天才と脅威
天才とは何だろう?
下川翔太郎はよく自問する。
周りは自分を天才と言う。同年代に比べて上手いから。
それはそうだろう。だって同年代よりも長くやっているのだから。
ボクシングは、高校から始める人が多い。だから部活の先輩もキャリアは2年程度だ。それに対し自分は5年以上やっている。上手くて当たり前じゃないか。
ならば、才能とは環境のことか?
世の天才達のことは知らないが、自分に関して言えば、持っている才能は環境だけだと思う。
下川翔太郎は、自宅のリビングのTVを点けた。そして、動画配信サイトに繋ぎ、古い試合を再生する。
現れたのは二人の黒人選手。
一人は当時の世界ミドル級チャンピオン。圧倒的な強さを誇り、『驚異的』というニックネームが付いている。彫刻のように美しく引き締まった筋肉質の体、スキンヘッドに髭面という、いかにも屈強なボクサーという風貌だ。
もう一人は『砂糖(のように甘く華麗)』というニックネームのボクサー。
天才ボクサーと言えば?というランキングを作ったら必ず上位に名前が乗る人で、フットワークとスピード、コンビネーション、防御技術、全てが美しい。
この試合では挑戦者だが、ウエルター級から始まって、既に2階級を制覇した実績がある。
翔太郎は、動画を操作し、試合を第9ラウンドまで送った。
もう何度も見た動画なので、見たいシーンは直ぐに見つけられる。
この試合、序盤はフットワークと手数で勝る挑戦者がポイントを稼いだ。
だが、あくまで印象点であって、ダメージに差はない。
いや、地味ながら着実にダメージを与えているのはチャンピオンのようにも見える。
後半に行くにつれ、その様相は顕著になっていく。
そんな流れでの第9ラウンド。
挑戦者がロープ際に詰められるシーンが増えた。
ジャブを突きながらジワジワコーナーに追い詰めるチャンピオン。
翔太郎はその姿に孝則がダブって見えた。
やがて動画は、この試合の語り草となるシーンに移る。
もうダメージと疲労の蓄積からか、華麗なフットワークが影を潜めた挑戦者。足が動かなくなった彼は、思いもよらない方法でこの危機を脱する。
前に出て連打するのだ。
『砂糖のような』華麗さではなく、子供のケンカのようななりふり構わぬ左右の連打。
その後のチャンピオンの様子を見るに、けっしてダメージは与えていないだろう。しかし、意表を突いて逃げる隙を作ることは出来た。
その後も捕まりそうになっては高速連打を打ち込んで逃げる、その繰り返しで挑戦者はこの試合最大のピンチをしのぎ、最終的には、微差ながら判定で勝利する。
動画を見ながら、気が付けば翔太郎は立ち上がって仮想の孝則に向かって構えを取っていた。
(あと一歩だ)
おそらく田中孝則はフットワークだけでは躱せない。
彼は少し前から明らかにジャブを磨いている。突進ならば躱せるが、彼にジャブを突きながらジワジワ来られたら、いずれ捕まるだろう。
いつもより一歩踏み込んでパンチを当てる。当ててから躱す。
逆ではダメだ。
後手に回ったら孝則は打ち返す暇など与えないだろう。それだけ彼の連打力は脅威だ。
一歩踏み込む勇気、それが明暗を分ける。
脅威に対して屈すること無く、どんな手を使っても立ち向かう。
画面の中の男の本質は、そういうタイプの天才だと翔太郎は思う。
自分はそうなれるだろうか?
孝則との闘いで、それが試される。