桧山の未来
二階にいた桧山は下が騒がしいことに気がついた。
町から呉服屋が来て、反物を並べているようだった。
商売熱心な彼らは自分を捜していることだろう。
そう思いながらも、今日は会いたくなかった。
何処かへ身を隠したい気持ちだと思い、見ると、ちょうどあのからくり扉があった。
穴に指を引っかけ引っ張ってみる。
扉は簡単にくるりと回った。
あの娘が身を隠すようになってから作ったものだ。
だから、古そうに細工がしてあるが、実は、此処だけ板が新しく、近づくと、木の薫りがする。
大工などは不審に思うかもな、と思っていた。
まあ、見つかっても、咲夜のことだ。
噂の幽霊花魁のふりなどして、なんとかするだろう。
姉などより、余程厄介な女に育ったな、と思う。
咲夜の部屋は奇麗に片付いていた。
が、片付けているのは長太郎に違いない。
楼主の命により、彼女を護身する者となっている長太郎だが、気がつけば、雑用までやらされているようだった。
というか、ずぼらな咲夜を見ていて、几帳面な長太郎が堪えきれずに片付けていると言ったところだろう。
暗い部屋で、ぼんやりしていると、遠い昔を思い出す。
うららかな春の日、幼い桧山は誘われて、格子越しに掌を突き出した。
昼見世に出ていた姉さんに物を持って行ったら、手相を見ていた易者が、子供の桧山をただで見てやろうと言ってきたのだ。
老人だったからだろう。
孫を見るように目を細めて、桧山を見、
「どれどれ」
ともみじの手を掴んだ。
『おやおや、これはこれは』
と易者は小さな手を掴んだまま、顔をほころばせる。
『あんた、吉原一の花魁になるよ』
周りの姉さんたちは笑っていた。
だから、もしかしたら、みんなにそう言っているのかもしれないと思った。
桧山はその老人に、姉さんにもらった飴を渡した。
老人は微笑んで、格子の前から居なくなった。
春の日差しに照らされたその背を見送りながら、桧山は、でも、貴方にはわかっていない、と思っていた。
貴方の予見は当たっているのかもしれない。
でも、貴方はわかっていない。
私は確かに、吉原一の花魁となるだろう。
だが、なんの犠牲もなく、その地位につくわけではないのだと言うことを。
その占い師には、自分に見えている残酷な未来までは見通せていないようだった。
やがて、新造になった桧山の許に、その娘は現れた。
「お前も、世話しておやり」
遣手の言葉に、じっと自分を見上げるその娘の歳の頃は少し下くらいか。
驚くくらい整った顔をしている。
そのとき、桧山は悟ったのだ。
私が殺すのは、この娘だ、と。
未来は誰にも変えられはしない。
これから多くの出来事が起こり、様々なことを考え、幾つもの選択肢があるだろうが。
きっとこの未来は変えられはしない。
そうわかっていた。
ぼんやり柱に背を預けていると、かたりと音がした。
扉が開き、長太郎が入ってくる。
こちらを見て、少しだけ頭を下げた。
「あの子は居ないの?」
居ないとわかっていて訊いてみた。
咲夜は師匠を此処に呼べないので、時折、習い事に出ているようなのだが。
そのときは、彼がついていっているようなので、今は、勝手に抜け出しているのだろう。
「困った子ね」
遊女の逃亡を防ぐため、女が吉原の大門を抜けるためには、通行証が必要だが。
その女手形を、あの道具屋が昔のつてを使って、手に入れては、渡したりするらしいので厄介だった。
まあ、目立つあの容貌だから、あまり顔を晒さないようにはしていると思うが。
「もしかして、あの怪しいお坊様のところかしら?
相当気に入っているようだから」
わざとそう言ってみたが、長太郎は答えない。
だが、その目は、彼女がいつもぼんやりと寄りかかっている脇息の方を見ていた。
「じゃあ、邪魔したわね。
そろそろ下の連中も帰るだろうから」
単に身を隠しに来ていたのだと暗に言い、その場を去ろうとする。
もう一度、振り返ってみたが、長太郎はやはり、こちらを見てはいなかった。
どんな未来が誰に見えても。
私には私の未来がもう見えない――。
長太郎は桧山の消えたからくり扉を見ていたが。
やがて、腰を屈め、落ちていた簪を拾う。
溜息をついて、それを箱にしまおうとした。
脇息の側からいい匂いがする。
咲夜が好む薫物を取り寄せた、その香りが染みついている。
膝をつき、その脇息に顔を寄せ、匂いを嗅いだ。
「おっ。
似非与力」
似非坊主から進化したな、と思いながら、那津は二日酔いらしき小平を振り返る。
道具屋の前で話していたら、咲夜が来たので、三人で話していたときのことだった。
「旦那、酒臭いですよ」
と隆次が顔をしかめたとき、小平がぎくりとした顔をした。
その目は咲夜を見ていた――。




