那津の推理 ――千束の通り魔――
咲夜のからくり部屋を出たあと、小平とともに周五郎を追っていたところで、那津は目を覚ました。
そのあと、江戸の夢を見ることはなかった。
あれですべて終わりということか。
今まで得た中に、犯人の名前があると言うことなのか。
仕事帰り。
コンビニの前で、胸ポケットのスマホが鳴り出した。
病院からだった。
明野になにか、と思い、慌てて出ると、看護師が明野が目を覚ましたと告げてきた。
代わってください、という明野の声が聞こえる。
『思い出したわ』
と明野は言う。
『あの男ね。
私の腕を斬ろうとして、やめたの。
私の顔を見て。
ううん。
顔じゃないわね。
刺す直前、顔の辺りを見て、なにか不思議そうな顔をした。
細身の若い男よ』
「明野。
咲夜はまだそこか?」
明野が目を覚ますまで、咲夜はずっと付いていると言っていたので、安心していたのだが。
明野が目を覚ましたときには居なかったと言う。
看護師が、なにか荷物を取りに帰ったようだと横から言っていた。
大丈夫ですか、明野さんっ、という声が聞こえてきた。
意識を戻したばかりで、急に喋ったからだろう。
「すまない、明野。
ありがとう」
小さく明野の声が聞こえた。
『あんた……私を助けてくれるって言ったでしょう?
今は私が助けてあげる』
ひとつ貸しよ、と明野は言った。
家に向かって走りながら那津は考えていた。
犯人は、江戸の辻斬りと同じ人物か?
だが、江戸の辻斬りは消え、俺は犯人の名前を知らないままだ。
なのに、もう夢は見なかった。
やはり、自分が江戸で名前を知った人物の中に、犯人が居るということなのか?
だが、辻斬りの犯人が、俺の知り合いの誰かだったとは考えにくい。
斬り合ったときの感覚からいって、それはないと思うからだ。
あれはプロの仕事だ。
やることは小さいが、仕事に隙がなかった。
だが、あの辻斬りと、千束の通り魔のやることは似ている。
なにも関係がないとは思えない。
吉原帰りの女たちを狙う辻斬りは、最初に女の手を斬り、手首を斬り、肘を斬った。
だから、全体としては、『腕』を狙ったことになっている。
本当に辻斬りは腕を狙ったのか?
それとも、何かを誤摩化すためなのか。
最初の女は手の甲を斬られていたという。
相手は、最初から手の甲を狙ったのだろうか。
たいしたダメージを相手に与えられそうにもないのに。
それか、それは意図した場所ではなかったとか。
だが、あのとき、斬り合って逃げた男なら、そんなヘマはしないような気がした。
もしや、最初に手の甲を切ったのは別人で、実際には、違う場所を狙っていたのでは。
それならば、犯人は刀の扱いに慣れていない人間で、思った位置を斬れない人間だ。
自分の手の甲をもう片方の手で掴んでみる。
最初の犯人は、本当は何処を斬ろうとしたのだろうか?
そして、吉原の覗き女だが。
あれも犯人はわからないままだが、咲夜は、長太郎が覗き女を逃がしたようだと言っていた。
何故、あの長太郎が女を逃がしたのか。
女は町人のような風体をしていたそうだ。
長太郎と女は出合い茶屋で会っていた。
出合い茶屋は今でいうラブホテルだ。
長太郎と女はそういう関係だったのか。
いや、そうとは限らない。
二人は秘密の話をするために、その場所を利用していたのもかもしれない。
二人で、一体、なんの話をしていたのか?
そもそも、長太郎は、周囲のことにあまり興味を示さない。
いつもただ、職務を全うするだけだ。
左衛門に手を貸し、人も殺しているかもしれない。
だが、そんな長太郎でも、咲夜に対してだけは違うようだった。
では、長太郎がその女を逃がし、接触したのは咲夜のためなのか?
覗き女は不案内な遊郭に入り込み、部屋を覗き込んだりしながら彷徨っていた。
二度目からは生霊になってまで。
もしや、彼女が探していたのは咲夜なのだろうか。
だが、咲夜はからくり扉の中に居て、普通に忍び込んだくらいでは見つからない。
手の甲を掴んでいた手が滑り、指に触れた。
覗き女。
手を斬る辻斬り。
まさか。
覗き女の正体は――。
辻斬りが最初に狙ったのは指ではないのか。
だが、手慣れていないので、うっかり手の甲を斬った。
それを誤摩化すために、少しずつ斬る場所を変えていき、『腕』を狙った辻斬りだと同心たちに勘違いさせた。
そして、犯人と斬り合ったあと、辻斬りが現れなくなったのは、自分を怖れたからではない。
ちょうどよかったからだ。
自分を怖れ、出なくなったということにして終わらせるのが。
咲夜が玩具と間違えて、周五郎に指を送ったと言っていた。
周五郎は、それを苦笑しながら、自宅に持ち帰ったと。
『名前を呼んで!』
大きな声が耳許でし、はっと我に返る。
ぐぐっと両肩が重くなった。
まるで誰かがのしかかっているかのように。
そして、気づいた。
何故、その影が自分に姿を見せないのか。
その霊は、ただ、見せたくなかったのだ、この自分に、その姿を。
目の前にそれは現れた。
街灯の下に立つ咲夜。
ブロック塀の横。
そう離れていない四つ辻に男が立っている。
その手には、小刀があった。
今どきのナイフではない。
深くパーカーのフードを被った細身の人間が立っていた。
千束の通り魔――。
ぐんぐんと近づく自分に、その人物は気づいたようだった。
小刀を持ち替え、咲夜の肩を押さえて、腹を刺そうとする。
那津は迷わず叫んだ。
「やめろっ、福っ」
びくり、と男は震え、刀を取り落とした。
「動くなっ」
後ろから駆けつけた警官のものらしい声がした。
男は拾った小刀を振り、咲夜の顔の辺りを斬る。
ばさりと落ちたのは髪だった。
男はざっくりと咲夜の長い髪を切っていた。
ひと掴みのそれを持ち、走って逃げる。




