表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あやかし吉原 ~幽霊花魁~  作者: 菱沼あゆ
第三章 のっぺらぼう

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

40/49

最後の桜


 そろそろ吉原の桜も終わりだ。

 木は元あった山へと返される。


 その前にもう一度花見に行きたいと桂がねだるので、桧山は彼女らを連れ、最後の花見に繰り出した。


 みなで艶やかな衣裳に身を包み、仲の町を練り歩くのは、吉原を訪れている客たちへのもてなしでもあった。


 吉原の桜は幻の桜だ。


 あれだけ誇るように咲いてた桜の最後は自分たちの遊女としてのそれを思わせ、もの淋しい気持ちにもなる。


 生きて年季を明けられたら、私はどうするのだろう。


 このまま見世の使用人として働くか。


 外に店でも出すか。

 それとも、誰かと夫婦にでもなるか。


 ふっと桧山は俯き笑った。


 自分にそんな平穏な未来など許されない。

 明野を殺した自分には。


 どんな未来が私に訪れるのか。

 今の私にはもう見えない。


 明野を殺したあのときから――。


 着物の袂を少し抑え、落ちていく花びらを掌で受けようとしたとき、誰かが自分にぶつかってきた。


 振り返ると、わざと真横を通って行く一団があった。


 桂が彼女たちを睨んでいる。

 吉田屋の愉楽ゆらく一派だ。


 険のある美貌の女が自分のすぐ側に立っていた。


「あら、桧山。

 最近は、偉く奇麗なお坊さまを囲ってるんですって?」


 随分と話が錯綜してるな、と思ったが、口を挟むと厄介なので、黙っていた。


「あんたがどれだけ権勢を誇っていても、此処は吉原よ。

 そんなものはすぐに失う。


 いつまでも、そのままで許されていると思ったら、大間違いよ。

 此処にだって、此処の掟がある」


 私、知ってるのよ、と顔を近づけ、女は囁く。

 長年の想いを今こそ、とぶつけるように。


「私は、明野と新造出しの日が近かったのよ」


 明野。

 その名前に、らしくもなく、ぎくりとする。


「だから、あの女のことは忘れないわ」


 武家出身ゆえに、最初から教養もあり、美しい明野の存在に、彼女もまた恐怖したのだろう。


「明野の姿を或る日見なくなった。

 以前は、渋川屋のご隠居が、今は若旦那が毎夜金を払って買っているから誰も手が出せないと聞いたけど。


 本当に?

 こんなときにも、いつも出て来ない。


 変じゃない。


 ねえ……見たって奴が居るのよ。


 あんたのところから、ひっそりとこもに巻かれて担ぎ出されていく死体を」


 近づいていた身体を離し、声を大きくして、愉楽は言った。


「明野は、あんたが殺したんでありんしょう?」


 その声に、桜やこの一団を眺めていた客たちがざわめく。


 引手茶屋からも、店のものたちが顔を覗けていた。


「囲われてる女なんて居ないのよ。


 明野は死んだ。

 あんたが殺したのよ。


 それを誤摩化すために、渋川屋の若旦那に囲われてるなんて噂を流してるだけ」


 そう愉楽は囁く。


「相変わらず……声の大きい方だんすな」


 着物の裾をつまみ、頭を下げて行こうとした。

 愉楽は自分の品のなさを笑われたと更に声を荒げる。


「いつか証拠を掴んでやる。

 今の私になら出来るわ。


 あんたが明野を殺した証拠を必ず掴んでみせる」


 此処では、バタバタと病気で遊女たちが死んでいく。

 規律を破り、折檻されて死んでいくものも多く居る。


 だが、遊女が自分がその地位に昇りつめるために、他の遊女を殺したとあっては。


 あれは事故だったということはたやすい。


 だが、思っていた。

 本当にあれは事故だったのか?


 絡んできたのは、確かに明野だった。


 だが、私はいつか彼女を殺してしまうことを知っていた。


 それなのに、あの危険な階段の上で、彼女の手を下に向かい、払ったのは――。


 あっ、と自分を見た明野の顔が忘れられない。


 その表情に恐怖は感じられず、ただ、足を踏み外した驚きだけがあった。


 助けてくれと言うように手を伸ばす。

 今、自分が罵った私に向かって。


 手を差し出そうとした。

 でも、怖かった。


 自分も一緒に落ちてしまうのではないかと。


 転がり落ちる途中、打ち所悪く頭を強打した明野の首が、床の上で力をなくしたように、ごろんと外に向く。


 たまたま通りに居た男が、こちらを見ていた。


 そして、階段下には、明野と想い合っていたあの男が。


 叫ぶでもなく、罵るでもなく。

 明野ではなく、ただ自分を見つめていた。


 明野は吉原一の花魁になりたいと言っていた。


 そうでなければ、此処に来た意味も、自分自身が存在している意義もないと。


 吉原に売られた淋しさを紛らわすためにそう言っていたのだろう。


 だが、彼女はわかっていないと思っていた。

 彼女は誰もが欲しがるものを既に手に入れていたのに。


 この吉原に居る女たちが喉から手が出るほど欲しいもの。


 真実、自分を愛してくれる相手を手に入れていたのに。


 私は――


 本当に明野を殺すつもりはなかったのか。


 彼女が妬ましかったのではないか。


 そして、彼女のその美しさに恐怖していたのではないか。




 数年後、かつて見た未来の映像そのままに、自分を追い詰める存在が現れた。


 明野の想い人に手を取られ、やってきた、まだ幼さの残る娘。


 明野と同じその顔を見ながら言った。


『わかっていたわ。

 お前が来ることは』


 そして、彼女を見た瞬間に感じていた。


 自分や明野と同じように、彼女にもまた霊が見えること。


 咲夜の足許で、未練がましく、明野が自分が死んだ光景を再現していた。


 それでも咲夜は頷いて、此処に、この吉原に残ると言った。


 いずれ、更に明野に似てくるだろうその顔を自らの側に置くこともまた、贖罪だと思った。


 だが、自分はそれ以上の罰を受けた。


 もしも、咲夜と出会ったあの瞬間に戻れるのなら、きっと私は、咲夜をこの吉原に留めはしない。




 からくり扉の外で、少し調子っぱずれな上草履の音がした。


 桂だ。


 桧山からきつく言われているので、彼女は滅多に此処を訪れないのに、と咲夜は不審に思う。


「咲夜姉さん」

 そう呼びかけてきた彼女に、内側から扉を回転させて開けて、咲夜は外に出る。


「はい、お土産だんすー」


 奇麗な季節の菓子がその手にあった。

 包みも意匠を凝らしてある。


 上品なそれを見ながら、桂ではなく、桧山が選んだかな、と思った。


「ありがとう」

と言うと、桂は声をひそめて言ってきた。


「花見に行ってきたんだんすけど、大変だったんだんすよ」


 そう騒動の一部始終を語る。


「調子に乗ってるのはあの女の方だんす。

 最近、何処ぞの大名があの女を贔屓にしてるらしくて。


 今とばかりに桧山姉さんを責め立てるんだんすからっ」


 桧山贔屓の桂が熱くなったとき、ゆっくりと左衛門が歩いてくるのが見えた。

 慌てて桂は頭を下げ、その場を後にする。


 左衛門は手にある菓子を見て、

「お前も花見に行きたかったろうに、すまないね」

と優しい声をかけてくる。


 その様子にわかった。


 言われなくとも、思っていた。


 そうしよう。

 そうするべきだ、と。


 恐らく、私はそのために、長い間、此処に飼われていたのだから。


「周五郎様に手紙を書きます。

 届けるのに、長太郎を寄越してください」


 自分から周五郎を呼ぶのは、今までにないことだった。


 なのに、何故とも訊かずに、左衛門は、

「そうかい。

 ありがとう」

と微笑んだ。



 店の軒先を鳥が飛んで、隆次は眩しげにそちらを振り返った。


 そろそろ夕暮れどきだ。

 吉原が本格的に花開く時間。


 男が店の前に現れた。

 ひとりで此処へ来るのは珍しい。


「どうした。

 咲夜は居ないぞ」


 那津にかけたのと同じ言葉をかけ、ひとつ、付け加えた。


「また逃げたのか?」


 冗談めかして言ってみたが、長太郎は笑いもせずに言ってくる。


「桜も終わるので、吉原に来い、と咲夜が言っている。

 あの坊主も連れて」


 うん? と思った。


 なんだか厭な予感がし始めていた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ