第9章
「へリーネさん! 世界の全体図が分からなくて困っています。教えていただけますか?」
僕が尋ねると、へリーネさんは微笑みながら答えた。
「いいですよ。でも、その前に、後ろの鞄を持ってきてくれるかな?」
馬車の中を探し始めたが、なかなか見つからない。ミレアに手伝ってもらっても成果はゼロだ。
「こんな狭い馬車の中で、どうして見つからないんだろう……?」
僕が呟いたそのとき——
「これのこと?」
ルナが、片手に鞄を持って現れた。
「あ、それだよ!」
どうやらルナが枕代わりにしていたらしい。まったく、人の物をそんな風に扱っていたら、いつか怒られるぞ。
へリーネさんは鞄からノートのようなものを取り出し、それを広げた。すると、ノートは瞬く間に1メートル四方の大きな地図へと変わる。
「これがこの世界の地図よ。」
「すごい……!」
ミレアとルナが興味津々で地図を覗き込む。
へリーネさんは僕に問いかけた。
「フェルナンド君、君は魔族や獣人についてどれくらい知っている?」
「特徴くらいしか分かりません……」
彼女は次にルナに視線を向ける。
「ルナ、君はどうだい?」
ルナは少し考えた後、ぽつりと答えた。
「魔族がとんでもなく強いってことくらいかな? あ、そういえば、昔魔族に剣を折られたことがあるんだよね。」
「えっ!? 魔族と戦ったことがあるのか!?」
僕は驚いた。一年間一緒に旅をしていたのに、そんな話は初めてだ。
「まあね、ちょっと昔の話だけど。」
ルナは軽く流したが、その戦闘がどれほど危険だったかは容易に想像できる。
「昔って言うけど、まだ18歳でしょ、ルナさん。」
「そうだね。でも、へリーネさんよりは20歳くらい若いかな?」
へリーネさんの眉がピクリと動く。
「ふふ、私は25歳のお姉さんよ。」
「え、ババアじゃん。」
「……そうなの...か..な?」
(絶対に殺す。この場でこのクソガキを仕留めてやりたい……)
怒りが伝わってきたが、どうにか冷静を保っているようだった。
「まあ、それは置いておいて、説明を始めるわね。」
へリーネさんは地図の中央を指差した。
「この世界は、大きな大陸一つといくつかの島で構成されている。この大陸の7割を占めているのが、人類国家『シルバー連邦帝国』よ。」
「連邦帝国には、母国ルアンやレナシータも含まれているんですか?」
僕が尋ねると、へリーネさんは頷く。
「その通り。連邦帝国の中にそれらの国々も含まれているわ。」
少し休憩を挟むため、僕らは平原で馬車を止めた。紅茶を淹れながら、へリーネさんの説明を聞く。
「では次に、人間以外の種族国家について話すわね。まず、大陸の西にあるのが『獣人族国家・白狼王国』。彼らは西の島々に本土を持ちながら、近年では大陸の2割を占領するほど成長している。そして、北に位置するのが『魔王国家・モーレス王国』よ。しかし、この国については魔法省でもよく分かっていないの。」
それを聞いたコメルが声を上げた。
「連邦帝国の魔法省ですら、魔王国の実態を把握できていないのですか!」
へリーネさんは軽く首を振った。
「そう。魔族の勢力圏は分かっているけど、拠点や魔王城の場所は不明なの。さらに奇妙なのは、人間の住む町や村から魔族が現れることもあるのよ。彼らがどう誕生したのかも謎だし……。それと、彼らには桁外れの能力がある。膨大な魔力、毒への耐性、物理法則を無視した腕力……」
僕は心の中で、そっとルナに視線を送った。
毒への異常な耐性、300年物のワインを平然と飲み干す姿、ベッドを片手で投げる腕力——
お前じゃね?
「話を戻すわね。白狼王国は剣などの刃物を主要武器にしている。だから鎧や装備も、かなり強固なものを作っているわ。」
コメルが腰の短剣を手に取り、軽く眺めた。
「ああ、これも白狼王国の鍛冶屋が作ったものだ。質が高いと評判だよ。」
へリーネさんは満足げに頷く。
「その通りね。白狼王国の武器や防具は、世界中で高値で取引されているわ。『刀』という片刃の剣も有名よね。」
世界で最も切れ味のいい刃物、刀……!
僕は心の中で興奮を抑えられなかった。庶民の僕らが手にするどころか、見ることすら稀なほどの高価な品——一度でいいから触ってみたいな。
——僕らは、このときまだ、何に巻き込まれるのかを知らなかった。