何度でも愛してる
「これだけ遠回りして、辿りついた答えが最初と一緒なんて、本当……馬鹿みたい」
「きっと、それだけの事をしてきたから、今の答えを最初よりも自信を持って言えるんだ。――なら、俺達は近道をしていた、ってことにならないか?」
なるわけがない、と彼女は口を尖らせて否定して。
そうか。と、俺は笑って返事をした――――
不器用で、たくさんの間違いを犯した。
そんな俺達の辿った軌跡。
それはきっと他者から見れば愚かしい。
けれど俺からすれば、何より愛しい。
彼女の出会いと、別れと、再会の物語―――
俺達が生きるこの世界は、多種多様な種族が存在し。
俺は人間、彼女は生粋の吸血鬼だった。
人間は世界の大半に存在し、反対に吸血鬼の数は極少数。
そんな僅かにしかいない吸血鬼は、とても強大な存在である事を世間では知られていても。
俺が生まれ育った村では、詳しい事を知っている人間はほとんどいなくて。
けれど、人間の血を吸って、力を得ることが出来る吸血鬼が天敵だという事は皆知っていたから。
俺達の出会いは最悪、と呼べるものだった。
少なくとも、初めての出会いは、彼女に恐怖する俺と。
そんな俺を冷めた目で見る彼女。
互いに、相手を思う気持ちなんて一欠けらもない。
当時の俺は、村の外れを探検し、たまたま見かけた洋館に入り込んで、そこで見つけた女性が、一瞬にして自分の背後に現れ。
『――――また、吸血鬼狩りの人間が来た、なんて思ったけど、……ただの子供か』
そんな事を呟いているのを、黙って聞いて。
気がつけば又、彼女は一瞬にして俺の目の前に現れた。
「……っ」
普通の人間なら決して出来ない芸当と、彼女の”吸血鬼”という単語に、ここにきて、俺の目の前にいるのは本物の吸血鬼なんだと思い至り、恐怖で全身が震えだす。
この時、俺はまだ十歳を迎えたばかりの子供で。
無表情で見つめる彼女が、ただただ怖いと思うだけだった。
『おれ、ここで殺されるの?』
『……いいえ、見逃してあげる。ただ』
『ただ?』
『この事を誰かに言えば――わかるわよね?』
そう言って、軽く腰を曲げた後、彼女は俺に向かって少しだけ口を開く。
するとそこには、吸血鬼の特徴であると言われる鋭い犬歯がちらりと見えて。
『――――っ!!』
恐怖が、さらに自分の心と体を鷲づかみにした。
『だ、だれにも、言わないっ』
『そっ、ならいいわ。帰りなさい』
そう言って、彼女は姿を消す。
霧となって一瞬で消えた事で、俺が遭遇したのが紛れもない吸血鬼だと突きつけられ、俺は悲鳴を上げそうになり、そんな事をしてしまえば、本当に殺されてしまうと思って、慌てて自分の口を両手で押さえたのだった。
俺は恐怖で上手く動かす事の出来ない体を引きずるようにして、村へ帰った。
彼女の約束通り、誰にも自分が出会った事を伝えなかった。
だから、これ以上、関わる事はないのだと思っていたのだが。
再び彼女の元へ向かったのは、俺が、祖父の形見を彼女の住処に置き忘れたからに他ならない。
大好きだった祖父。
その祖父がくれた、少し大きめの腕輪。
無骨ながらも、祖父が手作りで作ってくれたモノ。
おとぎ話に出てくるドラゴンが刻まれた腕輪は、俺にとって一番の宝物だった。
いつもなら、紐を通して首にかけて行動していたのだが。
探検として森を探索した時は、気分を変えて腕に通していた。
そのままでは、落としてしまうからと、肩の位置までずらしてはいたけど、あの洋館から飛び出してから、村へ戻る際のどこかで落としてしまったらしい。
どうか、どうか、あの洋館に落としていませんようにっ。
何度も、心の中で願いながら、自分があの日辿った道を必死に捜索していく。
けれど、そんな願いは空しく、村の近く森の入り口、洋館へと辿る道。
その全てに腕輪はなく。
――残るは、あの洋館のみ。
結論に達した瞬間、恐怖が全身を駆け巡る。
ドクン、ドクンと、心臓の動く音がはっきり聞こえ。
そんなに疲れていていないのに、息を吸って吐くのも、辛くなって。
歩き回って、わずかにかきはじめた汗。それを上回る量の汗が、ダラダラと全身からあふれ出す。
『……』
行きたくない、という恐怖と。
行かなくちゃ、という僅かばかりの勇気。
何度も、村へ引き返そうとする足を、無理やり押し止め。
震える体をぎゅっと、抱きしめて。
『……いか、なくちゃ』
大好きだった祖父の形見。
あれは、本当に大事なモノだから。
だから、行こう。
恐怖に縛られながらも、一歩ずつ足を前へと動かして、俺は洋館へと歩き始めた。
『――もしかしたら、来るかも、なんて考えてはいたけど、本当に来るとは思わなかった』
『……なんで?』
『なんで? ああ、洋館が消えている事? 子供だとはいえ、人間に見つかったからね、魔法を使って隠したのよ。もし万が一あなたが村の人間に話しても、洋館自体がなければ、私を探しようがないでしょう――うん? 違うって顔をしてるわね』
首を傾げつつ、岩場に腰掛けていた彼女は、すとんと岩場から降りた。
そして、こちらに近寄ってくる姿を見て、俺は後ずさる。
『ああ、別にとって食おうとか、そんな事は思っていないわよ。はい、これ』
『あっ』
俺の行動に、一瞬目を細めはしても、咎める事無く彼女は手に握っていたそれを、俺が探していた腕輪を差し出した。
『そんなに体を震わせて、足がすくんでも、それでもここに来たのは、“それ”のためなんじゃないの?』
『――』
『あらら、声も出ないのかしら。なら、今回も見逃してあげるから、それを持って帰りなさい……もう、ここに来ちゃ駄目よ?』
この時、表情を和らげて寂しく笑う姿。
始めて、恐怖以外の感情が生まれ、ただただじっと彼女を見上げる。
恐る恐る手を伸ばし、腕輪を受け取った。
彼女はそれを確認すると、微笑を浮かべたまま「さよなら」と告げて姿を消す。
最初と同じように、体を霧と化して。
俺は、今度は体を震わせる事なく、彼女の姿も、洋館も消えた森の一部をじっと見つめ続ける。
二度目の邂逅は、こうして終わりを迎えた。
それから、俺は彼女の元へ何度も訪れ。
当初は呼びかけに姿を見せず、返事すらなかったけど。
俺があまりにもしつこくその場所に現れる事が鬱陶しくなったのか、姿を見せる事こそなかったものの、俺の言葉に短く返事するようになった。
交流はそこから始まり、徐々に打ち解けていく中で、様々な事を教えて貰った。
村の外の話。
見聞きしただけで、あまり詳しく知らない“魔法”の話。
そして人間や、それ以外の種族の話。
たくさんの話をする中で、俺は吸血鬼としての彼女ではなく、“アリシア”という一人の女性の事を知っていく。
『吸血鬼、ただその存在に生まれてだけで、どこにいても厄介者――本当嫌になるわね』
交流していく中で、彼女が俺を認めたのか諦めたのか、それはわからないけれど、いつの頃から場所は森の一角ではなく、彼女は隠蔽している洋館の中に俺を招きいれ、応接間となっていた。
その場所でアリシアは零す台詞に。
――彼女は一人なんだ、と。
この時、ようやく俺は気づいた。
多くの人から狙われるから、生まれ育った場所を離れ辺境に移り、ひっそりと住み続けている。
その事をアリシアは寂しげな瞳を軽く伏せて語る。
この頃には、アリシアの優しさや温かさを知っていたから。
吸血鬼、という事を忘れて彼女に惹かれた俺は。
出会いから数年経った、結婚が認められる年齢になった頃。
村の仕事で稼いだ大半の金を注ぎ、用意した結婚指輪と花束を持って、彼女の元へ訪れ愛の告白をした。
その結果――
――あなたは、その意味を何もわかっていない。
彼女はそう言って、俺に帰るように促し、翌日には姿を消してしまった。
そしてその日から俺は、彼女を探すため世界中を回る。
突然の俺の行動に、周囲の人間は呆れるか反対するかのどちらかだったが、いてもたってもいられなかった。
彼女を、一人にしてはいけない。
それだけが、心を埋め尽くしていた。
だから、この旅の始まりは、誰にも見送られる事なく始まる。
そうして旅が始まり、続けていく中で、人から吸血鬼がどれほど忌み嫌われていて、その巨大な力を恐れられているのか。
村の中で、争いごとに無縁の生活をしていた俺は度々に思い知った。
少し村を離れただけで、人に害をなすとされている吸血鬼の噂を耳にし、大きな街にいけば、吸血鬼の討伐や、もしくはいかに吸血鬼に遭遇しないで済むか、そんな話ばかりが聞こえてくる。
そんな話に耳を塞ぐ事もあれば、時には思わず口を出し。
結果、白い目で見られるか、もしくは暴力で黙らされるか、そのどちらかだった。
『……くそったれ』
その度に自分の無力さを思い知った。
外の世界では、力をつけなければ、何もできない。
それをようやく知って、気づけばがむしゃらに剣を振るい、多少はあるという魔法の才能も伸ばし続け。
数年経って、一人前だと認められる力は身につけても。
今度は。
人より巨大な力を持つ吸血鬼と比べれば、一般人に毛が生えた程度だと事実を突きつけられた。
そして、これから先どれだけ必死にあがいても、吸血鬼を討伐は愚か、傷一つつけられないだろうと、旅の行く先々で俺に戦いを教えてくれた人々は、口々に言った。
俺の願いを知らない彼らからすれば、吸血鬼を探しているという俺の目的は「吸血鬼を殺す」と言っているのと同じなのだろう。
だから、その言葉は「命を粗末にするな」と俺を気にかけてもらっているモノだとわかっている。
白い目で見られることもたくさんあったけど、旅をしていく中で助けてくれた存在も確かにいたから。
けれど「彼女と一緒にいたい」願っている俺からすれば。
お前に、彼女と一緒にいる資格はない。
そう言われているのと一緒だった。
わかっていた。
努力しても、俺は才能のある人間とは違う事を。
必死に手を伸ばして、それでも辿り着く先は、才能のある人間なら軽々乗り越えられるものでしかないんだって。
才能のある人間を一度でも知ってしまえば、自分が凡人だと思い知るには十分だった。
そして、そんな人間が吸血鬼と一緒にいても。
その存在を嫌い、駆逐する人間達を相手にする吸血鬼からすれば。
ただの、足手まといでしかない。
――あなたは、その意味をまるでわかっていない。
脳裏に、アリシアの言葉が蘇る。
その瞬間、激情が全身を巡り、ギリっと奥歯をかみ締めた。
ああ、その通りだよ、アリシア。
俺は、何もわかってなかった。
わからないまま、あんたに軽々しく“愛してる”なんて言葉を言ってしまった。
きっと、その時の俺の姿は滑稽で、さぞ腹が立つものだったろう。
けどな、アリシア。
世界を巡って、自分がどれだけ愚かな事をしたと実感できるようになっても。
それでも、あんたの寂しげな目が。
何もかも諦めて、一人でいる姿が頭から離れなくて。
そんなあんたが俺に笑みを見せる度に。
あんたを一人にしたくないと思ったこの想いが、消えてなくなる事は――
『――絶対に、ないんだ』
事実を突きつけられても、打ちのめされても。
心の底にある、揺るぎない感情を自覚し、決意を新たにする。
とはいえ。
このままでは、なにもできない事は変わらない。
だから――
『――――ようやく、会えた』
『え……あなた、リアム? どうしてここに? それにあなた――その力は一体?』
『探したからに決まってるだろう? 会いたかった、アリシ――ア?』
様々な経験と、長い時間をかけて見つけた姿に。
歓喜の表情で歩みよっていた俺だったが。
アリシアの瞳。
吸血鬼を象徴する真紅の瞳が、紫に変化している事に驚き。
アリシアも又、人間で言うなら、老人となっているはずの俺の姿が二十代後半の若さを保ち、又元々黒一色だった俺の目が真紅に変化している事に戸惑っていた。
そう、俺が手を尽くして人間をやめて、吸血鬼になったように。
アリシアも何らかの手法を用いて、吸血鬼から人間になっていたんだ。
とある辺境の村で、人間となったアリシアは静かに暮らしていた。
『ここは、あなたが住んでいた村と一緒で、他と比べれば、そこまで吸血鬼について警戒しているわけではないけど、それでもその目を見られたら一発でアウトなのは変わらないから、しばらく隠れていて』
そうして、アリシアが住んでいる一軒家に身を潜める事に。
とりあえず、夜まで待てと言われて静かに待つ。
アリシアの住んでいる場所は、村の外れにあるようで、アリシアが仕事で出かけている現在は誰もやってこない、との事だ。
絶対に誰も来ないという保障はないので、外から見えない位置で、俺は待ち続ける。
そんな中で、一人で待ち続けていると、胸中に様々な思いが巡った。
ようやく再会できた、という喜びと、アリシアが人間になって、村で暮らしているという事実。
それらが混ぜ合わさって、自分でもこの胸にあるモノがなんなのか、今いち判断ができず。
会えたら、一緒にいても、足手まといにはならない。
だから、自信を持って、自分の気持ちを再び告げよう。
そう、思っていたのに。
『……とりあえず、今は何も考えずに待つか』
空回りする思考では、きちんとした答えは出ないだろうと。
俺は答えを先送りにする事にした。
それから数時間後。
吸血鬼となった事で鋭敏となった俺の感覚が、この家に数人の人間がやってくるのを察知したので、魔法を使って家の周りを見てみると。
アリシアと若い男女が談笑しながら、歩いてくるのが見えた。
会話を聞き取っていないので、何を話しているかまではわからなかったが。
男女の隣で歩いているアリシアが笑顔を浮かべているのがわかった。
一緒にいた時間で、アリシアは何度も笑みを浮かべてくれたが。
その笑顔は、俺が今まで見たことのもないものだった。
『……そっか』
それを見て、俺は理解する。
孤独だった彼女は、人間になった事で、一人でいる必要はなくなった。
だから、あんなにも、心から笑えるんだ。
その事実を認めた時、知らず知らずの内に涙がこぼれる。
「……」
喜びと、悲しみで、混じり合ったこの感情は何なのか、わからない。
それでも、彼女が今、とても幸福なのは理解できたから。
少しの間、ぬぐう事すらせず、頬から床に落ちるのを見つめ続け。
『――おめでとう、アリシア』
誰もいない場所で、そう呟いた。
吸血鬼になって、わかった事がある。
吸血鬼は確かに力が強い。
けれど、その力の代償なのか、吸血鬼はどこにいっても嫌われ者だ。
人間の血を吸う種族だからこそ、人に嫌われるのは勿論の事。
人以外の種族だって、吸血鬼の事を良く思っていない。
エルフは高潔を重んじるためか、吸血鬼に対して否定的で。
獣人と呼ばれる人種も、自分たちよりも力が強く、不老不死である吸血鬼を鬱陶しがる。
だから、どこにいっても居場所というものがない。
いかに、こちらから争う事はない、と訴え続けても。
彼らはそんな言葉よりも、種族の特性ばかりに目を向けてこちらの話を聞こうとしない。
そんな生活に疲れたのだろう。
俺を吸血鬼にしてくれた相手も、俺を吸血鬼にした後、自ら命を絶った。
『こんな嫌われ者に、自らなりたいと言い出す輩がいるとは』
そう言葉を残して。
『私を、吸血鬼にしなさい』
帰宅して、周りに誰もいない事を確認してから、アリシアはそう告げた。
吸血鬼は、自分が望んだ相手を一人、吸血鬼にできる。
それを吸血鬼だった彼女は当然知っていた。
全てわかって、彼女は俺にそう言ってくれた。
その事が心の底から嬉しかったから。
『いやだ』
と俺は答えた。
彼女は、吸血鬼として生きる事がどういう事なのか、嫌というほど知っていて。
そして俺を「人間に戻す」とは言わなかった。
きっと、人間になる、というのは奇跡みたいな出来事だったから。
その方法は選べなかったのだろう。
だから彼女は又、自分が吸血鬼になる事を選んだんだ。
なら、俺の答えは決まっていた。
もう、彼女は、一人でいる必要はどこにもない。
そんな彼女に向かって。
今の幸福の時間を潰し。
一緒に地獄に落ちてくれ、となんて死んでも口にしたくない。
『リアムっ』
彼女の選択を拒否した後、俺はゆっくりと背を向ける。
背中越しに自分の名前を呼ぶ声が聞こえるが、振り向く事はしなかった。
『本当は、何も言わずに、いなくなろうと思ったんだけどな』
けど、彼女は俺から姿を消す前、何も言わずに消えることはしなかった。
だから、俺も黙っていなくなる、それは選んではいけないと思い。
自分の言葉をしっかりアリシアに伝えてから立ち去ろうと思ったのだ。
『アリシア』
とはいえ、ぐずぐずしていると、アリシアは俺を引き止めるだろう。
そのため、伝えるのはたった一言。
言葉を選んでいる時間はないが。
せめて心からの言葉を、伝えたい。
『そのまま、幸せに過ごしてくれ』
言い終えた瞬間、俺は自身の体を霧と化し、アリシアの家から離れた。
『待ちなさいっ、リアムっ! あなたは、あなたはわかってないっ! 私、私は――――』
そして姿を消した俺を追いかけるために、すぐさま家の扉を開け放ち、何度も俺の名前を呼ぶ。
『……』
その言葉を背に受けて、振り返りたくなる衝動を必死に抑え込みながら、俺はその場を後にしたのだった。
そうして、アリシアの二度目の別れから、数十年の月日が流れる。
寿命を迎えた彼女は、この世からいなくなり。
この話は、これでおしまい。
吸血鬼の少女が、長い孤独に耐えて。
それでも、頑張って生き続けた結果。
奇跡みたいな出来事によって、人間になり。
そうして人になった彼女は、幸せに暮らし、その人生を全うした。
故に、この話はハッピーエンド。
御伽噺にでてくるような、優しく温かい物語だと言えるだろう――
――それから。
更に長い年月が流れた。
時代が変わっても吸血鬼となった俺は、相変わらず人に疎まれ、恐怖され、時に排斥される。
無駄に力が強くなった俺は、そんな相手を撃退して、生き続けてきた。
どんな相手でも負ける気は毛頭なかったものの。
何度も何度も同じ事の繰り返しに鬱陶しくなり。
各地を渡り続けて。かつて、彼女が塒としていた場所で、ひっそりと生きていた。
人間の時には気づかなかったが、この洋館様々な魔法がかけられており、姿を隠すのは勿論、劣化を防ぎ、尚且つ人が住む環境を保ち続ける、そんな魔法がかけらていたのだ。
「ここには、吸血鬼をどうこうしよう、なんていないし、都合がいい」
なので、申し訳ないが、彼女の洋館を使わせてもらっていた。
長く、疲弊した心と体を休めるのには丁度よかった。
ここまで追ってくるような人間も早々いないし、魔法によってこの場所は誰にも見つからない。
そう安心していたのもつかの間の事。
ある日の夜。
何の前触れもなく、洋館の扉は開かれた。
扉を開け放ち立っているのは、一人の女性。
真紅の髪をなびかせて、紫の瞳をまっすぐに。
魔法を修めたのだろう、魔王使いと呼ばれる人間が身に着けるローブを纏っていた。
ローブから見え隠れする服装はきっと、今の時代にあったものだろう。
人間の頃は元より、吸血鬼となってからも服のデザインの良し悪しこそわからないが、彼女をより可憐にみせるには十分だと思った。
そんな女性がつかつかと歩み寄る。
入り口に入って、すぐ目の前にある大きな階段に立っていた俺に向かって。
「……」
「……」
俺は、そこから一歩も動かず、その来訪者を見つめていた。
「――ねぇ、吸血鬼。あなたは人の血を吸わないの?」
階段のすぐまで来た時、一度足を止めて、俺を見上げる彼女。
「吸わない」
俺が一言答える度に、彼女は一歩上って、口を開く。
「どうして? あなた達は、“血”は吸わなくても生きていけるでしょうけど、それでも“血”を吸った方が、力も欲も満たせる、そうでしょう?」
本来なら、逃げるか撃退するか、その選択肢を選ぶのが妥当だろう。
「――だから、吸うのが当たり前だ、と?」
俺に敵対の意思があろうがなかろうが、俺の存在を知っている以上、襲ってくるのが当たり前だったから。
「その通り」
けれど、この時はどうしても、この場から動こうなんて思えなかった。
何故なら。
「―吸えば、力はつく。“血を吸いたい”とこの煩わしい欲求を抑えなくても済む。確かにその通りだ。けどな」
目の前の女性は嘗ての彼女と同じ姿をしていたから。
あり得ない、とは思わない。
珍しい事ではあれ、彼女と同じ姿をした別人というのも存在しても可笑しくはない。
そう思うくらいには、俺は長い時間を生きてきた。
だから目の前の女性はアリシアではない。
かといって。
「……」
他人の空似だと思っていても、それでもやはり彼女の姿をした相手だからか、俺はアリシアが目の前にいるつもりで答える。
「俺はそのために吸血鬼になったわけじゃない、俺はただ“愛した”女性と一緒にいる、そのために吸血鬼になった。そんな彼女と一緒に過ごす事はできなかったけれど、でも――」
アリシアは、自分が吸血鬼である事を心底嫌がっていた。
そして、それを象徴とする血を吸うという行為も嫌っていた。
けれど。
再会して、人間になった彼女は言ってくれたんだ。
――私を吸血鬼にしなさい
それは“愛してる”という言葉でこそないけれど。
でも、嫌いなモノに成り下がっても、それでも俺と一緒に生きてもいい、と思ってくれたのだと、そう思っているから。
血を吸うことで、その全てがなくなってしまうわけではないけれど、けれどただ衝動に身を任せて行動すれば、その“想い”が色あせてしまうような気がして。
そうすれば、こうして“ただ”生きる事にすら耐えられないような、そんな気がしたから。
「俺は絶対に、血を吸わない」
「……」
そう断言して、彼女を見つめる。
アリシアと同じ姿をした女性はこの言葉に納得したのか、そうでないのか。
少しの間、黙ったまま俺を見つめて。
そして唐突に微笑んだ。
女性が急に笑ったのは何故か? その真意を探ろうと俺が口を開くより前に。
彼女は口を開き、そして言った。
リアム、と。
「――はっ?」
この時、俺は相当間抜けな顔をしていたと思う。
だって、俺の名前を知っているのは、もうこの世のどこにもいない。
そう思っていたのだから。
「……今、なんて?」
「――私、人のまま、人の枠から外れたのよ」
俺の質問とは全く別の事を言い出す女性。
その言葉を皮切りに、今までゆっくり歩いていた女性は一気に俺の元へやってきた。
「魔法をこれまでもかってくらいに極めて、前世の記憶を持ったまま転生、そこからさらに極めて極めて極めつくして、ようやく不老不死の存在になれたから、今こうしてあなたの傍に、立っている」
そして、色んな感情を滲ませながら、そんな台詞を吐いた後で、俺の胸にトンと手を置いた後に、魔法を打ちこむ。
「――っ!?」
掌から光が発せられたかと思えば、その後すぐに。俺の全身に幾何学模様が浮かび、そしてすぐに消える。
唐突の事に驚くも、その魔法に痛みはなく、かといって呪いの類でもない。
これは、一体?
「今あなたに刻んだのは、主従の契約」
「主従の、契約?」
「そう、今の私だったら、あなたが吸血鬼だって事を隠し切る事も出来るけれど、それでもし万が一があるといけないから、そんな時にはこう言ってやるの」
胸に置いた手を、俺の背中に回し、満面の笑みを浮かべて言い放った。
「魔法の天才であるこの私、このアリシア・シンフォニーが、しっかりあなたの手綱を握っている、てね」
ようやく、というべきか。
ここで彼女が――俺の知っているアリシアである事を、俺は理解した。
「もう離さないし、逃がさない」
アリシアは、俺を抱き寄せて、顔を埋める。
「……」
いきなりの展開で、わけがわからないまま、俺は尋ねた。
「どうして、そこまで?――」
「決まっているじゃない」
顔を上げ、俺を見つめてアリシアは言った。
「あなたが私に向かって、“愛している”と言ったからよ」
片腕を伸ばし、俺の頬に触れる。
「一人でいる私に向かって、そんな台詞を告げたのはあなただけ」
ゆっくりと、その細い指で俺の頬を撫でた。
「周りから突き放される事も構わず、私と一緒にいるためにあなたは人間をやめた」
何度も何度も、その指で俺の存在を確かめるように。
「そして私の幸福を願うために、あなたは一人でいる事を選んだ」
スッと指を止め、もう片方の手も俺の頬に触れる。
「長い孤独にさらされても、あなたは、あなたのままだった」
そして俺の顔を挟み込んだかと思えば、自分の顔を近づけた。
俺たちは、至近距離で見詰め合う。
「そんなあなたを――」
まっすぐ俺を見つめたまま、彼女は言ってくれた。
「自分の全部を捧げて“愛したい”と思ったのよ、文句ある?」
「……」
「……」
彼女の言葉を受けて、俺はすぐに答える事は出来ずに見つめる。
彼女は自分の気持ちを告げた後、俺の返事を待つために、静かに待っていた。
そうしてできた、空白の時間。
月光の光が雲の隙間から漏れて、窓に入り込み、暗く染められた空間を淡く照らす。
照らされた彼女と、洋館の雰囲気も相まって、一種の幻想的な空間が作り出されていたが。
「……っ」
「オイこら」
そんな雰囲気をぶち壊したのは俺。
とはいっても、何か言おうと口を開いたのではなく。
何故だか笑いがこみ上げて、思わず噴出してしまったからなのだが。
当然、そんな空気ではなく、彼女からしてみれば、怒りを覚える事だったから、さっきまでの柔らか声音は一変して、ドスの効いた声になる。
「いや、違うんだ」
「何が違うっていうのよ、今、別に笑う所なんてなかったでしょうにっ」
「そうなんだけど――なんていうか」
少しだけ目をそらしながら。
「こんな長い時間をかけて、あの台詞の返事を聞くと、「ああ、そうだったなぁ」って思って」
そう、最初の最初。
最悪の出会いから始まり、長い時間をかけて相手の事を知り、俺が吸血鬼である彼女に「愛してる」と言った、あの日。
当時、まだまだ、知らない事が多くて、それでも“本気”でした愛の告白に。
『――っふ』
鼻で笑い飛ばされたのを思い出して、思わず笑ってしまったんだ。
そう言えばと、彼女は目を丸くして「あれは、その、だって、あなたは子供、だったし……その」と言葉を濁すが、別にそれが悪いと思ったわけじゃない。
あの告白から、長い年月が過ぎた。
多くの経験をし、相手の気持ちが理解できるようになった。
途中で交わった時間で、お互いの主張が食い違い、手を取り合う機会を逃した。
それでも。
お互いがずっとお互いを求め続けていたのがわかり。
今こうして、再びその事を確認しあう機会を彼女が作り出してくれて。
その全てが、愛おしいと思えたから。
「アリシア」
「――なに?」
ふてくされる彼女の名を呼ぶ。
彼女は、半眼でこちらを見返すが、それでも構わずに彼女の背中と腰に腕を回して。
「愛してる。世界中の誰よりも、何よりも」
当時の台詞を、もう一度彼女に告げてから。
彼女の唇に、自分の唇を重ねた。
「――っ」
途端に、彼女が体を強張らせるが、それも一瞬で。
彼女は俺の首に手を回し、引き寄せる。
軽い口付け。
そのつもりで行為に及んだ俺が、今度はびっくりし、思わず体を硬直させてしまう。
それを俺が離れようとしていると考えてか、俺を抱きしめる彼女の力が強くなって、身動きがまったくとれなくなり。
長い時間、俺たちは唇を重ね続けた。
アリシアの腕の力が緩んだ所で、ゆっくりと顔を離す。
「リアム」
アリシアが短く、俺の名前を呼ぶ。
「私はあなたを二度と離さない。だから、あなたも――」
その時だけ、彼女は何かに怯えるように俺を見た。
「――私を離さない、そう……誓いなさい」
「……」
そんなアリシアにする返事は一つだけ。
「勿論だ、俺も――」
――――この温もりを、決して手放したりしない。
彼女に耳元に唇を寄せ、思いを告げる。
「んっ」
吐息にも似た、肯定の言葉の後、彼女はもう一度俺を強く抱きしめる。
それに答えるように、俺も彼女を傷つけないように、けれど存在を確かめるように、強く抱きしめたのだった。
そうして、それから数時間。
場所を移し、お互いの空白の時間を埋めるように、一緒に過ごした。
語る事なんて文字通り腐るほどあって、話題に困るなんてことはなく、時間が過ぎていく。
そんな中、不意に彼女は言い出した言葉に俺は笑って言葉を返したのが、アリシアはお気に召さなかったようで、こちらに体を押し付け、半眼で告げる。
「長い時間をかけて、たくさんの苦労してきた事が、あなたは近道だというのリアム」
「だって、そうじゃないか? 長い時間をかけて、たくさんの苦労をして」
彼女の頬に手を添えて答えた。
「目の前にいる相手が、この世にいる何よりも愛しい、それを断言できるんだから」
もちろん、もう一回同じ事をしてこい、なんて言われても断るけれど。
それを聞いたアリシアは、「納得いかない」と不満な顔をしていても、俺の言葉を否定はしなかった。
それを見て俺は又笑って、アリシアは頬を膨らませて、俺の額を軽く小突く。
今まで、一度も経験したことのない幸福な時間はこうして過ぎていき。
再会の夜が明け、朝がやって来るーー。
俺達は、身支度を調えると、塒としていた洋館を後にした。
これから、どう生きるか?
夜通し語った中で出てきた一つの話題。
その答えは。
「私はあなたと一緒に世界を周ってみたい」
アリシアの提案したこの言葉で決まった。
俺もアリシアも、“一人”で世界を周っていた事はあっても。
誰かと一緒に周った事は一度もない。
だから、その提案を受け入れ。
二人で世界を周る事にしたのだ。
アリシアが言うには、吸血気の存在を隠す魔法をかけたので、誰かに気づかれる事は基本ないし、それに何かあっても私が守るから、とのこと。
世の中に”絶対”はないと身にしみているので、その言葉で警戒を緩めるつもりは毛頭ないが。
それでも。
どんな時でも隣にはアリシアがいる。
それがわかっているから、怖い事は何もない。
もう、俺もアリシアも。
自分の思いを押し殺して一人でいる必要はどこにもないから。
長い時間、長い旅路。
これからはずっと二人で、歩いていく。
それがどれだけ遠回りであっても、全然構わない。
だって、歩いた道のりで得た答えは、揺ぎ無いものになるという事を。
俺はちゃんと知っている。
だから。
「アリシア」
これからも、ずっと。
「なに?」
――愛してる。
唐突に言った台詞に、目を丸くするアリシア。
けれど、すぐに彼女は満面の笑みを浮かべて。
柔らかな陽光、優しく吹く風の中で一言、言葉を返してくれた。
その言葉と笑顔に満足して、俺は頷き。
始まったばかりの旅路に、心踊らせるのだった。
本作を、最後まで読んで頂き、誠にありがとうございました。