第10話 会場の空気は凍りつき、私の夫は脳内で「勝利宣言」を連呼していた
王城の大広間へと続く巨大な扉の前。
そこは、戦場に出陣する前の待機所のような、張り詰めた緊張感に包まれていた。
漏れ聞こえてくるオーケストラの調べと、数百人の話し声が混ざり合った低い唸り。
鼻を突くのは、安っぽい香水の甘さと、蝋燭が燃える煤の匂い。
「……準備はいいか」
隣に立つギルバート様が、私の方を向かずに尋ねた。
その横顔は、彫像のように硬い。
漆黒の礼服に身を包んだ彼は、まさに「闇の王」と呼ぶにふさわしい威容を誇っている。
しかし、私の腰に添えられた手は、ドレスの生地が熱を持つほどに熱く、そして痛いほど強く握りしめられていた。
彼の頭上には、戦闘開始の合図を待つボクサーのようなログが流れている。
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┃【戦闘モード:マウント(見せつけ)形態】
┃
┃作戦目標:全方位への威圧と、妻の美しさの誇示
┃装備 :最高級礼服、ダイヤのカフス、溺愛オーラ
┃
┃`[チェック:妻の髪 乱れなし]`
┃`[チェック:妻の宝石 輝度最大]`
┃`[チェック:俺の顔 ニヤけていないか]`
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(……ニヤけてはいませんけど、怖すぎます)
私は小さく息を吐き、背筋を伸ばした。
今日のために仕立てられた「夜のドレス」。
歩くたびに散りばめられたダイヤモンドが星屑のように瞬き、足元のガラスのヒールが、カツンと硬質な音を立てる。
私はもう、俯いて歩く「捨てられた令嬢」ではない。
「ええ。参りましょう、ギルバート様」
衛兵が、重々しく扉を開け放った。
「――北部辺境伯、ギルバート・ヴォルフィード公爵閣下! ならびに、公爵夫人レティシア様、ご入場!」
高らかなアナウンスと共に、光の洪水を浴びる。
瞬間。
会場の喧騒が、ナイフで断ち切られたように途絶えた。
数百の視線が、私たちに突き刺さる。
最初は「どんな惨めな姿で来たのか」という嘲笑の眼差しだったはずだ。
しかし、それは一瞬で「驚愕」へと変わり、やがて「畏怖」と「羨望」へと変質していく。
静寂の中、私たちはレッドカーペットの上を歩き出した。
ギルバート様が放つ物理的な冷気が、会場の熱気を急速に冷却していく。
肌が粟立つような寒気。
けれど、私だけは彼の体温に守られている。
(……見えてきたわ)
会場の中央、一段高い雛壇に、その二人はいた。
カイル・ロ・アークライト王太子と、その腕に絡みつくミリア。
彼らの表情が、みるみるうちに歪んでいくのが見えた。
余裕の笑みは凍りつき、目は魚のように飛び出しそうだ。
私は扇子で口元を隠し、『真実の眼』を発動させた。
さあ、現行商品の「品質チェック」の時間だ。
まず、ミリア。
ピンク色のフリルたっぷりのドレスは、遠目には可愛らしい。
しかし、近づけば分かる。
生地の光沢は失われ、レースの端は解れかけている。
何より、厚塗りのファンデーションでも隠しきれない肌荒れと、目の下のクマ。
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┃【比較対象A】ミリア(自称:勝者)
┃
┃状態 :メンテナンス不足
┃劣化度 :深刻(ストレスによる急速な老化)
┃
┃【トップレビュー】
┃投稿者:専属メイク担当
┃コメント:
┃ 肌がボロボロで化粧が乗らない。
┃ 「もっと高い化粧品を使いなさいよ!」と怒鳴られたが、
┃ 予算がないのでどうしようもない。
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そして、カイル殿下。
金髪は整えられているが、以前のような輝きがない。
痩せこけた頬。
虚勢を張って胸を反らせているが、その瞳は泳いでいる。
彼の頭上には、哀れなほど巨大な「虚飾の看板」と、残酷な「真実」が並んで表示されていた。
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┃【比較対象B】カイル(王太子)
┃
┃[自己申告スペック]
┃ 魅力:SSS
┃ 資産:無限
┃ 状態:愛する女性と幸せの絶頂
┃
┃[実測スペック]
┃ 魅力:D
┃ 資産:-5億G(債務超過)
┃ 状態:胃痛、不眠、現実逃避
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(……勝負にすらなっていないわ)
私は心の中で、静かに判定を下した。
比較するのもおこがましい。
彼らは「幸せなふり」をすることに疲弊しきっている。
私たちが雛壇の前まで進むと、カイル殿下が引きつった笑みを浮かべた。
「……よ、よく来たな。ギルバート公爵。それに……レティシア」
彼の視線が、私のドレスに釘付けになる。
その瞳に宿ったのは、明らかな「欲情」と「後悔」だった。
かつて「地味だ」と切り捨てた元婚約者が、宝石のように輝いているのを見て、所有欲が再燃したのだ。
「ずいぶんと……派手な格好だな。辺境の田舎暮らしで、金銭感覚がおかしくなったか?」
震える声で、精一杯の嫌味を言ってくる。
しかし、その嫌味は即座に跳ね返された。
「妻を飾るのは夫の義務だ」
ギルバート様が、氷点下の声で遮った。
彼は私を背中に隠すように一歩前へ出ると、カイル殿下を見下ろした。
その身長差、約15センチ。
圧倒的な威圧感に、カイル殿下がたじろぐ。
「俺の妻は、世界で一番美しい。……これでもまだ、彼女の輝きには足りないくらいだ」
会場がどよめいた。
「氷の処刑人」が、公衆の面前でのろけたのだ。
しかも、真顔で。殺気すら纏いながら。
カイル殿下の顔色が、赤から青、そして白へと変わっていく。
彼の頭上のウィンドウには、`[思考:負けた][思考:なぜだ][思考:あの宝石ひとつで、俺の借金が返せる]`という、あまりに世俗的な敗北感が流れている。
隣にいるミリアが、金切り声を上げた。
「う、嘘よ! そんなの、全部借金して買ったに決まってるわ! お姉様がそんなに愛されているはずがない! だって、お姉様は……地味で、つまらない女なんだから!」
彼女はヒステリックに叫びながら、私を睨みつけた。
その形相は、可愛らしさを装っていた仮面が剥がれ落ち、醜悪な嫉妬そのものだった。
私は、ギルバート様の背中からそっと顔を出した。
そして、優雅に扇子を開き、口元だけで微笑んだ。
「ごきげんよう、ミリア。……随分と、お疲れのようね? 幸せすぎて眠れないのかしら?」
「っ……!」
図星を突かれたミリアが絶句する。
周囲の貴族たちも、もう気づき始めていた。
どちらが「本物の宝石」で、どちらが「メッキの剥がれた石ころ」なのかを。
ヒソヒソという囁き声が、波紋のように広がる。
「おい、見たか? 公爵夫人のあの肌艶……」
「公爵様、怖い顔をしてるけど、夫人の腰に回した手がすごく優しいわ」
「それに比べて、殿下たちは……なんだか貧相ね」
「やっぱり、噂は本当だったのよ。捨てられたのは、実は殿下の方だったんじゃ……」
空気が変わる。
嘲笑の対象が、私から、雛壇の二人へと反転していく。
ギルバート様は、そんな周囲の反応など意に介していなかった。
彼の関心は、ただ一点のみ。
彼の頭上のウィンドウが、カシャリと音を立てて更新された。
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┃【システム通知:完全勝利】
┃
┃勝因:妻の圧倒的な美貌
┃
┃`[ログ:見たか これが俺の妻だ]`
┃`[ログ:全員ひれ伏せ]`
┃`[ログ:でも見すぎだ 減るから見るな]`
┃`[ログ:早く帰って 二人きりで褒めちぎりたい]`
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「……行くぞ、レティシア」
ギルバート様が、私の肩を抱いた。
「これ以上の滞在は、害虫(元婚約者)が視界に入るだけ無駄だ」と言わんばかりの態度だ。
「ええ。……ご挨拶は済みましたものね」
私は最後に一瞥だけ、カイル殿下たちに視線を送った。
彼らの頭上には、`[評価:暴落中]` `[状態:笑いもの]`というタグが点滅している。
もはや、彼らにかける言葉は何もない。
私たちは踵を返し、再びレッドカーペットを歩き出した。
その背中に浴びせられるのは、もはや嘲笑ではない。
圧倒的な「格の違い」を見せつけられた者たちの、羨望のため息だけだった。
会場を出る直前、ギルバート様が耳元で囁いた。
「……よくやった。今日の君は、最高だった」
その声は震えていて、熱を帯びていた。
私は彼の腕をぎゅっと抱きしめ返した。
最高なのは、貴方です。
貴方のその重たくて過保護な愛が、私を一番高い場所へと引き上げてくれたのですから。
夜風が、火照った頬に心地よい。
しかし、これで終わりではない。
この展示会は、彼らの破滅への序章に過ぎないのだから。




