似た者同士
迫りくる孝則に対して、翔太郎はリング中央で一旦止まり、左手を前に伸ばした。
それを受けて孝則もも同じく左腕を伸ばし、拳と拳を合わせる。
そして互いにファイティングポーズを取る。
ラウンド開始と似た様なリズム。それは翔太郎が意図して作り出したものだった。
ダン!
互いに踏み込んだ足音が響き渡る。しかし、今度は相打ちではない。翔太郎は踏み込んだだけでパンチは出していない。
孝則の左ストレートをヘッドスリップで躱すと、すかさず返しの右フックを叩きこんだ。
続けて左アッパー、左ジャブ、ジャブ、ジャブ。そのジャブ3連打は全て左回りにステップしながら打っており、同じ場所に留まらない。
「上手いな。もう修正してきた」
部長が呟く。
「しかし、孝則も負けてないです」
と七海。
実際、すぐに距離を詰めて、隙あらば連打を繰る出す孝則。それに対して翔太郎は短く応戦してはいなし、時には先制し、時には完全に距離を潰してクリンチ等、バラエティーに富んだ対応をする。
パンチはジャブ、フリッカー、ストレート、クロス、フック、アッパーと多彩な翔太郎に対し、孝則はジャブとストレートだけだが、それに気が付く見学者はいないだろう。それぐらい拮抗したボクシングになっている。
互いに譲らにまま、第一ラウンドのゴングが鳴った。
拍手が自然発生する。
「二人がこんなに噛み合うって分かってたんですか?」
七海が部長に問いかけた。
「いや、なんとなく似たもの同士だから、面白いかなって思っただけ」
部長は苦笑いして、申し訳なさそうに答えた。
「似てますか?」
「似てるじゃん」
部長は両コーナーで激しく呼吸し、水を飲む二人を見て言った。
「良いもん持ってるクセに、二人とも、恐ろしく自己評価が低いからさ」
「ですね」
七海は孝則を見て同意する。
第2ラウンド開始のゴングが鳴った。
やはり、激しく互いを削り合う闘いが続く。戦況は拮抗し、どちらにも傾かない。
動きがあったのは残り30秒を迎えた所。
孝則の、この試合で一番と言える会心の右ストレートが翔太郎の顎に入った。
もちろん狙った一撃ではない。連打の中の偶然だ。
しかし、数打って当てるを旨とした孝則にとっては、やっと訪れた必然とも言える。
一瞬、翔太郎の膝が落ちる。
(行けるか!)
手ごたえはバッチリ。意気が上がる孝則はすぐに意表を突かれる。
「逃げた!」
会場の誰かが驚いて叫んだ。
そう、翔太郎は敵に背を向けて後ろに逃げたのだ。
(逃げて悪いか!外野は何とでも言いやがれ!)
翔太郎はロープ際まで逃げると、振り返り、ガードを固める。
(やっぱ、コイツすげえな!)
翔太郎は天才のクセに、こんな不器用なこともやってのける。無様に逃げるその姿に、孝則は尊敬すら覚えた。
しかし、これがこの試合最大のチャンスだろう。
孝則は追う。
いや、チャンスも何も、あと数十秒流せばこのスパーリングは終わる。倒しに行く必要など本来はまったくない。
しかし、そんなことは二人の頭からは、すっかり抜け落ちていた。
踏み込んで右ストレートを強振する孝則。
(ようやく突進して来たな!)
翔太郎は、その右を躱し様に右のカウンターを合わせる。
その一撃は見事に孝則の顎を捉えた。
(やべっ!やっちまった・・・)
あんなにジャブから入る練習をしたのに、勝ち急いで雑になったとたん狙われてしまった。
しかし、後悔しているヒマは無い。
打たれた衝撃で、まだ視界は定まらないが、追撃を受けているのは感覚で分かる。
(手を出せ!)
孝則は朦朧とする意識の中で、打たれた感覚から翔太郎の位置に当りをつけ、やみくもに手を出し続けた。
(効いてないのか?!)
十分に手応えがあったのに、孝則の反撃は止まらない。
(逃げられない!迎え撃つしかない!)
翔太郎は覚悟を決めた。彼自身も先に食らったパンチのダメージで、まだ思うように足が動かないのだ。
2ラウンド残り15秒。互いに足を止めての、壮絶な打ち合いになる。
「下川って、こんなに荒っぽかったんだ」
「いや、田中がすげーんだろ」
「どっちもスゲー!」
場内がざわつく。
(こんなに打ち合いに付き合ってくれるヤツ、久しぶりだな)
打ち合いの中で孝則の意識は徐々にはっきりしてくる。
もうどれぐらい。こうやっているのだろう?そのへんの記憶は曖昧だ。しかし、かなり打ち合いが続いていることは間違いない。
ここ最近は誰もが孝則との打ち合いを避けた。翔太郎にも躱されると思い、追いかけることばかり考えていた。
しかし、今、真っ向から打ち合っている。
コイツ、打ち合いも強い。
だからこそ、絶対今打ち負けてはいけない!
孝則は脇を閉め、苦しくて上げたくなるアゴを引き、疲労で下がりそうになるガードの手を気合で上げて、手を出し続ける。
(あと何秒だ?!)
苦しい。翔太郎は、時計を見たい衝動にかられる。しかし、少しでも気を抜くことを目の前の男は許してくれない。
とにかく心を無にして、この男の真似をしよう。ガードを上げ、脇を閉め、顎を引き、半身で猫背、極力打たれるスペースを潰してひたすら手を出す。
クリーンヒットは狙わない。ガードの上だろうが、肩だろうが頭だろうが、見える所をただひたすら叩く!
孝則も翔太郎も、次第に目の前の相手以外が視界から消えていった。
ドン!
突然二人は、互いに壁にぶつかったような衝撃を受けた。
遠くで何か音のようなものが聞こえる。