
彼は上着を脱ぎ、白いシャツ姿になっていた。
鍛え上げられた胸板や腕の筋肉が、薄い生地越しにもはっきりと分かる。
詳細スペックにあった`[夜の傾向:絶倫]`という文字が、脳裏をよぎる。
私はごくりと生唾を飲み込んだ。
覚悟はしている。
私は彼を「購入」したのだ。商品の性能を確認するのは、所有者の義務でもある。
ギルバート公爵が、ゆっくりと近づいてきた。
逆光になり、彼の表情は影になってよく見えない。
ただ、その赤い瞳だけが、獣のように怪しく光っている。
彼はベッドサイドまで来ると、立ち止まった。
そして、絞り出すような低い声で言った。
「……エルナ(※偽名ではなく本名で呼んでくれた)」
「はい、閣下」
「今日は……長旅で疲れているだろう」
彼は視線を逸らし、拳を握りしめた。
「俺は、無理強いはしない。……今夜は、何もしない」
紳士的な言葉だ。
初夜だというのに、妻の体調を気遣い、自分を抑えようとしてくれている。
普通なら、その優しさに感動するところだろう。
だが。
私の視界は、すでに異常事態に陥っていた。
彼の頭上のウィンドウが、バグったように激しく明滅し、そこから大量の「文字」が物理的に溢れ出していたのだ。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃【システム警告:精神リミッター解除寸前】
┃
┃`[我慢]` `[我慢]` `[我慢]` `[我慢]` `[我慢]`
┃`[我慢]` `[我慢]` `[我慢]` `[我慢]` `[我慢]`
┃`[我慢]` `[我慢]` `[我慢]` `[我慢]` `[我慢]`
┃`[我慢]` `[我慢]` `[我慢]` `[我慢]` `[我慢]`
┃
┃【サジェスト(暴走中)】
┃`[実行:抱きしめる]` `[実行:口づけ]` `[実行:その先へ]`
┃`[警告:理性の壁 残り耐久値 2%]`
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「……えっと」
文字が多い。
多すぎて、彼の顔が見えない。
半透明の青い文字が、雪崩のようにウィンドウの枠を突き破り、空中に溢れ出して私の視界を埋め尽くしている。
まるでAR(拡張現実)のエラー画面だ。
彼の周囲だけ、文字情報の密度がおかしいことになっている。
「……どうした? やはり、怖いか?」
公爵が心配そうに問いかけてくる声が、文字の向こうから聞こえる。
違うんです。
怖いんじゃなくて、貴方の「我慢」という文字が邪魔で、前が見えないんです。
私はそっと手を伸ばし、空中に浮かぶ`[我慢]`の文字を払いのける仕草をした。
もちろん、私にしか見えない文字には実体がない。
手は空を切るだけだ。
「……いいえ、怖くはありません」
私はベッドの端に腰掛け、彼を見上げた。
文字の隙間から、真っ赤になった彼の耳が見える。
「閣下が大切にしてくださっていること、伝わっていますから」
その瞬間。
溢れ出していた文字が一斉に弾け飛び、新たな、特大のウィンドウが展開された。
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┃【システム通知:クリティカルヒット】
┃
┃被ダメージ:99999(即死級)
┃状態異常 :恋の病(末期)
┃
┃`[検索:この天使を 汚したくない]`
┃`[検索:でも 触れたい 矛盾]`
┃`[検索:神様 助けて]`
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
(……可愛い)
もう、笑いを堪えるのは不可能だった。
冷徹な「氷の処刑人」?
北の魔王?
とんでもない。
ここにいるのは、ただ好きな子にどう触れていいか分からず、脳内で自問自答を繰り返してショート寸前の、不器用な青年だ。
私は立ち上がり、彼のシャツの袖をきゅっと摘んだ。
「閣下。……添い寝くらいなら、していただいても減りませんよ?」
「ッ!?」
公爵が息を呑んだ。
彼の頭上のゲージが、一気に振り切れるのが見えた。
`[理性:ERROR]`
`[本能:起動中...]`
「……後悔、するなよ」
彼は低い唸り声を上げると、私をベッドへと押し倒した。
視界が回転し、ふかふかの枕に沈み込む。
覆いかぶさる彼の体温。
熱い。
火傷しそうなほどの熱量が、シャツ越しに伝わってくる。
見上げると、彼の赤い瞳が、至近距離で私を射抜いていた。
そこにはもう、迷いはない。
ただ、溢れんばかりの愛おしさと、抑えきれない欲望が渦巻いている。
頭上のウィンドウには、たった一行だけが表示されていた。
`[現在のアクション:愛する妻を、朝まで離さない]`
(……ああ、やっぱり)
私は観念して、目を閉じた。
★1.2の不良物件だと思っていた夫は、やはりスペック通りの「絶倫(★5.0)」だったらしい。
この夜、私が眠りにつくことができたのは、窓の外が白み始めた頃だった。
これから始まる新婚生活は、私の体力と、彼の理性の戦いになりそうだ。
薄れゆく意識の中で、私は幸せな溜息をついた。




