第1話 自己評価★5.0の元婚約者を返品し、実態★1.2の冷徹公爵をカートに入れた夜
シャンデリアの過剰な光が、網膜をチカチカと刺激する。
王城の舞踏会場は、数百人の貴族が発散する熱気と、混ざり合った香水の甘ったるい匂い、そして冷めた肉料理の油の臭いで淀んでいた。
「――聞いているのか! レティシア! 貴様との婚約は、今この瞬間をもって破棄する!」
鼓膜をつんざくような怒号が、至近距離から飛んできた。
目の前に立っているのは、この国の第二王子、カイル・ロ・アークライトだ。
整った金髪を振り乱し、興奮で紅潮した顔からは、微細な唾の飛沫が飛んでいる。
その隣には、私の異母妹であるミリアが、彼の腕にねっとりと絡みつきながら、勝ち誇ったように唇を歪めていた。
周囲の喧騒が、波が引くように静まり返る。
さざめきは、すぐさま好奇と嘲笑を含んだヒソヒソ話へと変わり、無数の視線が針のように私の肌を突き刺した。
普通なら、ここで膝から崩れ落ち、涙を流すのが令嬢としての「正解」なのだろう。
あるいは、憤怒に震え、扇子を投げつける場面かもしれない。
けれど、私の心臓は驚くほど静かに、一定のリズムを刻んでいた。
冷え切った指先でドレスの裾を握りしめながら、私は目の前の男の顔ではなく――その頭上に浮かぶ「半透明のウィンドウ」を凝視していた。
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┃【商品名】カイル・ロ・アークライト(第二王子)
┃
┃[自己評価]:★★★★★(5.0)
┃ └ コメント:王国の至宝。選ばれた天才。
┃
┃[実態評価]:★☆☆☆☆(1.2)
┃ └ コメント:外面だけの不良債権。
┃
┃【トップレビュー】
┃投稿者:匿名(元・教育係)
┃タイトル:返品不可の粗大ゴミ
┃コメント:
┃ 顔が良いのは最初の三ヶ月だけ。
┃ 極度のマザコンで、自分の非を絶対に認めない。
┃ 気に入らないことがあるとすぐに怒鳴る癇癪持ち。
┃ この商品(王子)に関わると、精神を病みます。
┃
┃【タグ】 #モラハラ #浮気性 #釣った魚に餌やらない
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(……ああ、やっぱり。また評価が下がっている)
私は心の中で、冷めた息を吐いた。
かつて10歳の頃、義妹に突き落とされて頭を打った衝撃で、私の中にある「前世の記憶」が蘇った。
そこは、あらゆる商品の価値が可視化され、失敗しない買い物が美徳とされる世界だった。
その日から、私の視界にはこの「評価ウィンドウ」が浮かぶようになった。
それは臆病な私が、二度と人生という名の買い物で損をしないための、絶対的なガイドブック。
7年前。婚約が決まった当初、カイル殿下の評価は「★3.0」だった。
『将来性に期待』『素材は悪くない』というレビューを信じ、私は先行投資だと思って、彼に尽くしてきた。
彼の癇癪を宥め、公務の不備を裏で修正し、浪費癖をカバーするために実家の資産すら切り崩した。
その結果が、これだ。
7年という貴重な時間を費やして育ったのは、王としての資質ではなく、肥大化した自己愛と、隠しきれない浮気癖だけだったらしい。
「……承知いたしました、殿下」
私はゆっくりと膝を折り、完璧なカーテシーを披露した。
声色は、鈴を転がすように冷静で、感情の波を一切乗せない。
「貴方の望む通りにいたします」
「なっ……!?」
カイル殿下は、私が泣いて縋り付くと思っていたのだろう。
拍子抜けしたように口を半開きにし、それからすぐに、プライドを傷つけられた屈辱で顔を赤黒く染めた。
「ふん! 強がりを! 惨めな女だ。地味で、可愛げがなく、石のように冷たい女! ミリアの爪の垢でも煎じて飲むがいい!」
彼はミリアの腰を抱き寄せ、これ見よがしに見せつける。
ミリアの頭上にも、同様のウィンドウが浮かんでいる。
`[相性診断:カイル王子との相性 98%(※破滅的な意味で)]`
お似合いだ。
共倒れする未来しか見えない。
私は湧き上がる失笑を奥歯で噛み殺し、無表情を貫いた。
もはや怒りすら湧かない。
手元にある「腐った在庫」が、向こうから勝手に出て行ってくれるのだ。これほどの僥倖はない。
「それで? 行き場のない貴様を、誰が貰ってくれるというのだ? 王家に捨てられた傷物の女など、貴族社会の恥晒しだぞ」
カイル殿下は、残酷な笑みを浮かべて広間を見渡した。
その声は、広間の隅々まで響き渡る。
「誰か! この哀れな女を拾ってやる物好きはいないか! 今なら私が仲介してやるぞ! ……はっはっは、誰もいないか! 当然だな!」
会場が静まり返る。
誰も目を合わせようとしない。
当然だ。王家に弓引くような真似をすれば、どんな報復を受けるか分からない。
それに、私の実家である伯爵家は、すでにミリアを次期当主に据えると公言している。
私には、家柄も、後ろ盾も、何もない。
「見ろ、このザマを! 貴様は孤独に野垂れ死ぬのがお似合いだ!」
殿下の高笑いが、シャンデリアを揺らす。
その時だった。
カツン、カツン、カツン。
大理石の床を叩く、硬質で重い足音が響いた。
その音は、規則正しく、そして異常なほどの重圧を伴っていた。
広間の喧騒が一瞬で凍りつき、まるで時が止まったかのような静寂が支配する。
入り口付近の人垣が、モーゼの海割れのように左右に開いた。
誰もが恐怖に顔を引きつらせ、悲鳴を押し殺しながら後ずさりをしていく。
現れたのは、一人の男だった。
漆黒の軍服に身を包んだ、常人離れした巨躯。
夜の闇を切り取ったような黒髪は少しも乱れず、その下にあるのは、血のように赤い瞳。
整いすぎた美貌は、生物的な温かみを一切感じさせず、まるで氷の彫像のようだ。
その体からは、物理的な冷気が漂っているのではないかと錯覚するほどの、圧倒的な威圧感が放たれている。
「――騒がしい」
地底から響くような低音。
それだけで、カイル殿下の高笑いがピタリと止まり、喉がヒュッと鳴った。
彼を知らない者はいない。
北部辺境伯、ギルバート・ヴォルフィード公爵。
通称、「氷の処刑人」。
国一番の武力を持ちながら、あまりの冷酷さに誰も近づこうとしない、生ける伝説。
「ギ、ギルバート公爵……」
カイル殿下でさえ、声を震わせている。
ギルバート公爵は、私の前で立ち止まった。
その赤い瞳が、私を見下ろす。
背筋に冷たい電流が走った。
殺される、と本能が警鐘を鳴らすほどの鋭い眼光。
私は、反射的に彼の頭上のウィンドウを確認した。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃【商品名】ギルバート・ヴォルフィード(公爵)
┃
┃[総合評価]:★☆☆☆☆(1.2)
┃
┃【トップレビュー】
┃投稿者:匿名(元部下)
┃タイトル:絶対に近づくな
┃コメント:
┃ 目が合うだけで石になる。
┃ 感情という機能が実装されていないバグ物件。
┃ 過去の見合い相手は全員、恐怖で発狂して逃げ出した。
┃ 人間ではない。北の魔王だ。
┃
┃【タグ】 #冷酷 #無慈悲 #血も涙もない
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ひどい評価だ。
★1.2。
カイル殿下の実態評価と同じレベルの低さだ。
レビュー欄は「怖い」「逃げろ」「死ぬ」という阿鼻叫喚のコメントで埋め尽くされている。
「……なんだ、その目は」
ギルバート公爵が目を細めた。
私が自分の頭上を凝視しているのを、睨まれていると勘違いしたらしい。
室温が一気に5度は下がった気がした。
その時、カイル殿下が何かを思いついたように、下卑た笑みを浮かべた。
「そうだ! ちょうどいい! ギルバート公爵、貴殿は独身だったな? この女をくれてやろう!」
「……何?」
「傷物の女と、化け物の公爵! お似合いじゃないか! これは王命だ。その女を妻にし、辺境へ連れ帰るがいい!」
会場から、悲鳴にも似た息を呑む音が漏れた。
それは死刑宣告に等しかった。
「氷の処刑人」の妻になるなど、生贄として猛獣の檻に投げ込まれるも同然だ。
ギルバート公爵は、不快そうに眉間の皺を深くした。
拒絶するか。
あるいは、その場で殿下を斬り捨てるか。
彼の右手が、腰の剣に伸びるのが見えた。
しかし、その瞬間。
私は見てしまった。
彼のウィンドウの端にある、「詳細情報」のタブが激しく点滅しているのを。
(……え?)
私は無意識に、視線でそのタブをクリックした。
今まで、★1台の物件の詳細なんて見たことがなかった。
どうせ「借金まみれ」とか「暴力癖あり」とか、ろくでもない情報が載っているだけだと思っていたからだ。
けれど。
展開されたウィンドウに表示された文字列を見た瞬間、私の呼吸が止まった。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃【詳細スペック】ギルバート・ヴォルフィード
┃
┃・浮気率 :0.00000%(測定不能なほど皆無)
┃・財力 :SS(国家予算レベルの資産有)
┃・家事スキル :A(実は料理上手・潔癖症)
┃・夜の傾向 :絶倫(※特定の相手には加減不可)
┃
┃【低評価の真の理由】
┃「愛が重すぎる」
┃「一度懐に入れた相手を、絶対に手放さない(監禁リスク有)」
┃「妻を害する者は、国ごと焼き払う過保護仕様」
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
(…………はい?)
私は目を疑い、二度見した。
浮気率、ゼロ?
財力、SS?
そして、低評価の理由が「性格が悪い」ではなく、「愛が重すぎて怖い」から?
これって……。
浮気性で浪費家、釣った魚に餌をやらないカイル殿下とは、真逆じゃない?
「……ふん。王命とあれば、致し方あるまい」
ギルバート公爵が、低く唸るように言った。
その声は相変わらず冷徹で、感情のカケラも感じさせない。
「ただし、俺の屋敷に来て一日で泣いて逃げ出しても知らんぞ。俺は、女の機嫌を取るような真似はしない。……覚悟することだ」
彼は私を一瞥もしない。
その態度は、確かに冷酷で、取り付く島もないように見える。
周囲の人間なら、恐怖で震え上がる場面だ。
しかし、私の目には見えていた。
彼のウィンドウの下部に、リアルタイムで更新される「検索サジェスト」のログが。
`[検索:泣かない女 方法]`
`[検索:手土産 おすすめ 甘いもの]`
`[検索:初対面 威圧しない 表情筋トレーニング]`
`[検索:どうしよう 可愛い 直視できない]`
(……ぶっ)
吹き出しそうになるのを、腹筋に力を入れて必死で堪えた。
なんだこれは。
彼は冷酷なのではない。
ただ、コミュ障で、不器用で、そして……必死に「良き夫」になろうと脳内で検索しまくっているだけではないか。
★1.2の評価は、彼の「分かりにくさ」が招いた誤解だ。
その分厚い氷の下には、誰にも見つけられなかった「最高級の優良物件(★5.0)」が眠っている。
(買いだわ)
私の商魂(サバイバル本能)が、激しくアラートを鳴らした。
こんな掘り出し物、二度と市場には出回らない。
浮気なし、金あり、家事よし、そして溺愛確定。
カイル殿下に感謝したいくらいだ。
私は震える足を叱咤し、一歩前へ出た。
ギルバート公爵の前に立つ。
見上げると、岩壁のような圧迫感がある。
物理的に怖いのは事実だ。
でも、ウィンドウの中の彼は、必死に`[検索:女性 震える 寒さ対策 上着貸すべき?]`を検索している。
私は、精一杯の猫被りスマイルを作った。
前世で培った、営業スマイル全開だ。
「……謹んで、お受けいたします」
「……何?」
ギルバート公爵が、微かに目を見開いた。
その赤い瞳が揺れる。
周囲の貴族たちも、「正気か?」「ショックで気が狂ったか?」という顔をしている。
私は、彼の手――分厚い革手袋に覆われた大きな手を、両手でそっと包み込んだ。
冷たい革の感触。
けれど、その奥にある掌は、驚くほど熱いことを私は知っていた(※詳細スペック参照)。
「公爵閣下。不束者ですが、どうぞよろしくお願いいたします」
「……本気か? 俺は、『氷の処刑人』だぞ。後悔しても遅いぞ」
「ええ、存じております。ですが……」
私は背伸びをして、彼の耳元で囁いた。
他の誰にも聞こえないように。
「私、暑がりなんです。……冷たい旦那様くらいが、ちょうどいいのです」
ギルバート公爵の体が、ビクリと跳ねた。
まるで雷に打たれたように硬直する。
その赤い瞳が激しく瞬きし、私の顔を凝視する。耳の先が、ほんの少しだけ赤くなっているのが見えた。
そして、彼の頭上のウィンドウに、新たなアラートがポップアップした。
`[システム通知:商品をカートに入れました]`
`[警告:一度購入すると、二度と返品できません。よろしいですか?]`
` YES << 連打中`
` NO`
私は心の中でガッツポーズをした。
契約成立だ。
カイル殿下が、馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「ふん、物好きめ。精々、氷漬けにされて死ぬがいい! 後で泣きついてきても、城門に入れてやらんからな!」
私は殿下に向き直り、今日一番の優雅なカーテシーをした。
「ご心配には及びませんわ、殿下。……私、お買い物には自信がありますの」
こうして。
私の婚約破棄騒動は、史上稀に見る「優良物件の青田買い」によって幕を閉じた。
これから始まるのは、地獄の辺境生活ではない。
評価★1.2(実は★5.0)の旦那様による、重すぎて胃もたれするほどの溺愛ライフだ。
ギルバート公爵が、私の腰に手を回す。
その手つきは、恐る恐るで、壊れ物を扱うように慎重だった。
頭上のウィンドウには、`[状態:心拍数上昇(危険域)]`の文字が点滅している。
(……さて。まずはこの『表情筋が死んでいる旦那様』のレビューを、私が星5つで埋め尽くしてあげなくちゃね)
私はギルバート公爵のエスコート(※ガチガチに緊張してロボットのような動き)を受けながら、光溢れる大広間を後にした。
背後で聞こえるカイル殿下の嘲笑が、負け犬の遠吠えにしか聞こえなかった。




