吉原のあやかし
「また覗き女が出たらしいだんすよ」
桧山の部屋に行くと、気心の知れてきた新造、桂がそんなことを言ってくる。
これ、と桧山がたしなめるふりをしたが、それほど強くは言わなかった。
吉原の女たちにも、何かしらの気分転換が必要だと思っているからかもしれない。
「まったく。
こんなところに長くあると、いろいろあるんだんすよ。
下の部屋の壁にはよく血が飛び散ってるだんす。
見えるお客が来るときには、そこに着物をかけておくだんすが」
ひいっ、と桂が厭そうな顔をした。
「そうそう。
これを咲夜に」
と桧山はこちらに着物を向けた。
鮮やかなそれを咲夜に渡せと言っているようだ。
「これも」
と本をその上に置く。
「今日は長太郎が用事で出ているから」
と言う。
まさか、自分が咲夜に会いたくないから、俺にこれを運ばせるために呼んだんじゃあるまいな、と那津は思った。
桧山は何故、咲夜を疎むのか。
嫌い合っているというのではないようだが、何故。
年々、小憎らしい明野と顔が似てくるからだろうか。
「私が持っていってもいいんだんすけどね」
と桂は笑う。
「長太郎さんについていったときとか、咲夜姉さん、いつもお菓子をくれるから」
とまだまだ無邪気な様子だ。
これ、と桧山がたしなめる。
咲夜の部屋を開けるには、ちょっとコツがある。
長太郎や桧山はそれを知っているが、桂は知らない。
その開け方を、桧山はあまり広めたくないようだった。
だから、自分を呼んだのだろう。
そんなところは咲夜を思いやっているようにも見えるのに。
「咲夜の着物はあんたが買ってやってるのか」
「支払うのは咲夜だんすけどね。
私はいつも、表に出られないあの子の代わりに選んでやっているだけ」
少し姉のような顔をしていた。
咲夜もまた、呪われたことしかない実の姉より、この桧山を姉のように慕っているようだった。
「じゃあ、届けてくる」
「もう行くだんすか~?」
と名残惜しそうに桂が言ってくる。
外の話をもっと聞きたいようだったが。
「覗き女が気になるだんすね」
と桧山は、こちらを見て笑うと、
「咲夜に首を突っ込まないよう、伝えておいておくれだんす」
と先を読んだように釘を刺してきた。
「外に居てよ。
みんなが下に下りたら教えて」
届けた着物を満足そうに眺めたあとで、咲夜はそんなことを言い出した。
「……待て。
なんのために」
「覗き女の話を確かめに行くために決まってるじゃないの」
言うと思った。
今、注意されたばかりなんだが、と思ったが、止めてくれる長太郎が今日は居なかった。
「そういえば、私も足音を聞いたわねえ。
ぺたぺたと」
咲夜はそこで考え込む。
「いつもは上草履の音がするのよ。
それがあのときは違ってた」
そして、顔を上げ、言ってくる。
「見に行くなというのなら、なにか楽しい話でもしてよ。
あー、こんなところにずっと居たら、具合が悪くなるわ」
この間、客をとるよりマシだと言っていたのにな、と脇息に寄りかかりダレている咲夜を見下ろす。
ひとつ、溜息をつき、言った。
「吉原のろくろっ首の話なら知ってるが。
ああ、お前の方が詳しいか」
「知らないわ」
と言う咲夜に、もしかしたら、今より後の時代の話だったかもしれないな、と思う。
咲夜が此処に閉じ込められているせいで、知らないだけかもしれないが。
どちらにせよ。
此処から広まることもそうあるまいと思い、那津は話すことにした。
「大層美人の花魁が吉原に居たが。
この花魁、夜になり、気を抜くと首が伸びるので、一緒に寝た男を楼主が口止めしていたそうだ」
「ふーん。
それってろくろっ首なのかしら」
と咲夜は言い出す。
「斬り捨てられて転がってた首を見たんじゃないの?」
「お前な……」
やはり、女の方が神経が太い、と思った。
「いまいちねえ」
と言う咲夜に、では、小平の夢の話をしてやろう、と語ってみたが、咲夜は、やっぱり、それも怖くない、と文句をたれる。
「夢だからな。
高度なオチを要求するな」
だが、自分は怖い、と思っていた。
顔がないより、ある方が怖い、と小平は言った。
あの夜道。
会ったこともない通り魔の姿が頭に浮かぶ。
パーカーを着て、フードを被った細身の男。
街灯のない場所に立っている彼の顔は、暗く、ぼんやりとしてよく見えない。
ナマエ ヲ
呼ンデ……
何故、名前を呼べとあの声は言うのか。
あの男は自分の知っている誰かだとでも言うのか。
妄想の中の男の顔は、小平になり、隆次になり、長太郎になった。
「咲夜」
なあに? と咲夜がこちらを見る。
そういえば、うちの咲夜も一日家に居ると、具合が悪くなるとか言ってたな。
買い物にも友達とランチにも行けない此処の咲夜がちょっと哀れになり、つい、言っていた。
「じゃあ……人が減ってきたらな」
咲夜が目を輝かせる。




