40.新品。
学校の授業に慣れた頃。
放課後の廊下は夕陽に照らされ、オレンジ色の光が差し込んでいた。
「なつき〜!今日も一緒に帰ろ〜!」
教室から出ると、なつきが廊下で待っていた。いつものようにカバンを抱えて、少し恥ずかしそうにしている姿が愛らしい。
「うん!彩ちゃん、お疲れさま!」
「なつきも!」
「今日の国語の授業、楽だったね〜」
二人で階段を下りながら、まだ目を通したての教科書片手に授業について話す。
なつきは真面目で、きちんと全てノートを取っているのに対し、私なんかは途中で桜の絵を描いてしまってた。
「あー、確かに!先生の説明中に描いた窓の木、我ながらよく描けてた!」
「彩ちゃん、ちゃんと授業聞かなきゃダメだよ〜」
「はーい、気をつけまーす!」
校門を出て、並木の下を歩いていると、ふと思い出した。
「そうそう!なつき、部活のこと考えてる?」
「うーん......やっぱり文藝部かなぁ......」
なつきは足を止めて、悩むような表情を見せた。
「あ、そうだ!こっそり見に行かない?」
「え?でも......」
なつきの目が泳いだ。
「大丈夫大丈夫!様子を見るだけだから!どんな先輩がいるかとか、どんな活動してるかとか!」
「うーん......でも勝手に覗くのは......」
なつきは困ったような顔をしている。私はそんななつきの手を取った。
「お願い!なつきと一緒じゃないと、私も心細いよ〜」
「彩ちゃんがそう言うなら......でも、見つからないようにしなきゃダメだよ?」
「もちろん!忍者みたいに静かに行くから!」
忍者のポーズを取って見せた。
なつきはクスクス笑いながら頷く。
「んじゃあ、文藝部から見てみよっ!」
私は元気よく踵を返す。
「……場所、分かるの?」
なつきの言葉に私の身体は固まった。
不安げに背中を見るなつきの視線が痛い。
「うっ、確かに......。文藝部だけどこでやってるか分からない……」
「美術部は美術室だし......じゃあ今日は美術部だけ見に行こうよ......」
「ん〜、じゃあそうしようっ!」
結局、なつきは押し切られる形で美術室へ向かうことになった。
校舎に戻り、3階へ向かう階段を上る。普段の賑やかな校舎とは違い、放課後の廊下は静まり返っていた。
「しーっ!」
人差し指を唇に当てて、なつきに合図を送る。
二人はそっと足音を立てないように歩いた。
美術室のある廊下に着くと、かすかに絵の具の匂いが漂ってきた。
「あ、この匂い!絵の具の匂いだ!」
興奮を抑えきれずに小声で言った。
「ここが美術室......」
美術室と書かれたプレートの前で、私はドアの小窓から中を覗こうと背伸びをした。
「えっ......」
中には確かに一人の女子生徒がキャンバスに向かっていた。
筆を持つ手つきは慣れたもので、色とりどりの絵の具がパレットに美しく並んでいる。
描いているのは風景画のようで、この学校がモデルなのだろう。
夕暮れの校舎は夢の中のように朧気で、この学校に対して好きだという気持ちが溢れ出ている。
とても丁寧なタッチだった。
「なつき、見て見て!」
興奮してなつきを手招きした。なつきも恐る恐る覗き込む。
「わぁ......すごく上手......」
「ねっ!でも......」
私は辺りを見回した。
「一人だけ?これで美術部?」
確かに部室内には、その一人の先輩しかいない。
しゃがんで下の小窓の隙間からも確認する。机や椅子はたくさんあるのに、使われている様子があるのは一つだけ。
「美術部って、もう少し人がいるものだと思ってた......」
なつきも困惑した表情を見せた。
二人は顔を見合わせた。
多少部活に熱が入っている学校で、こんな静かで部員が一人しかいない美術部があるのだろうか。
それとも、たまたま今日は他の部員がいないだけなのか。
疑問に思って、もう少しよく見ようと立ち上がろうとした瞬間—─
ゴツン!
「痛っ!」
頭を廊下の掲示板の角にぶつけてしまった。
思わず大きな声が出てしまう。
「彩ちゃん!大丈夫?」
なつきが慌てて私の頭をさする。
「いたたた......」
頭を押さえていると、美術室のドアがガラッと開いた。
「ん?誰かいるの?」
筆を持ったままの女子生徒が顔を出した。
艶のある長い髪に明るい表情の、どう見ても先輩らしい人だった。エプロンには絵の具がついていて、いかにも美術部員らしい格好をしている。
「あ、あの......」
私となつきは立ち尽くした。
覗いているところを完全に見つかってしまった。
「もしかして、美術部の見学?」
先輩は怒った様子はなく、むしろ嬉しそうな表情を浮かべた。
「は、はい......すみません、勝手に覗いてしまって......」
正直に答えると、その先輩の顔がパッと明るくなった。
「やった!新入生が来てくれた!全然謝らなくていいの!私、3年の末松!中に入って入って!」
「え、でも......」
なつきが遠慮がちに言うと、末松先輩は手を振った。
「遠慮しないで!あ、頭抑えてるけど大丈夫?さっきすんごい音がしたけど」
末松先輩は私の頭を心配そうに見つめた。
「は、はい......大丈夫です......たんこぶはできてないと思います......」
「それなら良かった!せっかく来てくれたんだし、美術室見てって!」
そう言って、末松先輩は二人を美術室に招き入れた。
室内に入ると、絵の具の匂いがより強く漂ってきた。
様々な作品が壁に飾られ、イーゼルや画材が整然と並んでいる。思っていた以上に本格的な設備が整っていた。
「わぁ......すごい......」
目を輝かせて部屋を見回した。
「こんなにたくさん道具があるんですね......!」
なつきも感動したような声を上げる。
「でしょでしょ?美術室の設備はなかなか充実してるの。水彩、油絵、アクリル、何でもできるの」
末松先輩は誇らしげに説明した。
「あの......他の部員の方は?」
なつきが遠慮がちに尋ねた。やっぱり気になってたみたい。
「あー、それがね......」
末松先輩は苦笑いを浮かべた。
「実は今の美術部、幽霊部員ばっかりなのさ。まともに活動してるのって、ほぼ私一人なんだよね」
「え?」
二人は驚いた顔を見合わせた。
「一応部員は10人くらい名前があるんだけど、みんな他のことで忙しくて......受験勉強とか、バイトとか、恋愛とか」
末松先輩は肩をすくめた。
「最初はみんなやる気があったんだけどね〜。だんだん来なくなっちゃって。今じゃ部活の時間に来るのは私だけ」
「顧問の先生は非常勤の先生だし……」
諦めたように笑うと続ける。
「まっ、文化部なんてそんなもんだよねぇ」
おバカな私はただ呆然と先輩を見つめる。
静寂が訪れようとすると、なつきは1歩前に出る。
「……それでも、続けてらっしゃるんですよね!」
なつきの言葉に、末松先輩は少し目を見開くと明るく笑った。
「だって、絵を描くのが好きだから!一人でも、ここで絵を描いてると楽しいのは変わらないみたい」
「だから、君たちみたいな色んなことに真剣に興味を持ってくれる子が来てくれると、すっごく嬉しいの!」
末松先輩の期待に満ちた表情に、私となつきは顔を見合わせた。
「美術なんて上手い下手なんて関係ない。大切なのは、絵を描くことが好きかどうか。他のことにも言えるけどね」
「それに、ここで一緒に絵を描ける人ができるって想像したら、こんなに嬉しいことはないよ!私、ずっと一人だったし!でも、まっ、他に悩んでる部活あるなら別だけどねっ!」
嬉しそうに喋る末松先輩に自然と表情が緩む。
先輩はその後も楽しそうに話し出す。
「……今日はありがとう!いつでも見学に来てね。明日からでも大歓迎!」
美術室を後にする時、一人で頑張る末松先輩の姿が、二人の背中を押してくれたような気がした。
…………
昇降口。
ローファーに足を滑らせる。
「彩ちゃん、どうだった?」
「……なんか、より入りたくなったかも」
上手く履けないローファーに苦戦する私を見ながら微笑むなつき。
「今度は文藝部、見ないとねっ!」
私はやっと履き終えると、なつきと足並みを揃える。
微笑むなつきににっと笑いかける。
私たちは枯れきった緑の並木の中を進む。




