ウィンター・ベルシアの物語1
20歳でベルシア伯爵家に嫁いできたウィンターはいわゆる行き遅れの令嬢だった。
そんなに美人でもなければ背も低くて肌も白くない。特徴といえば「南洋の真珠姫」と言われた母から受け継いだ大きな瞳くらい。それも子供っぽい顔にしてしまう一因だった。そしてそんな容姿のせいで嫁を探していたベルシア次期伯爵が唯一釣書から選んだのが私。子供っぽいお相手が好きなロリコン次期伯爵、ではなくベルシア次期伯爵のブレットは見た目だけでデイル伯爵家長女の私を選んだのだ。ソリの合わない実の兄、デイル伯爵が私の意見など一切無視してトントン拍子に話が進み、ベルシアの姓になったのが一年前。
「はーーーーー」
鏡に映る自分の顔を見ながら深い深い溜息を吐く。
この一年、婚家にいびり倒されてうまく動けない自分が本当に嫌になる。最初はなんとかうまくやっていこうと前向きに考えたこともあったが、今では針の先ほども情が湧かない。名称は次期伯爵夫人であるが、私の味方になってくれる人間は生家から付いてきてくれた侍女のヘルナだけである。
感謝の思いで鏡に映るヘルナを眺めていると、私の髪をセットする手を止め、こちらを心配そうな目で見てきた。
「ウィンター様、今日は気分が優れないとお伝えしてきましょうか?最近食事も小鳥のようにささやかな量しか食べておりません。ブレット様はどうせ代わりの者を連れて行かれるでしょうから無理されなくても…」
「お世話になっているモルドバール公爵家主催の夜会で子供を侍らすブレット様の光景を作りたくないわ。夜会の豪華さより目立ってしまうじゃない」
ウィンターが行けないとなれば、別館で囲っている夫人を誰か一人連れて行くに決まっている。書類上は16歳を越えた下位貴族出身の第2、第3夫人達だが、誰がどう見ても10歳にも満たない幼子だった。倫理の問題だけでなく、我が国の法律で16歳未満の結婚は許可されていない。
例え社交界の隅々まで噂されるほどに有名なロリコン次期伯爵であっても、実際目撃する衝撃は格段に違う。
2人して深いため息を吐く。嫁いでくる時に一緒に来てくれた私だけの侍女がいるだけで、ずいぶんと心強い。大丈夫よ、と伝えるとヘルナが大真面目な顔をして宣言した。
「もし倒れそうな時はヘルナが馬車までお姫様のように腕に抱いてお連れいたします」
天然なところもヘルナの良いところね。
「遅い遅い!!どれだけ待たせるつもりだ!大した見た目にはならんのだからもっと早く準備して私を待つべきだろうが」
夜会用に着飾ったウィンターがヘルナを伴って玄関ホールに着くと、ホール近くの客間のソファにだらしなく座っている私の夫、ブレットが怒鳴り出した。出発の時間まで十分に時間はあるが、この家ではブレットがルールなのだ。遅いと言われたら悪いのはウィンターになる。今は顔の表面に笑顔の仮面を貼り付けてやり過ごせるウィンターだが、嫁いだ当初はあまりの理不尽さに反論していた。が、無駄な努力だった。
もし「旦那様が早く準備が終わられただけでしょう?」と言おうものなら
「気の利かない嫁ね。旦那様が準備を終わらせる前には先に出てきて待つものよ。仕事で忙しいブレットを待たせるなんて非常識だわ。ブレットが気に入ったからと言ってこんな年増の行き遅れなど嫁にするんじゃなかったわ」
と罵倒の神の加護でもついてるのかと言いたくなるくらい罵倒が得意なお義母さまが出てくる。
そして何故ここにいるのか。ウィンターの脳内にいる義母と全く同じ台詞を吐いた現実の義母が、ブレットの向かいのソファに座っていた。領地にいるはずの義母がなぜここにいるのか?そんな疑問も全て飲み込んで、ウィンターは表面だけ取り繕い、見た目だけは隙のない完璧な作法で挨拶をした。
「お義母さま、お変わりなくお元気で安心いたしました」
(相変わらず連絡もなしで行動される落ち着きのなさ、どうかと思います)
「嫌味だけは上達するなんて本当に嫌な人間がベルシアに入ってしまったわ。子供1人産めない石女のくせに。性格も生意気で逆らってばかりなのでしょう?夜会でベルシア家を汚すようなことをされるんじゃないかと心配で来たのよ。わたくしも参加できるようお願いしたらモルドバール公爵夫人も快く招待状をくださったわ。王都に出てきてわたくしがいないからと好き勝手しているそうじゃない。ブレットがストレスでズボンのサイズを変えないといけないのはお前のせいよ」
サイズアップで変えないといけなくなったことは知っている。伯爵位を次ぐ前に社会勉強と言ってやってきた王都で、社交と称して毎晩接待を受けて飲み歩いているのだ。太らないはずがない。領地が豊かで金回りの良いベルシア伯爵家には人が集まる。洒落にならない人間に傾倒されると面倒なので一応探っておいたところ、ブレットが参加しているのは趣向を凝らした子羊の晩餐会を開く下衆の集まりのようだ。わざと王都警備隊に情報をリークしてみたが、残念ながら捕まらなかった。
「それならわたくし、良い方を知っておりますわ。北方のかの有名なエルフラード侯爵家のご令息が大変に力が強く、素手でブラッタの脂を絞れるとか」
ブラッタというのは王都周辺に野生で生息している大変肉付きの良い大型の雑食動物だ。脂身の多いその身は食べてよし脂を絞って使い道たくさんのお得な生き物だが、気性も荒く素手で戦う人間などいない。かの令息の怪物ぶりを揶揄する噂の一つである。真偽はともかくブラッタはいわゆる肥太った人間を示す言葉でもある。後が面倒なのでいつもはここまで言い返さないのだが、ヘルナが心配した通り今日の私の体調はあまり良くない。いつもより理性の効かない頭が感情のままに盛大に嫌味を言ってしまった。周りくどい言葉の苦手なブレットはともかく、義母は含めた意味に気付いたらしく恐ろしい形相で私にティーカップを投げつけてきた。
「躾のなっていない小娘が!!」
淹れたばかりの紅茶が入ったティーカップは咄嗟に出した私の左手に当たり、中身は腕や手の甲にかかった。顔を顰める程度に済ませたが、本当は泣きたいほど熱い。後ろでヘルナが手当てをしようと動くが、私の表情が崩れたことに気付いた義母はほくそ笑んだ。
「まぁここで時間を潰して遅刻するわけにはいきません。早く馬車に乗りましょう」
「大奥様、お待ちください。ウィンター様の火傷の手当てをさせてくださいませ」
ヘルナが私を庇って前へ出てしまった。途端義母の顔は醜く歪み吐き捨てる。
「平民ごときがわたくしへ意見するの?出来の悪い嫁の侍女は礼儀も守れないのね。バーリー!この侍女に罰を与えなさい。100回ほど打てば覚えるでしょう」
ブレットの後ろに控えていた執事を呼び、ベルシアでは平民に対して当たり前の鞭打ちの罰を言いつける。ただ、いつもなら10回程度、それでも酷い傷が残る。
「お義母さま、時間が押しておりますので早く参りましょう。紅茶の染みくらいショールで隠せますわ」
私はヘルナを助けられる方法をなんとか考える。右手で左手を庇い、俯き、負け犬を演じる。少し震えれば義母の矛先が再度私に向くはず。
「…そうね。仕方ないわ。バーリー、任せたからちゃんと躾けておきなさい」
馬車の中で、夜会で、私をどう痛めつけようか考えているのが手に取るように分かる。長いこと貴族社会に身を置くわりに分かりやすいし扱いやすい。けれどお陰で助かった。
屋敷の玄関から先に出た義母やブレットには見えないように、バーリーにジェスチャーを送っておく。
⦅泥棒執事、鞭打ち演技で!約束破ったら首飛ばしますわ⦆
執事が首を縦に振っているので、ちゃんと伝わったようだ。
信頼できるほどの執事も召使いもいないこの家で、味方を作ることは難しかったので弱味を握って運用してみることにした。ヘルナを救えたので大成果だ。タウンハウスの高価な装飾や食器を安物とすり替えて懐に入れていた執事に、私の生家デイル家で「首を飛ばす」は物理的な意味だと教えておいて良かったわ。