風車戦法
練習後の帰り道、田中孝則は七海に誘われカフェに入った。
「待ってるのキライだから」
という理由で七海が注文に行き、孝則が席取りをすることになった。
店内は多くの学生で混雑している。普段あまり寄り道をしない孝則は、手持ち無沙汰で携帯を取り出した。
「またそれ見てるの?」
アイスコーヒーを二つ持った七海が戻って来た。孝則が携帯で観ていたモノクロの動画のことを言っている。
「うん。これしか出来ないからね」
孝則はいつもの自虐的笑みを浮かべる。そして、続けた。
「でも、実際見るとこの人は上手いんだよな。。センスもある。オレとは全然違う」
孝則が真顔になるので、七海も動画を覗き込む。
それは古いボクシングの試合だった。
孝則が「この人」と言ったのは、動画に写る日本人ボクサー。止まることを知らぬ連打から『狂った風車』というニックネームを付けられた、元世界チャンピオンだ。
孝則がその選手を知ったのは祖父からだ。
いつものように不器用を自虐発言していると、見かねた祖父が発破をかけた。
「不器用なんて言い訳にならんよ。不器用なりの戦法ってものがある。それで世界チャンピオンになった人もいるからな」
「不器用なりの戦法ってなんだよ」
孝則は不満げに言う。そんなものあるワケがない。この情報化社会、あれば誰かが教えてくれるだろう。
そんなことを漏らすと、祖父はニヤリとして言った。
「あるさ。お前らからすると、今は情報化社会というが、オレから言わせたら失伝も多いぞ。この戦法はバカにならないと出来ないからな、こういうのは今の学校じゃ教えなくても無理はない」
「バカになる戦法?」
「バカみたいな練習量が必要だし、バカみたいに勇気が必要な戦法だ。誰が言ったか風車戦法!」
興が乗った祖父は、講談のような口調になっていた。
風車戦法とは、要は手を出し続けること。
半身で顎を引き、脇を絞め、拳は目の高さで左右のパンチを打ち続ける。そうやって連打している間は打ち返されない。相手に反撃をする隙を与えず打ち続けろ!というシンプル極まりない戦法だ。
しかしパンチというのは案外重労働だ。未経験者ならグローブを着けての連打は10秒で息が上がる。経験者でも30秒はかなりキツい。
だから、こんな戦法は誰もやらない。
しかし、かのチャンピオンは、それを3分15ラウンドやり続けた。
「それに比べたら、お前は2分3ラウンドだ。やってみたらどうだ」
と祖父は言う。
確かに不器用な自分には、持って来いの戦略に思える。
何より、練習量に比例して強くなれそうなイメージが沸いたのがありがたい。
それを期に孝則は徹底的に左右の連打を鍛えた。
単純明快なので、フィジカルに関しては、やればやるほど向上している実感がある。
5秒、10秒と連打を継続できる時間が伸びるにつれ、どんどん孝則はこの練習に夢中になった。
しかし、なかなか実践では活かせない。
打ち合ってくれる相手にはいい。しかし、強くなればなるほど誰も打ち合ってはくれない。脚を使って逃げられ、肝心の連打をさせてもらえないのだ。
下川翔太郎のようなボクサーは、相性が最悪といえる。
(これで世界チャンピオンになれるか?じいちゃんの言ってることは本当なのだろうか?)
そういう疑念が沸いた頃に、ふと気づいて動画配信サイトを検索してこの動画を見つけた。
「確かに孝則よりも、ちゃんとボクシングしてるね」
動画を覗き観しつつ、七海が素直な意見を言った。
「な、動画見つけてみれば、じいちゃんが言ってたのと全然違うんだ。相当上手いし足もあるよ。世界チャンピオンだもんな・・・そりゃそうだ。最初は騙されたと思ったよ」
孝則が答えた。
「最初は?」
と七海。
「うん。繰り返し見てるとさ、1周周ったんだ」
孝則が饒舌になって来る。七海は相槌を打ちながら好きに喋らせることにした。本当は気晴らしにボクシング以外の話をしたかったのだが、当の孝則がこれじゃしょうがない。
「この人、結局はジャブから入って、くっついたら左右の連打。それしかしかしてない。ジャブと連打の繋ぎが上手いから、ちゃんとボクシングしているように見えるんだ。逆に言えば、それだけを極めればボクシングになる」
孝則は自分に言い聞かせるように言った。
(左ジャブだ)
左右の連打を活かすのは左ジャブ。
踏み込んだジャブからの連打、ジャブをダブル、トリプルで打って連打、ボディジャブからの連打、とにかくジャブで追って連打するバリエーションを当日までに徹底的に磨く。
他のパンチは全部捨てる!
それが不器用なりの戦法だ!
孝則は、脳裏から消えない下川翔太郎の姿に、左ジャブを打つ自分の姿を重ねた。