41.期待。
翌日の放課後、私となつきは再び校舎の中を歩いていた。
「今日は文藝部の番だよっ!」
「う、うん……でも、どこにあるのかな……」
なつきは昨日よりも緊張した様子で、手に持った本をぎゅっと抱きしめている。
「大丈夫大丈夫!昨日みたいに探せばきっと見つかるよ!」
「ん〜……でーもー、昨日みたいに覗くのはダメだよっ?」
なつきは私の頬をつつく。
なつきの大人びている整った顔に塗られた不安そうな表情。
私と背丈の変わらない、そんななつきの小柄な全身に夕影は励ますように照らす。
私の足元だけに灯る陽は仄かにあたたかさを感じさせた。
頬に潰されかけている片目は気にせず、微笑みかける。
「分かってるってぇ〜!今度はちゃんとノックして入るから〜!」
私は元気よくなつきの肩をノックするように叩く。
なつきは、ふふふと笑いながら頷いた。
「文藝部って、どこにあるんだろう?」
「確か……2階の奥の方だったかな……」
二人で廊下を歩いていると、いつの間にか職員室まで来ていた。
日が当たらない使い古された告知黒板。
授業の告知、部活の活動内容、色んなものが書かれていたり、張り出されている。
近づくと白く濁っている。黒板消しはもう機能しないくらい、頻繁に使われているのが分かる。
その黒板に部活動の案内が貼ってあった。
「……あ、あった!文藝部は2階の204教室だって!」
「204……普通の教室なんだね」
階段を下りながら、なつきの表情を見る。昨日とは違って、明らかに不安そうだった。
「なつき、大丈夫?」
「うん……ただ、ちょっと緊張して……」
足を止めて、なつきの顔を覗き込む。
すると、なつきは手に持っていた本で顔をサッと隠した。
「えっと……美術部は彩ちゃんの得意なことだから、一緒にいて心強かったけど……」
「うん」
「文藝部は……私の興味があることだから……なんか、恥ずかしいっていうか……」
なつきは本を目元まで下げると、頬を赤らめながら俯いてしまった。
「あー、なるほど!」
私は手を叩いて納得した。
「でも、だからこそ見に行かなくちゃ!なつきが本当に好きなことなんでしょ?」
「……うん」
「だったら、絶対に見に行くべき!私も一緒だから、大丈夫だよっ!」
なつきの手をぎゅっと握ると、なつきは小さく微笑んだ。
「ありがと。彩ちゃん」
教室の前に着くと、ドアに「文藝部」と書かれた手作りの札が貼ってあった。
昨日とは打って変わって、中から複数の声が聞こえてくる。
「あ、今日は人がいる!」
「う、うん……」
なつきは私の後ろに隠れるように立った。
そっと小窓から覗いてみると、円形に机を囲んで座っている5、6人の部員が見えた。
「なんか、すごく真剣に話してる」
ノックの手を用意しても、微かになつきに引っ張られる。
「どんなことを……」
なつきも恐る恐る覗き込む。
その時、中で話していた部員の一人が振り返った。
「あ、誰か外にいる?」
「え?」
慌てて身を隠そうとしたが、間に合わなかった。
「見学の人かな?」
先輩が立ち上がって、ドアを開けた。
「あ、えっと……」
私となつきは固まってしまった。
「あら、1年生?文藝部の見学?」
3年生の部長らしい人が、優しく微笑みかけてくれた。
「は、はい……すみません、勝手に覗いてしまって……」
「全然大丈夫よ!せっかく来てくれたんだから、中に入って見学していって」
「で、でも……」
なつきが私の後ろに隠れる。
「遠慮しないで。今、部員みんなで作品の読み合いをしてるの。文学に興味があるなら、きっと参考になると思うよっ!」
部長の優しい誘いに、私はなつきの背中を軽く押した。
「ほら、なつき!せっかくだから見学させてもらおっ!」
「う、うん……!」
恐る恐る教室に入ると、部員たちが歓迎してくれた。
「わぁ、見学者!ほんと久しぶり!」
「文学、好きなの?」
「どんなジャンルが好き?」
…………
次々と質問が飛んでくる。
そんな中、私の目は部室の奥にいる一人の男子生徒に釘付けになった。
他の部員たちが私たちを歓迎している中で、彼だけは静かに原稿用紙に向かって何かを書いている。
サラサラした黒髪、細い甘い輪郭。
ぼんやりと赤く光っている、窓に掛かったカーテンは風に靡く。
彼はどこか影のある表情をしていて、周りの雰囲気とは少し距離を置いているように見えた。
でも、その手は止まることなく動き続けている。まるで心の中に溢れる何かを、必死に文字にしているかのように。
「え、えっと……」
ふと視線を戻すと。
なつきは緊張で固まってしまっている。
「……あ、この子、本を読むのがすごく好きなんです!いつも分厚い本を読んでて!」
私が代わりに答えると、部員たちの目が輝いた。
「本当?どんな本が好きなの?」
「最近は何を読んでるの?」
質問の矛先がなつきに向けられる。
「え、えっと……今は……『銀河鉄道の夜』を……」
「宮沢賢治!いいねっ!」
「あの幻想的な世界観、素敵だよね〜!」
…………
部員たちが盛り上がる中、私はあの男子生徒のことが気になって仕方がなかった。
なんだろう、この感じ、あの彼の瞳。
絵を描いている時の私と同じような……集中した表情。
でも、私の集中とは違う何かがある。
もっと深く、もっと切実な何かを抱えているような。
……それで、書くことにも興味があるの?」
部長が優しく尋ねている。
「あ、はい……でも、まだ人に見せられるほどじゃ……」
「そんなことないと思うけどな〜」
私が横から口を挟みながらも、またも視線はあの男子生徒に向いていた。
彼が書いている原稿用紙。どんなことを書いているんだろう。
どんな世界を、どんな気持ちを文字にしているんだろう。
私の中の好奇心が止まない。
「だって、なつきの書く文章、すごく気持ちが伝わってくるもん。国語の時の感想文とかさ!それに手紙も好きなんだし、きっと小説も素敵に書けるよ!」
なつきは恥ずかしそうに俯いた。
「手紙、書くのが好きなの?それも立派な文章だよ」
部長が微笑む。
「文藝部では、小説だけじゃなくて、詩や随筆、手紙のような散文も扱うの。大切なのは、自分の気持ちを文字にして、それを誰かに届けること」
部長の言葉を聞きながら、私はふと思った。
あの人の書いているものは、きっと人の心を動かすものなんだろうな。
あんなに集中して、あんなに真剣に書いているんだから。
その時、彼がふと顔を上げた。
一瞬、私と目が合ったような気がして、目線をすぐ逸らす。
心臓がドキッとした。
また彼を横目に見直す。
彼はすぐに原稿用紙に視線を戻していたようで、また書き続けていた。
……今度、良かったら何か書いてみて!みんなで読ませてもらうからさ」
「あ、でも……」
「無理強いはしないよ。でも、書くことが好きなら、ぜひ挑戦してみてほしい」
なつきと部員たちが文学の話で盛り上がっているのを聞きながら、私は心の中で思っていた。
あの人の書いたもの、読んでみたい。
どんな世界を、どんな気持ちを書いているんだろう。
きっと、私には想像もつかないような、深くて美しい物語なんだろうな。
「文藝部、毎日ここで活動してるから、いつでも見学に来てね」
部長の言葉に、なつきは嬉しそうに頷いていた。
なつきの隣で私は、もう一度あの人に会えるかな、という思いで頭がいっぱいだった。
教室を出る時、最後にもう一度あの男子生徒を見る。
相変わらず集中して書き続けている彼の横顔が、やはりなぜか忘れられない気がした。
「彩ちゃん、どうしたの?さっきからぼーっとしてるけど」
なつきに声をかけられて、我に返る。
「……あ、ああ!うん、なんでもない!文藝部、すごく本格的だったね」
「うん!みんな真剣に文学のこと話しかけてもらえて……私も入ってみたいな」
なつきの嬉しそうな表情を見て、私は微笑んだ。
「それなら、また見学に行こうよ。今度は、もっとゆっくりさ!」
今度、また行ったら、あの人ともう一度会えるのかな。
それぞれの期待を胸に、私たちは校門を出る。
心の奥では、あの真剣に書き続ける横顔が、まだ鮮明に残っていた。




