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あやかし吉原 ~幽霊花魁~  作者: 菱沼あゆ
第一章 幽霊花魁
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巣食う霊


 遊郭にも明るい日差しの差し込む昼見世の時間帯。


 桧山は広い自室で馴染みの客に手紙を書いていた。


 昼見世と呼ばれるこの営業時間には客はあまり来ないので、みな本を読んだり、お稽古ごとをしたりしている。


 ふと桧山は筆を止めた。

 障子の向こうに誰か居る。


 チラとそちちらを見たが、それが幽霊花魁ではないと知ると、桧山はまた文字を綴り始めた。


 ご苦労なことだな、こんな昼間から、と思う。


 いや、霊たちも、夜だと相手にしてもらえないとわかっているからか。


 此処、吉原は夜でも明るく、いや、夜こそが忙しく。

 誰もが霊など突き飛ばすくらいのせわしなさで、この町を回している。


 桧山はいつも衝立にしがみつくようにして、こちらを見ている女を見た。

 着崩れた着物姿の女だ。


 自分を見ているようだが、特に恨みがあるというわけでもないようだ。


 いつの頃からかそこに居て。

 ただ、なんとなく、いつまでもそこに居る――。


 あの男には見えていただろうに、何も言わなかったな。


 桧山は、あの那津とかいう不思議な坊主を思い出していた。


 息を呑むほど、整った(かんばせ)をしていた。

 ああいうのに、奥方連中が入れ込んで寄進するのだろうなと思う。


 だが、那津のその美しい顔も、桧山の心を動かすことはなかった。


 桧山は、側にある螺鈿の鏡に映る、己れの顔を確認する。


 私は誰にもなにも求めてはいない。

 男にも――。


 この世で美しくあればいいのは、私のこの顔だけ。


 明るい窓を眺めた。

 衝立の女は、まだ自分を見つめている。


 あの坊主は何故、訊かなかったのだろう。

 何故、まず、これらを始末しないのかと。


 桧山は窓越しに空を見上げて呟いた。


「……それはね。

 生きている人間の方が厄介だからよ」


 今、此処には居ない那津に向かって言うように。


 そのとき、誰かが桧山の足を掴んだ。

 振り返ると、畳の上を見覚えのある顔の女が這っていた。


 自分の居る場所まで引き()り落とそうとするように、桧山の足を掴んでいる。


 それは、自分の前に、この部屋を所有していた女だった。


 身請けしたいと引く手あまただったときに、誰かの囲われ者にでもなっておけばよかったのに。

 もっと上をと望み、時期を逃して、吉原一の遊女の座から転落し、病で死んだ。


 死ぬ前に、病んだ身体を引きずるようにして、吉原にある九郎助稲荷に願掛けしに行っていたというが。


 この女のことだ。

 自分の病の平癒より、私を引き摺り落すよう祈っていたに違いない、と思う。


 今、此処にこうしているのがその証拠だ。


 だが、こんな風に呪われるのも悪くない、と桧山は思っていた。

 それは、自分が勝利した証だからだ。


 だが、こんな話をすると、あの女は眉をひそめるのだろうな、と思う。


 あの、幽霊花魁は――。


 桧山は立ち上がり、障子を開けた。


 油さしを呼ぶ。

 油をさし、行灯を掃除する若い者は、不寝者(ねずのばん)とも呼ばれていた。


 彼らは寝ずに、遊女の逃亡などを見張っているからだ。


 だが、近くには居なかったのか、返事はなかった。


 他の遊女たちもこちらに上がって来ていないらしい。

 下に呉服屋か貸本屋でも来ているのかもしれない。


 自分が部屋に籠っているときは、邪魔しないよう、遊女相手の商いをする人びとが来ても、誰も呼びには来ないから。


 しんと静まり返る廊下から、あの場所につながる廊下の角が見える。


 その先の壁には、一箇所だけ、真新しい木の匂いを放つ壁があるのだが。


 この扇花屋では、誰もそのことを口にするものは居なかった。





 どうしたら、階段下に居るという幽霊花魁と波長が合うだろうか。


 住み着いている廃寺の庭を掃きつつ、那津がそんなことを考えていたとき、また扇花屋から呼び出しがかかった。


 水子の霊が出るという。


 今度のお呼びは、桧山からの依頼ではないらしい。


 水子の霊なら、既にたくさん出てたが。

 まあ、行くのなら、桜のあるうちに、みなに紛れて行った方がいいと思い、すぐに向かうことにした。


 吉原への道を歩き、ふと振り返ってみる。

 そこに全く違う光景があると期待して。


 だが、そこには何もない土手が続き、那津は、ただ、溜息をついた。




 自分を呼んだのは、扇花屋では、桧山に継ぐ人気の女だった。


「姉さんが貴方を呼べたのに、私が呼べないなんて」

と言う。


 張り合うな……と思ったが、一応仕事だし、仕方がない。

 確かに水子の霊も居ることだし、一応、経はあげておいた。


 しかし、それで話が終わることはなく、いつまでも桧山への愚痴が続いた。


 楼主も忙しいらしく、顔を出さなかったので、止めてくれるものもなく、思わぬ時間がかかった。


 日が落ち、行灯に明かりが灯る。

 遊郭が遊郭らしくなっていく、厭な時間だ。


 泣く遊女たちの霊が、昼間よりもはっきりと見えてくる。

 自分には、この空気を華やかだという連中の気が知れない。


 階段に向かっていた那津の前に、いきなり女が現れた。


 たゆたう灯りの中で、美しい。

 まだ年若い新造のように見えた。


 こちらに気づき、女がにやりと笑ったとき、ふっと灯りが消えた。


 女の姿もその暗がりでかき消える。

 下から上がってきた油さしの男を呼び止めた。


「今、そこに女が居なかったか?」


 細身のその男は、手燭を自分が指差した方に向け、

「気のせいでございましょう」

と言う。


 少し頭を下げ、通り過ぎていった。


 振り返り、気づいた。

 桧山が廊下に出て、こちらを見ていたことに。


 いや、見ているのは自分ではない。

 那津は遠ざかる油さしの背を見つめた。



『幽霊花魁を、あの女を殺してください――』





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