安楽死した小説家の遺作
人類の仕事は絶滅した。労働はAIにとって変わられ、人間は無用の長物と化した。だから今や我々は資源をただ食い潰すだけの存在に成り果てた。
仕事だけではない、趣味に関する事柄も一変している。
特に娯楽となりえる映画、ドラマ、音楽、漫画、小説、そういう人々が作り上げてきた物が分かりやすい。
それらは今、全ての作品をAIが担っている。
顧客の要望に応え、それぞれのマルチエンディングまで用意されている始末。何てったって一つ一つ作るのに三十分も要らないわけで、更にいえば矛盾させずに甘酸っぱい青春恋愛小説の結末をハードボイルドSFファンタジーにだってしてくれる。それでいて面白い作品に仕上がるのだから人間は作っている意味がない。
昔の人々は一日の大半を仕事に費やしていたらしい。今は目が覚めている間、その全ての時間が自由だ。自由で、それでいて、とてもつまらない。自由すぎてやることがなくなっている。長く生きようと思えば生きられるのに、それに意味を見いだせないような世界。
そう感じているのはわたしだけではないらしく、自殺者数が人間が働いていた時代と比べて何倍も高いらしい。私はやたら心が頑丈に出来ているらしく、とある人に人間なのにAIみたいだなと馬鹿にされたことがある。
そしてついに前年度、全世界的に安楽死が認められた。私の国ではそれに対する先行応募者で数ヶ月先まで埋まるほど多かった。自殺予約と揶揄されるほどに。
「安楽死させていただきます、今までありがとうございました」
私の電子デバイスにポップアップされたメッセージはそんな簡単な内容だった。送り主は……高校時代の先輩だ。妙に堅苦しい文面は一斉送信なんだろう、そういうガサツな面は昔から変わらない。デバイスを手に取り、文章を打ち込もうとして考える。これ、先輩は読むのか? もうデバイスを閉じているんじゃないか、と。
お別れの言葉を諦めて打ち込んだ文章を削除していく。
ポポポポポッ、ピロン。
軽快に消えていく文面と新たに表示される先輩からのメッセージ。URL。青色に光るそれを押す。警戒心とかよりも、ただ、それ送ってきたことが気になって。
送られてきたのは幾つかのファイルを保存している閉じたサイトのようだ。デバイスの画面上部に『よろしく』と再びメッセージ。嫌な予感がした。
けれどそれはとっくに遅くて。サイトを閉じて文字を打ち直してお別れの言葉と、考えなおすように説得の言葉を送ってみたけれど既読にはならなかった。一日起きに確認私はしても、それはそのままだったので先輩にはもう届くことがないと知った。
五日、くらい経った気がする。最近まで忘れていた人の事なのに、どうにも心が重たい。気力が湧かないとでも言えば良いのか。先輩もこんな心境だったのだろうか。
ふと、サイトを開いた。『よろしく』とともに送られてきたその内の一つは小説だった。みっちりと詰まった文章は硬すぎず柔らかすぎもしない。悪く言えばありきたりだ。だがその文章の中で目を引くのが、誤字と脱字だった。あまりにも多い。…………多すぎる。
「自分で書いた、ってこと……?」
AIがそんなミスをする筈がない。あれは正確無比に言葉を並べるシロモノだ。こんな事は起こらない。私は内容よりもそれが真実なのかを確かめるためだけに文字をスクロールしていく。一つ一つの文章を舐めるように一画すら見逃してはいけないと思って。
読み終わったのは日付が変わる頃だった。総数は二十万文字もあり、文庫本に換算して約二冊。それでいて書きかけのまま終わっていた。気になって最初の文章をコピーしてネットで検索をかける。一番上には全く関係ないもの、二番目も、その下も。そこで私はやっと理解した。
完全未公開のオリジナル小説。
その内容はあまりにも明るくない。殺人鬼を愛した女性の話。ただそれだけ。先輩が書いたには似つかわしくない。あの人は心にこんな闇を抱えていたのだろうか?
しかも何故かそれを私に託されたのだ、気になってもう一つ送られてきたものを開く。今度は箇条書きで見たことのある内容が記されていた。主人公の名前、性格、見た目、そういう様々な要素をメモのように留めている。これはプロットか。
続いて三つめのデータを開く。それはただただ真っ白だった。データ名は『終話』とあり、つまりそれは。
「私に書けってことですか」
なぜ? と疑問がわいた。なぜ、私に?
それ以前に自分で書いたものをなぜ自分で公開しないのか。というよりAIに代行させれば良かったのに。
いくつもの不満が湧いてきたけれどグッと喉奥に押し込んでシェアコミュニティのサイトを開いた。ここにはAIに書かせた作品を教えあい、和気藹々とする場所がある。私はそこのコミュニティに先輩の送ってきたファイルから一部切り取って別のサイトに転載、そのサイトのURLを添付した。
「書きかけとか荒らしだろ」「完成品載せろ馬鹿」「ありきたりな始まりすぎてつまらん」「誤字多すぎて読みづらい」「てか誤字あるってことはAIの作品じゃなくね」「は? 今どき?」「そういうことだろ」「無駄じゃん」「低脳作家がAIにお仕事取られて嫉妬しちゃったかな」「それよりこれ読んでみ」「あんたのも偏りすぎてキツい」「自分でエンディング改変しろよそこは」
一瞬で誹謗中傷の的になり、一瞬で話題は去った。
次に同じ話題が出てきたのは。
「さっきの凡人作家のAIに続き書かせた」「その手があったか」「良かったな、無能作家」
こうして欲しかった、んですよね、たぶん先輩は。
私は興味本意でAIによって作られた続きを読んだ。それは十万文字あって、先輩の書いた話と違って無駄がない。かっちりとしていて簡潔に、話が二転三転せず視点主もいちいち変わったりもしない。内容だって比にもならない。比べることすら愚か。
先輩はなぜこんなことをしたんだろう。そんな事を考えながら、書き連ねられていくAIの作品と私が残した作品の批判を数分見つめていた。
翌日、私はまた同じことをした。昨日あげたあの続きをコミュニティに投下したのだ。反応はほぼ昨日と同じ、変わったことと言えば、コミュニティの住人が昨日の続きだと理解していることくらい。
「つまらんすぎ」「ゴミ送ってこられても困る」「人間様の作品はもう読めねぇって」「なんでも許せる人向け、とか注意喚起しとけ。ゴミすぎてキレるわ」「同意。今どきタグ戦争とか古臭い。何十年前の話だよ」「棲み分けができない古代人」
やんややんやと私への非難が殺到。まあ別に……。これを書いたのは私じゃないので何言われてもとしか思えないのだけれど。
翌日も、その翌日も、またその翌日と。どんどんと投下していきやがて残弾が尽きた。手元にあるのは文末が書きかけの一塊だけ。これをそのまま投下してやろうか。なんて思ってサイトにコピぺしてURLをまた送りつけにコミュニティを開いた。そのコミュニティは少し廃れかけていて、まあ私が折れずに『荒らし行為』と言われることをし続けもんだから別の似たコミュニティにだいたいが移動した訳だけど。そこにポツポツと残っているのは誰かがAIに書かせた小説が転がっている。その内容も、こちらが文章を送りつけるたびに先輩の書きたかった理想形とも言うべき物に仕上がりつつあった。むしろ私が盗作してやろうか、などと思う出来が一つ二つではない両手の指を折っても足りないほどにある。
私は『これが最後です』などと付け足して先輩の遺作の結末を送る。数分後、コミュニティに更新があった。
「なぜ続きはないのですか」
やけに丁寧な口調だった。ここのコミュニティで浴びせられ続けたものとはかけ離れたメッセージ。
私はそれに返信するかも迷い、結局は送らずにコミュニティを閉じた。どうせ、納得できないならAIで結末を作るだろうし。
「それにしても」
先輩の書いた作品は本当につまらなかった。ここまで付き合ったのだから私は偉い。私は本文のデータを勝手に消した。プロットを消そうと動かした指先が、視線がその横で止まる。
『終話』
それの中身は真っ白だ。何も書かれていない。
だからこそ、その意図は理解できた。
昔、先輩に審美眼があると褒められたことがある。私はそんな事は無いとキッパリと否定した。だってAIが書く作品なんてどれも面白い、どれも完璧。イヤミを突く場所なんてない。
「それがわかるってことは眼が良いってことだと思うよ」
「なら皆さん持っていると思いますよ」
「……そうかもね」
「はい、そうですよ」
先輩はシュン、として一瞬悲しそうな顔をした。それからまた人の良さそうな笑顔を浮かべて私の背中をポンと叩いた。軟弱そうな、見た目通りメンタルの弱い先輩の表情。
「まあ、僕の趣味に付き合ってもらいたいってなると……」
「何かわからないですけど私は嫌ですよ」
「そっか……」
イタズラに言葉を遮った。
あの時、ああしていなければ。先輩が何を言いたかったのか今ならわかる。私もあの時、その言葉を聞いていたら喜んだかもしれない。でももう既に過ぎ去った話だ。
「なら君も趣味を見つけなよ、僕がそれに付き合うから」
「そんなの無駄ですよ人生の無駄。何やってもAIという上位互換が居るんですから。私は受け取るだけが楽です」
「それは、…………よくないと僕は思うよ。せっかく生きるなら楽しいことしないと長生きできないよ」
長いこと溜めた言葉はその程度。私はそっぽを向いて視線を逸らす。先輩がワタワタとしている気配を背中に感じとっていた。
そんな懐かしい記憶を思い出す。あぁ、なら。これなら。
『よろしく』されても良い。だって手に取るようにわかるのだから。私には先輩が、書いて欲しかったことが。
このコミュニティに居る人には決してわからないことが。
それはこのお話の結末だ。AIに書かせた続きにはない。殆どハッピーエンドかバッドエンドできっちり完結している。
私は『終話』のデータを開き、先輩の文体を模倣……なんてできないから自分の文で書き綴っていく。それは見るからに酷く、先輩の書いたものよりも読みづらい。
「やっぱり私に審美眼なんて無いですね」
それから、何時間、何日……も経っているのかもしれない。口の中で血の味がした。唇が割れている。飲まず食わずで書いていたみたいだ。
書いた文字数はたった二万文字。これだけやって先輩の五分の一なのか。書くって大変なんだ。
そして残すは最後のセリフと最後の一文。
「誰にも私たちのことなんて理解できないよ、だから好き勝手やって良いんだよ。誰に何を言われても自由にして良いんだよ」
ヒロインのセリフ。殺人鬼はこの言葉を聞いて、ナイフを振り下ろす。文末はこれを描写して終わり。
ヒロインの生死は書かない。AIはこの場面をあやふやにはしなかった。そこが私たちとの違い。
「きっと、これで良いんですよね」
この終わりが気に入らないなら勝手にすれば良い。
そう、好き勝手に。AIに書かせるも、自分で書くのも。
「ありきたりな内容すぎてつまらないですね」
でも好きですよ私は。
でも私ならもっと面白いものが書けると思う。
今度書くならきちんと、自分のもので勝負したい。
「あぁ、本当の狙いはこういう事ですか。まぁ私は何言われても大丈夫ですよ、安心してください」
先輩の言うとおり、私のメンタルは頑丈ですから。
先輩が言うとおり、趣味を見つけましたから。
私はだいぶ長生きすると思います。
でもこれは。
これは私だけ宛に作られた小説じゃない。
これを読む人全てに宛てられたものだ。