31.パトロン、また今度
今日は、忘れてはならない日。
今日も平和な一日が終わる、そんなことにただただ感謝を。
空高い入道雲は、夕陽を隠す。
光は覆えない。
明らかにそこには太陽が存在している。
祭りが終わった静寂に、雷鳴は遠く。
夕立が来るかもしれない、そんな帰り道。
『次は~「浜名台」~……』
ドアが開く。
雨の匂いが、鼻をくすぐる。
「やほっ!」
少女はゆっくりと腰を掛けた。
窓の向こう、海は深く、陽の光で赤黒い。
青空は逃げる。
地平線の向こうから曇り。
「ねね、昨日の夜、めっちゃ面白いドキュメンタリー見たんだけど」
少女は身を乗り出すように話し始める。
「何のドキュメンタリー?」
「海の生き物の!特にクラゲの生態がすごかったの。普通、クラゲって動かないって思ってたけど、実は結構アクティブに動いてるんだって」
少女は、海の中を泳ぐクラゲの動きを真似る。
夕暮れの車内、少女の掌が小さな海の世界を作り出していた。
「海の中って、全然静かじゃないんだって。音とか振動とか、いろんな情報が飛び交ってるらしいの」
「へぇ〜、知らなかった」
「うん!海底の世界、すごく複雑なんだよ。まるで別の惑星みたい」
少女の瞳には、海への限りない好奇心が輝いていた。
「夏休みの作品、海のテーマで考えてるんだ。美術部の先生も、『面白そうだね』って言ってたもの」
「海の何について?」
「海の色の変化!朝と昼と夕方、海の水面と水中と底、同じ海なのに全然違う色に見えるじゃない?」
少女は窓の外の海を指さす。
今の海は鉛と蘇芳が混ざり合い、水彩画のよう。
「そういえば、このあいだ美術の先生が面白いこと言ってたの」
「なんて言ってたの?」
「えっと、『色は光が作り出す幻想』って。同じ景色でも、光の角度一つで全然違って見えるんだって」
「あぁ。光って不思議だよね」
少女は黒髪を軽く揺らす。
線路を走る音が、少女の言葉を掠める。
少々の沈黙。
また遠くで雷鳴。
青空は薄紅に染まる。
「ねね......」
「ん?」
「あと少しでお盆休みだけど、部活以外何か用事とか......あるの......?」
少女は僕の顔を覗き込む。
「ん〜」
僕はスマホを取り出し、カレンダーを開く。
画面越しに、少女もスマホを見ているのが分かる。
明日からお盆休み終わりまでの各日にちの見出しには、何も書かれていない。
「あっ、何も無い」
「へぇ〜、明日から部活ないんだ」
少女は感心するように言う。
すると少女の声が、少し緊張を含んで変わった。
「じゃあ、明日から会えないんだし......お盆終わり......8月16日の花火大会、一緒に行かない?」
突然の誘いに、車内は一瞬静まり返る。
「花火。一緒に......見たいなって」
少女の頬は、夕陽のように柔らかく染まっていた気がした。
夕焼けが邪魔をする。
「うん。行こ。僕もここら辺のイベント初めてだから、教えて欲しいな」
少女の表情は晴れてゆく。
「じゃっ、じゃあ!浜名台の次、州港駅前で6時集合ねっ!好きが増えてくれるといいなあっ!」
少女は手を合わせて、嬉しそうに言う。
『次は~「東立日」~……』
少女は前を向く。
アナウンスと共に、少女は立ち上がる。
「それに、やっぱり。あき……──
車窓は開いている。
ブレーキ音は車内によく響く。
少女の声なんかは、いとも簡単に掻き消される。
少女の後ろ姿だけを眺める、僕。
「……なんか、言ってた?」
夏風は風鈴を揺らすかのよう。
そよ風は頬を掠める。
「ううん。大きな独り言っ!」
少女は僕に手を振り、可愛らしく振り返る。
ドアが開く。
「じゃあ、また16日に!」
「うん。またね」
少女は電車を後にする。
会えない時間がまた、やってくる。
雷鳴は未だ遠く。
僕らはただ、電車と共に青空と逃げていた。
また週末、寒くなる。




